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第五十一話 これは恋だ

 欄干(らんかん)である橋の手すりにぶつかるように身を寄せる僕から見た景色。

 雪堆積場に指定されているであろう、びっしりと雪が埋め尽くす河川敷。

 だだっ広いそこに、夜の帳に溶け行く黒い影が二つ揺らめいていた。


 呪術師とテンスさんがそこにはいた。


 目を凝らせば、呪術師は薄気味悪かった鎧の各所が砕け散っていた。

 方や真っ黒なローブ状の神誓衣に身を包んだテンスさんは、傷一つないように見える。


 今すぐ飛び込みたい。

 しかしテンスさんが僕に驚いて、攻勢が傾く可能性もある。

 その気持ちを肯定するように、右手を誰かが掴んだ。


「なんだ、君だけか。大和くんも来たらよかったのに」


 その正体は気の抜けた表情を浮かべる預言者さんであった。

 彼女が開いた神誓門なのだから、ここにいて当たり前だが……焦りすぎて見落としていた。

 しかし、今は口を利く気にはなれない。


 だって、すぐそこでテンスさんが戦っているんだ。


「ちょっと、無視しないでよ」

「……」


 満身創痍な呪術師が巨大なハサミを両手で構え、テンスさんに振り下ろす。

 彼は身軽に翻って、それを避けた。


「おーい、王雅くん。ちょっと、聞いてる?」

「なんです! テンスさんが戦ってるっていうのに!」


 僕はいきなり、ざらざらと沸騰した血が頭に上って声を荒げてしまう。

 すると預言者さんは薄く笑いながら、指を口元に立てた。


「なんで大和くんを置いてきたんだい?」

「なんでって……衝動的に僕が来てしまったのでわからないですよ」

「拍子抜けさせないでよ──次は最終戦なんだよ? あの子と君たち、のさ」


 僕はテンスさんの戦いに視線を向けたまま見守り、その言葉だけを受け取った。

 一粒の汗が、つらりと顔を伝って乾いた冷気が響く。


「ちゃんと二人で偵察しなきゃ駄目じゃないか」


 最終戦?

 会紡機戦の、決勝戦ってことか?

 もうそこまで来ていたのか? というか、やっぱりテンスさんの勝利を確信しているのか?

 それほどの根拠があるのか?

 今までどこにいたのか、なぜあの場に呪術師がいるのかわかったのか、僕たちが居合わせていることをなぜ知っていたのか。


「そもそも七……味方に介入されたので、失格になったかもしれませんが?」

「それはないね、君はまだ会紡機戦の参加者だ」


 なぜそう言える。

 そもそも、さっきの話はなんだったんだ。

 呪神教を邪神教と呼ぶのは宗教的な対立があるからなのか?

 なぜ一方的に菫さんを知っている様子だったのか?

 僕が一番嫌いな人の顔と酷似しているというのはなんなのか?


