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第四十三節 甘ったるい邂逅

 本当はもっと早く来るべきであった。

 僕たちは一度、持てるだけのパワードスーツの破片を持ってエクソテックス社郊外工場へコーニングスさんに送ってもらった。

 大和さんの送迎は彼女に任せ、僕は自分の新車で来ていたから、それに乗り移動した。


 日本妖怪対策支局の施設。

 関係があるんだかわからないが、東税務署の隣にそれはあった。


 一度は来たことがあったものの、行きは日妖の車で追い詰められ外の様子を見ることもできなかった。

 帰りはテンスさんの神誓門でワープ。

 だから場所はコーニングスさんに教えてもらい、財団からアポを取ってもらった。


 本当は怖い、中を歩く度に拷問の記憶が蘇って指が震えた。

 もっと早く来るべきではあったが、どうしてもこの場に恐怖があって決心がつかなかった。

 でも今を逃したら、きっと一生無理だと思ったんだ。


 支局長室。

 柔らかな灰色のカーペットが敷かれ、窓からは爽やかな光に照らされた一室。

 その雰囲気にそぐわない空気感の中。

 拷問され暴れに暴れたここで、僕は土下座している。


「許されるとは思っていませんが……本当に申し訳ございませんでした」


 僕が暴れた際に危害を加えた一般局員の男女、その二人に向かって本気で謝罪をする。

 僕のやったことは通り魔に等しい、謝っても許されることではない。


 そこでまず支局長さんに呼び出してもらった。

 無論トラウマになっていて僕と会いたくない可能性もあった、それを考慮して相手方にお伺いを立ててもらってからだ。


 結果、二人は来てくれた。


「……いえ……」

「大丈夫です……」


 二人はそう言った。

 ああ、これは……謝罪するべきではなかったのかもしれない。

 そうとすら僕は思った。


 大和さんも言っていた。

 暴れた後に謝罪をしても腫物を触るように、表面上だけ許して逃げていっただけだった、と。

 僕は扱いとしては日妖の上位組織であるエダーク財団の協力者だ。

 許さずに糾弾するなど出来るはずがない。


 一時、広くも狭くもない空間を暖房機の音が支配する。


 そんな理不尽な判断を強いるくらいならば、謝るべきでもなかったのかもしれない。

 せめて治療費だけでもと思うが、金でどうこうする問題なのだろうか。

 全部自己満足に思えてしょうがない。


「これであの一件はお互い水に流すということで。よろしいですか長内さん?」


 顔を上げると、初老の支局長さんは目を瞑りながらハンカチで頭部の汗を拭いていた。

 彼にとっても僕は腫物なのだろう。


「はい……」


 どんな態度を取っていいかもわからずそう答えると、一般局員の二人は失礼しますと言って支局長室を後にした。

 僕は立ち上がって、俯いたままに口を開く。


「溝口さんと崩術師複数名が殉職しましたが、口裂け女はこちらの手で殺しました」

「それが本題ですか……律儀なご報告感謝いたします」


 これだけが本題というわけではない。

 謝ること、報告、どちらも本題だ。

 日妖公認崩術師だった父を殺した口裂け女だ、僕から報告するのが筋だと思った。


 しかし、溝口……結局はお父さんと同じ死に方をした。

 そんな死に方をしていいと僕は思えない、それだってお父さんに対する冒涜だ。

 でも、死んでしまった人間を責められるはずもない。


 そう考えると、一つの仮説が頭に浮かんだ。

 食われゆくお父さんを見て立ち竦んでいた時、僕にお父さんを見殺しにしたと告げた時。

 その二つの時の溝口の目は同じだった。


 もしかすると、彼はあの時壊れてしまったのではないだろうか。

 僕だってあれを覚え続けていたら、自分を責め続けた。

 ましてやお父さんの安全を守れという指令に背いて、恐怖でなにも出来なかったんだ。


 逃避先が欲しかったのかもしれない、それが彼にとっては法だった。

 と、そのように考えることもできる。

 今となってはわからない話だ、死とはそういうことだと父から学んだ。


 僕には全てなどわからない、正解だってわからない。


「以上です、お時間を取っていただきありがとうございました」


 一礼をして部屋を後にする。

 通路に出た途端に、深々とため息をつく。

