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第五十七節 長内王雅

 非常に明瞭。

 単純明快。

 混沌の帳が捲られ、今なすべきことが水晶のように透徹して見えた。


 僕は「んー!」と喉を唸らせ背伸びをしてみた。

 背骨がふと浮遊感を覚えたように重力から解放される。

 気持ちがいいのだ、とってもとってもだ。


 それでも脳内物質やホルモンがこの肉体は鬱という病巣を抱えていると告げる。

 僕は負けじと、明るいふりでも足掻いてみせた。


「にしても、大江戸大和。あそこで殴り掛かったりしなかったのは素晴らしいことだよ!」


 一人残った大江戸大和を褒めてみるが、彼は打ちのめされたように腕を組んで体を丸める。


「長内王雅が戻ってきたら君も笑顔になるよね?」

「あァ、そこは間違いねぇ。兄貴のことは気がかりでしょうがねぇが……今はとにかく王雅の安否だ」

「どーんと任せておきなさい、まさに大船に乗ったつもりでね。そう、豪華客船だ!」


 だから君も帰りなさい、君の家族が心配してしまうだろう?

 と、僕は続ける。


「テメェは信用ならねぇ、王雅がどれだけテメェに怯えていたと思ってやがるッ!」


 だが彼は感情的に吠えてしまうのであった。

 これは愛ゆえの激情だ、なので僕は嬉しくなった。


「うーん。君の役目は長内王雅の記憶回収で終わっているんだけどなぁ? 僕を見張っていたら安心なの?」

「そういう話じゃねぇ、王雅の体で好き勝手させねぇつってんだ」

「長内王雅が戻る邪魔をするのは君も本意ではないでしょ? ね?」


 近くにいるのはまだいいが、あれは駄目だこれは駄目だと言われると支障を来してしまう。

 やることは決まっていて、そう難しいことでもないのだから。


「一日でいい、僕を自由にさせておくれ。付きまとってもいいけど口出しは御免被る」

「……わァったよ。夜にまた来る」


 そう言って、彼は落ち込んだ顔を浮かべて玄関から出ていった。

 僕はその背を見届けて、感謝の言葉を口に出した。


 やるべきは長内王雅の記憶における感情の回収と、僕自身の記憶の回収だ。


 僕はよし、と頷く。

 まずは愛屋敷七愛だ。


 僕は長内王雅の自室の扉を開く。

 夕日も落ちかけたころ、遮光カーテンが昼の名残を押し留めるように、部屋は仄暗かった

 そんな一室の端、柔らかなそうなベッドで眠る彼女の横へ立つ。


「おはよう! おはよう!」


 長内王雅以外には触られたくないであろう彼女を声だけで起こしてみることにした。

 何度も何度も、笑えるほどに僕は挨拶を投げかける。


 ようやく彼女はゆっくりと瞼を見開いた。

 僕の意識が覚醒した様を辿るようである。


「……王くん」


 ベッドの中でぽつりと彼女は漏らした。

 すると突然、彼女の目元が煌めいた。

 思い出すように涙を流し始める。


「王くん、王くんじゃない……王くん、返してよっ……」

「ああ、わかってるよ。だから頼みがあるんだ、長内王雅を取り戻すための」

「……王くん、返してくれるの?」

「もちろんだ! 僕とて、長内王雅を取り戻したい一味だ。僕たちは仲間なんだよ!」


 僕は両手を広げて、くるくると回ってみた。


「嘘だったら崩術で僕を崩壊させればいい。崩術ならそういうことも出来るからね!」


 一回転、巡るたびに見える彼女の表情は奇異と希望に揺らぐ。


 みんなが長内王雅()を待っているよ。

 大丈夫、君はまだ消えちゃいないよ。


 ぴたっと音を立てるように僕は止まる。


「だから、愛屋敷(おやしき)(すみれ)に会わせてほしいんだ」

「──え?」


 長内王雅の記憶に登場した妖怪。

 幻世界の不完全な存在構造である幻生。

 愛屋敷菫が、僕の記憶の鍵を握っている。


「な、なんで菫ちゃんなの……? やっぱり、菫ちゃんなの?」

「うん? どういう意味?」

「王くんと菫ちゃん、相性いいの……絶対にいいの。王くんは裏表のない子が好きなの」


 罪の告白でもするかのように彼女は言う。


「でも菫ちゃんじゃあなたをどうすることも出来ないと思ってたから……私、好きになっちゃ駄目って言っちゃった……」


 長内王雅の好みの話だろうか?

