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第四十四節 甘い毒

 最初の記憶は幼稚園。

 隣の家だから赤ん坊の時に出会っていたかもしれないが、覚えているのはそこだ。


 たしか……そう。

 七愛は男の子や女の子に混ざっておままごとをしていた。

 そこで泥団子を差し出され、食べたフリさえすればいいのに、食べられないと泣いていた。

 今思えばおたんちんな七愛が悪いとも言えるが、幼稚園児なんてそんなものだろう。


 しかし、そんな事情は後に知ることになる僕はキングマンとか名乗って、七愛を連れ出した。


 そこから始まった。

 毎日のように七愛と遊んで過ごした幼稚園。


 小学校に上がると、七愛の両親も崩術師であることを知った。

 二人は崩王の弟子だったから、隣家に引っ越してきてから七愛を生んだんだ。

 お父さんと七愛の両親が組んで妖怪退治に当たることもあった。

 家族ぐるみの付き合いというやつだ。


 お互いに妖怪が見えることでトラブルもあった。

 劇的に解決することもなく、風化して時は過ぎる。


 高学年にもなると、七愛という異性と遊ぶのがダサいという風潮があって気恥ずかしくなった。

 しかしなんだかんだ、すぐにまた遊ぶようになった。

 七愛が崩術を学び始めて、それが恰好良くて……が、切っ掛けだったと思う。


 そして。


「中学一年生のあの日、たしか学校の七不思議のために探検したんですよね」

「うん……そうだったね」


 僕の手を握る七愛の柔らかく温かな掌はさらに強く締められる。

 当時はつけていなかった指ごとに色の異なるマニキュアが、柔らかく光っている。


 階段が増えるとか、人体模型が動くとか、音楽室のピアノが一人でに音を奏でるとか、そんなありきたりな七不思議だ。

 一つ一つ確かめて、音楽室を最後にしようとした時。

 その後、なにもなかったとボヤきながらシュークリームでも食べて平穏に終わるはずの日だったのに。


 あいつが──口裂け女が夕暮れの音楽室にいた。


 当時の僕はそれを見た瞬間に腰を抜かして、恐怖した。

 七愛も同じような感じだったと思うが、彼女は勇ましくも僕の手を引いて逃げてくれた。


 家に帰り、お互いに親にそれを報告した。

 お父さんと七愛の両親は口裂け女を探すと言い出し、七愛は僕の家に来て二人で帰りを待つことになる。


 しかし、二人して妙な胸騒ぎを覚えた。

 震える足に鞭打ち、まず妖怪の仲間を集めようと七愛が崩進(ほうしん)を使い幻世界に飛び込んだ。


「幻……妖怪たちの世界で出会った妖怪については覚えていますか? 僕たちの記憶を封印した妖怪です」

「封印……そっか、そうだったね。私の記憶も封印されてたんだ……でも、姿も声も名前も思い出せないの」


 同じか。

 寝ぼけ眼の正体もわからず、契約妖怪の正体もわからない。

 妖怪については、情報だけが頭に残っている感じだ。

 どんなことを言われなにをされたか、まるで字面だけの記事でも読んで得た知識のような感じで体験したという感覚はない。


 妖怪の部分だけがほぼ欠け落ちている。


 幻世界に踏み込んで、すぐにその妖怪は現れた。

 たしか、お父さんとのやり取りで僕たちが近づかないように守る約束をした……と言っていたはずだ。

 そして僕たちはなにかに包まれ、道を閉ざされた。


 これも妖怪の能力に纏わるものだからハッキリとは覚えていないのだろう。

 でも、妖怪は通常封印なんて力は持っていない、封印の力を持つ種族の妖怪であることは明らかだろう。


 話は飛ぶようで繋がっているが、妖怪との契約は妖怪に勝利することだ。

 今にして思えば、それが契約勝負だったのだろうが……これを破れたら僕の勝ち、妖怪はそう言っていた。


「なんか、妖怪の手でなにかに閉じ込められましたよね?」

