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第七節 寝ぼけ眼は目覚めかけ

 溜息をつきながら僕は運転席から降りる。


 雪道を運転するのは面倒臭い。ブレーキを掛けてもゴリゴリ言いながら止まらない。車間距離を開けなくてはいけないし、スピードも出せない。ほんっと神経使うよ。


「さぁて卵のセールが……あ」


 歩道から歩いてくる人影と目が合った。

 ダッフルコートを着込んだ大江戸さんだ。同級生らしき人物を二人連れている、理知的に見える眼鏡の女の子と男の子だ。


「おー? なに大和、知り合い?」

「あ、前に言ってたお兄さん?」


 友達二人が問う。


「いや、違げぇよ。コイツァあれだ、あー……」


 驚いた、この数ヵ月のことを彼は友達に話していないのだろうか。

 僕が高校生だったら死ぬほど自慢するが? 

 パワードスーツ着たまま登校するし喧嘩しまくるし運動部で無双するが。


「どうもこんにちは、長内王雅と申します。大江戸さんとは犬の散歩でよく会うんですよ」

「ども~、大和と同じクラスの和久(わく)陽翔(たかと)です」

鈴本(すずもと)春奈(はるな)です」


 後ろに通ってた犬の散歩をしているお爺さんの姿を見て思わずそう言ってしまった。

 本当のことを言ってみても良かったのだが、さすがにパワードスーツがトラックが反社が吸血鬼がとは言えない。

 あーあ後が怖えーや、大江戸さんが適当なこと言いやがってとでも言いたげな面をしている。


「え、待って! ていうか大江戸、犬飼ってるの?」


 女の子が眼鏡を揺らしながら興奮した様子で飛び跳ねる。か、かわいい。


「あァ、い、犬飼ってンよ……」


 あの大江戸さんがギュッと目を瞑り、頬をヒクつかせた奇妙な笑顔で汗を流している。

 肌を突き刺すような寒さだというのに、頭からゆらゆらと蒸気を立ち昇らせている。


「まじかよ、犬種は?」

「チワワァ……?」

「はは、なんで疑問形なんだ」


 楽しそうだ、あまり邪魔してはいけないな。

 僕は会釈してスーパーへ踵を返そうとすると、お友達さんに呼び止められる。


「あのー、長内さんこのあと暇ですか!?」


 思わず素っ頓狂な声が漏れる。


「陽翔オメェなァ!」

「だって辰仁も孝也も今日忙しいつって三人しか集まらなかったじゃん? リアル脱出ゲームは四人前提なんだってぇ」


 ああ、こうして見ていると……彼も普通の人間なんだな。


「あの、ご迷惑ですかね?」


 鈴本さんは上目遣いで伺ってくる、長い黒髪に雪のアクセサリーが眩く光っている。天然の髪の毛グロスだ。

 こんな誘いを断れる男がいるのだろうか? 会紡機戦も大江戸さんとの出会いも全てこの子に出会う為のプロセス、運命の出会いだったのかもしれない!


 大江戸さんは僕の横まで歩いてきて、顔を寄せる。な、なに? 俺が惚れてる女だから手を出すなとでも言い出すのか? 三角関係なのか?


