第6話 自由な弟 ①
第5話 自由な弟、兄への思い
ヘルメスが来て数日経ったある日の休日、その日の少年は妙に早起きであった。この話が決まってからというもの、学校でもソワソワ、家でもソワソワ、ましてやEBになんて行けるはずもなくこの日を迎えてしまった。
事の発端はヘルメスの一言だった。
「人工島散策したぁーい!」
新しい体を早く見つけなければいけない状況でどうしてこんな事を言い出したのか。
「えぇーーだってぇ、アタシー。助けに来てあげたわけだしー。息抜きもしたいっていうかーー」
この時代の女子高生でも言わないような言葉を使い押し通したヘルメスを案内することは決まったのだが。
「んーー。男二人で歩くのも味気ないなぁ……。おっ!!女の子はっけぇーーん!」
「えっ!私ですか?!」
そこで選ばれたのが沙耶だったのだ。という事で三人で案内することになったのだが……
これってもしかしてデートなんじゃない?
少年の心は大いに暴れた。
一目惚れだった。
EBでぶつかったとき、気持ち悪いかも知れないが運命を感じた。学校の女子とは違う雰囲気にすぐに心が動いてしまった。剣道の試合でも味わったことのない緊張感、見かける度に心がキュッと反応してしまう。
この間はもう少しで破裂しそうだった心臓は強くなっているのだろうか?そう思いながら竹刀を振るがやはりいつもと違った。
「はぁ……」
恋患いとは幸せなものだ。
ともあれ普通に朝食を食べた烈は自前の一張羅を着込み待ち合わせ場所に向かう。
待ち合わせ場所は大通りの待ち合わせスポット。龍をモチーフにしたゆるキャラ「タツベエくん」の銅像が立つそこには休日ともあって多くの人が待ち合わせをしていた。
待ち合わせの三十分前に着いてしまった烈はベンチに座り落ち着きなく沙耶を待っていた。
ふと時計を見ると二十七分前、また見ると二十五分前、またまた見ると二十四分前……
こんな時、待ち遠しい気持ちと同時に妙な緊張を味わうことはないだろうか、早く会いたいプラスの気持ちと、会ってちゃんとできるだろうかというマイナスの気持ち。
色恋沙汰を全く経験していなかった烈にとってはそれを貧乏揺すりでしか表現できなかった。
ニ十分、十分、五分……
「お待たせー!」
バッと向くと違う待ち合わせの人だった。
「遅いよ……」
「ごめんごめん!女は時間掛かるの!ほらいこっ!」
手を繋いで去るカップルを見て烈はさらに緊張していた。
あれ、今日ってどこ行けばよかったんだっけ?えっと……映画!そう映画だ!飯食べて服屋行って公園行って、最後に夕焼けを……。て、手をつなっ!つながない!!
三人だというのに完全にオーバーヒートした頭をぐちゃぐちゃにしていると後ろから唐突に肩を叩かれた。
「赤兎君?」
「ぶはっああ!!」
あまりの驚きっぷりに周りの目が痛いほど集まる。
「ど、どうしたの?!」
「い、いえ!!何でもないです!」
ふと彼女を見るとその姿に目を奪われた。フワリとしたワンピースの上に丈の短いパーカーを合わせた服装。三つ編みに眼鏡といういつもの彼女だったが服装一つで変わる女性の姿にまたも好意が膨らんでしまった。
「女の子をジロジロ見るのはよくないなー。減点いってぇーーん!」
沙耶の持っていた鞄の中から声が聞こえた。慌てて取り出すとそこには青い玉がネックレスのように紐に繋がれていた。
「烈くーーん。ダメダメ!こういう時は『似合ってるよ』とか『いつもより綺麗だね』とか言わないとダメなんだよー!」
ましてやそんなこと言える筈もなく目を逸らしてしまった。
「えっと、変…かな?」
「そ、そんなことないです!」
「よかったぁ!」
嬉しそうにくるくると回る沙耶にまたも目を奪われてしまった烈は来てよかったと本気で思うのであった。
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「みーちゃん、やっぱりやめようよ!」
「何言ってるの健太郎さん!烈にちゃんとした恋愛をしてもらうために私たちはここにいるのよ!」
サングラスを掛け、まるでレトロな探偵のような茶色いトレンチコートを着た赤兎夫婦はは向こうに見える三人を物陰からコソコソと観察していた。
「私はいきなり抱きつくような女の子は許しません!小林ちゃんと言えど私は断固抗議します!」