 疑問が溢れる。疑問しかない、なにもわからない。

 まるで部外者だ。


 その疑問を覆い消すように、テンスさんの手に握られていた神誓剣から一筋の光が伸びた。

 振り上げられたそれは天まで真っ直ぐに伸びた。

 遅れて、鼓膜が蒸発しそうなほどの高音が全身を突き刺す。


 遥か向こう側に見える橋が──真っ二つに割れた。

 逆八の字となって、崩れ去ってゆく。


 その剣閃を、あろうことか呪術師はハサミで受け止めていた。


 恐らく、僕が口裂け女にやろうとした崩進(ほうしん)を使った空間断裂だろうと直感的にわかる。

 それの成功例であり、完成系だろうと思えた。

 空間を切り裂いて、別の空間を繋げる神誓門……それを、剣閃として空間を斬ったのだ。


「まったく、手加減しちゃって。キミと引き離してからずっとあんな調子だよ」


 そう、つまり。

 答えを提示したのは預言者さんではなかった。


 テンスさんであった。


 腑に落ちるように。

 地に足がついたように。

 現実が初めて見えたように。

 光景がたった一発で答えを示した。


 なぜ僕の身の周りに起きる問題は、劇的な出来事もなく終わるのか。

 綺麗さっぱりと解決することが中々ないのか。

 疑問は疑問のまま終わってゆくのか。

 僕たちは社会や戦いというただ暗い海の中を藻掻き続けるだけなのか。


 人生なんて、こんなものだと突き付けてくるのか。


 全部、テンスさんの剣撃で理解(わか)ってしまった。


 会紡機は元々、呪神教のもの。そう呪術師は言っていた。

それによって引き起こされる会紡機戦は、常に雷神教神託者が制してきた。そう預言者さんは言っていた。


 つまる所、会紡機戦の主役は僕と大和さんではない。


 これは、今までの戦いは全て──雷神教と呪神教の宗教戦争なのだ。


 だから、脇役で蚊帳の外な僕たちは劇的な力の覚醒などもなく。

 よくわからない話の檻に閉ざされ。

 翻弄に手を引かれ、流れ続けるだけなのだ。

 おまけだから、当たり前だ。


 人生の奇妙な一幕に過ぎないんだ。

 僕にとっては人生の延長で、彼らにとっては叙事詩の一部なのだ。


「まさかあの程度で怖気づいちゃいないよね?」

「……なにを馬鹿なことを言っているんです」


 怖気づいているさ。

 テンスさんの力は、僕が思うよりも遥か遠くにある。

 短剣一つで遠く離れた橋を切り裂くなんて、それを受け止めるなんて、もう現実のことではない。

 アニメでもない、CGでもない、でも現実でもない。


 勝てるわけがない。

 たかが契約妖怪が行方不明の鬼術師一人と、ゲノム強化剤を投与された高校生一人では。


 でも、それはそれでいい。

 しょうがない。


 それでもテンスさんは感情で判断ができなかった。

 僕といて、それを知れたようであった。

 繋がりが与えた影響の一つとして、僕の胸にその思い出は深く刻まれていた。


 人と人の繋がりは力だけではない。

 力であってもいい、この際なんでもいい。


 僕は繋がっていたい。

 会紡機戦も関係なく繋がっていたい。

 この気持ちに蓋をする理由にはならない。


「まったく、うちの神託者をポンコツにしてくれちゃってさ……出来る限り命を奪わないようにしたいとか言い出しちゃってお手上げだよ。責任取ってよ王雅くん」


 きっと、預言者さんは皮肉を言ったのだろう。

 でも僕は頷いた。


 呪術師の鎧に覆われた男は、気迫を跳ね上がらせて巨大なハサミの刃を開いた。

 断裁するように左右から迫る刃を、テンスさんは両手を伸ばして掴む。


「ほらこれだ──って、まったく!」


 僕は気づけば走っていた。

 そこに向けて走っていた。


 僕は今から、とても間違ったことを言うのだろうという予感があった。

 狂った戯言を吐くのだろうと思った。

 言葉は未だ定まっていないのに、どうにもそう思えて仕方がなかった。


「テンスさん! やっていいんです!」


 そう叫んでいた。

 僕の低い声が、喉を引き裂くようにそう叫んでいた。


 つまりは、呪術師を殺せと僕は言っていた。


 だって。

 と雪に足を取られた僕の頭に過ぎる。


 お父さんは人間に害を成した妖怪を仕事で殺した。

 七愛も同じように吸血鬼(ヴァンパイア)を仕事で殺した。

 空さんは世界を守るために勇者として人や喰獣を殺してきた。

 きっとテンスさんも、口振りからして人を殺してきた。


 あれは罪か? 罪か正義か、そんな二元論か?

 僕は法の執行者じゃない。

 裁判官でもない。

 僕が決めることじゃない、僕に決められるものはなにもない。

 感情が反射した結果、どうしたいと思うのか。

 それが積み重なって、どう生きたいか……僕程度では、そんなことしか決められない。


 ただ一人の長内王雅だ。

 そして相手も、ただ一人の人なのだ。


「テンスさん、正しさなんて縛られる価値はないんです!」


 僕が僕として、人は殺したくないこと。

 それもいいだろう。

 それでも僕はお父さん、七愛、空さん、彼ら家族として、友人として大好きだ。


 陳腐な言葉が浮かぶ。

 正義は恰好いい。平和は最高だ。秩序は安心する。

 思いやりが折り重なれば、幸福に満ち溢れた世界となるだろう。

 その情景に反吐なんて出ない、素晴らしいと手を叩きたくなる。


 だけど、それで目の前の人が苦しんでいたら。

 そのみんなの幸福や安全のために、犠牲になる人たちがいるのならば。

 それは不平等だ、折り合いをつけなければならない人と普通にそうしていられる人がいる。


 幸福な世界を作るにはそうした人間を排除しなければいけない、矯正しなければいけない。

 そこに立ち入れない人々はどこに向かえばいいのだろうか?