「春奈は陽翔と付き合ってンぞ」


 ……あっそう。

 じゃあやめようかな、卵のセール終わっちゃうし僕はそこまで暇じゃない。

 大江戸さんとも本来は夜会う約束をしていたんだ、夜に用事があるのであって今じゃない。

 会紡機戦もやめちゃおうかな……。


「まァいい、どうせだから付き合えよ長内。どうせ夜会う予定だったンだからよ」


 適当なことを口走ってしまった罰なのだろうか。

 僕は卵のセールを諦めて、三人を車へと乗せる。


「長内さんはどんな犬種を飼ってるんですか?」


 僕もペット飼ったことないんだよな、犬種なんてろくに知らないぞ。

 チワワと柴犬と、雪国と言えば……。


「し、シベリアンハスキー……?」

「ふふ……どうして長内さんも疑問形なんですか」


 和久さんと鈴本さん、二人して笑う。


「長内、次は右ィ」

「へい、おやびん!」


 懐かしいな、この感覚。

 僕も一年前までは高校生で、こうした雰囲気で遊んだこともあった。

 みんなとは卒業祝い以来会っていないな……にしても、大江戸さんはちゃんと友達が居たんだな。

 ごく普通の高校生らしく談笑している彼を見ていると、未だ子供なのだと再確認してしまう。


 あの時、僕たちはあの大男を殺してしまっていたら。

 この場に居られただろうか、彼らの笑みに釣られてしまえただろうか。


 そう考えると、あれほど会紡機戦から手を引けと言ってきた彼の言葉には裏があるように思えた。

 ただ自分の命のことだけではなかったのかもしれない。

 ならばお兄さんのことは警察に任せて、彼こそ手を引いたほうが良いのではないか、と。


 リアルな彼の日常を目の当たりにすると、そう考えざるを得ない。

 僕には兄弟もおらず、家族も義理の父一人だった。もし父が行方不明になっていて、その手掛かりが得られる可能性があったら僕は命を懸けられただろうか。


 案外目的地は近かったようで、すぐに到着した。

 そりゃ、歩いていこうとしてたんだから当然か。


「さあ行きましょうや!」


 和久さんの掛け声に、僕たちは揃ってシートベルトを外した。

 とくになにも考えず、ルームミラーを見ながらそう思った。

 本当にそれだけだった。


 和久さんの楽しげな目、鈴本さんの期待がある目、頬が持ち上げられていて目が少し細くなっていた。

 大江戸さんの、あまり見たことのない優しい目。


 潮が引くような音を立てながら、血の気が引いた。

 全身の毛が逆立って、鳥肌が立つ。

 サイドミラーに映った僕の表情は、自分の顔じゃないみたいだった。


 器の中から水が溢れて、僕の中を満たしていく。

 キラキラと輝いている。


 リアル脱出ゲームは初めてだった。

 笑い合いながら謎を解き時間はあっという間に過ぎていった。

 僕は二人を家まで送って、大江戸さんと二人きりになる。


 空はすっかり暗闇に染まっていて、民家からは暖かな光が漏れている。

 それを眺めているだけで、僕は幸せな気分になった。

 人々の営み、笑顔──それがあれば、僕はこれで良かったかもしれないと思える。


「ふふ、楽しかった」

「……? オメェ、そんな顔で笑うンだな」

「え?」


 そう言われた瞬間、なにかが戻ってきた。


「うっ……」


 僕はなにをしていた? 到着した瞬間から今まで、僕はなにを考えていた?