「うん、諦めかけたけど……王くんが諦めちゃ駄目ですって言って、石を手に取って壁を叩き続けて。それで私も崩術で協力して破ったんだよね」


 きっとその時点で、僕とその妖怪は契約を結んだ。

 崩術師になったのは高校生の修学旅行で、李国燕さんに教わった時だから……崩術師を飛ばして鬼術師となっていたわけだ。


 だが破った瞬間、幻世界の奥で口裂け女の気配がざわついた

 それを追って辿り着いた時には──もう遅かった。


 七愛の両親の姿はもうなく、お父さんが食われかかっている最中。

 溝口が立ち尽くしていた、僕はお父さんを助けてくださいと懇願するも彼は動かなかった。

 妖怪は片腕を失って、満身創痍でへたり込んでいた。


 七愛は泣き叫んでいて、僕がなんとかしなければならないと思った。

 そうしないと、全員食われて死ぬんだと直感していた。


 僕が口裂け女に向かおうとすると、契約妖怪が立ち上がって共に戦うと申し出た。

 しかし、一緒に戦うどころか契約妖怪がなんらかの能力だけで撃退したような記憶がある。


 そして、口裂け女は自身を見た者をどこまでも追う、真名を辿って。

 契約妖怪にそう言われた。

 真名、つまり名前だ。そこでお互いに名前を呼び合っていたし、音楽室でもそうだ。


 そこでまず、七愛の真名は一文字分封印することで過去と現在において七愛の真名を知る者をなくすと妖怪は言った。


 とどのつまり、愛屋敷七愛という名は本当の名ではない。

 一文字なにかが当てはまる。


 僕の真名については封印しなくても、七愛は僕を当時から王くんと呼んでいた。

 名前は呼ばれていたが真名の全てを知られたわけではなかったから、名前の封印は必要なかったらしい。


 そして僕と七愛、お互い同士の記憶を消して干渉させないことで記憶封印に綻びを生ませないようにする。

 溝口にも僕たちが接触しないよう注意を払えと妖怪は命令した。


 そうして、僕たちはその日の記憶とお互いの記憶を封印され、綺麗さっぱり忘れた。

 まずは七愛から頭を触れられ意識を失い、僕もそこまで言われて意識を失った。


 だから、七愛が隣家から引っ越したのは当然なんだ。

 両親を失っていた上、二人の年齢も若かったから遺産もそう多くは残せなかったのだろう。

 なにより、僕がこの家に残ると宣言したことでどっちみち七愛はこの土地から立ち去るしかなかったのだ。


「あの日以降……どうしていたんですか?」

「日妖にアメリカ在住の親戚がいるって言われて、びっくりするくらいすぐに日本を発ったの」

「アメリカに……そうですか」


 そりゃ、偶然会って思い出すこともないだろう。

 安全のため、契約妖怪と日妖によって仕組まれていたのだから。

 しかも僕はその日からお父さんが外出中に老衰したと聞いて、ショックから中学校に通わなくなった。


 それから三年間不登校だ、クラスのみんなが七愛を覚えていても僕に伝える手段がない。


「でも、忘れていてもずっと心にしこりがあったんだ。凄く、凄く大事ななにかを忘れてしまっているような……そして、なんでだか強くならきゃって思ったの……今にして思えば、守られてるだけじゃ駄目だって気持ちだけが残ってたのかも」


 七愛はらしくない硬い口調で言う。

 僕は塞ぎ込みながらも自堕落に生活していたのに、彼女はそんな想いで過ごしてきたのか。


「海外では崩術師をヴァンパイアハンターとか、エクソシストとか場所によって色んな言い方をするんだけど、飛び級して大学に通いながらヴァンパイアハンターになったの」


 えっ。

 飛び級……は置いといて。

 吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)

 冥さんとか曲夜さんみたいな吸血鬼 (ヴァンパイア)を退治していたのか?