 たしか、雷神教第十神託者・聖女も表裏はなさそうな記憶だ。

 当たってはいるものの、単純な話ではないのだが……恋というのはそうしたことを気にさせるのかな?


「そうじゃないんだ、僕の記憶回収に必要なんだよ。長内王雅を呼び戻すために、僕も自分がなんたるかを知らなければならないんだ」


 あるいは雷神教第一神託者・預言者でもよかったのだが……僕は非常に会いたい気持ちとなにか致命的に会ってはならぬ危機感がせめぎ合った。

 ならば愛屋敷菫のほうが安全だろうと判断したのだ。


「わかった……王くんのこと探してもらってる途中だったから、呼び戻してみる」


 彼女は自身の胸に手を当て、瞼を下ろした。

 愛屋敷七愛は愛屋敷菫と魂の契約をしているのだから、こうして呼び出せると僕も踏んでいた。


 遮光カーテンの隙間がパッと光が漏れた。

 遅れて空が悲鳴を上げて割れるような轟音が鳴り響く。


 長内王雅の記憶通りの彼女が、降り立った。


「おおっ! 王雅殿戻っておったか!」

「やあ、愛屋敷菫。ちょっとご尊顔を拝見してもいいかな?」

「はぁ? なんでじゃ?」


 僕は愛屋敷七愛に視線を送る。


「お願い、菫ちゃん……お願いっ」

「母上がそこまで頼むのであれば致し方なしじゃな……あとでしっかりと説明するのじゃぞ!」


 いい流れだ。

 僕は跪いて、愛屋敷菫の顎を引く。


 嗚呼、名の通りだ。

 夕暮れにだけ咲く花弁の色のような、神秘的な菫色の瞳だ。

 どこまでもどこまでも──僕の記憶を引き出す顔だよ。


 ────……………。


 降り積もった雪の結晶が一つの存在へと嵌ってゆくようだ。


 預言者と愛屋敷菫に、なぜ眠っていた僕がここまで反応したか。

 なぜ預言者に会いたいけれど、危険なのか。

 なぜ僕が長内王雅に瓜二つの彼に用があるのか、なにをするべきなのか。


 僕の名前も、使命も、存在も、思い出も、全て全て帰ってくる。

 ああ、ああ、そうだった、そうだったのだ。


「ありがとう、愛屋敷菫」

「もうよいのか?」


 僕は続けざまに口を開く。


「君は幻生だ。幻生は神に似た存在構造でありながら未完成で不完全だ。だから君は愛屋敷七愛と魂の契約を結ぶことで、魂と精神と肉体が独立して繋がってゆく──しばらくしたら、その過程のせいで力が上手く使えなくなってしまうから気を付けてね」

「なんじゃ藪から棒に? 悟りでも開いたのかえ?」


 僕はその言葉に腹の底から笑いながら、立ち上がる。


「長内王雅は必ず取り戻すよ、僕がなんたるかを思い出すことで確信がまた一つ強くなった。任せてよ!」

「ほ……ほんとう?」

「応ともさ! 王くんだけにね!」


 次は、会紡機を使おう。

 最終戦の開幕を意味する互い視(ビジョン)を発動をさせる。


 互い視(ビジョン)の発動条件は二通りある。

 期限一杯になるか、万全に戦える時だ。


 僕は、やるぞ~、やる気だぞ~、と強く感情を高ぶらせる。

 いつでも来い、戦えるぞ~、今すぐ戦えるぞ~。

 だって長内王雅より僕のほうが強いのだから、今発動させなきゃ駄目だぞ~、と会紡機に思念を送ってみる。


「来た」


 押し潰れるように視界が揺れた。


 そうさ呪神、それでいいんだ。

 会紡機の目的は呪神自身の復活だろ?

 君は復活しても自身を守ってもらうために、自身と出会うことを望む強者を欲したのだろ?

