2、模擬戦
「さて、皆集まったかな?」
闘技場に坂上の声が響く。この場所は、まさしく闘技場と言うに相応しかった。東京ドームと同じかそれ以上あるこの場所では、主な目的としては戦闘訓練に使われるのだが、学期末に行われる闘技大会にも使われ、その時は、この広い闘技場を埋め尽くすほどの人が集まるのだ。
「それでは、これから実技訓練を行う。先ほど尼月先生が言っていたように、今回は模擬戦を行います。それでは各々(おのおの)ペアを作って並んで」
「先生、うちのクラスって三十七人ですよね? これだと一人余っちゃいませんか?」
岳が声を上げる。岳の言葉に生徒達はざわつく。それでも坂上は表情一つ変える事なく言葉を放つ。
「では誰か一人は私とペアと組む、という事で。別に模擬戦ですし、それに生徒相手に本気なんて出さないから安心して」
坂上のその言葉に生徒達は安堵の表情を浮かべた。誰か一人だけ教師のスパルタ授業を受けなければいけない、なんて御免だからだ。
だが、生徒達のそんな顔を見て坂上は小さく笑った。
「……まぁ、私に本気を出させてやるって言うんなら一向に構いませんけどね?」
この言葉に数名の生徒が反応した。亞宮もその中の一人だった。
「……お、おい亞宮、お前もしかして先生とやるつもりじゃないだろうな?」
「んー、別に俺は先生とやってもいいかなって思ってるんだけど」
岳は亞宮の肩を掴んだ。結構な力で。
「今回は俺と組んどけって、な? 今の俺にはお前しか居ないんだよ」
「は、はぁ……? ま、まぁ別に良いけどさ」
亞宮の言葉を聞いて岳は肩を掴んでいた手の力を弱めた。
「ふぅー、よかったー! いやなんか皆もう決まってる感じだったからさ。それにまだちゃんと話したの亞宮くらいだったし!」
「そ、そう……」
ふと亞宮は坂上の方に目を向けた。するとカース・クロニクルスが坂上と一緒に居た。どうやらカースが坂上のペアになったらしい。
「お、先生と組んだのはカースか」
亞宮の視線に気づいた岳が喋りだした。
「ん、岳は知ってるの? あの人の事」
「カース・クロニクルス。ロシアかなんかの国の奴で、あっちが双子の姉のリリーナ・クロニクルス。まぁ俺も知ってるのはこれくらいなんだが、自分から先生の所に行ったあたりアイツ自分に自信があるみたいだな」
「へぇ……カース・クロニクルスにリリーナ・クロニクルスね」
なんて話をしていると、坂上から集合がかかった。
「じゃ、皆ペアは出来たな。それではこれより模擬戦のルールを説明する」
模擬戦では、相手が「参った」と負けを宣言するまで続ける。その代わり、相手が負けを宣言したらただちに戦闘を終了させる事。まぁ、それ以外は特にこれと言ってルールは無い。あ、後別にお互い本気で殴り合って構わないからな。治療班に来てもらってるし、特殊な結界で傷が出来にくいようになってるから。
「で、なにか質問はあるか?」
坂上の問いに生徒達から反応は無い。
「では、どのペアが最初でもいいから、始める者はペアの申告をしてくれ」
そう言って闘技場の端の方へと歩いていった。カースもその後を追って行った。
「で、最初のペアはどれだ?」
最初のペアと言われても生徒達は出て行こうとしなかった。それを見かねたのか、カースが突然坂上の前に立った。
「先生、俺達が最初でもいいですか? 先生の戦いを見れば他の生徒見本程度にはなるかと」
その提案に坂上は数秒考え、了承した。そして模擬戦第一試合は坂上対カースとなった。
他の生徒達は、闘技場中央の広場から離れ、一段上に上がった観客席にすわって二人の戦いを見る事になった。
「よろしくね」
「よろしく願いします」
二人が挨拶を交わし、ニ三歩前に出る。そして神霊の名を叫んだ。
「リッチ、憑依」
「鬼、憑依」
二人の背後に一瞬神霊が現れ、今度は光の玉にならず、そのまま二人の体に入って行った。するとどうだろう、二人は服装だけでなく、見た目さえも変わっていた。