というのも先日ハンカチを返し抱きつかれた瞬間を見ていたのは健太郎だけではなかった。タイミングよくやって来た美穂も目撃してしまいそれからというもの日々監視を強めていた。
「だから小林君にその気はないって……」
「わからないじゃない!!それに当の烈がそうなってるじゃない!!」
「そうだけどさぁ……」
「っ!動きがあったわ!」
見ると沙耶と烈が仲良く歩いて行くのが見えた。
「いくわよ健太郎さん!」」
「はい……」
息子を心配する母の力はすごかった。
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ここ龍神町商店街ではレガシーの事件後EBの協力もあってかつての賑わいを取り戻していた。そのメイン通りに一見姉弟に見える男女が歩いていた。
「烈くんコロッケ好き?そこのお肉屋さんで買おうよ。」
袖を引き、肉屋を指差した沙耶が尋ねた。烈は緊張がまだ解けず肯定とも否定ともとれない答えをしてしまった。
「じゃあ買ってくるから待っててね!」
笑顔で走り出した沙耶を止められず自分の情けなさを悔いてしまう。
「烈君。女の子に買いに行かせるのはよくないよー。減点いってーーん」
ネックレスの青い玉からヘルメスの声が聞こえた。全くと言っていいほど似合ってはいなかったがフワフワと漂わせるわけにもいかず今はここで落ち着いている。
「ヘルメス、こういう時ってどうやって引っ張っていけばいいんだ……?」
「僕に聞いちゃうぅ?聞いちゃうんだぁ!やっぱり沙耶ちゃんのこと好きなんだぁ!」
「ばっ!聞こえるだろ!?」
思わずヘルメスを握りこんでしまう。だがそんなもの効かないとでも言いたげにヘルメスは言葉を続ける。
「いやー!そうだと思ったんだよぉ!一緒に行くって決まったときから来なくなっちゃってさっ!今日も気合い入れちゃってさ!若いねぇ!うんうん!」
「茶化すなよ!でっ、どうすればいいんだよ?!」
「んふふふふふー。じゃあ一つだけ!女の子を笑顔にしてあげること!」
「赤兎君ーー!」
ヘルメスの言葉が終わった瞬間にこちらに向かって沙耶が走ってきたのでそれ以上のことが聞けなかった。
「お待たせー」
手に一つコロッケを持って帰って来た沙耶は烈の前まで来ると、おもむろに二つに割り片方を差し出してきた。
「はい!半分こ!」
「は、はい」
沙耶の純粋な行為に少年は手を伸ばすしかなかった。
「んーー!美味しい!美味しいよ赤兎君!」
一口食べた沙耶は顔をほころばせとても幸せそうに笑っていた。
「どうしたの赤兎君?あっ!こっちの方が大きかった?!」
「い、いえ!そんなことないです!」
慌てて一口かじると確かに美味しかった。学校の帰りに時々買うが、それよりずっとおいしかった。
「僕にも頂戴ー!」
丸い体を浮かせてヘルメスはコロッケに勢いよくめり込んだ。
「んぐんぐ……。確かに美味しいね!素材は国産、マッシュもほどほど、カリっとホクホク!」
「ちょっ!汚いだろ!」
「何が汚いのさ!僕だって食べたいんだよ!」
ヘルメスを引き剥がすがヘルメスは紐を引っ張り再度コロッケに向かい突撃を試みる。
その様子を笑いながら見る沙耶と少し遠くから悔しそうに見る夫婦の姿があった。
「きぃいいいいい!!何あれ健太郎さん!半分こ?!何あれぇーーー!!」
もちろん後者の言葉である。美穂は健太郎と繋いでいた手を興奮のあまり力の限りに握り……潰していた。
「痛い痛い痛い!!!!!!!!!みーちゃん痛いーーーーー!!!!」
「私だってそんな事やったことがないのにぃーーー!!健太郎さん!!烈がぁ!!」
あの抱きつき事件があって以来、美穂の親バカっぷりが再発したのも事実だった。
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その後図書館に行きショッピングをして、近くでやっていたヒーローショーを見た頃にはすでに日はだいぶ傾いてきていた。
後からついてきていた赤兎夫婦も何だかんだありつつも楽しんでいたのだが、実は赤兎夫婦を送り出したのは獅子神だった。表面上は監視という私情を挟まない任務だが、本当は休暇を利用した家族サービスになればいいかなと思い二人を送り出したのである。