 呪神の崇拝者である呪術師は道半ばで敗れ去ったけれど、会紡機自身の機能は未だ生きている。


 視界が鳥のように羽ばたく。

 宙を突き進み、人々を、街中を駆け巡ってホテルに辿り着く。


 そこには、神誓門を身に纏った──雷神教第十神託者・聖女がいた。

 聖女は視界の外にいる誰かに声をかけるように横を向いて、一つ頷く。

 預言者が傍らにいるのだろう。


 そうして、こちらに手を向け、ピースサインを送ってきた。

 僕は身振り手振りで、一人でこっちに来い、とサインを送る。


 音声機能も実装していればよかったのに。

 まったく呪神は。


 しかし、僕の意図は伝わったようで聖女はこくりと頷いた。

 僕の中に押し戻されてゆく景色に、僕は現実を帯びてゆく。


「いい? 神託者がなにをしても、一言も喋ってはいけないよ」


 程なくして、神誓門が開かれた。

 聖女一人が、四人も集まれば狭い自室に足を踏み入れた。


「こんにちは、聖女」

「……オウガ様?」


 うーん、神誓衣はこうして肉眼で捉えてもやはり黒い。

 悪趣味だ、どうして雷神はこんな衣装にしたのだろうか。

 どうせなら黄色とか、赤とか! そういう情熱的な色にすればよかったのに。

 まったく雷神は。


 そもそも雷神と呪神は仲良くしていればよかったのだ。

 まったくまったく、困った神たちだ。


「……オウガ様ではありませんね」


 みな一言で、僕がそうではないと見破るのであった。


「そう、僕は長内王雅じゃない。君にこうして来てもらったのは、長内王雅を呼び戻すためさ──君は、長内王雅が恋する相手だからね」


 僕には到底理解のできない恋。

 つまり、長内王雅の心を知るにはうってつけだ。


 彼は欲望こそが自身そのものであると思っていたが、それも間違いではない。

 しかしながら、聖女への恋こそが彼の唯一無二のものなのだ。


「……そうですか、あなた様なのですね。わたくしが最初にオウガ様のことが気に掛かったのは、あなた様を感じていたのですね」

「嗚呼、そうだろうね」


 恐らく、長内王雅の記憶上は。

 まったく情報なしで、僕に辿り着いたのは愛屋敷七愛とこの子くらいだろう。


「ですが──わたくしはオウガ様が良いのです」


 そう言って、彼女は手を掲げた。

 背中には銀河を思わせる光の翼を光現させ、その掌からは天術が行使され始める。


「あなた様はオウガ様へと、戻っていただきます」


 こう来ると思っていた。

 神世界の天人種天翼族、その中でもやはり、彼女は聖女なのだ。

 殊更、人という括りで言えば。


 聖女こそ──もっとも神に近き人なのだ。


 天人種は原初の世界の神世界で、一番最初に生まれた人。

 その中でも、物質的な翼を持たぬものこそ聖女となる。


 生まれながらに極めて強力な天術……いや、開術の上限を越えし禁術を扱える聖女だ。

 きっと僕を存在ごと時間逆行(巻き戻し)て、僕が覚醒する前へと戻そうとする。

 という、僕の予想通りであった。


 でもそれって意味がないんだよ。

 そうしたら僕がまた覚醒して、長内王雅が閉じこもってしまう。

 根本的な解決にならないんだ。


 僕自身の記憶を思い出さなければ、対抗できたどうかわからない。

 順番も正解だった、僕はとても上手く出来た。


 だから僕も、手を掲げる。

 天術に拮抗するように、崩術を衝突させた。


 音もなく、二つの光が切り結んで破裂する。


「……初めて天術を阻まれました」

「そんな話は置いといてさ、君は長内王雅が好き? もちろん恋愛感情として」


 その言葉を、長内王雅に聞かせてあげてよ。

 君の一挙一動に、今彼は注目しているよ。

 泣きながらも、苦しみながらも、それでもだ。


「……あなた様の存在で胸に嫌な気持ちが渦巻いて、オウガ様を想えば鼓動が高まるのを恋と呼ぶのであれば──」


 聖女は手を下げ、伺い知れぬ仮面の底で言った。


「わたくしはオウガ様が好きです」


 僕も、思わずじーんと来てしまう。


「始まりはあなた様の存在だとしても、今はオウガ様が好きです。お願いします、オウガ様を呼び戻してください」

「ありがとう! それでいい! それじゃあ長内王雅を好き同士で、語り合っていてよ!」


 僕は聖女と愛屋敷七愛にそう言い残して目を閉じた。


 今こそ会いにいってあげるよ、長内王雅。


 ──僕は落ちる。

 底の底へ。

 魂の奥深く、その場所へ──。


 僕は情景を用意した。

 ただの自室でも関係のない場所でも情緒がないから、長内礼司と長内王雅が修行に使っていた和室を思い描く。


 降り立った時、一人の男が蹲っていた。


「こんにちは、長内王雅」

「…………」


