第九節 異世界の騎士、その剣に懸けて
僕は大江戸さんに目配せをしながら距離を取る。
ぬかるんだ地面に足を取られないよう、慎重に。
あの騎士さんの視界に僕たち二人ともが収まらない位置まで来た。
しかし僕は迷っていた、戦うかどうかではない。
正々堂々と戦うべきか、彼は真っ向から降伏勧告をしてきた上に、会紡機のことまで誠実に答えてくれた。ならば銃はどうするか。
百メートル近くの距離を一っ飛びできる相手ならば、不意打ちくらいはすべきか。僕たちの安全を配慮すべきか。
勝利か、筋か。
茹だるような蒸し暑さに、汗が銃を伝う。
騎士さんは動かない、視線すら動かさず大江戸さんを見ている。布の多い鎧だ、隙間はいくらでもある。
気づけば細かく息が漏れ出していて、考えることに疲れてきた。
一息つきたい、大江戸さんに判断を委ねようかとも考えるが……彼はお兄さんのことで十分悩んでいる、いつまで甘えているつもりなんだ僕は。
そうさ、僕はいいんだ。
彼は高校生で、これからの人生もあって、清い身でお兄さんと再会するべきだ。
しかし僕はお父さんと過ごした自室でゲームしていたいが、それは汚れた身でも出来る。
慈悲深い寝ぼけ眼とおさらばしたいだけだ、ならもう、この手は汚してもいいんだ。
突如して降り注いだ雨粒が全身を逆撫でする。
引き金は重く、かける指に力が入る。頬を伝う熱は雨か涙かもわからない。
雨音を掻き消すような衝撃が劈いた。
全身に虫が這っているようで、気持ちが悪い。
しかし、騎士さんは剣にて銃弾を受け止めていた。小さな小さな光、火花が飛び散る。
大江戸さんの驚いた顔は、受け止めた騎士さんか、撃った僕に注がれているのかわからない。
僕がまた引き金を引こうとすると同時に奴が立ち上がった。
「交渉決裂か、中途半端な真似を」
騎士さんの言葉から迸る、嵐が如き殺気。
それと同時に騎士さんの体の節々から透明な湯気のようなものを出している、空間が陽炎のように揺らいでいる。
騎士さんは音を置き去りにして僕に迫り、上段へと剣を振り上げる。
本能的に横に避けてしまうが、次の瞬間に横薙ぎの構えを取っていた。
たたら足を踏んで、僕は後退しながら転んでしまう。攻撃されなかった、だと?
僕を見下すような視線が切れ、後ろから大江戸さんが走っていた。
大江戸さんが右手を突き出すが、騎士さんは一歩進んで避けながら彼の胸倉をつかんだ。
僕はがら空きの背中に銃を撃ち込む。しかし、そこに奴の影はなかった。
嘘だろ、動きが見えすらしない。
僕は銃を捨て立ち上がるが、背後から衝撃を受けた。
まるで、決壊したダムの水に押し出されたかと思うほどの衝撃。
内臓全てをその場に残して、外側だけ吹っ飛んだような浮遊感。
認識した瞬間には水を吸った黒い地面が高速で流れる。
「力の差は歴然だろう、素直に降伏したらどうだ」
なにが巡っているかもわからない思考に、そんな言葉が落ちてくる。
僕は泥だらけのメガネを拭って、立ち上がろうとするがふらついて倒れる。
「ぐッ……ここで、逃げたって……どうせ殺され……らァ!」
「なに……?」
苦しそうな声を発する彼の言葉に、僕は無理やり奮い立つ。
震える足に鞭打ち、肩幅ほどに広げながら腕を交差させる。
左手を前、右手を顔の下まで引く。
見据えた騎士さんは未だ大江戸さんの胸倉をつかんでいる。
「……き、騎士道ですよね? 僕たちを殺さなかったのは。だったら大江戸さん、盾にしませんよね?」
僕はそう言って、駆け出した。
冷ややかな目線へ向かって一直線に。
「離さないで!」
そう叫んだ僕の崩衝に、奴は大江戸さんを振り払おうするが。
大江戸さんは逆にもがくのをやめ、奴の左腕を掴んだ。
一瞬、気を取られたかのように大江戸さんに視線をやっている。
この隙、たった一度しか作れないであろう隙を逃してたまるか。
蜘蛛の糸を掴むように、僕は崩衝を甲冑の腹めがけて放とうとする。
奴は右手に握った剣から手を離し、僕との間に拳を置く。
腹に触れた瞬間に、鼻下が潰れた。
刹那の間に全身に流れた音は、今まで聞いたこともないような音だった。
