人生に一度はありそうなこと。
真夏の朝。ここまで夏ど真ん中という時期になると「朝の涼しい時間」という概念は蒸発してどこか遠くで雨になってしまっただろう。とそれほどに暑い通学路。
「遅刻だ遅刻だ〜!」
優次はそう叫びながら学校へと走っていた。十歳になり小学生歴も早四年目に差し掛かっていたが、持病の「遅刻寸前の時間に教室へ入りたい病」は治療の目処が立たず、今日もこうして燃え上がる通学路を真っ赤になって走っていた。
学校へと辿り着き、汗がどっと噴き出さない内に靴の履き替えを済ませ、そのままの勢いで教室のある三階へ駆け上がる。
「おはよーー!」
その声と共に教室のドアをガラッと開く。
だが不思議なことに、教室にはほとんど人が見られない。いるのは優次自身と、何故か彼の席に座っている、優次そっくりな小学生だけだ。
「「な、なんで僕がもう一人いるんだ──ッ!!?」」
寸分のズレもなく、二人の口は同時に動く。また彼等の発した声も、テンポ音程音符構成アクセント全て一致していた。
「どいてよ! そこは僕の席だ」
「何おう。僕が優次だ。この席は僕が座っているんだぞ」
優次がドカドカと席に座っていた優次──ユウジへと近付き、胸倉掴んで殴りかからんといった勢いで前のめりになって抗議する。ユウジは立ち上がり、ここは自分の領域だと負けじと抗議する。
「仕方ない。じゃあ勝負といこう。勝った方が本物の優次だ!」
「望むところだ。本物である僕が負けるはずがない!」
勝負のルールは至って簡単だった。優次に関する問題を交互に出し合い、先に答えられなくなった方が負け、というものだ。
「昨日の晩ご飯は?」「ハンバーグ! パパとママ、最近怒られたのは?」「ママ! 僕のお兄ちゃんの名前は?」「優一! 昨日穿いていたパンツの色は?」「紺色! ────」
実力は伯仲。優次もユウジも、二人共まるで本物であるかを証明するように、微妙な難易度の問題を次々に即答していく。
そしてどちらが問題を出すターンか判らなくなってきたところで、教室のドアがガラッと音を立てて動く。
「あれ? なんで僕がもう二人いるんだ?」
次に教室へと足を踏み入れたのも、優次と同じ格好、同じ顔、同じ身の丈をしたゆうじだった。
「それはこっちの台詞だ! 偽物がいるだけでも嫌なのに、なんでそれが二人も!」
「ああもう! 僕もう怒ったぞ!!」
優次とユウジが各々叫び出すと、ユウジは優次とゆうじに掴みかかる。
遂に混乱の境地へと至った三人の優次は、押し合いの喧嘩へと踏み込む。優次がユウジを、ユウジがゆうじを突き飛ばし、威嚇する。
そうして熱気が巻き起こった教室に、立て続けにドアの音が響いた。
「何で僕がこんなに!?」「うわぁ、僕がたくさん……」「この馬鹿ァ!!!」
Yuujiが、U-Gが、勇次郎が。その他たくさんの「優次」が教室へと雪崩れ込む。半ば災害然とし始めた優次ラッシュは、教室を更なる熱狂の地へと誘い、その場にいる全ての「優次」を狂い踊らせた。
「こら優次っ! 夏休みだからってこんな時間まで寝ないの!!」
そこに雷鳴の如き声が走り、優次はガバッと布団を巻き込んで起き上がる。
「あれ……夢?」
「なに寝ぼけてるの。朝ご飯できてるから、さっさと食べちゃいなさい」
優次は母親にそう言われるが、当の優次は目をパチクリさせていた。
夢だったんだ。そう心の中で呟く。どうやら真夏なのに厚い布団を全身に被って寝たのがいけなかったらしい。お陰でロクでもない夢を見た。
目をこすりながらリビングへ向かう。今日は何して遊ぼう。そんなことを考えながらリビングのドアを開けると。
「おはよう。優次」
自分とまるで同じような顔、背丈をした少年が、既に食卓で朝食を口にしていたのだ。
「え、何で──何でユウジが現実に?」
優次は脚を震わせ、朝食を摂る少年に聞こえるか聞こえないかくらいの声量を以って呟く。
「は? 何言ってるんだ。優次はお前だろ?」
少年のその言葉を聞き、優次は安心する。
「ごめんごめん。おはよう、優一兄ちゃん」
優次は双子の兄に挨拶をして、美味しそうな朝食に手をつけた。