結局後ろからコソコソ見守っていた夫婦は最終目的地である夕日の見える公園までついてきていた。
「楽しかったねー!!」
「はい!楽しかったです」
とうに緊張は消え、存分にデート(三人)を楽しんだ烈はやりきった顔をしてベンチに座っていた。
「今日はとぉっても楽しかったね!私も羽伸ばせちゃった!赤兎君と一緒だったのもよかったのかもね!!」
伸びをしながら笑顔で話してくれる沙耶を見てヘルメスが言っていたことも実践できていたみたいだった。
「僕も楽しかったよー!ありがとうね二人とも!」
「そういえばヘルメス、新しい体はどうするんだ?」
「後藤さんに頼んであるから大丈夫だよー」
「何にしたんですか?」
不意に沙耶が体を近づけて来るのでびっくりしたが、もう慣れたものだ。
「飛行機さっ!」
「そういえば空が好きって言ってたな?」
「空は僕の故郷なのさっ!」
「なんだそれっ!」
ハハハと優しい笑いにその場が包まれた。
「烈君……ありがとね」
急にしんみりとした口調でヘルメスが言った。
「ん?今日の事か?」
「違うよ、兄さんの力になってくれたことさ」
「自分で決めたことだからいいんだよ!」
真っ直ぐに夕陽を見ながら言うとヘルメスはフワリと浮かび頭の上に乗った。
「兄さんはさっ!何でも一人で背負い込んじゃうから心配なんだ。だから助けてあげてよ」
「わかったよ」
「弟同士の約束だよ!」
そう言うと頭の上でポンポンと跳ねた。照れを隠したかったのもあるが純粋に嬉しかったからだろう。
「じゃあそろそろ帰ろっか?」
男同士の友情を羨ましく思っていた沙耶はパンと膝を叩くと立ち上がり夕陽を背に二人を見た。
不意に彼女は目を細め烈の顔をまじまじと見始めた。
「どうしたんですか小林さん?」
「赤兎君ちょっと動かないでね…ゴミがついてる」
ゆっくりと自分の顔を近づけ顔についているであろう場所をじっと見て指を伸ばそうとした時、
「だぁあああああめぇえええええええ!!!!」
突然の叫びに声のしたほうを向くと目を大きく開いた美穂がこちらに向かって走ってきているのが見えた。後ろからは健太郎が少し悔しそうに後を追っていた。
「母さん?!父さんもどうして?」
「お母さんは許しません!!まだ付き合ってもいないのに きききき、キスなんて!!」
後ろでは健太郎が頭を抱えていた。当の二人はそんな気はさらさらないのだが顔を見合わすと途端に意識してしまい真っ赤にした顔を離した。
「ち、違うんです!ゴミがついてて!」
「言い訳は聞きたくありません!烈はまだ渡しません!」
息子をぎゅっと抱きしめ何が何でも渡さないと睨みつける美穂の肩を健太郎が叩いた。
「みーちゃん、本当だよ。ほらっゴミがついてる」
正面に回った健太郎が烈のおでこについていた芝生を取って見せても美穂は断固として離そうとしない。
「二人ともごめんね」
烈と沙耶は見合わせるがさっきのことを思い出してまた顔が赤くなってしまう。
「僕喋っていい?」
一人呑気に見ていたヘルメスがやっと口を開いた。
「ヘルメスもごめんね」
「いいよー!いやー若いってのはいいねぇ!僕も久しぶりにドキドキしちゃった」
「じゃあ みーちゃん帰ろう?」
首を横にブンブンと振りながら駄々をこねている美穂の肩を持ちゆっくりと引き離す。
「じゃあ烈、小林さんを駅まで送ってくれるかな?ヘルメスは今日は家に泊まっていくといいよ」
「やったー!」
「わかった。ありがとう父さん」
それから烈は駅への道を沙耶と一緒に行っていたが、何とも言えない距離を縮むことも開くこともなく歩いて行った。
「みーちゃん?」
横でふてている美穂に優しく言うが顔を合わせてくれない。
「だって……」
「ちょっと厳しいことを言うかもしれないけど私達にはまだその資格がないよ」
そう、突然いなくなって何年も帰ってこなかった自分たちにそんなこと言える資格はない。それはEBに来て二人で話し合ったことだ。
「私だって心配だよ?でもまずは時間を取り戻さなくちゃいけないんだ。それからあれこれ言わなくちゃならないんだ」
「はい……」
やっと健太郎の方を見た美穂は少し泣きながら体を近づけ抱きしめた。ポンポンと頭を撫でながら家族のことを思っていた。ただ一人、自身の父親の阿修羅のような顔はこの際気にしなかった。