 君の記憶も感情も、しっかりと僕は受け取った。

 今この瞬間、彼を世界に戻せるのは僕だけだろう。

 いくら聖女といえど、彼の絶望はこの身で味わわなければ寄り添えない。


「おーい、こんにちは?」

「…………」


 長内王雅は泣いていた。

 きっと今、様々な感情が渦巻いているのだろう。


 大江戸大和への友情と申し訳なさ。

 愛屋敷七愛への家族愛と心配。

 聖女への恋心と叶った嬉しさ。

 コーニングスへの悲しみと後悔。


「君は、すること成すこと裏目に出ていたと思ってるでしょ?」

「……っ」


 彼はふと、顔を上げた。

 すると体が突然縮んで、子供のような姿かたちとなっていた。

 僕の姿に思い当たることがあるように驚くも、すぐに涙で埋もれてしまった。


「そんなことないよ。君は必死に全力に、やれるだけをやったよ」


 それでも滂沱の涙に暮れる瞳は神経が尖っていて。

 なにも言うまいと切り結んだ口は今にも助けを求めそうで。

 左流れの茶髪に近い黒髪を掻き毟って乱して。

 置き去りにされた子供のようであった。


 そうだ。


 長内王雅はまだ、子供なんだ。


「一番大きなことで言うなら、口裂け女を倒したこと。切った張ったは嫌いだけれど、喰獣(イーター)というのは必要なものしか取り込めないからね。君の父親──長内(おさない)礼司(れいじ)の魂は口裂け女の中に閉じ込められていたんだ」


 彼は大人になれなかった。

 どうせ自分のことを真に理解してくれる人はいないと、周囲を突き放した。

 人間というのは、立場や扱われ方で大人になってゆく。

 彼はその機会を自ら切り捨てたのだ。


「だけれど、君が倒したことで長内礼司の魂は解き放たれ、ちゃんと旅立ったよ。魂の帰る、正しき場所へと」


 それでも、少しばかり頭が回るせいでそれを隠してしまう。

 だから益々機会は遠のく。


 ゆえに感情的なだけの言葉を投げかけても受け取ってくれない。

 ゆえに論理的なだけの言葉を投げかけても受け取ってくれない。


「アニタ・コーニングスのことはそれでも辛いよね。その話とは関係ないものね」


 理屈だけでも、感情だけでも届かない。二つが噛み合って初めて彼に触れられる。


「生命はね、死ぬと魂世界という世界に行くんだ。そこで精神と切り離され、記憶も傷も浄化され、次の世界へと旅立つんだ。でも、それは個体の死であることは変わらない」


 僕は一歩ずつ言葉と共に彼に寄り添う。


「だから、アニタ・コーニングスのことを悲しむなとは言わない、目一杯悲しんでいいんだ。でも、君が自分を責めればまだ洗い流されている途中の、記憶も自我もある彼女は悲しんでしまうよ」


 僕は彼を抱きしめた。

 抱きしめた瞬間、彼の震えが腕の奥まで伝わってきた。

 その震えを受けとめるように、力いっぱい抱きしめた。

 この気持ちが届いてくれることを祈って。


「でも、僕は、コーニングスさんをあの瞬間まで信じないで、傷つけたんです……」


 長内王雅は僕の胸の中で、咽び泣くまま自らを突き刺す。 

 自己嫌悪はしなくていい、罪悪感を覚えなくてもいい。


「そうだね、アニタ・コーニングスはきっと傷ついちゃってたよね。もっと時間があれば、分かり合えたと思うけど……現実は残酷だよね」

「……僕は、許されないんです。罪しかないんです、生きているのが辛いんです」

「そう思っても無理はない、けど信用する条件はどうしても足りなかったのも、死んでしまった原因も君にはない。それはわかっているだろ? その人にならなければその人の全てなどわからないんだ」

「…………」


 これは無駄か。

 表層の言葉で君は悪くないと言っても、通じないよね。


「問題はアニタ・コーニングスが死んだから、現実が非情だからの前に──君自身が自分を愛していないことだよ」


 自己嫌悪、罪悪感、自罰性。

 その根本的な原因はいくつかある。

 その中でも一番比率が大きいのは──長内王雅は自分が嫌いだから。


 自信もまるでない。

 自分を愛していない。


 だから追い込まれれば自身に刃を向け始める。

 ほかの人に愛されても、自分にその価値はないと思い込む。

 信じられない。


 そんな状態でなにを成して喜べるというのだろうか。

 赫々たる行いも、身分不相応だと切り捨てるばかりだ。

 そして全ての悲劇は自分の責任だと感じてしまう。


 僕にはちゃんと理由があるが、彼はそうではない。

 現実が苦悩に溢れている一端は、長内王雅自身にもある。


「僕は、だって……きっと正体は喰獣(イーター)で寝ぼけ眼……あなたを食べた存在とか、幻生とか、そんなもんなんでしょう? 僕は偽物なんでしょう……? 自分を好きになれるわけないです……」