坂上は黒いローブを着込み、先端に骸骨のついた杖を持っている。顔は隠れて見えないが、手元が骨になっているのはわかる。もしかしたら顔も同じ様に骨になっているのかもしれない。と、生徒達が思ったのも束の間。坂上はフードを外し、顔を見せた。すると坂上の顔は、憑依する前となんら変わりなかった。どうやら骨になったのは顔以外だったらしい。
一方カースはというと、体が一回り大きくなり、額からは二本の角が生えており、その右手には黒く光る金棒があった。カースは思っていたより変化が少なかった。
「憑依した時の変化は、レベルによって変わる。レベルが高ければ高いほど、体に変化が起こる。私の場合、レベル2だからレベル0のカース君より変化が多く見えるんだ」
坂上のその言葉で観客席から見ていた生徒達から「へぇ」と言う声が漏れた。
「それじゃ、始めようか。とりあえず、私の方がレベルも経験も上だし先手はカース君に譲ろうかな」
そう言って坂上はカースを軽く挑発した。
「……それでは遠慮なくっ!!」
カースは言われた通り先に攻撃を仕掛ける。金棒を坂上の方へ思い切り投げ、その金棒と一緒に坂上の方へと走って行く。
「大事な武器を投げるとは関心しないね」
そう言いながらも坂上からは飛んでくる金棒を避ける気配が感じられなかった。そして坂上は最後まで避ける事はなく、金棒は壁に突き刺さる。
闘技場に響き渡る女子生徒の悲鳴。男子生徒は唖然として一歩として動けないで居た。男女共に数名を除いて。
「んー、君も私が避けなかっただけで驚いて止まっちゃ駄目だよ。本当に相手が死んだのか確認してからじゃないと君、死ぬよ?」
地面に転がって居る坂上の体の破片が浮き、元々居た場所へと帰っていく。その光景を見てカースはもちろん、他の生徒達も驚愕するしかなかった。
「じゃ、こっちの番だね」
完全に元に戻った坂上は杖をカースの方へ向けた。
「リッチは元々魔術師なんだ。だから少しくらいなら魔法も使えるんだ。補助魔法もね」
その言葉にカースは身構える。坂上は身構えたカースの方へ走る。そして直前で後ろに回りこみ、杖でカースを吹き飛ばした。
「うぐっ!?」
カースはそのまま金棒の刺さっている所まで飛ばされた。この時のカースの表情はなにが起きたのかわからない、と言っている様に見えた。
「うーん、自分から私の所に来たから自信があるのかと思ったけど普通だね」
坂上の言葉にカースは悔しそうな顔をした。そんなカースの顔を見て坂上は不敵に微笑んだ。それからカースは小さく舌打ちをしてから「参りました」と告げた。
「す、凄かったな……先生めっちゃ強いしよ……」
岳がどこか嬉しそうに亞宮にそう告げる。
「うん。やっぱり教師なだけあって強いね」
「お、お前は冷静だなぁ……」
「まぁもっと強い人と会った事あるしこの位じゃね……」
亞宮は岳に聞えない声で小さく呟いた。
「そういや俺達は何番目位にする?」
下を見ると二組目の模擬戦が始まっていた。広場の隅を見ると、もう次の組が待っていた。
「んー、もう行っちゃっていいんじゃない? 早めに終らせて休もうよ」
「お、その案乗った!」
二人は下へ降りていき、三組目のペアが並んでいる所の隣に並んだ。
「やっぱり先に終らせて休みたいよね!」
亞宮達に先に並んでいた女子生徒が話しかけてきた。
「うん、そうだね。やる事が同じなら授業の終りにはすっきりしてたいし。って確か君は……んー、なんだっけ?」
その女子生徒と岳がこける。その後すかさず岳が「紛らわしいわっ!」とつっこんだ。
「ははっ! 君面白いね! 私は猫目美華、よろしくね亞宮君!」
「あ、あぁ。よろしく、猫目さん。と、そっちに居るのはリリーナさん、だっけ?」
亞宮は美華と握手をしながら、美華の後ろに居る女子生徒に話しかける。
「ええ、合ってるわ。リリーナ・クロニクルスよ、よろしく」
「うん、よろしくね」
それから、岳も二人に挨拶をし、お互いの顔と名前を覚えた所で二組目の模擬戦が終った。
「じゃ、次は私達の番だね! 負けないかんね!」
「その言葉、そっくりそのまま貴女にあげるわよ」
二人は良い意味で火花を散らしながら坂上の元へと歩いていった。
