最終節 架空の青空の果てへ
朝日の黄金が、まだ冷たい桜の蕾一つ一つに厳かな印を刻む。
小鳥たちの祝祭のような囀りが、並木路を満たしていた。
会紡機戦、その終幕の日である。
爽快さとは裏腹に、胸を締め付ける寂寥を孕んだ風景の中。
僕たちは交わす言葉の代わりに、拳と拳を合わせる。
「二十日ぶりくらいだな。調子はどうよォ?」
「もちろん、準備は怠ってないよ。ばっちこいって感じ」
「俺もだぜ──これが、最後の戦いだからなァ」
パーカーに薄手のジャケットを羽織り、赤みがかった瞳は決意に燃えていた。
その瞳に描き出された僕も、似たような表情をしている。
微かな冷たさが満ちるその空気の中で、僕たちの視線は、向かいを歩く二人と一瞬の必然として結ばれた。
その二人は揃って神誓衣に身を包み、仮面だけが意匠の異なりを見せている。
強制戦闘開始のワープにはまだ早いが、二人なら来ると思っていた。
雷神教第一神託者の預言者。
雷神教第十神託者の聖女。
前を歩く預言者に対し、少し下がった位置から聖女は気品よく背筋を伸ばして。
特別なこの日を噛み締めるように、威厳溢れんばかりに歩いていた。
「積もる話でもしてこいやァ」
「ありがとう」
大和と預言者は静止の世界に残り、僕と聖女だけが時の流れに乗って進む。
引力に導かれるように、あるいは惹かれ合うように僕たちはその場で対峙する。
邂逅した彼女の体は小さく、清澄な儚さを植え付ける。
僕の指先が触れることすら躊躇わせるほどであった。
「聖女──」
「──オウガ様」
一陣の風が体を撫でた時、僕たちは同時に呼び合う。
心が一つに溶けあうかのように。
「無事戻られたようで、安心いたしました」
「信じてくれたから、この日まで待ってたんだよね?」
「その通りでございます、この最後の戦い……オウガ様の成長が見られるこの瞬間を楽しみにしておりました」
機械音声のようにノイズがかった声の節々に、少しばかりの感情が滲んでいる。
僕も会えて嬉しい、と素直にそう思う。
交わされた言葉の粒一つ一つが、直接心臓の弦を弾くように響き、鼓動は早鐘のように打ち鳴らされた。
きゅん、と音を立てたのだ。
「好きだよ、聖女」
僕は心のありのままを詳らかに、だけど一言に集約して言葉に出す。
「わたくしも同じ気持ちです、オウガ様。態度も逞しくなられましたね、素敵でございます」
……うう、よくない。
最後だしちょっと格好つけようと思ったのだが、顔が綻んでしまう。
「ずっと聖女のこと、好きだよ」
子供の告白のような、だけれど僕は確信を持って口にする。
「わたくしも、オウガ様がずっと好きです」
その震える声を聞いて、僕の決心はもう一段強まった。
よし……。
切り替えよう。
そして始めよう、最後の会紡機戦を。
僕は大和に目配せをすると、彼は僕の隣まで歩みを進めた。
それを皮切りに、預言者も聖女の隣へと付く。
「最後の戦いだというのに、パワードスーツはいいのかい?」
預言者は問う。
「あァ。俺たちゃエクソテックス社とは手を切ったんだ、それに今回の戦いにパワードスーツはいらねぇよ」
「これは最終戦だよ? この子に全力を尽くさずに勝てると? まぁ、パワードスーツがあっても勝ち目なんてないけどさ」
「その通りだ、だよな王雅ァ?」
僕はあるがままを認めるように頷いた。
そうさ、勝てやしないのさ。
好きな人とは戦いたくもないんだ。
「聖女、悪いけど僕たちは降参するよ。君とは戦いたくない」
「……そんな……本気で仰っているのですか?」