 社会も倫理も本来は人を幸福にするためにあるはずで、人を苦しめる道具になってはならない。


「誰かを殺したって、僕は!」


 はっきり言って、倫理がどうとか読み解こうとしていた僕は馬鹿だ。

 人は矮小だ、少なくとも僕は矮小だ。

 社会を構成する部品ですらない、そんな僕が社会のためになにをしてあげるというのだろう。

 必死に生きることしか出来やしないのに。


 好きな人が殺されたら、辛い。

 殺さなければいけない存在もいて、場面もある。

 加害は被害を発生させるのだ。加害を肯定すれば、好きな人が被害にあっても文句は言えない。

 平等なのはたったこれだけで、矮小な僕は都度それを選択するしかない。

 倫理に反することが絶対に駄目でも、じゃあ誰が解決してくれるんだ。

 加害の起こらない幸福な世界に誰がしてくれるんだ。

 誰が助けてくれるんだ。


 苦しい、この世界で生きることが苦しい。

 逃げ出したい、普通でありたい、自分は凄いんだって誇りたい。

 僕を認めてほしい、愛してほしい。


 お父さんになりたい、立派になりたい。

 長内王雅にもなりたい、ありのままでいたい。


 僕はいつの間にか、涙を流して鼻水も垂れて、グチャグチャになっていた。

 頭も心もグチャグチャだ。

 自分がなにを考えているのか、さっぱりわからない。

 気持ちばかりが溢れてしまって、ただただテンスさんに苦しんでほしくないだけで。


 誰も助けてくれないなら、僕が助けてあげたいというだけなんだ。


 もしかしたら、今まで殺してしまった人たちを悔いて悔いて、仮面の奥で泣いているんじゃないかと思って。


「それでも、一生、絶対……! あなたが──好きなんです!」


 矮小の僕に相応しい、恋心しかない言葉。

 たったこれを言うためだけに、僕はテンスさんとの再会を望んでいたのかと、自分でも思ってしまうほど安い言葉。

 僕のことだから、依存心から始まっていてもおかしくない恋だ。


 だけど、これだけが本心だった。


 全部を投げ捨ててでも、間違っていても、彼を肯定したい。

 傍にいるためには修羅の道に落ちてもいいとすら思える。

 ただそれだけしかなかった。


 男かも女かも、子供か老人か、そもそも人の風貌をしているのかすらもわからないテンスさんに向けた告白。

 それが星空の下を満たした。


 テンスさんの小さな背中はびくりと震えて、押し潰そうと迫るハサミの刃を──砕いた。


「き、貴様……かような話でこの戦いを汚すというのか……ッ!」


 呪術師の砕けたヘルメット、その目は僕を忌々しそうに刺している。


「長内、王雅ァ──!」


 呪術師の叫びが木霊する中、満天の星空が一つ煌めいた。


 星空から飛来した神聖を携え輝く槍が一振り、呪術師の肩から腰までを貫いた。

 刹那。爆風のように雪が舞い荒れる。


 成す術もなく、全身が千切れ飛ぶほどの衝撃が僕を吹き飛ばした。


 …………。

 ……意識が明暗する。

 全身がハンマーで打たれたように痛む。

 視界はなにも見えず、口には雪が混じっていた。


 体の動き方を忘れてしまったように、力が入らない。


「──様!」


 僕の心の柔らかな所に手を差し伸べるように。


「オウガ様!」


 雪に埋もれた僕の腕を握って引きずり上げてくれたのは紛れもなく、テンスさんであった。


 頭の天辺から膝元まで、傷一つ、ほつれ一つない。

 相変わらず、真っ黒で上質そうな生地には金色の模様が細かく入っている。


 その仮面は材質がなにかもわからない。

 しかしエックスの字だけが、ぼうっと浮かび上がっている。

 手にも黒い手袋。


 素肌を一切見せない、テンスさんその人で間違いない。

 よかった、本当によかった。

 怪我はないようだ、生きてる。ちゃんと。


 いつもいつでも降り注いでいた──思考の雨が止んだ。

 胸が竦むように、きゅうっと締まって脈打つ。


 これは恋だ、好きだ。

 そう心が教えてくれる。


「巻き込んでしまい申し訳ありません……オウガ様?」


 僕は、テンスさんを包み込むように抱きしめていた。

 相変わらず小さい、僕の胸の中に埋まってしまっている。


「あ、すみません、ごめんなさい」

「オウガ様……よいのです、このままで」


 彼も僕の背へ手を回し、強く抱きしめ返してきた。

 暖かい。

 体温ではない、体温で言うなら彼のローブは凄まじく冷たい。


「呪術師は、死んだんですか?」

「いえ、一か八かでしたが、即死してはいなかったので天術で致命傷は治しました」


 結局、殺さなかったのか。

 僕なんかに殺せと言われたからって殺さないよな、そうだよな。

 彼とて、彼の考えを持って今まで生きてきたんだ。

 少し複雑だが、それはそうなのだ。


「テンスさ……あ、いつまでもテンスさんじゃ駄目ですよね、僕が勝手につけた名前ですし……第一神託者の預言者さんみたいな感じで、第十神託者に続く通称があるんですよね?」

