#06
「なぁいおりん、もうすぐで夏休みだな!」
帰り道。隣を歩いていた七峰君にそう言われて気づく。……もうすぐで、夏休みだ。
「……そうだね」
「夏休み中遊ぼーなー」
「嫌」
何度目だろう、これ。なんか楽しくなってきた。
「また即答っ! ねーねー、俺暇なんだよー。ボッチなのー。寂しいのー」
私が知った事か。と思ったが、なんか放置しておくのも可哀想だったので「何して遊ぶの?」と聞いてあげた。あれ、これデジャブ?
「えっ、遊ぶ気になってくれたの!?」
「いや、ただ聞いただけ」
……デジャブだ。次の言葉も前と同じだったら殴ろう。うん。
「遊ぶなら、水曜と土曜以外ね」
あれ、違った。意外。
「……何で水曜と土曜以外なの?」
「他の子と遊ぶ約束で埋まってるから」
そんな事してて、カノジョは逃げないのだろうか。よく逃げないな。
「あっ、いおりんも予定がある日は言ってね。家族の予定のほうを優先しないとだし」
七峰君は笑顔で言う。でも私は反対に、暗い表情で言葉を返した。
「……ないよ。家族の予定なんて」
七峰君の小さな「えっ」という声が聞こえた。七峰君が何かを言おうとしていたが、何も言われたくなかったので私の言葉で遮った。
「……だから、私はいつでも遊べるから。日にち決まったら教えてね」
この後はずっと沈黙だった。たぶん、七峰君なりに気をきかせてくれたんだろうな。でも、何で私はあんな事言ってしまったんだろう。遊ぶ気なんて、ないはずなのに。ましてや、七峰君とだなんて。
「……変なの」
そう独り呟いて我が家のドアに鍵を差し込む。ガチャッという音がし、ドアノブに手をかけた。ゆっくりと、ドアを開けていく。
「ただいまー……」
私の声が、虚空に消えていく。勿論、返事など返ってくるわけがない。こんなのもう慣れっこだ。
荷物を持ったまま洗面所へ向かう。手を洗い、階段を上って右手にある自分の部屋に入った。そのまま机に向かい、私はいつも通り勉強を始めた。
勉強を始めて数分後。時刻は6時をまわろうとしていた。そろそろ夕飯を作り始めたいのだが、まだ今日の分の勉強が終わっていないので、またシャーペンを走らせる。その時だった。普通なら聞くことのない、玄関のドアの開く音が聞こえたのだ。その音に、私は肩をビクッと震わせる。何で、何で――。自分自身に問いた。そして、階段を上がってくる音がした。これから、恐怖の時間が始まる――。
ガチャッと私の部屋のドアが開いた。私は、恐怖で振り向けずにいた。そんな時、ドアを開けた主は口を開いた。
「久しぶりに帰ってきてやったのに、挨拶もないのか」
偉そうに言う態度が気に入らない。誰も、帰ってこいなんて頼んでないし。そんな気持ちを抱えながら、重たい体をひねった。
「……おかえりなさい、お父さん」
そう。私の部屋の入口に立っているこの人は、私の父だ。家に帰ってくる日はほとんどなく、仕事をしているのかもわからない。お金がある私の母方の祖父母から「伊織の生活費だ」とかなんとか嘘をつき、お金を貰っては自由に使い、ごくたまーに帰ってきては、私でストレス発散をしてまた勝手に出ていく。いつからこんな風になってしまったんだろうか。それはたぶん――母が亡くなった、3年前からだろう。
私の母は、私が中学2年生の頃に他界した。過労死だった。お金持ちであった母の家に婿養子で嫁いだ父は、私が小さい頃はこんなんじゃなかった。でも、父がその頃働いていた会社が倒産して、父は変わった。何事にも全力だったのに、自信を失ってしまった。次に働く事になった会社でも、なかなかいい結果は出ず。この時、母は他界した。母を失い、仕事も来ない父は途方に暮れ、母方の祖父母から金を巻き上げ今のようになってしまった。そんな父を祖父母達は嫌い、“神風家“から追い出した。その時、私も無理矢理一緒に連れられた。その事に祖父母達は反対したのだが、ダメだった。この時、私は“神風 伊織“から“遊佐 伊織“になったのだ。祖父母達は私の事は嫌っていなかったので、「伊織の為」と言うとお金を出してしまう。私には止められなかった。
そんな自分勝手な父は私が挨拶した事に満足すると、どかっと床に腰をおろした。その事に驚いている私をよそに、父は再び口を開いた。
「……そういえば、最近テストがあったそうだな」
その言葉に私は硬直する。この言葉の意味は、「テストを見せろ」。私は、ゆっくりと鞄の中からテストを出した。今日は、テストの結果でストレスを発散するらしい。最近テストがなくてもそう言ったのだろう。しかも、テストをしたのは6月上旬だから、最近じゃないし。
「……どうぞ」と言ってテスト用紙5枚を渡す。出来はいいほうだと思う。全部90点前後だ。
父は私のテストの点数を見ても、何も言わなかった。意外だ。今日は何もされないのだろうか。それだとすごく嬉しい。なんて、なんて生ぬるい事を考えていたのだろう。父は「何位だったんだ」と聞いてきた。
「……5位です」
そう答えた次の瞬間、左頬に痛みが走った。それと同時に私の体が右に倒れる。ヒリヒリする頬を押さえながら体を少し起こした。頭上から、冷静ながらも怒っている父の声が降ってきた。
「まさか、5位で満足してるんじゃないだろうな? 小さい時から言っていただろう。『常に上位3位を目指しなさい』と。忘れたのか? お前のお母さんは、そんな風に育てていた覚えはないぞ?」
ここで母を出されると頭にくる。アンタのせいで、母は死んだようなものなのに。そう言いたいけど、弱い私は言い返せなかった。
さんざん言った父はこの話は飽きたのか、「飯を作れ」と言い出した。まさか、今夜は食べてくつもりなのだろうか。いや、“まさか“じゃない。食べてくつもりなんだ。
父の後で階段を下りる。すぐさまキッチンに向かい、冷蔵庫を確認する。父を待たせると何をされるかわからない、と思った私は食材も揃っていたので、皿うどんを作る事にした。
余計な事を考えずに、ただひたすら皿うどんを作ってく。10分程で完成した。箸を用意し、急いで父のもとへ持っていく。
父は私から箸を受け取り、何も言わずに口に運んだ。感想を聞きたいが聞けないでいると、父自身から口を開いた。
「不味い」
その一言だった。思わず、「えっ……」という声が出てしまった。固まる私に、父は刺々しい言葉を口にした。
「不味い。こんなに不味いとは思わなかった。お前のお母さんは、こんな不味い物を作らせていたのか? もっとマシな物が作れなかったのか」
それだけ言うと、父は荷物を持ってまた家を出ていった。父が去る時、私は消え入りそうな声で「ごめんなさい……」と謝罪した。
父が去った後、私と食べかけの皿うどんだけが残された。父の為に作った皿うどんは、一口しか食べてもらえなかった。結構自信あったのにな。
私は父が座っていたイスに座り、皿うどんを口にした。
「……美味しいと思うんだけどな」
私の声は、また虚空に消えていった。