気を落としてる所忍びないが、僕たちにそのつもりはないのだ。
僕の成長が見たい、それはつまり努力の肯定だ。
それでも僕は小悪党としてではなく、己のポテンシャルとして狡猾な悪知恵を働かせた。
だからこそ僕の口は今まさに。
──チェシャ猫の笑みを浮かべた。
「だが降参には条件があらァ。一つは大江戸武蔵、俺の兄貴の捜索と傷を負ってりゃ、天術による回復だ」
静寂をまず、大和が破った。
大江戸武蔵さんの生死は不明だけれど、生命力の強い彼の兄なのだ。
生きていると、僕は信じる。
「二つ目は、僕を神世界に連れていくことだ」
もしかすると、七愛と菫もついてくるかもしれないが。
それでも、僕は聖女と別れたくない。
彼女が雷神教神託者として戦いの道を進むのならば、僕だってその道を歩んで寄り添いたい。
いや、添い遂げたいのだ。
「ボクたちになんのメリットがあるのさ? この子が君たちを瞬殺すれば終わりなんだよ?」
預言者は聖女の肩に手を置いて、言い放つ。
当然、彼女はその反応をするだろうと思った。
織り込み済みだ。
「最後の戦いなのに瞬殺じゃつまらないでしょ? もしどうしても駄目なら……賭けをしよう」
「そうだァ──俺と王雅が戦う、どっちが勝つか賭けろや」
預言者は嘲笑するように、フッと息を漏らす。
「テンス……いや、聖女、オメェがどっちが勝つか予想して預言者に聞かせる。預言者はその答えを戦いが終わったら提示する。これなら不正できねぇだろォ? 全力で戦ってねぇって判断すりゃ白紙に戻していい。要するに、余興だァ……楽しめや」
僕の考えた作戦を大和が語った。
つまりは、僕と大和の決闘だ。
徹底的に僕たちが不正を出来ないように、賭けとして成立させるルール。
僕と大和のどちらが勝つかを賭けて、神託者が賭けに勝てば労せず会紡機を手に入れられる。
僕たちが賭けに勝てば、大江戸武蔵の捜索に手を貸してもらう。
どちらにせよ、神託者の手に会紡機は渡るのだ。
単純明快な決闘を見ているだけで。
乗る理由も乗らない理由もなければ、こっちの熱量で押し切れると僕は踏んだ。
「キミたちは面白いことを考えるなぁ。最終戦でそんなことを言い出したのはキミたちが初めてだよ」
でも、と預言者は続けた。
「後者、つまり王雅くんを神世界に呼ぶのは駄目だ、世界間移動は制約が多いからね。他の世界の神々が許さないから、神託者主導でやるリスクに釣り合わない」
僕はこっそりと中指を立てた。
本当にこの人は慮るという気持ちがないのだ。
呪術師の言った通り冷血な女だ。
と聖女と引き裂かれるという被害妄想からカッとなってしまったが、この人もこの人で神託者としては当たり前のことを言っているだけなのかもしれない。
「なら、大和の提案だけならいいってことでいいね?」
ならばこれだけでいいから通してくれ。
頼む、頼む……と僕は内心で祈る。
このために僕と大和はしばらく会わなかったんだ。
お互いの手の内を見せないために。
なにより、本気で戦えるように。
神世界に行くのは、自力で頑張ればいい。
異世界転移だけならば、寝ぼけ眼に頼むという最終手段もある。
戦いが終わったあと、ゆっくり励むさ。
聖女との別れをどれだけ惜しんでも、悩んでも……初めて心で繋がって、純粋無垢な愛をくれた聖女を、どこまでも、諦められなかったのだから。
まるで七愛のようだが、恋とはこういうことなのだと僕は思う。
「預言者様、良いのではないでしょうか? 会紡機が手に入れば、天命は果たされます。わたくしもオウガ様の成長が見られるのであれば問題ありません」
