馬車と眠り姫と契約
ギルフォードに引かれるようにして、体勢を崩しながら店を出る。
店の周りではよき隣人であるスラム街の住人達が、何事かと驚いたように目を見開いているのが見えるのだが、それを一切無視したようにギルフォードは俺の手を引いたまま風の駆けていた。
俺の身体浮いてるんだけど、こいつは本当に人間なのだろうか?
そう、俺の手を牽いたまま風のように駆けるギルフィード、勿論俺は風のように走れないから、手を引かれている状況なのだが、何故か身体が地面と平行に浮いている...。
「付いたぞ!朱鷺杜君」
って、その勢いのまま急停止した上に、掴んでいた俺の手を放すなぁぁぁぁぁ!
ゴシャッ!!
これは、勢いが付いたまま俺の手が放されたことによって垂直方向に運動能力が働いた俺の身体が、進行方向に存在した馬車に突き刺さる音。
「グピャッ」
これは、頭蓋骨から馬車に飛び込んだことによって俺の口から漏れたらしい断末魔の音。
ギルフォード、お前本当は俺を事故に見せかけて殺しに来たんじゃ無かろうな...。
「君達、眠り姫を馬車から降ろしてくれたまえ」
死にそうになっている俺をまったく気にする様子もなく、ギルフォードは馬車に付いていた護衛二人に指示を出している。
指示された二人も、自らに繋がれている引き縄を外すとパカラパカラと軽快に馬蹄の音を立てながら十人は乗れるかという大きさの馬車の荷台から、幼児が一人入れそうな桐箱を丁寧に降ろし始めた。
うん、あれだ...。ぶっちゃけ馬車を牽いてるのは二頭の牛頭馬人だ。
牛の顔とたくましい上半身そして馬の下半身、君らの祖先は何を目指していたんだい?と言いたくなる様な不思議な種族なのだが、元々牧畜の牛から突然変異した一族だったらしく、普段の気性はおとなしく懐いた主には全身全霊をかけて尽くすと、しかも、主の敵と認識したものには猛々しく勇猛果敢に戦いを挑むと言った従者としてはとても優秀な一族だと言われている。
と言っても、その見た目から貴族が彼らを重宝するのはとても珍しいことなのだが...。
だんだん、貴族なのかすら疑わしくなってきたなギルフォードよ。
その等の本人は、追いついてきた護衛達も加えて四人になった従者達が丁寧に降ろした桐箱の前に立ち、己のためだけの舞台の上に立った役者のようにその両手を大きく広げて、大仰に喋り始めた。
「さて、朱鷺杜君紹介しよう、私が極東より買い付けた我が出世の一世一代の立役者」
大きく広げた手を、桐箱の両端にある上蓋の部分かけギルフォードがそっと蓋を持ち上げる。
「眠り姫だ...」
勿体ぶるように開かれた桐箱、その中には漆黒の髪と白磁のような肌の着物を着た少女が眠っていた。
開く様子の無いまぶたを彩る、長く綺麗なまつげ。
極東華の彩りに美しく染め上げられた着物に包まれた薄い胸元は、静かに生命の鼓動を刻んでいる。
その口元は規則的に呼吸を繰り返し、その艶やかな漆黒の髪は少しも彩を失っていない。
今にも起きて歩き出しても不思議では無い、そんな少女。
俺の故郷の着物によく似た服装をしている、日本人にしては肌は白すぎるがしっかりと朱の挿している肌はむしろ健康的にすら見えた。
名前もわからぬ華の柄で、その身を包み静かに眠り続ける少女。
その姿を眺めていると言いようの無い、哀愁のようなものが俺の心に流れ込んできた。
もう、帰る居場所の無いあの世界への言いようの無い郷愁が、静かに俺の心を蝕んでいるのがわかった。
少しだけ名残を惜しみながら、ドヤ顔のギルフォードとその後ろに控えている四人の従者に向き直る。
既に俺の心のさざ波は収まっていた。
「商品を拝見させていただきました、ギルフォード様。
それでは、ニ三日中に必ず宰相閣下の元まで眠り姫を送り届けて見せましょう」
視界の端に映る眠り姫に意識をむけぬように、腰から綺麗な九十度の礼をギルフォードに対して行う。
契約が成立した証であり、ギルフォードが本当の意味で(株)異界運送社の客となった瞬間だった。
あの後、桐箱と共にもう一度ギルフォードとお店に戻り仕事の契約書を書いてから貰ってから、ギルフォードと別れた。
実をいえば、この世界に置いて契約書はかなり大切なものだ、ただの紙切れと侮る無かれ。
とある「契約」手順を踏んだ上で行った契約は、世界の理の上で切っては切れない特別な物に昇華される。
まあ、時にはそれは呪いと成りえるし、契約者の意思や命すら奪い兼ねないものなので物事を慎重に運ぶ必要があるが、それでもこの世界に置いては「契約」という行為は特別なものだった。
その契約内容が書かれた薄手の紙と、文字が羅列されている巻物のような物をため息と共に、少女が眠っている桐箱の上に投げ出してから、彼は誰かに語りかける風も無く独白する。
「契約を行うほど彼女に自信があるのか
それとも、頭の空っぽな馬鹿なのか...」
ギルフォード本人以外にそれを知ることは出来ないが、それでも―――。
「この世界にも、少し退屈していたところだ...、俺を楽しませてくれよギルフォード」
巻物を置かれたためなのか、少しゆれた桐箱の表面を撫でながら。
「そして、鬼の姫君よ...」
彼は楽しそうに笑った―――。
契約書
契約者 ギルフォード・セドリック
契約内容 代行輸送『眠り姫』を宰相閣下の元まで輸送する。
報酬 前金として10,000Gの受け取り。
残りの報酬は、仕事達成後経路内容等によって額を決定する。