痛みより先に驚きが走り、痛みと共に死の寒気が駆け巡る。
見えていたのに避けれなかった。
顔面が陥没したと感じる、後頭部へ突き抜ける痛みがそう告げているように思えた。
奴は僕をも胸倉を掴み、あっけなく捕らえられた……怖い、死ぬ、まずい、鼻血で息が出来ない。
僕は崩衝の残った右手で、その腕を掴む。
とくに考えていたわけではなかった、咄嗟に、死の恐怖にそうしてしまっただけだ。
アームガードの下側は幸い布地であった。
崩力が注がれていくが、なにか既に別のものによって満たされている感覚がある。
邪魔される、感じたことのない感触だ。
「ムッ!?」
僕を掴む手が脱力したようにゆっくりと離された瞬間、大江戸さんが握った腕を天に振りかざしていた。
奴が、大江戸さんの頭上へ浮く。そのまま、彼は拳で怒髪天を衝いた。
騎士さんはかろうじて腕でダメージを吸収するが更に上空へと打ち上げられる。
そこに向かって大江戸さんは跳躍し、なんと騎士さんを空中で追い越した。
ひらりと蝶のように舞う大江戸さんは、足を鉄槌のように振り下ろした。
さすがにダメージがあるはずだ。
そう感じた僕は崩衝を構えながら、地面に沈み込む騎士さんの元に走った。
しかし、奴はあろうことに足から着地し地面に突き刺さった剣を引き抜いて何事もなかったように三歩後ろへ下がる。
滅茶苦茶だ、ふざけてる。
そのまま、騎士さんは地面に剣を叩きつけて泥しぶきを上げる。
思わず僕の足は止まってしまった。
白く霧がかる程の豪雨に、巻き上げられた泥しぶき。
もう上から降ってるんだか下から降ってるんだかわからない。
現実離れした思考の連続、体を震わせる音の連続、なにが起こっているかわからない視界の連続──頭が混乱し始めている。
「非礼を詫びよう、君たちを侮っていた」
騎士さんの人影が言う。
徐々に見えるその顔は泥にまみれながら、天を仰いでいた。
その視線の先、そこには大江戸さんがいた。
長い剣に、血が滴っている。
肩と胸の間を貫かれ、掲げられた大江戸さんがいた。
「ぐァ、ぁあ……ッ!」
その剣はゆっくりと降りていき、大江戸さんは膝を突く。そのまま、ずるりと彼の肉体を引き裂いた。
ああ、ああ……? なんだ……? なにが起こってる?
やめてくれ、し、死んじゃうじゃないか、そんな、そんなことをしたら。
やめてくれよ、嘘だろう?
い、いや、ゲノム強化剤の回復能力でなんとかなる、のか? あそこまでの傷でも?
血の気が引いていくのを感じる。
もう僕はとっくにまともじゃない。
全身の内部がガラスのようにひび割れる。
これは恐怖か? それとも怒りか? 悲しみか?
血払いしながら歩いてくる騎士を前に、僕の視界には自分の手と緑色の光が映っていた。
しかし足は後ずさりしていく。
バシャバシャと音を立てながら走り出す騎士を前に、僕の背は木に阻まれる。
旋毛辺りがフワフワし、腰が落ちてしまうと頭上を剣が霞めた。
剣は大木に当たっているはずだが、振り抜いているのが微かに見える。
僕は見える腰元へ声を上げて飛び掛かりながら、手を回す。
崩衝を注ぐが、まだ別のなにかが満ちていて阻まれる。
背に鋭い痛みが走る、一瞬突き刺されたのかと思うが裏側にしか感じない。腹からも剣は見えない。
柄頭で殴られている。
「魔術か? 私の体になにをしているッ!?」
二発、三発と柄頭が背に落ちてくる。
「ひ、ぃぃい!」
僕は縋りつくように腰に掴まったまま、崩衝を流し続ける。
突如として首に襟がめり込んで息苦しさを感じた。
そのまま、抗えない力に吹き飛ばされる。
口の中に泥が入り込み、ゆっくりと吐き出される。
もうなにも聞こえていないし、なにも感じていない。
視界がボケている。微かに見える騎士は無慈悲にもこちらにフラフラと歩いてきている。
終わりだ、殺される。
意識が落ちかける寸前、視界が黒く彩られた。
僕は死んだんだ、そう直感したがノイズ染みた黒はあまりにも不自然だった。
音が徐々に戻ってくる、虫が飛んでいる音がする。
……いや、違う。
掻き乱されるくらいの爆音に、息苦しさは風?