「じゃあ、それでいいよ」
思っていたよりもあっさりと決まった。
二の矢三の矢は必要なかったみたいだ。
歓喜に突き動かされるように、僕の握り拳を震わせる。
「じゃあ、王雅と俺、どっちが勝つか決めて伝えとけよォ」
「聖女。恰好いい所を見せるから、惚れ直しておくれ!」
賭けに破れてもそれはそれで、生きているならエダーク財団と協力すれば見つけられるはずだ。
いざとなれば、吸血鬼の冥さんや曲夜さんや七愛たちと探せばいい。
つまり、保険はあるのだ。
大和は全力でやるだろう。
聖女はきっと、僕が勝つほうに賭けるはずだ。
だから大和が勝てば、賭けという側面では僕たちが勝利を手にすることになる。
つまり、大江戸武蔵さんが見つかる可能性が飛躍的に高まる。
でも僕とて、全力でやる。
宣言通り、手加減はしない。
そして大和に勝つ、大和にも武蔵さんにも悪いが、それでも勝つ。
なにがなんでも勝つ。
七愛だって家を出る前、あれだけ応援してくれたのだ。
僕が聖女の隣に並べる未来があるのだと、今ここで証明するんだ。
「人払いは済ませてある、派手にやっていいよ」
預言者の言葉を確かめるように、僕は深呼吸を一つ。
肺が、戦い前の静寂を飲み込んだ。
聖女と預言者は脇に立ち、僕と大和は一直線上に相まみえる。
ギリギリ声が届くほどの、そんな距離。
目を合わせると、なぜだか大和は嬉しそうな表情を浮かべた。
握られた拳は白みがかるほど強く結ばれているというのに。
「俺ァな、楽しみだったンだぜ。オメェと戦えるのがよォ」
「え?」
互いに動揺して、戦いになるか不安だったというのに。
彼は非常に好戦的だ。
「社長室での一件覚えてっか? 俺ァ、オメェを殴ったよな」
小悪党でいい、そう肯定された時の話だ。
「……うん、あれは殴られて助かったよ」
「なのにオメェは、その場でもその後でも……一発だって俺を殴らなかった。寂しいもンだぜ……ありゃァよ」
寂しかったのか。
そっか……そうなんだな。
あそこで殴り合いをするべきだったのかもしれない。
でもあの時の僕は、大和を殴るなんて出来やしなかった。
「今からやンのは、どっちが上を決める戦いじゃねぇ」
「うん、わかってる。僕たちが──真に対等になるための戦いでもある」
これは、単なる戦いではない。
陰惨に満ち溢れた社会の中で。
苦しみしかなかった会紡機戦の中で。
数少ない、心から感謝できる出会いの一つ。
それを噛み締める、戦いでもあるんだ。
「そういうこったァ──!」
「無門──!」
言葉に乗せて開力が命線を駆け巡った瞬間、対決の鐘が鳴った。
正面から激突するように、地面を駆ける。
崩術の型を完遂すれば、その体感を覚えて以降は型なしで崩色を取り込める。
それが以前の僕だ。
しかし今は違う。
修行に付き合ってくれた七愛のおかげで、一度も型を通さず可能だ。
予備動作もなく、僕の掌に止めた開力は崩色たる緑を取り込んでゆく。
「崩衝ッ!」
「来いやァ!」
滑らかな動きで僕は、右手から崩衝を突き放す。
当たる、視覚はそう告げるものの僕は信じない。
何度、彼は僕の崩衝を見てきたか。
これくらいは避ける。
そう結論付けた瞬間、大和は視界から消えた。
予測していた分、僕は消える残像を目で掴む。
僕の崩衝を掻い潜って右下に消えてゆく影。
左へステップを踏み込むが、すでに遅かった。
僕の腕が視線の邪魔をする。
しかし確実に、空気のうねりを感じたのだ。
く、来る──!
歯を食いしばれ!