「……そういやあの二人両方悪魔選んでたな。小悪魔対小悪魔、真の小悪魔はどっち!? ってとこか」
「……なにいってんのさ岳」
亞宮が岳の発言に呆れているうちに、二人の戦いは始まった。
「「リリス、憑依!」」
二人の声が闘技場に響き渡る。その声と同時にリリスが二人の体へと入っていく。そして二人の体で変化したのは尻尾と羽が生えた事である。それ以外の変化は感じられなかった。
「うーん……リリーナさんはともかく猫目さんにはもうちょっと衣装のチェンジが……」
岳が呟くと、後ろから他の男子生徒達の同意の声が聞えてくる。その光景を見て亞宮は溜め息をついた。
「……悪かったわね、胸が小さくて」
リリーナが小さな声で呟く。岳達には聞えていなかったようだが、亞宮にははっきりと聞えていた。
「別に大きさなんてどっちでもいいんじゃない?」
「な、なんだとー!」
横に立つ岳とその後ろの観客席に居る男子達が亞宮の言葉に反応して騒ぎ出す。
「ふ、ふんっ……始めるわよ!」
「どんとこーい!!」
岳達が騒いでいる間に二人が戦いを始める。先手を取ったのはリリーナ。黒い光を纏った蹴りを放つ。
「こっちだって!」
それを見た美華も同じように蹴りを放ち、二人の蹴りと蹴りがぶつかった。その瞬間、周囲に衝撃波が飛び散った。二人の蹴りの威力は、この衝撃波が物語っていた。
リリーナは次も蹴りをくりだした。今度は下段からの素早い回し蹴り。さすがの美華も対応しきれず、ガードこそしたものの、回し蹴りの威力を逃がす事はできなかった。
「うに゛ゃっ!?」
「このまま押し込むっ!!」
リリーナは美華が体制を立て直す前に懐に入り、腹部への強烈な一撃。美華はこの一撃で気を失った。勝者はリリーナだ。
「うー……」
「まったく情けないわね……」
リリーナは気を失って居る美華を、色々言いながらも治療班のところまで抱えていった。
「ツンデレだな……」
「ああ、ツンデレだ……」
そんなリリーナの姿を岳と男子生徒達がにやけながら見守っていた。
「岳、次は俺達だよ。行こう?」
「お、もうそんな時間か! よっしゃやるぞー!」
坂上に止められるまで岳は腕を回しながら歩いた。
「エンジェルズ、憑依」
「ワーウルフ! 憑依!」
亞宮には小さな羽根が生え、手には槍。天使の象徴でもある輪は付いておらず、現れていないようだった。
岳は瞳の色が赤くなり、目つきが鋭くなった。そして指の爪が鋭く伸びた。
「行くぜっ! 覚悟しろ亞宮!!」
「あーはいはい。どっからでもどうぞ」
どこからどう見てもテンションの差が激しい二人だった。全力な岳と適当な亞宮。
岳は亞宮に飛び掛った。鋭い爪を立て、雄叫びをあげながら亞宮の顔目掛けて腕を振り下ろす。
「もらったあっ!!」
勢い良く腕を振り下ろす岳。しかし亞宮は顔色一つ変えない上に、岳の方を見ようともしていなかった。この時、岳は亞宮が自分の速さについてこれていないだけだと思っていた。
「んっ」
「なっ!?」
岳の腕が空を切る事はなかった。岳の腕は亞宮の頭の上で止められた。亞宮の手に握られた槍によって。咄嗟に岳は後ろに引いた。本能で危険だ、と感じ取ったのだろう。
「一歩遅かったね」
しかし岳が危険だと感じ取るのは遅かったのだ。岳が後ろに下がるのと同時に亞宮は前に出た。亞宮と岳との距離は縮まない。岳の首元に柄の部分が叩きつけられる。
「がぁっ!!」
亞宮はこの一撃で勝利を確信した。確実に相手を気絶させたと確信していた。だが、現実は少し違った。岳は気を失わなかったのだ。確かに首に一撃をもらい、防ぐ間もなく地面に叩きつけられた。しかし岳の意識が途切れる事は無かった。
「な、中々きっつい一撃だった……」
「……まじで?」
亞宮は唖然とした。少なくとも生身の人間だったら首の骨が折れてもおかしくない位は力を入れたからだ。でも岳は気絶もせず、ただ「痛い」としか言わなかった。
「どんだけ頑丈なんだよ岳……」
「うぇ……いってぇ……くっそ、絶対決まったと思ったのに!」
「……えー」
