私と彼女の友情不和
彼女の名前はアイラ。
ファミリーネームは誰もが畏れ多く口に出来ないほどの、お嬢様だ。
そんな彼女に、長所もなければ短所もない、至って普通の女の子である私が声をかけたのに、深い理由はない。
ということにしておこう。
それについてはここで話すようなことではないし、別に言う必要もない。
ここで重要なのは、その話しかけたという行為によって、私と、彼女は、『お友達』になったということだ。
「ねえ、お姫様」
「その、お姫様という呼び方は止めて頂戴。私はお姫様なんかじゃないわ」
「なんで、いいじゃない。お姫様なんて、憧れるわ」
「……私は、別に望んであんな家に産まれたワケじゃないもの」
彼女がしばしば言うその言葉の意味が、私にはよくわからなかった。
いや、わからなかったのは、意味ではなく、真意だったのかもしれない。
豊かな暮らしと、皆からの尊敬、畏敬の念。それさえあれば、私としては、もう何もいらないのではないのだろうかと思っていたのだ。
だから、まるっきりその通りの存在である彼女が、何故『望んだワケじゃない』などと言うのか、私には理解ができなかった。
私と彼女は、毎日のように町へ繰り出し遊んだ。
彼女のたっての希望で、ゲームセンターやカラオケに行くことが多かったのだが、それも私には何故なのか理解ができなかった。
訊いてみれば「普通の遊びがしてみたいの」と答えてくれるものの、しかしその返答の意味すら、私には解らないのだった。
『普通』とは何だろうか。
私にとっての『普通』は、そりゃゲーセンで遊んだりカラオケで歌ったりフードコートで食べ歩きしたりすることに相違ないけれど、しかし彼女にとっての『普通』は、また別のものであるハズなのだ。
もしかしたら私に合わせてくれているのかもと思ったけれど、しかしそうしてくれる理由さえ、私には解らなかった。
こうしてみると、私はちゃんと彼女の『お友達』になれているのかなど、考える必要もなく答えはノーなのだ。
私は、彼女のことを何も解っていないのだ。
そして、ある日のことだった。
学校に行った私を待ち受けていたのは、机の上のゴミの山だった。
「────」
無言のまま、私は机の上を片付ける。
傍らで何人かがヒソヒソと声をひそめて話しているのが、耳を澄ませなくともわかった。
気がつくと、教室の入り口辺りにお姫様──彼女に嫌がられるその呼び方を、私は何故かずっと続けていた──が立っていた。
彼女は、無言で立っていた。
「あ、コレは──」
言い終わる前に、彼女は走り去ってしまった。私は慌てて追いかける。
校舎裏に、彼女はいた。
「お姫様……」
声をかけると、彼女は振り返った。
「アレは、私と関わったせいで──?」
「いや……」
「いいの」
否定しようとしたが、しかしそれは制されてしまった。
そして彼女は語り始める。
「あのね、私、父親から、あなたとお友達になった頃からずっと言われていたの──貴方と関わるのは止めなさいって」
「え……」
一瞬、その言葉の意味が解らなかった。
彼女の言葉は解らないことばかりだな、と、場違いにもそんなことを思った。
「私の意思ではないの。それは解って。あの──父が言うには、私と貴方では、身分が違うって」
「──」
その言葉の意味は解った。彼女の言葉の意味が解ったのは初めてかもしれない。
身分が違う。
そんなことは、とっくのとうに解っていた。
だからこそ私は、この子に声をかけたのだから。
それっきり、私とお姫様が会うことはなかった。
同じクラスで勉学に励んでいるというのに、実際、私は彼女の姿を見かけることはなかった。
いつか、こうなるかもしれないというのは解っていた──なんて、今になって、解ることが急に増えたみたいだ。
でも、確かに解っていた。
机のゴミや、彼女の父親から絶縁を強制されたりがなくたって、いつかはこうなっていたのだろうということを。
だって、私とお姫様は、きっと本当の『お友達』などではなかったのだから。
私が彼女に声をかけたのには理由があった。
机の上のゴミの件。アレを彼女は自分のせいかと訊いたけれど、実は、彼女と『お友達』になる前から、あのようなことは度々あった。
それは、彼女は関係のない話だ。
ただ単に、私にしか関係のない話だ。
私には友達がいなかった。
友達がいたことがなかった。
矮小で、孤独な、そんな自分を大きく見せようとして、あの日、私は彼女に声をかけたのだった。
彼女が『お姫様』だったから。
彼女が、皆から尊敬されるような人だったから。