「ウ──ラァッ!」
大和の拳が、岩を砕く槌のように僕の脇腹を穿った。
それは打撃というより直射された砲弾に等しい音を立てる。
一瞬、体から右半身が消滅したかのような錯覚に陥る。
あまりにも速い。
速すぎる。
たたらを踏みながらも、体を大和の真正面に向けようとするが、彼はすでに肉薄していた。
勢いを殺そうと、こちらから先手を打ったのは間違いだった。
やはり、カウンターで対抗すべきだ。
大和の拳が腹目掛けて迫る、僕は恐怖によって反射的に手を伸ばす。
いい、恐怖はこのままでいい。人間、恐怖があれば咄嗟の防御に出る。
ただの戦闘ならば致命的だが、崩衝が宿る手で掴めば勝ちなんだ。
拳の軌道が変わる、一歩踏み込まれながら顔へと変わる。
僕は左手にも崩衝を蓄え、顔面をガードする。
「しゃらくせぇンだよッ!」
鼓動が跳ね上がる。
大和の腕はぴたりと静止していた。
下だ、下でなにかが動いている。
足、足が振り上げられている。
容赦なしだ。
いくら聖女の天術で治せるからと言って、金的を狙うだなんて。
間に合うか──金的なんて入ったら一発で負けるぞ!
重心を落としながら足を広げ、膝だけをくっつけるように。
内股へ……!
僕の膝が、大和の足を堰き止めた。
止め方も良かったのか、衝撃も浅い。
彼の乾いた舌打ちに、僕は一歩を踏み出す。
片足を戻してからじゃないと攻撃できないはず。
そんな無理な姿勢で拳を放てば、勢いのまま倒れるはず。
ならば崩衝を当てて終わりだ。
「双・崩衝!」
突き出した片足を掴む、掴む、掴む……!
そのことだけに意識を集中し、右手を伸ばす。
大和はその足を戻すでもなく、体勢を立て直すでもなく。
もう片方の足を曲げて、跳ねた。
急速に距離が離れてしまう、仕切り直しだ。
ゲノム強化剤と大和の動物的な本能が織り成す戦術に、今までの敵の気持ちが理解できるようであった。
息をつく間もなかった攻防に、一滴の汗が垂れる。
ようやく、と呼吸をすれば脇腹が痛む。
勝てるか? と問いが生まれる。
僕はそれに言い返す。
勝つんだ、と。
「さすが……」
「ふン。小便タレだったとは思えねぇほど、オメェも強くなったぜ」
懐かしいことを言ってくれる。
そんな記憶、塗りつぶすくらいの一撃を叩き込んでやるからな。
再び加速し、大和との間合いを刈り取る。
靴底がアスファルトを微かに捉える、その摩擦の生々しい感触。
交錯する拳と崩衝。
肉体的な反射に僅かながら、思考と判断を織り込む。
腕を掴むフリをして胴体を狙う。
そう決めて、風を切る拳に極限の集中を割り振る。
つまり、一度は躱さなければならない。
視界を押し潰す拳が迫る。
片手はこのまま掴みにいっていい。だから左手で掴みにいく。
崩術は当たれば一撃必殺。
それは互いにわかっている。
しかし今回は、意図的に掴むのを遅くした。
全身を沈めるように腰を屈め、左に躱す。
当たればぶっ飛んで、腕には触れられないと踏んだのだろう。
僕の右手が大和の腹へ吸い込まれる。
避けようはない、追えるように神経は尖らせているんだ。
大和は足を捌いて、回り込もうとするが僕は追従した。
そうして、僕の崩衝は触れた。
しかし、なにかがおかしい。
感触が変だ、人体に撃ち込んでいる感覚ではない。
注げるは注げるというのに、無機物に崩力を注いでいるような感触……!?
服くらいなら貫通するはずなのに、どうしてだ!?
「戦う時に腹ばっか狙ってんのは、知ってらァ!」
僕が狼狽えた隙を大和は見逃さなかった。
「あぐっ……!?」
彼は一歩引いて、左拳が僕の顎をかち抜く。
なぜだか、金属音に似た音が骨身に響いた。
瞬刻に下顎と上顎が衝突したのだと気づいた。
痛みよりも先に意識が刈られそうな一撃。
諦めない、意識を引き戻す……!
