麺食侠演義
【第79回フリーワンライ】
お題:
ラーメンはまだ伸びる
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
フェイジンは手を合わせた。目の前に、というよりほとんど屋台の親父に向かって。
パキ。割り箸を正確に二つに割った。意外とコツが必要で、力の入れ具合が重要なのだった。
箸同士の角を擦り合わせる。意味はよくわからないが、本場における儀式か何からしい。
「おい」
その艶やかな白濁した水面は、フェイジンに真珠の輝きを連想させた。本物の真珠などお目にかかったことは一度としてなかったが、これが真珠なのだと思い込んだ。
器を両手で捧げ持つように抱える。立ち上る湯気を思うさま堪能した。焦がした脂の香ばしい香りの向こうに、どっしりとしたタレと、そこに僅かに混じる豚の甘い匂いとを嗅ぎ取った。
フェイジンはこの微かな豚の匂いが好きだった。どこかの宗教では、あの世には甘い香りが満ちているという。きっとこの匂いに違いない。食っても食ってもなくならない、豚肉の園だ。
「おい!」
声の勢いが極楽の妄想と湯気を吹き散らした。無視を決め込んでいたフェイジンが億劫そうに首を巡らせる。
「なんだ、馬鹿なタンのとこのアホ弟じゃないか」
「兄貴はムショに入ってる。今、この辺りを締めてるのは俺だ。だから『タン』と言や、俺のことなんだよ!」
粋がった目立ちたがり。兄貴を怖がってるくせに疎ましくも思ってる。フェイジンはタン弟の評価を修正した。罵倒よりも自身の面子を優先したからだ。あるいは、単に悪口に気付かない低脳。
「で、そのタンデイ君が朝飯時に間抜け面ぶら下げて何しに来た」
言葉の尻でスープを啜る。熱い。美味い。甘い。口から入った熱が体中に染み渡るようだ。朝の一杯はこれだから堪えられない。
「おう、この間の決着がまだだ。早いとこケリつけようと思ってよ」
名を呼ばれて面子が立ったと思ったのか、都合良く悪口は聞き逃したようだ。単純なやつ。あるいは、度量の広さを見せているのか?
「今日は徹夜でな。朝飯食ったら寝るから、夕方出直して来いよ」
それで話を終わらせたつもりで、フェイジンは器に向き直った。箸をスープにくぐらせると、一束の麺が露わになる。この辺りでは珍しい縮れ麺。普通拉麺と言えば捏ねて伸ばしたものだ。
箸の熱気を吹いて口に入れようとした時、咄嗟にフェイジンは顔を逸らした。鋭い拳がその真横を通過する。殺気の籠もった一撃だった。弾力を感じさせる麺が箸からこぼれ落ち、映像の巻き戻しのように白濁の中へと消える。
「なんのつもりだ」
「決着をつけると言った」
「ちょ、ま」
て、と言い切る前に椅子から飛び上がる。タンデイの二撃目は首を狙っていた。体ごと退かなければ決着になっていただろう。
フェイジンもようやく身構えた。粋がった目立ちたがりの思慮足らずは、のみならず愚直でもあるらしい。打ち倒さなければ朝飯もままならない。
まったく待つ気のないタンデイは――いきなり殴りかかってくるのだから当然だが――、フェイジンの呼吸が整うより早く動いた。
牽制の左からの右、そう思わせて右は構えだけで左の突きが本命。後手に回ったが、フェイジンはしっかり見切っていた。右手でしっかり突きを受ける。
「あ」
と言ったのはどちらだったか。
タンデイの左拳を止めたのは、フェイジンの手のひらではなく、二本の箸だった。虚仮にされたと思ったタンデイの顔が赤くなる。フェイジンが箸を離さないのは、これはあくまでも食事中の些細な出来事であって、くだらない闖入者に食事を中断させられたのではない、と思いたいからだった。
一度手を合わせて始めた食事は、食って終わらすのが日本流の礼儀だろう。屋台の親父は日本で修行してきたらしく、日式ラーメンとして売り出している。日本のことはどうとも思わなかったが、ラーメンは好きだった。北の方の生まれであるフェイジンにとって、拉麺と言えば小麦粉の塊を見世物のように切り飛ばしたもので、短く薄いそれはワンタンに近いものだった。