だから、そんな人と──明らかに身分が違う人と『お友達』だという事実をつくることで、自分は立派な存在なのだ、と周囲に見せつけたかったのだ。
自分のことは、こんなに解っている。時折嫌になるほどに。
でも、彼女のことは、何も解っていない。あのお姫様のことは。彼女が言った言葉の意味も、彼女の好む遊び方の意味も。
きっと彼女も、私の真意は解っていないだろう。
だから、私たちは『お友達』などではないのだ。
ただのお友達ごっこなのだ。
ある日私は、自室のベッドに寝転がってケータイをいじっていた。
ただひとりの『お友達』のようなものを失った今、話す相手は家族や画面の中の仮想人物くらいのものだったが、なんとなく、その日はトークアプリでお姫様とのチャットの履歴を見ていた。
一番最近のは、彼女と決別したあの日の前日。明日はどこで遊ぼうか、などと話していた。
少し遡っていくと、写真が添付されていた。一緒に遊んだときのものなのに、何故か彼女はいつも私に写真を送ってくるのだ。
写真に写っていたのは、カラオケで歌っている私。お返しに私は彼女が歌っている姿を撮ったものを送り返していた。二人とも、楽しそうな顔をしていた。
もう少し遡ると、今度はゲームセンターで遊んだときのチャットだった。休日だったので、待ち合わせの約束をしている。
写真はなかったので、私はケータイのアルバムでその時の写真を探してみた。
彼女が初めてやった格闘ゲームで勝ったときの記念写真、リズムゲームで踊っているときの写真、撮影しているのに気づいて恥ずかしそうに踊っている写真。
どれも、笑顔で写っていた。
こんな風に笑う子だったんだな、と再発見したような気分になった。
その時、ふと気がついた。
彼女は、学校であんな風に笑ったことなどなかった。多分、家でもそうなのだろう。
彼女があの笑顔を見せる相手は、ひょっとしたら私だけなのかもしれない。
自室でケータイをいじりながら、待ち合わせの約束をして嬉しそうな顔をしている彼女の姿が想像できて、私も少し嬉しくなった。
……だから、ああいう遊び方を選んだのだろうか。私が思い描く『お姫様らしい』遊び方では、彼女はきっとあんな笑顔は見せない。
彼女の言う『普通の遊び』という言葉の意味も、今、なんとなく解った。きっと彼女にとっては、あんな風に笑える場こそが『普通』だったのだ。
『お姫様』という渾名を嫌がったのも、きっと、彼女はそんな『普通』な人でありたかったからなのだ──『普通』でない自分を嫌っていたからなのだ。
きっと彼女は、本当の笑顔が見せられる人でありたかったのだ。
「……なんだ、解ってるじゃないか」
自室でひとり、ケータイの画面を見ながら呟いた。
彼女が言っていた言葉たちの意味が、やっと解った。
いや、本当は最初から解っていたのかもしれない。
それに気づいたら、じっとしてはいられなかった。
私は豪邸の前に立っていた。
彼女の家だ。
来たはいいものの、どうしていいのか解らなかった。普通に呼び出しベルを鳴らしても、追い返されて終わりだろう。
相変わらず、解らないことばかりだ。
そんなことを思いながら立ち往生していると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、黒塗りの高級車の窓から顔を出す女の子が目に入った。
「アイラ……」
名前を呼ぶと、彼女はニコリと微笑んだ。
「初めて、名前を呼んでくれたわね」
そうだっただろうか。
そうだったのかもしれない。
「何か用かしら」
車から降りてきた彼女は、どことなく嬉しそうな顔をしていた。写真の中にあった顔と、それは同じだった。
「ごめんなさい」
私は謝った。
彼女に近づいた本当の理由。彼女のことを理解できていなかったこと。
色々なことを、謝った。
顔を上げて見てみると、彼女はまだ嬉しそうな顔をしていた。話してくれるのを待っていた、と言っているようだった。
「解っていたわ。貴方が考えていたことは。私を、『お友達』としてではなく、ただの『お姫様』としか見ていなかったことも。それでも、私は貴方と『お友達』でいたかった──『お友達ごっこ』を続けていたかった。だって、一緒に遊んでいるときの貴方の笑顔が本物だということも──」
解っていたから。
彼女は笑顔でそう言った。
なんだ、解られていたのか。
そう思った。
お互いに理解できていない関係だと思っていたのに、実際は、お互いに理解できていたのか──ならば、それは。
そんな関係は。
『お友達』と言えるのかもしれない。
──fin──