 わからない、わからないのに悍ましい感覚が体を襲う。


 僕は咄嗟に車の扉を開けて吐き出してしまった。気色の悪い感覚に涙が滲む。

 なんだこの、はみ出たなにかを無理やり型に押し戻した感覚は。本能的な拒絶感を覚える。


「ぼ、僕……えっと、なんか変でした?」


  胃の奥が空っぽなのに、まだなにかを吐き出すように彼に聞く。

 変だったと、そう言ってくれ。まるで僕じゃなかったと言ってくれ、そうやって違いをハッキリさせてくれ。意識が混ざる、僕が溶ける。


「わっかんねぇけど、なんか意外だったな……でもそんなん今どうでもいいだろ。大丈夫か?」

「へ、へへ……」


 僕は無理やり笑って、誤魔化す。

 そうするしかない、どうしていいかわからない。

 ここにいたくない、そうだ。今日は大江戸さんと一緒に吸血鬼たちと会う約束があるじゃないか。

 早く行かなきゃ、約束の時間が迫っている。


 恐怖を置き去りするように車を走らせる。

 こんなの、昔から何度もあったじゃないか。記憶にない行動も何度も指摘された。

 僕は最初、ドッペルゲンガーが居るんだとすら思っていた、笑い話さ。

 大丈夫、まだまだ大丈夫なんだ。


「なァ……今日はやめねぇか? 様子おかしいぞ」

「バカ言っちゃいけませんよ、女の子との、そう、美少女たちとのお茶会を蹴るなんて僕らしくないじゃないですか!」


 意識するな、僕らしさなんて口に出す時点で……考えるのをやめよう。


 広大な屋敷が見えてきた、僕の家は和風の屋敷って感じだがこちらは洋風。やはり吸血鬼だからだろうか。

 僕は急いで降りて、本当に寒いな、チャイムを鳴らす。

 なぜ黄昏世界海外の吸血鬼が、黒い二つのテルテル坊主みたいなオブジェが不気味だ、庭まで荘厳だ。

 情報を、雪ダルマがある、頭に詰めなきゃ。


「なぁ長内、アイツらに会うのはいいが一旦落ち着けよ」


 ぽん、と肩に手を置かれた。

 震えが止まった、体が震えていたことにも気づかなかった。

 命の危険から生還した時の安堵となぜだか似ている。

 思わず僕は、泣き崩れてしまった。


 バツの悪いことに、白いファーを身に着けた……たしか、曲夜さんに見られてしまった。


「えー!? なんで泣いてるの? そんなにヴァンパイアが怖いの?」

「いやいや、美少女は大好きですよ……」


 立ち上がろうとすると、顔を背けた大江戸さんが手を差し伸べてくれた。

 その手を握り、立ち上がる。

 恥ずかしいことしちまった、少し顔が熱くなる。


「美少女って私たちのこと? ちょっと照れるかも」


 能天気にクネクネしだす曲夜さんを尻目に、大江戸さんは物凄く真剣な面構えだ。怒らせてしまっただろうか……ああいや、警戒してるだけか。


「じゃあほら、おいでおいで」


 促されるがまま、僕たちはついていく。

 周囲に目を配りながら、お屋敷へと足を踏み入れた時、ふわりと甘い野の香りに包まれる。

 赤いカーペットが張り巡らされシャンデリアが輝いているものの……端一面に植木鉢や巨大な壺から様々な花が顔を覗かせている。ズラリと、雑多な花まみれで他が霞む。

 なんだかダサいというか。


「大江戸さん、なんか変な家ですよね」

「過ぎたるは及ばざるが如し、とはよく言ったもンだぜ……」


 コソコソと僕たちは話す。

 さっきのこと、もうあまり気にしていない様子で助かった。


 曲夜さんは大扉を開けると、妖精たちが飛び交っていそうな程の蔓と花だらけの広間が現れた。

 その奥の真っ赤なソファには、コーヒーカップを持つ冥さんが足を組みながら座っていた。


「冥ー、連れてきたよぉ」

「寒かったでしょ、全員分の紅茶用意してあるから」


 げえっ、紅茶は苦手なんだよな。

 僕はげっそりと対面に座り、大江戸さんも座るがお互いに紅茶へと手を伸ばさない。

 僕とは別の理由だろう、敵かもしれない奴らの飲食物なんて怖いしな。


 一方、曲夜さんはちょこんと座ると紅茶を一気飲みしていた。

 血以外も飲むんだな、吸血鬼は。


「さて、あんたたちの条件である情報だけど……アタシにはよくわからないことを喋ってくれたよ」

「ほォ、聞こうじゃねぇの」


 大江戸さんはふんぞり返りながら、足を大きく開いて鼻を鳴らす。

 王様でもそこまで偉そうにしないよ。


「まず名前は与野(よの)(けい)。元米軍兵で、最近は暴力団の用心棒をしていたってさ」

「ンなの見てればわからァ」

「……あっそう」


 空気がピリついている、まあこれは大江戸さんが悪いが。


「柔道経験者でしょう? なぜ米軍に?」

「ブラジリアン柔術は習っていたと言っていた。父親が日系アメリカ人在住で、五歳からアメリカで暮らしていた。それで父親が亡くなった後に、非行で除隊になって母親と一緒に日本に来た、ってね」


 それがどう反社に繋がっていくのかは疑問だが、そこは重要じゃない。


「でェ、ゲノム強化剤については聞き出せたのかァ?」

「米軍時代に極秘裏に取引されたモノで、日本支部の企業から買い取っていた。隕石に付着していたウイルスを元に改良したもので、人間の遺伝子を改造するんだって」

「ほォー、奴がそんなベラベラ喋るとは思えねぇけどなァ?」


 冥さんは眉をひそめて、大江戸さんを睨む。生意気すぎたか?