「二人組のヴァンパイアを追ってたんだけどね」


 二人組。

 冥さんと曲夜さんじゃあるまいな……でも二人ってルーマニア出身だったよな。

 アメリカにも行っていたことがあるのならばもしかして……まあ、あまり可能性としては高くないか。


「そしたらアメリカであいつを……口裂け女を見つけたの。その時にちょっとだけ記憶が蘇って、なにか大事な思い出が隠されてるって感じたの」


 李国燕さんや今までの情報を加味すると。

 まず口裂け女は中国に発見された。

 僕たちが中学生の頃、日本に渡ってきていた。

 その後ちょっとして、渡米した。

 そして最近日本に戻ってきた。


 滅茶苦茶な活動範囲だ。

 しかして正体は恐らく妖怪ではない、大枠では喰獣(イーター)という化け物だ。

 情報喰獣(データイーター)、それが奴の正体だろう。

 神託者代理の勇者が必要となるほどの化け物、と考えればおかしくはないのだろうが……。

 同一個体ではないという可能性もある、あんなのが何体もいたら手のつけようがないが。


 なんにせよ、日本に帰ってきた理由はおおよそわかる。

 元々記憶が消されていなかったのか、思い出したかわからないが溝口は口裂け女の記憶を持っていた。

 そして語られた僕も口裂け女を思い出した。

 日本地点の幻世界にいても不思議ではない、真名を知らないとはいえ僕たちはその姿も名前も知っているのだから。


「それでね、ヴァンパイアも口裂け女も日本に行ったっていう情報を掴んだから、二ヵ月前に帰国してもっと強くなるために妖怪と契約したんだ」


 ……すると、七愛も鬼術師なのか。

 日妖では許されない存在が、僕と七愛で二人揃っている。


「その妖怪は今どこに?」

「今は、二人でいたいから……遠慮してもらってるんだ、ごめんね?」

「別に謝る必要はないですけど、続きを教えてもらってもいいですか?」

「えーと、契約後も妖怪たちの世界で修行してたんだけどね、今日はいきなり空に崩力の柱が立ったの!」


 あー……?

 崩力の、柱。

 そうか、口裂け女が自身の崩極(ほうごく)ごと口に吸いこんで、吐き出したあの崩壊光線。

 大和さんが組み付いてそれは空に伸びた。

 それを七愛が見た……。


「ってことは……最後の三発の……弾丸のような崩力は七愛だったんですか?」

「うん、私が編み出した独自崩術の崩丸(ほうがん)っていうのっ」


 オリジナル崩術まであるのか……崩放(ほうはう)の派生技なんだろうな。

 たった三発、しかも姿すら見えぬ距離から撃って口裂け女を弱らせた。

 三発はほぼ同時だった、凄まじい威力と連射力だ。

 しかも、とんでもない長距離から正確に当てたってことだ。


「ヴァンパイアハンターは銃の弾丸に崩注(ほうちゅう)を施すんだけど、シルバーコーティングしないと崩注(ほうちゅう)を纏わせたまま飛ばせないから……でも、そういう加工ってすっごく高いんだよねえ。駆け出しの頃はお金がなくて、工夫するしかなかったの」


 銀素材は崩力の効率性や効果を高めるのか? 弾丸にシルバーコーティングを施す……?

 いや、問題はそこではないだろう。


「どうしてすぐ会いに来なかったんですか? 撃ってきた方向を見ても、もういなかったですし」

「だって、なんか結構記憶が蘇ってきて、気持ちも溢れて……混乱しちゃったんだもん。でもなんとか王くんたちを着けて、鬼術師を敵視してる日妖にまで忍び込んだんだよっ!」


 それで、今に至るというわけか……。

 聞けば、口裂け女との戦いの真相にまで食い込む話だ。

 七愛も七愛で、見過ごすこともできなかっただろう。

 彼女もまた、口裂け女によって両親を失っているのだから。


 だが……会紡機戦は他の参加者あるいは協力者の介入度合いが強ければ、両者失格になる。

 今回の判定がどちらかだかは、未だわからない。


「それで、王くんにまた出会えてほとんど全部思い出したの……えへへ、だから今日は一番凄い日で、一番嬉しい日なのっ!」


 彼女の握る力が弱まったかと思うと、指を絡めてきた。

 えへへじゃないのだが、そんな空気感の話ではないのだが。


「それで王くんはどうして口裂け女と戦ってたの? あの男の子は誰なの?」


 ああ、こっちの話もあるか。

 長い話になるが、ざっくりとでいいだろう。


「えーと、高校を卒業してからエクソスケルトンという外骨格のテスターアルバイトをしていたんですが──」


 ざっくりと話すつもりが、かなり詳細に語ってしまった。

 絡まった指や彼女の容姿や香りにドキドキしながらも、詳らかに。


 大和さんが空さんに説明したのを聞いたからか、要点を上手く纏めることも出来た。

 彼女は気になることの一つはありそうなものだが、質問すらせずに相打ちを打って聞いてくれた。


「それで、報告と謝罪のために日妖に行ったというわけです」

「そっか……会紡機戦は手伝っちゃ失格になっちゃうんだね。私じゃ役に立てないんだね……」


 ルール上手伝えるとしても、そうしてもらうつもりはない。

 聞くに、彼女は十分頑張ってきている。

 いきなり知らない土地に放り出されても、飛び級で大学に入って吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)を続けてきた。


 ただ状況に流され迷い続けてきて、最近ようやく決意できた僕とは違う。

 最初から決意して、突き進んできたんだ。

 それがどれだけ凄いことか。

 苦しい瞬間がなかったわけがない。


「ねえ、辛かったでしょ?」


 彼女は絡めた指を離して、僕の正面に立った。


「七愛ほどじゃないですよ……」

「たとえ同じ事柄でも、どれくらい辛いかは人によって違うよ……!」


 憐れむような表情。

 そうとしか言いようがない顔。

 傷ついた子供を見るような目。


「私は目的があったからなんでも頑張れた、心のほとんどを失っちゃったみたいな生活をしてたから……でも王くんは昔から優しかった、優しすぎるままに戦ったんでしょ? そんなの、辛かったと思うんだあ……」