「気に入っておりますが、そうですね」


 見上げるように顔が持ち上がり、仮面越しに目が合う。

 目なんてこちらからは見えないが、きっと合っている。


「わたくしは、第十神託者──聖女です」


 聖女。

 それが彼、もとい彼女の通称なのか。

 まあ、異世界人なのだから聖女という通称でも男の人かもしれないが。

 些細な問題だ、僕は性別や容姿に関係なく好きになってしまったのだから。


 嘘だ、気になる。


「先ほどのお言葉ですが……所謂、懸想の意なのでしょうか?」

「け、けそう……?」


 けそうとはなんのことだろうか。

 いたって普通の無様な恋の告白だが。


「そうだよ、聖女。まさか王雅くんがこの子に恋してるとは思わなかったけどなぁ」


 いつの間にか横でほくそ笑む預言者さんがいた。


「そうですか……オウガ様はわたくしが好きなのですね」

「……そうです」

「恋というものなのですね?」

「……はい」


 なにを確かめているんだか、僕にはさっぱりわからない。


「預言者様、恋とはどういうものなのでしょう?」

「脳の錯覚さ、でも嘘とも言い切れない複雑なものだよ」

「わたくしはどうすればいいのでしょうか?」

「知らないよ、ボクはどうでもいいからね」


 二人は、絶妙によくわからない会話を始める。

 僕はなんだか気恥ずかしくなるばかりで、かといって割り込める内容でもなかった。

 告白した側なのだから、それについての説明やどうするべきかなんて口出しする立場ではない。


「にしても王雅くん、いいのかい? キミよりすご~く年上だよ? 修羅場も潜ってきてるしね」

「関係ないですよ、僕は聖女さんが女児でも男児でも老人であろうと、好きなんです。しょうがないじゃないですか、好きなんですから」


 七愛をあれだけ異常者扱いした口はどこにいったのか。

 恋愛脳だと煽ってみせた口はどこいったのか。

 自分でも疑問に思うくらい、僕は聖女さんが好きだ。

 どうしようもないんだ。

 老人だっていいさ、まだわからないけれど。


「オウガ様のお言葉は胸が暖かく、心地よいですね」


 聖女さんは聖女さんで、ズレたことを言っていた。

 そんな所も愛らしいと感じてしまう。


「ボクたち雷神教神託者は、全時空間においても最強であるという矜持がある。身分不相応だね」

「それは違います、預言者様。わたくしなど若輩者ですし、なによりオウガ様はわたくしの光となってくださいました」


 僕の胸の中で、聖女さんははっきりとした口調で断じた。


「そーかいそうかい、神託者とて恋愛禁止というわけでもない。それはそうと、呪術師に操られていた人はさっさと天術でなんとかしてあげないとね。別にボクは放置でもいいけど」

「それはいけません、すぐに行きましょう。オウガ様、ついてきてくださりますか?」

「も、もちろんです」


 神誓門が開く。

 三人で足を踏み入れると、大和さんが小難しい顔をして立ち尽くしていた。

 菫さんは遠くでかまくらを作って、いつの間にか合流したコーニングスさんは緊迫した面持ちでスマホを睨んでいた。


 聖女さんが天術を施している間、三人にこれでもかというくらい叱られた。


 説教が終わったころ、天術の行使が終わった。

 クラゲも鎧の人たちも傷一つない姿へ戻って眠っている。


「最終戦でまた会おうね、行くよ聖女」

「もう少々お話を」

「絆されて戦えなくなったらどうすんのさ! 前科があるから駄目!」

「預言者様、お願いしま──」


 そう言われ、聖女さんは引きずられ、雷の門……その奥へと消えてしまった。

 僕が止める間もなく、行ってしまった。

 僕も、もっと話がしたかったのに……。


 ああ……しかし、聖女さんと、戦わなきゃいけないのか?

 そうだった、そうだったのだ。

 うっかり失念していた、全時空間でも最強と豪語する雷神教神託者を相手にする。


 でも、確実にまた会える。


 そう思うと、ささやかな幸福感が宿るのであった。

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