位置を入れ替えたから……生じているはずなんだ。
叩き下ろすような鉄槌が眼前に迫る。
今なんだ、諦めるにはまだ早い……!
「ワシですじゃ!」
「な……ッ!?」
僕と大和の間に、影貉が飛び出した。
この日のための秘策。
わざわざ幻世界まで行って、事前に影に潜り込ませておいたのだ。
もっと有効的なタイミングで、つまりは決める時のために温存しておきたかった手だが。
これ以上ダメージを受ければ失神してしまいかねなかった、いい判断だ。
大和は飛びのいて、僕は足を踏ん張って、少しばかりの距離が生まれる。
すると彼はおもむろにパーカーの中に手を入れ、所々が液状化した雑誌を取り出した。
あれで崩衝を防いだというのか?
「古典的な……!」
「オメェも騙し討ちじゃねぇか!」
互いに飛び道具は使ってしまった。
もう、僕に小手先の手は残されていない。
「影貉、ありがとう下がってて!」
「了解ですじゃ!」
距離も離れていない、足なら届く距離だ。
しかし蹴りは出来ないだろう、横方向の蹴りはそう簡単に制御できない。
崩衝の的になる。
刹那、大和は動いた。
けたたましい咆哮を上げ、全身で風を切り裂くような速度で差し迫る。
弾くように体が右に傾く──が、これは気迫飛ばしだ。
一瞬、幻覚が見えかける。
大和の肉体の機微と気迫がそれを見せるのだ。
しかし、対策はしてある。
僕はずっと、彼の全身を見てはいない。
攻撃部位にしか集中していない、今でいえば蹴りはないとして足を捨てている。
全身を見ないことで、その機微を見ない。
反射で戦うことで、予測をしない。
これが気迫飛ばし殺しだ。
フェイントを僕は見抜き、左へ姿勢を落とす大和に迸る崩力を叩き込む。
大和の表情は驚愕に彩られるも──腰を引いて避けられた。
即座に対応されるなんて……これすら本能なのかと僕の背筋が粟立つ。
その不安定な姿勢のまま、突き立てるような拳が僕の左腕にめり込む。
同時に、下がった顔を僕の振り回すような裏拳が捉えた。
衝突の瞬間、音は三層に分かれた。
まず、大和の顔面が沈む、鈍く湿った響き。
その直後、僕の腕から熟れた果肉を叩き割るようなぐしゃりとした手応えが伝わる。
そして全てを貫く奇妙なほど澄んだ硬質の軋みが、骨の悲鳴として鼓膜に焼き付いた。
「っ──……!」
僕の左腕は糸が切れたように、ぶらりと垂れ下がる。
その痛みに世界が、壊れた映像のように赤黒く乱れた。
びゅう、と吹いた風が神経を逆撫でて痛覚をさらに刺激した。
じんわりと、体中に汗が広がる。
対する大和も、鼻からだらだらと血を流してふらついていた。
これ以上のダメージを与えられれば、もう動けるかも怪しい。
だったら一つ、たった一つを選択する。
決着を、つける──!