体の芯が揺れる、背後でなにかが爆発した。
気が狂いそうだ。
僕はもがいて、芋虫のように移動する。
なんらかの冷たい壁を伝っていく、これはなんだ。
コンテナ……?
コンテナが、降ってきたのか? どこから?
そう思い、空を見上げるとヘリが低空飛行していた。騎士のいた場所を機銃で撃ち続けている。
無意識に僕はコンテナで伝い歩きをしていて、入り口が歩いていることに気づく。
中は真っ暗だが、微かになにかが見える。機械がゴチャゴチャしていて狭い。
その騒音から逃げるように、導かれるようにそこへ身を寄せた。
状況がまったく整理できない、どうなってるんだこれは。
ぼうっと、鬼火のようになにかが光る。
無数の機械のアームに僕は襲われていた。
背から始まり、足や腕が包まれていく。
やがて全身が冷たいなにか包まれたかと思うと、解き放たれ四つん這いに僕は倒れた。
視界にいくつかのアイコンと英語がある、暗闇なのに不自然にモノが見える。
この感覚……。
「ぱわーど、すーつ……?」
地面についた手は、金属で覆われている。
立ち上がろうとすると動きをアシストされる。僕じゃないものが体を起こしているような感覚だ。
パワードスーツの自動装着コンテナ、だったのか。
僕用に調整されたものではない、オーバーサイズだがいけるか?
すぐに騎士の存在を思い出し、僕は外へ駆け出した。
そして我ながら、自分の目を疑った。
──空中に、真っ二つになったヘリが静止していた。
いや違う、落ちてくる。
他にもいくつかはヘリはあったが、空を走り去り姿を消す。
地面に落ちるかと思われたヘリは、すんでで視界が白と赤が入り乱れた炎で染まる。
その炎の中から、金色の髪を揺らしながら騎士は現れた。
青い瞳は据わったように僕を見つめている。
一度、深呼吸しながら腕を交差させる。
崩衝の構えに入る途中に、腕から砲身が伸びていることに気づく。
僕が今まで装着してきたパワードスーツとまったく違う、崩衝か発射トリガーを探すか、どっちだッ──!?
『長内くん! 手の甲から人差し指の側面に伸びたボタンだ!』
突然のことに体がびくりと震える、ノイズがかった声……社長の声だ。
僕は促されるがまま、手を握り込みボタンを押す。
反動も感じない銃が砲身から放たれ、騎士は横へ走りながらそれを避ける。
赤いロックオンマークがその姿を追っている。
『親指を奥に弾けば武器が切り替わるっ!』
僕は左手にも同じものを見つけ、言われた通りに親指を弾いた。
そうすると、背後から小さいなにかが放物線を描きながら騎士へ迫る……。
騎士は振り払うように剣を振るうが、剣に触れたなにかが刹那に爆発した。
小型ミサイル。
煙が唸る、形が一瞬ぐにゃりと歪み騎士が飛び出してきた。
こちらに向かって一直線に走ってくる、慌てて右腕を突き出しトリガーを押し込む。
眩い光が点滅するように輝く。
残像を生み出す剣が何度も角度を変えながら、銃弾を弾きながら歩みが止まらない。
「化け物ッ!」
そう言いながら左手のスイッチを手前に戻し、ガンモードにした左手も交える。
両腕を構え、一斉射撃を浴びせる。
彼の表情が徐々に歪んでいく。ずっと無表情だったのに、決死を思わせる表情へ。
さしたる騎士も防ぎ切れずに、横腹や肩の装甲がずれるように弾き飛ばされていく。
その下には惨たらしい銃創が垣間見えた。
しかし、僕の手元から点滅が消える。視界の端に赤い点滅が見える。
まずい、弾切れか!?
どれだけ体力があるのか、また彼は物凄いスピードで地面を蹴りつけた。
む、迎え撃つ! 一か八か、僕用パワードスーツと同じ機能であることを祈る!
