前に進もうとする思い
一学期の期末テストが始まる一週間前の六月下旬、教室で服部留理と川口里奈の友達である古田美子がなにやら真剣に雑誌を読んでいる。まだ朝のホームルームが始まる前ということもあり、教室内はそんなに生徒はいない。
美子は今月中旬に行われた球技大会で友達に毒薬を飲まされ、危うく命を落としかけたのだ。しかし、すぐに救急搬送され、その日のうちに解毒され大事には至らなかった。十日間の入院で退院出来たのだが、退院翌日には学校に登校してきた。クラス全員にはもう少し休んでおけばいいのに・・・と言われたが、出席日数が気になってしまい、登校してきたのだった。
「美子、おはよう」
雑誌を読んでいる美子に登校してきた里奈が挨拶をする。
「おはよう」
美子は顔をあげずに雑誌を読んだまま挨拶をする。
「何読んでるん?」
美子の左隣に座っている里奈は、美子を窺いながら何を読んでいるのかを聞く。
「バイトしようと思って求人雑誌読んでるねん」
やっと顔をあげた美子は笑顔で答える。
「バイト? この前、退院したばかりやのに・・・。それに来週からテストやで?」
里奈は美子がバイトをすると聞いて驚いている。
「テスト終わってからや、それに私はもう大丈夫。いつまでも落ち込んでいられへん」
美子は体を派手に動かしてみせる。
「元気なのはわかってるけど、もう少し休んでからでもいいんと違う?」
「あんなことがあったばかりでもう少し休んだほうがいいのかもしれへんけど、やっと気持ちが落ち着いてきたところやねん。自分がやりたい事をやりたいって思ってな」
毒薬を飲まされた事はショックだったが、ずっとショックのままでいるのもどうなのかという思いが美子の中で生まれていたのだ。
「おはよう」
そこにクラスが違う留理が二人の元に近付いてくる。
「あ、おはよう、留理。美子がテストが終わったらバイトするって言うてるねんで」
里奈は美子の思いを聞いたが、どうしても心配する気持ちが先立ってしまっていた。
まるで美子の母親のようだ。
「いいんと違う? 去年の夏休みも短期でスーパーのレジ打ちのバイトしてたし、美子なら採用になると思う。あのことがあってから落ち込んでたやろうし、美子がバイトをする事で前に進めるんやったらバイトしてもいいと思う」
留理はついさっきの二人の会話を聞いていたのかというくらい自分の思いを伝える。
「留理もそう言ってるやん」
「美子が大丈夫って言うならバイトしてもいいけど・・・」
里奈はそこまで心配しなくてもいいのかなという思いになってきた。
「里奈って心配性やね。留理もそういうふうに言ってくれて嬉しい。二人共、ありがとう。バイト、頑張らなきゃ」
美子は二人の心配してくれる気持ちが嬉しいと礼を言う。
「古田、バイトするん?」
三人の横から眠そうな表情で篤史が話に加わってくる。
「何のバイトするん?」
美子の右斜め前に座っている篤史はカバンを置いた後、求人雑誌を覗いて聞く。
「今のところ考えてるのは飲食店」
「あぁ・・・っぽいわー」
答えを聞いた篤史は美子の事を飲食店でバイトしてそうというふうに美子を上から下まで見ながら言う。
「飲食店でバイトしてそうってどういうこと?」
「そのままの意味や」
篤史は自分の机に戻り、カバンを机の横にあるフックにかける。
女子三人はわけがわからないという表情をしている。
「美子、バイトが決まったら教えてね」
留理は笑顔で美子に言う。
「わかった」
期末テストが終わって三日後にバイトの面接を受けた美子は、見事採用となった。採用の電話を受けて一週間後からバイトを始めた。
美子のバイト先はスマイルというファミリーレストランで、メニューが豊富で良心的な価格で家族連れはもちろん学生などもたくさん来店するのだ。しかも、スマイルの制服は可愛いと噂になっているくらいで、制服目当てにバイトをする学生もいるほどだ。
夏休みが始まって三日後の午後六時、篤史達三人は部活が同じ時間に終わるという事で待ち合わせをして美子のバイト先に行こうという事になった。美子にはあらかじめ食べに行くと里奈が連絡を取ってくれた。
三人は美子に案内されて席に着く。平日の午後六時という事もあり、そんなにお客さんは入っていない。
「来てくれてありがとうね」
白いシャツに緑と白のチェックのスカート、スカートと同じチェックのバンダナをして、紺のハイソックスにローファーの制服を着た美子は、営業スマイルとは違い、普段学校で見せている笑顔を篤史達に見せる。
「美子がスマイルの制服を着てたら映えるやんな」
留理は小柄な自分には似合わないと思いながら、バイト先の制服を着た美子を見て羨ましそうに見ている。
「それは言えてる。さすが、美子、似合ってる。私に似合わへん」
里奈も留理と同じように思っていたようだ。
「そうやな。留理と里奈には似合わへんな」
篤史は自分の事はよくわかっているじゃないかと言う。
「篤史、余計な一言」
里奈は横目で篤史を睨む。
「ホンマの事、言うただけやん。それにさっき自分で似合わへんって言うてたやんか」
篤史は自分達も同じ事を言っていたのに・・・と頬を膨らませる。
「まぁまぁ・・・。でも、女子なら全員似合うと思うけどな」
美子は留理と里奈にもスマイルの制服は似合うと言う。
「スマイルの制服、うちの学校でも可愛いって言ってる女子多いもんな」
里奈は自分もスマイルの制服がカッコよく着こなせたら・・・と言う。
「古田さん、こっちのテーブルの片付けお願い」
篤史達が座っている左隣の席を片付けている男性スタッフが美子にヘルプを出す。
「あ、はい」
美子は急いで左隣の席に向かう。
「学校の友達?」
テーブルを片付ける男性スタッフが美子に聞く。
「はい、そうです」
美子は嬉しそうに答える。
「おしゃべりもいいけど仕事もしてくれよ」
そう言うと、食器を載せたトレーを持って厨房に向かっていく。
「今の人は山口一郎さん。大学一年生やねん。高校一年からスマイルでバイトしててベテランやねんで」
厨房に入っていく山口一郎の後ろ姿を見て紹介する。
「そうなんや。大学生って感じやな」
留理はいかにも大学生だなと思いながら言う。
「あの人の事が好きなんやろ?」
篤史はニヤリとして美子に聞く。
「な、何言うてんの!?」
顔を赤くして美子は慌てふためく。
「まぁ、相手は大学生やし、高校生のオレらからすれば大人やもんな。好きになって当然や。別におかしい事はないで」
バイトをしていれば大学生とも交流しているため、同年代の男子よりは大人に見えるため好きになるのは当たり前だというふうに篤史は言った。
そう言われた美子は、内心ホッとしていた。
「カレーライスセットです」
そんな会話をしていると三人が座っている右隣の席の若い女性客が頼んでいたカレーライスセットが、一郎とは別の男性スタッフが運んでくる。
篤史はそっと見ながら、あ、美味しそう。カレーライスセットもいいかも・・・と思っていた。女性客はありがとうと男性スタッフに言うと食べ始める。
そして、二口目を食べ終えた瞬間、女性客はうっとうめき声をあげてイスから倒れ落ちてしまった。美子が悲鳴をあげると、店内は騒々しい空気に包まれた。
「早く警察と救急車を!!」
篤史は大声で指示した。