「王雅ァァァ──!」
怒声を上げて殴り掛かる大和に、僕は全身の門を開く。
開力全身から放たれ、崩色をじんわりと帯びて。
緑色の光の中で、お父さんの顔が浮かんだ。
未だ崩色の取り込みも弱く、持続時間はたった三十秒程度だが。
これが、正真正銘の──。
「……崩極」
崩王独自の究極の崩術。
未だ未完成なれど、効果は十二分にあるはずだ。
寝ぼけ眼から肉体を返してもらってから四十日間。
僕は修行を開始して早期に、獣術である無門を発動した瞬間に悟ったのだ。
僕の命線が増えていて、さらにか細かった線は広がっていたことに。
そしてそれは、僕の肉体から世界にも繋がっていた。
崩極の理屈も必然的に理解した。
これは魂から、精神から、命線を全身から外へ繋げて生じさせる崩術なのだと。
崩衝を全身に纏うというのは、こういうことなのだと。
無門によって加速した開力の勢いで、崩力となった奔流が吹き荒ぶ。
まるで、僕を中心に嵐が巻き起こっているかのようであった。
押し通るように僕は一歩を進める。
大和は険しい表情でも逃げずに立ち向かってきた。
「オメェは、いつだって奇想天外だったなァ!」
背水の陣を敷くように、僕の叫び声は戦慄と怒号を調和する。
邂逅するように大和から放たれたそれは。
拳ではなかった。
交差する両手。
左手を前へ、右手を引いて。
あまりに荒々しく、精錬された動きではない。
しかし大和が放ったのは、まごうことなき──。
「崩衝──!」
僕の戦いを彩った、その閃光。
数え切れぬほど繰り返し目にした、その術。
その名は、僕の声と大和の声の境目が曖昧に溶け合った瞬間の共鳴だった。
崩力と崩力の衝突。
破裂するように拡散する光が並木路を照らす。
胸に当てられた大和の崩衝と、僕の崩極が綻び、宙に溶けてゆく。
世界から弾き出されるように、刹那の浮遊に包まれる。
それでも大和は、抗いながら拳を進めた。
決定的なその一撃は、僕の胸を押したまま直線から曲がって地面を向く。
対照的に肺から叩き出された空気が天に向かった。
吸われてゆく。
地面に全身の崩力が吸われてゆく。
まるで地球に崩極を撃ち込んだように、全身の力が抜き取られた。
眼前には、大和の拳だけが見えた。
「──僕の負け……か」
それは口からするりと滑り出た僕の言葉。
ふと大和の顔から緊張が抜けてゆく。
宙に静止した大和の拳に。
僕は力を振り絞って拳を合わせる。
もう開力が残っていない、崩術が使えない。
無門も切れてしまった。
つまり、これはもう、戦えない。
抗いようもない、敗北なのであった。
「王雅ァ……」
「いい、いいんだよ……拳で語り合ったんだ、言葉いらない……でしょ?」
「そうだなァ……その通りだ。俺ァいい相棒を持ったぜ」
その瞳の奥底には、ふんわりとした優しさが滲んでいた。
それを隠すようにいつもの表情に戻り僕から視線を外した。
「おい預言者、聖女はどっちに賭けたンだァ!」
「……キミの予想通りだと思うよ」
「じゃあ、王雅の勝利に賭けたンだな!?」
「そうさ……賭けはボクらの負けだね」
やっぱり、そうなのか。
僕は悔しかった。
それでも、大和の願いがようやく果たされる。
大江戸武蔵を見つけるくらいのことは、わけないだろう。
全時空間でもっとも強いとされる雷神教神託者なのだから。
悔しいのに、聖女に僕が勝つ姿を見せられなくて決まりが悪いのに。
僕の口角は自然と上がって、一筋だけの涙が流れていた。
そんな僕の顔を覗き込むように聖女が青空を覆い隠した。
まだ夜には早いというのに、夜空のような景色が奥に見える。
基盤模様のようでいて、銀河を思わせる星々のようでもある光の翼をはためかせていた。
「オウガ様、お手を」
聖女に促されたまま、僕は手を出す。
彼女は僕の存在を確かめるように、指を絡めた。
手と手から、天力が注がれていく。
肉体の時間が巻き戻ってゆく感覚。
それ以外に形容しようもない感覚の中、僕はふと一つだけを感じ取れた。
愛が流れ込んでくる。
痛みが引いていく中、なんだかそう感じて仕方がないのだ。