 本当の正体はなにか、そんなものを知ったってなにも解決しない。

 そこじゃないんだ、君という存在は。

 喰獣(イーター)だとしても、幻生だとしても、君は──。


「違う、君は長内王雅だよ」

「……そういうことを聞いているんじゃなくて」

「わかってるって、僕は君なんだから、君は僕なんだから。言いたいことはわかってる、でもそうじゃないんだ。長内礼司にも言われていたでしょ? 人間じゃなくても愛してるって。種族としてどうこうではなく、小悪党というラベルでもなく、長内王雅としては本物に違いないんだよ」


 僕たちは同じ魂と同じ肉体だ。

 精神が違うだけの、同じ存在だ。


「僕は、あなたが怖いんです」

「僕は、君を愛しているよ」

「僕は、あなたに潰されてしまいそうなんです」

「僕は、その度に君を呼び戻してあげるよ」


 だって僕は自分が好きだもの。

 人々が苦悩するのは全部自分のせいでも、それでも自分が好きだから。

 だから君の代わりに、僕が肯定してあげるんだ。


「それでも……もう、生きてゆく気力がないんです」

「ああ、そうだろうね……その通りだと思う」


 僕はあまり人の感情がわからない。

 長内王雅は人として育った。

 だから、的確な言葉は掛けてあげられない。

 つまり必要なのは、根気だ。


「君はもっと、気楽に生きたらどうかな? ほら、会紡機戦が始まる前なんて美少女が~、どスケベご奉仕メイドが~、とか言ってたじゃないか」

「……だって、そんなこと言ってられないほど苦しいんですもん……」


 ああ、彼に恋する人たちの気持ちがわかった気がする。

 母性本能を擽るのだ、彼は。

 まったくまったく、彼の言う罪というのはそういう罪でもあるまいに。


「苦しさは消えない、逃げることしかできない。僕が言いたいのは、アニタ・コーニングスにも甘えてみればよかったんだよってこと。信用できないとか、篭絡されそうとか考えずにさ……苦しいなら逃げればよかったんだ」

「でも……」

「甘えていいよって言われたんなら甘えたっていいんだよ。それが気楽に生きることなのだよ。って言ったら君はそれが正しいんだ! って突っ走って、挙句失敗すると自爆するんだけどさ」

「……そうなんですよね、僕はそういう奴ですよね」


 これは失敗かな。

 どうしたものかなぁ?


「方法論とか考えるから駄目なのかなぁ?」

「……わからないんです、それが」

「気楽に生きられないものかなぁ? 僕はお気楽なのにね」


 そう言うと、彼はくすっと胸の中で笑う。

 しかしながら、未だ自嘲気味な笑いである。


「そうですね、僕と同じ存在とは思えません……寝ぼけ眼さん、あなたは一体なんなんですか?」

「だから、君だってば」

「なにか目的とかあるのでしょう……? 僕を消して、目的を果たさなくていいんですか?」

「今は出来ないし、するとしても君を消したりしないよ。ていうか、そうやって他人を気遣ってばっかりだからさ君は! 他人ていうかある種では僕だけど、素敵なことでもあるんだけど……」