前傾姿勢となり、僕は肘を引いて、ジェットパックを起動する。
微かな浮遊感──それが来た。
膝を折り曲げて、地面擦れ擦れを高速で駆け抜ける。
腕を交差させ、左手を手前に、右手を引く。
彼に到達する二秒前に崩衝の構えを完成させ、掌には緑色の光が迸る。
崩術を想定したパワードスーツではない、だから崩衝が掌の装甲を溶かしていく。
それでもお構いなしに僕は型を続ける。
口元がチェシャ猫のように裂けていくのを感じる。
奴は剣を構えているが、僕は地面に足を引っかけてスピードを調整する。
目の前で、剣が走った──僕は振り抜けた後のがら空きの腹へ手を当てる。
傷口へ手を滑らせ、何度目かも覚えていない崩衝を流し込む。
満ちる、傷口からなら抵抗が少なく入っていく。
騎士は唸り声を上げながら、僕を振り払おうとするが力が弱まっている。
いける、がこれ以上流し続けたら確実に奴は死ぬ。
大江戸さんの、仇なんだ。
最悪のタイミング、そう言わざるを得ない。
あの寝ぼけた半開きの眼が頭の中で咲いた。
崩衝として完成していた崩力の流れが滞った、力の流れが断たれる。
どこまで邪魔するんだ、泣きそうになりながら胸の内から染み出す善意に抗う。
ここで逃しちゃだめだ、絶対にだめだ。
「あぁあぁぁぁぁあああああああああ!」
喉が裂けそうなくらい叫ぶが、僕の意思に反して肉体が脱力していく。
奴は抜け出して、本当に力なく僕から遠ざかっていく。
「騎士が……ゴホッ……敵前逃亡する、羽目になるとは……な!」
ふざけるな、逃げるなよ騎士の癖に、眼を押さえつけてとどめを刺してやる、だから逃げるなよ!
足が一歩も動かない、体が硬直している。金縛りに合いながらも、苛立ちが膨れ上がる。
あまりの悔しさに、涙が零れ落ちる。
豪雨に掻き消されそうな騎士の足音と重なるような音が迫ってきた。
奥から見える、ゴリラのような生物。
いや、体の節々に機械をつけたあの姿は──。
赤みがかった髪を振り乱した、大江戸大和の姿。
ああ……大江戸さんが、血相を変えた顔で走ってきている。
よかった、生きてた、大江戸さん。あんな怪我だったのに、もう走っちゃって、本当に元気だ。
涙は依然として溢れる、ただ涙の温度が変わった気がした。
「逃がすかよォォォ!」
そう言いながら、ふらつく騎士の顔面を大江戸さんは思い切りぶん殴った。
そして倒れた騎士に馬乗りになり、拳を構える。
「負けを認めろォォ! テメェの負けだァ!」
彼は吠える。
「長内の勝ちだァ! 認めろォォ──ッ!」
「……くっ」
僕はゆっくりと二人の元に歩く。
その歩幅が時を刻んでいるかのように、時間が遠のいた。
どれだけの時を経たか、騎士は瞼を伏せる。
「……私の負け、か」
騎士のその言葉に、胸が軽くなった。憑き物が取れたように安堵の息が長く長く漏れ出した。
気づけば僕は泣きながら大江戸さんに抱き着いていた。
「生ぎでて、生ぎでてよがっだです、大江戸ざぁぁぁ……!」
「パワードスーツ着たまま抱き着くんじゃねェや! ゴツゴツしてンだよ!」
そう言われても、なぜだか彼を離す気にはなれなかった。
僕はいつの間に彼をこんなに好きになっていたのだろう。
変な意味ではないが……ここまで他人を心配したのは初めてだ。
「よく一人で勝てたじゃねェか……すげぇよ」
「ぶへへ」
鳴り止まない土砂降りの中、僕は鼻をすすりながら笑った。
「ただァ! 勝手に銃は撃つわ殺しかけるわ、オメェやりすぎだかンな!」
「えっ? 最初はそうですけど……今はもう無我夢中だったんですよ」
「まァでもそこまでしなきゃ、コイツにゃ勝てねぇわな……」
そう言って二人して騎士へ目をやる。
彼は意識を既に意識を失ったように、目を閉じていた。
あ、あれ? 死んでないよな?
死んでるとしたら、とどめを刺したのは大江戸さんということなっちゃうが。
なんて考えて胸の動きを見ていると、騎士の体が薄くなっていっていることに気づいた。
胸は動いている、呼吸はしている。しかし透明になっていってる。
せめて脈を測ろうと腕を掴もうとするが擦り抜けた。
「あァ? 異世界に帰るのかコイツァ?」
「そういうことですか?」
三分ほど、長く思えた時間を掛け彼は完全に透明になった。
こんなすぐ消えなくてもいいじゃないか、もっと聞けることがあったかもしれないのに。
しかし、ドタバタの戦闘だった。
なにがどうなって勝ったのかあまり覚えていない。
ただ、大江戸さんが生きていたことだけが収穫でもいい気がした。