 彼女は自分のことは平然と話していたのに、僕の話をし出した途端に目が潤んだ。

 最後のまばたきで決壊したように、小さな涙を何度も落として。

 安心させたい、そう思ってしまう。


「僕には大和さんっていう頼れる仲間もいますし、色んなことはありましたけど最近乗り越えてきてるんですよ。だから大丈夫ですよ?」


 もし、もう少し早く再会していたら。

 僕は七愛にも依存してしまっただろう。

 甘え続けて、おかしな関係になっていただろう。


 でも、苦しむたびに誰かのおかげでなんとかしてきて。

 その想いに答えたくて、僕自身も考え続けて、ようやく少しは自分の足で立てるようになった。

 だから、そうやって心配してくれるだけで十分だと感じる。


「……私、王くんのために頑張ってきたの。名前も姿も思い出せなかったけど、私の心は王くんの存在で出来てたの、そのためなの……役に立てないの、辛いよ」


 急に彼女は僕の足の間に、足を入れて優しく僕を押し倒した。

 僕は布団に手をついて、なんとか倒れずに済むが彼女の顔は眼前に迫っている。

 グロスが塗られた唇が、都会の夜景のように輝いている。


「私が守ってあげたいっ……でも私じゃ駄目なんだ」


 その口からも甘い香りが漂う、全身が甘ったるい。もうそういう体臭なのだろう。

 気が高まってしまったのだろうが、ちょっと離れてほしい。

 やっぱり、僕も興奮してしまいそうだし……あとちょっと怖い。


「それでも傍にいたい、今日からお泊りしていい? 一緒に住もう? 邪魔しないから……」


 無垢な瞳。

 なのに、言っていることがおかしい。


「い、いや、そんないきなり……」

「私は今日再会して、はっきりわかったよ。ずっと王くんが好きだったって──大好きだよ」


 だ、大好き?

 告白?

 ど、どういう意味の?


「王くんは私のこと好きじゃない? ほかに好きな人いる? 私二番目でもいいよ、その人は許してくれないかなっ? でもそしたら困っちゃうねえ、どうしよっか? 私、自分じゃどうしようもないくらい王くんが好きなの。その人のことどうしちゃうかわかんないかも……一緒にいるの許してくれたらそれでいいの、一緒に説得してくれる? でも王くん私のこと好きじゃないなら難しいのかなっ?」


 矢継ぎ早に、だけど決して声は荒げずに彼女は言葉を吐き出し続ける。

 なにを言われているのかよくわからない。

 だけどやっぱり、子供のような純粋な瞳のままだ。


「い、一旦落ち着いてください」

「やだ、やだよ……だって、王くんなんだもん、王くんが私の全部なの」


 僕にはわかる、いい加減僕だって学習する。

 七愛の気持ちがどうだろうと、僕は自分の反射的な反応を学習している。


 また、僕の心が脅かされている。


 戦ったばっかりで、心身ともに疲労している状態でこれ。

 今までのパンク手順を丁寧になぞられている。


 でも、彼女は……彼女だけは、簡単に突っ撥ねることはできない。

 僕のために頑張ってきた、と言った。

 嘘ではない、彼女はどれだけ変わろうとそういう嘘はつかない。

 それに口裂け女への崩丸(ほうがん)、それがなければ僕はまた腕を失っていた。


 テンスさんはいない、どこにいるのかもわからない。

 だから腕はくっつかないし、相打ちとなって死んだかもしれない。

 介入なしでも勝てはしただろうが、僕の命が危なかったという話になる。


 でも、だからと言って僕は恋愛感情としては彼女のことは好きではない。

 昔は多少はそういう気持ちもあっただろうが……今は違う。

 興奮はする、でもそれだけでもない。

 なんか、家族みたいに大切な存在だ。


「七愛、あの、一旦離れませんか? 落ち着かなくてもいいので、話し合いをしましょう?」


 彼女は柔らかく笑う、これも優しさで献身だと言わんばかりに。


「話し合い、いいよっ? でも、このままだよ……ふふっ」


 あまりにも純粋すぎる瞳。

 その奥になにかが渦巻いていて、それを気づいてもいなければ疑ってもいないような瞳。


 わずかに狂気が濁る──瞳。

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