 なんですかそれは、と彼は言う。

 苦しむ理由にしちゃいけないよ、と僕は返す。


「僕だけは君を丸ごと全部理解してあげられる、そして僕は君を愛してる。それだけは覚えておけるかな?」


 長内王雅には母親が必要だった。

 彼は長内礼司に引き取られ、それは幸福であったことだろう。

 しかし、それでも母親の愛が必要だったんだ。

 無償の愛というものが。


「それって、なんの解決になるんですか? 寝ぼけ眼さんの言葉を信じるなら、自分が自分を愛してるって気持ち悪いですし」

「解決とか言い出すからさぁ、人間は苦しいんだよ! まったくまったく!」


 気持ち悪いから受け入れられない、とは彼は言っていない。

 受け入れがたいと言っているのだ。


「でも、解決しないと現実的に僕は苦しいままですよ……帰りたくないんです、現実に」


 僕は、うー! と奇声を上げてみせた。

 しぶといな、それほどに捻じれてしまったのだ彼は。

 こうならざるを得ない環境や性格だったのだ。


 大江戸大和や愛屋敷七愛や聖女。

 長内王雅を取り巻く人たちを引き合いに出してもいいが、それもまた解決にはならないだろう。

 誰かのために、だけ(、、)じゃ脆いんだ。他人を引き合いに出すのは駄目だ。


「うーんうーん……」

「寝ぼけ眼さんって、他人のために必死になれる人なんですね……いや自分自身でもありますけど」

「君と同じさ。そこは似ているだろ? そうやって僕を肯定するなら、君自身のことも肯定できないものかな?」


 僕は小さな長内王雅の背に手を回したままそう言うと、彼も抱きしめ返してきた。


「……こういうことですか?」

「いや違うよ? それもまた僕の肯定でしょ?」

「ふんふん……」


 それから、どれだけの言葉を交わしただろう。

 様々な提案をして、いつしか泣き止んだ彼とこれでもかと語り合って、それでも解決の兆しは見えなかった。


「僕は本当に、本当に君を愛しているんだ。僕は全人類を愛しているけど、僕ほど平等な存在はいないと思うけれど、特別に長内王雅を愛しているんだ」

「これほど気持ち悪い告白はないものですね、最悪な気分です」

「僕だってその返答は最悪の気分だよ、君って酷い奴でもあるもんね」


 そろそろ、言ってみようか。


「長内礼司の口調を真似していること、呪術師に指摘されていたよね」

「……その話ですか」

「あれは僕もやめたほうがいいと思うよ、だって君は長内王雅なんだよ? この僕のお墨付きだ」

「でも、敬語をやめたら寝ぼけ眼さんの口調とほぼ一緒になりますけど」


 それが嫌だというのはわかるけれども。

 彼は愛されたいと心の奥底で思っている。

 癒したいのもあるだろう、疲れてしまっているのだろう、赦されたいのだろう。

 それよりも、だ。


 愛を知らずに大人になると、愛を手に入れられないとも思っている。

 だから子供のままでいたいとも思っている。


 愛とはすなわち、最上位に相手を想う心。

 不変であり永遠のもの。


 それが得られていないから、自分を傷つけてもいいと思えてしまうのだ。

 愛がどんな形をしているかのすら彼は知らない。

 だからこそ、僕が彼を丸ごと愛していると言い続ける。


「いいじゃないか、一緒でさ。今は愛せなくても、君自身のことを受け入れなよ。大人になれない子供のままで、自惚れきれない中途半端で、良い悪いの前に長内王雅であることをさ」

「一緒なのは嫌ですけど……でも、あなたが敵じゃないってのは、ようやくわかりました」


 僕が敵じゃないというのがわかったのなら、僕が長内王雅を愛していることもわかったよね。


「きっとこれからも、苦しいことが続いてしまうよ。こんな話くらいで君の問題はなに一つも解決できない……だけど、想いを信じるなら──自分自身の想いだって信じることが出来るはずだ」


 長内王雅は僕から離れると、肉体と同じ姿になっていた。

 互いに積み重ねた言葉で、ようやく彼は決心したのだ。

 ただ現実に戻ってみることを。


 解決なんて見えない世界の中で、他者しか与えられないものがあることを確認して。

 自分だけではどうにもならない物事があることを確認して。

 前向きにならずとも、ただ自分を守っていいんだと確認して。

 僕と共存可能であることを確認して。


 自分の限界はすでに知っていたようだから、理解できて当たり前なのだと僕は思う。


「僕はこの後、また眠るからね。次目覚める時は、もう僕を怖がらないでよ?」

「わかりました……わかったよ、寝ぼけ眼。これからも二心同体だね」

「うん、そうだ。僕と君は同じで違う。君がどれだけ間違っても、愛し続けるよ……しかし二心同体とは言い得て妙だね」


 長内王雅は、そうでしょ? と言った。

 それはまだ辛気臭さの抜けない、あどけない顔であった。


 それでいい、長内王雅は長内王雅になろうとなんてしなくていい。


「愛しているよ、長内王雅。いつしか君が、自分自身を愛せるようになることを祈ってる」


 君は最初からずっと、長内王雅なのだから。

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