「とても素晴らしい戦いでした、その……惚れ直してくださいと仰っておりましたが、その通りとなりました」
倒れ込んだまま、指を結んだ聖女を見つめる。
「……ありがとう。じゃあ、もう一個だけ賭けをしない?」
「なんでしょう?」
「聖女が自立的で判断できる大人になった時に……いや、つまり後悔しないと言えるようになったらだけど……」
こんな時にまごついてしまった。
でも、とても大事なことだ。
好きな人だからこそ、後に後悔してほしくない。
今が受け入れるしか選択肢がないのならば、言い切ってはいけないこともある。
「わたくしは子供ではございません。嫌なものは嫌と言えます、未来のことも判断できます」
そうか……そうだよな。
感情得て、感情を知って、今までなにも経験してこなかったんじゃない。
成長する土台はあったけど、蓋されてただけだものな。
経験値と感情を結び直せば、無駄だったことなんてない。
それでも彼女は神託者の道を行くんだ。
辞めるつもりがあるなら、今その仮面を外しているだろう。
もう自身で決める正しさ、目的を彼女は知っていて、判断できるんだ。
こんな時にも滑稽な選択をするなんて、いかにもまだまだ子供な僕らしい。
一足先に大人になられてしまった。
「ごめん、そうだね……ちゃんと言うよ」
会紡機によって出会い、紡がれて。
賭けという名の約束で、まだ繋がっていよう。
そんな気持ちを込めて。
「神世界に必ず行くから……だから、次会えた時は……」
聖女と絡まる指はより強く結びつく。
「──結婚しよう」
理由はない、邂逅した時でもいいが今この瞬間にこの想いを伝えたかった。
「もちろんです……それではわたくしたちは婚約者で恋人ということですね」
「うん、うん……受け入れてくれて、ありがとう。今までずっと……何度も、今も……受け入れてくれてありがとう」
聖女は片手で身に纏う神誓衣の襟元に手を入れ、なにかを取り出した。
僕の胸の上に、それを置いた。
「聖女に受け継がれる星霜の首飾りです……オウガ様のお気持ちに応えた、約束の証として受け取ってくださいますか?」
婚約指輪の代わり、ということだろう。
「わかった……これを持って、また絶対に会いにいくから」
すでに彼女の手は僕の手を滑り落ちていた。
だが、胸に絡む首飾りの存在だけが、僕らの最後の赤い糸として残る。
僕はその繋がりを手放さぬよう、覚悟を決めて立ち上がった。
「オウガ様、お待ちしております」
「君の未来の夫に期待しててね」
「ふふ、信じております」
僕が答えると、彼女は笑った。
聖女の笑い声を初めて聞いた。
聖女のその声も、これまでの全ても。
戦いも日常も、なにもかもを抱きしめるように僕は噛み締める。
「じゃあ王雅の家で祝いすっから、ぜってぇ兄貴連れてこいよ!」
「ああ、任せてよ」
預言者へそう言い残して、大和がこちらに歩みを寄せた。
隣に辿り着いた彼は、柔らかな笑みを浮かべて頷く。
僕も首飾りに頭を通して、頷き返した。
空とリートさんも呼ぼうかな、ちゃんと終わったと報告もしたい。
自然と、僕たちは二人に背を向けて歩き始めた。
またね、と込めて振り向いて、手を振る。
すると、二人して小さく手を振り返してきた。
視線を戻せば、家にいるはずの七愛と菫、そして影貉が出口で立っていた。
僕は彼女たちにも手を振って、走った。
「次は大和がフライトサージャンになって宇宙を身近に降ろすのが先か、僕が神世界に行くのか、どっちが先かで勝負しようよ」
「あァ、それも面白そうだなァ」
「うん! そうでしょ!」
二人で七愛と菫へ向かって、日常に帰るように走り続ける。
その途中で、ふと空を仰いだ。
頭上には架空の青空が貼り付いていた。
未だに本物の空には見えない。
それでも、その向こう側を大和が引っ張ってくれて、僕も向かってゆく。
その果てには、神世界があるのかもしれない。
いつか、そこに手が届くという確信に僕は呟く。
一つに混ざり合っているようで、はっきりと分かれているような僕たちなんだ。
だから寝ぼけ眼、一緒にいこう。
君は君で、僕は僕で。
続く道を──僕たちで。