痛いと言うだけであまり辛そうではない。本気でやってこれでは興がそがれる、なんてレベルではなかった。ここまで来ると絶望に近いものを感じた。
恐らく次の攻撃も同じだ。と亞宮が本能的に悟る。今の自分では岳を気絶させる事はおろか、参ったと言わせる事もできないだろうと。
「……参った。俺の負けだ」
「へ……?」
今度は岳が唖然とする。大きく口を開けたまま固まる。亞宮はそんな岳を放置し、坂上の元へ報告へ向かった。
それから、亞宮が観客席へ戻るまで、岳は広場の中央で立ち尽くしていた。
「ねぇ」
「ん、リリーナさん、どうかした?」
リリーナが亞宮の左隣に座る。リリーナが隣に座った瞬間、亞宮は狭いと感じた。不思議に思って右側を見ると、寝息を立てた美華が亞宮の肩にもたれかかってきた。
「あれ、なんで右側に猫目さんが居るの? あれ?」
「貴方が逃げない様によ。この子がそこに居れば貴方はここを動かないでしょう?」
「ま、まぁ……そうだね」
亞宮は半分引きつり気味で笑った。リリーナはそんな事を一切気にせず話を始める。
「ねぇ、貴方過去に憑依を経験した事があるでしょ」
「え、あるよ?」
あっさり答える亞宮に驚くリリーナ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。あ、貴方は少し隠そうとか思わないの?」
この問いに不思議そうな顔で返事をする亞宮。
「隠す必要ってあるの? あれ、こういうのってあんまり言わないほうが良い事だったりする?」
「い、いや、隠す必要はないけど……ここに入る前に憑依を経験した人は皆憑依した理由を話したがらないはずだし……」
この学園に入る前、つまり中学生までは神霊を手に入れる事が出来ない。神霊の力を中学生までの体では取り込みきれないのだ。だからこの学園に入る前に憑依をした人は皆何かしらの事件や事故に巻き込まれたり、自分が憑依しなければならない状況を経験している事になる。
「んー、確かに俺が憑依をしないと皆が死ぬって状況だったのには変わりないけど、結局誰も死ななかったからさ。俺も結局助けられたしさ」
「そ、そう。貴方が良いのなら私は構わないのだけれど」
「って言うか良くわかったね。もしかしてリリーナさんも前に経験してる?」
亞宮の問いを聞いて肩が跳ねたリリーナ。
「さすがにバレるわよね。ええ、私も以前に憑依を経験した事があるわ」
「って事はカース君も?」
リリーナは首を横に振った。この時、これ以上は聞いてはいけないと亞宮は思った。
「そっか。ってリリーナさんはそれを聞く為にここまでしたの?」
美華を見ながらそう言った。
「まぁ殆どそのつもりで美華を置いたわ。後は単純に興味が湧いただけよ」
「そっか。まぁリリーナさんの知りたい事が知れたならよかった」
話しているうちに亞宮は自然と美華の頭を撫で始めた。リリーナは一瞬驚いたが、幸せそうな美華の表情を見て、一回溜め息をついてからは何も言わなかった。
「んふふ~」
「「……ぷっ」」
亞宮に頭を撫でられ、幸せそうな声を上げた美華を見て二人は思わず吹き出した。
「「あはははは!!」」
「こりゃあ良い。傑作だよ猫目さん」
「ほ、ホントね……ふっ……あ、駄目っ、ハマった……」
楽しそうに微笑む亞宮と必死に笑いを堪えようとするリリーナ。この空気の中に誰も入っていこうとは思わなかった。たった一人を除いて。
「あ!! 亞宮なにお前幸せそうな空間の中心に居やがる!! 俺も混ぜろー!!」
岳が少し離れた所から大声を上げながら走ってくる。そしてそのまま三人の前を通り過ぎ、ゆっくり歩いて戻ってきた。
「ちょ、何羨ましい事してやがる! 俺もまーぜーろー!」
「「嫌だけど」」
即答だった。
「なーんーでーだーよー!!」
「「い、いやだって……」」
遠い目をする二人。何かを言いたげな表情を浮かべたまま黙る二人。そんな二人を見て岳は更に騒いだ。それはもう狼の遠吠えなんて屁でもないくらいに。
「ハッキリ言えよおおおおおおおおおおおおお!!」
「……うるさいよ君達」
坂上が呆れ顔で呟く。周りの生徒も呆然と彼等を眺めていた。