 と思った瞬間、その横に座っていた曲夜さんが机を叩き、破裂音と共に立ち上がった。


「あのさぁー、人間如きがなんでそういう言い方するの? 冥に失礼だよ?」


 ……曲夜さんの瞳孔は細まり、縦長になる。大きく開いた口からは牙が覗いた。

 少女の出せる圧力ではない、蛇に睨まれた蛙の気分……身がすくんで動けない。


「まぁ、まぁまぁ、すみません本当に」

「いいよ曲夜、人間の思い上がりは今に始まったことじゃないから」


 冥さんと同時に窘めると、曲夜さんはかわいらしく、ふんっと言いながら腰を降ろして、顔を背ける。

 二重人格かよ。


「わりぃな、こういう性分でよォ。長内、頼むわ」

「あ、はい。えーと、与野さんはなぜそこまで詳細に話したんですか?」

「ヴァンパイアの異能、聞いたことあるでしょ? 魅了(チャーム)だよ」

「なるほど……」


 こっちの世界でそこまで好き勝手やって、よく日本妖怪対策局に目をつけられず過ごしてこれたものだ。

 妖怪は大半が頭がよろしくない、悪だくみもわかりやすいからか? 狡猾に人間世界に溶け込まれたら、日妖も気づかないのかもしれない。


「その企業の名前は?」

「エレインコーポレーション、だったかな」

「……は?」


 大江戸さんは、ぽかんと大口を開けて目を見開く。

 一粒の汗が流れ落ち、肩を震わせる。


「兄貴の勤めてた……バイオテクロノジー製薬会社と同じ名前……」


 もし、運命の歯車があるならば。

 今、この瞬間にカチリとハマって動き出したことだろう。

 数奇な運命、歪んだ歯車が。


 大江戸さんは頭を抱えて、声を殺してなにかをささやき続ける。

 思案しながらも、焦燥感に包まれた表情をしている。

 だが、考えてみれば会社が軍事提携していたからと言って、お兄さんも協力していたとは限らない。

 そう言いかけるが、ここまで物事が繋がっているのに……否定できるだろうか。


「……」


 沈黙が続くが、いつまでもここにいるわけにもいかない。

 情報をさっさと受け取って、続きは僕の車で考えよう。


「他には、なにか情報はありますか?」

「頭を抱えているその少年も、まず間違いなくゲノム強化剤を投与されているだろうって」


 んな焼石に水の情報は聞いてないよ、こいつも大概空気が読めないようだ。


「他は?」

「数ヵ月前にヤクザの用心棒として雇われたとか……家族や恋人の話は関係ないだろうし、他に有益そうな話はないよ」


 大江戸さんは、震える手を僕の膝へと乗せる。


「頭がパンクしちまいそうだ。家まで送ってくれるか?」

「え、そりゃはい……もちろん」

「なぁアンタら、最後に俺からの依頼を受けてくれねぇか?」


 間髪入れずに彼は聞いた。


「依頼料は血液だけど、それでいいなら。内容は?」

大江戸(おおえど)武蔵(むさし)について調べてくれ。エレインコーポレーションの日本支部にいた男だ」

「検討する、詳細は前回交換したメッセージアプリで詰めようか」

「お邪魔しました」


 そう言って立ち上がろうとした瞬間、立ち眩みがした。

 この感覚はショックじゃない、あれが始まる。


 まず最初に視界がボヤけた、どこにも焦点が合わずピンボケしたレンズ越しの景色のように。

 そして徐々に視点が拡大されていく、それに伴うように鮮明になっていく。


 屋敷の花々を通過し、家をいくつも通り抜け……今回のビジョン、やけに映像の進みが速い。

 ……海を越えて、山を幾多も越えて、途中なにが映っているのかもわからない程速度は高まり、ピタリと止まった。


 村、そうとした言いようがない閑散とした自然の中に、ぽつりぽつりと家が建っている。

 そこで土に汚れた服を身に着け、畑作業をする金髪碧眼の青年が映っていた。

 交錯する視線に敵意はなく、ただこちらを眺めている……その表情は、不思議なくらいに穏やかな表情。


 か、海外……?


「はァ……どうすりゃいいんだよ、これは」


 大江戸さんは呆れたように肩を落とし、皮肉めいた笑いを吐き捨てた。

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