一旦距離を開けたタンデイは、おもむろに割り箸入れを引っ掴むと、中身を抜き出して次々に投げつけてきた。それは刃のない飛刀同然だった。
素手で対処するのを嫌ったフェイジンは、同じく箸で対抗する。二本に割った箸を短刀よろしく巧みに動かし、飛刀の軌道を読み、箸を当てて弾く、あるいは叩き落とした。
タンデイが最後に放ったのは割り箸入れだった。竹筒を利用したそれは重さも勢いも、割り箸のそれとは比較にならない。
フェイジンは受けきれないと判断し、咄嗟にしゃがんで避けた。
タンデイがフェイジンの視界から消えたのはその一瞬だけだった。だが、その一瞬でタンデイは距離を詰めた。
それでもフェイジンは素早く顔を上げたが、その時にはもう目線の高さにタンデイの膝があった。爪先が、フェイジンの顎をしゃくるように蹴り上げられる。
顎への一撃は致命傷だ。
視界が暗転する。
フェイジンの体が蹴り足に合わせて急激に伸び上がる。が、それは顎を打ち上げられたにしてはおかしな挙動だった。
全身のバネを利かせての後方回転、フェイジンは爪先を紙一重で躱した。意趣返しにタンデイの鳩尾を狙って利き足を叩き込み、そのまま左手を地面についてバク転した。
タンデイの急所を狙ったが、気勢の乗らない一撃で決定打にはなっていない。受け身も取れず、派手に倒れ込んだタンデイはその勢いで長椅子の足をへし折った。
タンデイが立ち上がろうとする前に、フェイジンはのしかかった。へその上に右足を乗せて、身動き出来なくする。
鼻先に箸を突きつけて言った。
「俺の勝ちだ。文句はないな」
「いいや、俺の勝ちだね」
タンデイは腹と背中を打ったせいで震え声だったが、まんざら負け惜しみでもなさそうだった。意味深な目配せに、フェイジンは後ろを振り返った。
屋台の親父がフェイジンのラーメンを片付けていた。親父の呟きが聞こえる。
「伸びちまうわ、馬鹿ガキどもが」
「ああ……」
フェイジンは急激な空腹感と徒労感に圧され、肩を落とした。闘いには勝った。気持ちで負けた。
毎朝の持ち合わせは一杯分と決めている。次を注文することは出来なかった。空きっ腹を抱えてねぐらに戻らなければならない。そのことだけでもフェイジンを憂鬱な気分にさせた。
「フェイジン」
親父が呼んだ。小さいが、はっきりした声。
「タンデイ」
もう一度。
フェイジンは気落ちして、タンデイは体の痛みでうなだれていたが、呼ばれて顔を上げる。二人とも腹が減っていた。
屋台のカウンターに湯気を立てる器が二つ並んでいる。
「ああ……」
あの豚の甘い匂いを嗅ぎ取って、フェイジンが立ち上がった。
「俺の分もかい。ありがてえ」
実は験担ぎに朝食を抜いていたタンデイも嬉しげに言う。
暗闇の中に見付けた救い主のような気持ちで、箸を手に取った。
「それ食ったら、三杯分の代金と、あと椅子の弁償をしてもらうからな」
『麺食侠演義』了
んで「成龍 主演作品」みたいなテロップが流れると。
古き良き香港アクション映画のテイストでものすんごくくだらないことをやってやろう、という気持ちで書いた。
投稿済みの分だと『理想の姿』に続いて二作目となるアクションもの。ただし本格的なものは初。実はアクションの方が得意なんですよ。随分やってなくて錆び付いてたけど。
文章の密度を出来るだけ均一にしようと思ったんだけど、最後だけ薄くなってしまった。というか唐突過ぎる。年末挟んで先週ワンライスルーしたから、ちょっとなまったかな。時間配分もだけど文章の配分も気を付けないと。
本編にも時間かかったけど、内容がないようなものなので、あらすじとタイトルにだいぶ時間を食われた。香港アクション映画テイストを目指したから、タイトルもなんかそれっぽいのがいいと思って、なんとか「演義」がつくのを考えて結局こうなった。
だが思い付いてタイトルの参考にしたのは、クトゥルフの『屍食教典儀』だったりする。ししょくきょうてんぎ。めんしょくきょうえんぎ。
中国語は英語と同じで語法がSVOCなので、『麺食侠』だと「なんじゃこりゃ」って感じですな。字面そのままだと『アタック・オブ・ザ・キラートマト』みたいなことになってしまう。あれ、それはそれで面白そうだな。