 なんのためにここに来たのだろう。

 自己満足のためだとしても、なに一つ満足できていない。


 今回の件にあまり関係のないことだが、封印されていた記憶の中に寝ぼけ眼の正体がなかったのもショックだ。


 お父さんの仇は取った。

 父との日々が戻ってきた気もした。

 でも、これはただの復讐でやらなければいけないことだった。

 強い感情に基づく目的意識ではない、言うなれば使命感だ。


 とぼとぼ俯きながらエレベーターへ歩く。

 ふと、甘い香りが鼻先をくすぐった。


 ケーキやシュークリームといった、焼き菓子の香ばしさはない。

 シロップやバニラといったような匂い。


 そういえば、あの子も僕もシュークリームが好きだった。

 今はどこでなにをしているのだろう。

 歩けば歩くほど匂いが強まる、懐かしさを芽生えさせる匂いだ。

 昔はよくこれに包まれていた気がする。


 すると、なにかに突き飛ばされるように白いなにかが飛び出してきた。


 こっちを見ている、どこか慌てたような顔色の悪い女の子。

 鼻腔を突き破るほどに匂いが増した。


 バニラエッセンスの原液を全身に浴びたような甘ったるさ。

 殺風景な通路だというのにお菓子の家に迷い込んだような。


 その女の子から発せられた匂いは、僕の記憶を痛みもなく引きずり出した。


 愛屋敷(おやしき)七愛(ななめ)

 その名がはっきりと頭に浮かぶ。


「七愛、さん……?」

(おー)くん、だよねっ?」


 あの時の封印で、彼女に関する記憶は全て閉ざされていた。

 家が隣で幼稚園の頃からずっと一緒で、中学生の時に口裂け女の件から記憶と関わりをなくしたその子に違いない。

 僕を王くんと呼ぶのは世界広しと言えど幼馴染である彼女しかいない。


「はい……あの、すみません、七愛さんなんですよね?」


 動揺して、今一度確認をしてしまう。


「王くん、相変わらず敬語なんだね……」


 彼女は、ふわりとあどけない笑みを浮かべる。

 昔とそう変わらない童顔で、大きな瞳には僕が映し出されていた。

 セミロングの内跳ねた艶やかな髪に傷みはなく、相変わらず栗のような明るい茶髪。

 睫毛は儚いほど細くて長い、雪国出身らしい白い肌。


 白と緑色のポンチョを身に纏った幼げな女の子が、目の前にいる。


 変わっていない、とんでもない美少女だ。

 幼いだ美少女だと言っても、僕は早生まれの十九歳だから彼女は今二十歳のはずだが。


「ほんとに、ほんとに王くんだ……ようやく、思い出せた……!」


 彼女はまばたきを一つすると、涙ぐんだ瞳に移り変わる。

 感極まったように僕に向かって駆け出す彼女に僕は手を翳す。


「ま、待ってください、思い出せた? 七愛さんも僕の記憶を封印されてたんですか?」

「七愛でいいってばー! 昔あれだけ説得して、呼び捨てしてくれたのにっ!」


 彼女は立ち止まるが、まるで会話が噛み合っていない。

 そうだ、そうだった。

 彼女は勉強こそ出来たのに、妖怪のようにおたんちんなのだった。


「ここじゃあれなので、ちょっと移動しますか? 喫茶店とか……」

「久しぶりに王くんの家、行っていい?」


 子供のような純粋な瞳で彼女は頼んできた。

 もう冥さんも曲夜さんもコーニングスさんも家に入れたのだから、女性が家に来ることに緊張はない。

 なにより幼馴染だし。


「いいですよ、僕も聞きたいことが色々あるので」


 なぜここにいて、なぜ隣の家に住んでいたというのにまったく出会わなかったのか。

 積もるほど疑問がある。


 僕たちはエレベーターに乗る。

 個室だとさらに甘ったるさが強まるが、不思議と不快感はない。


「……」

「……えへへ」


 まだ日妖の建物にいると落ち着けず、僕は押し黙っていると背後の彼女は気まずいからなのか笑った。


「なんです?」

「とっても緊張してるの、私の人生で一番凄い日なんだもん!」

「なにが凄いんですか……?」

「王くんのお家行ってから、言うね?」


 声すらも甘ったるく、まるで胃もたれするほど甘えられている気分になる。

 エレベーターが目的地で止まると、僕は振り返らずに歩いた。


「あ、七愛さ……七愛は自分の車で来たんですか?」

「ううん、徒歩だよ。王くんは車?」


 徒歩で来たのか。

 今どこに住んでいるのだろう。

 この近くなのだろうか、僕の家からは相当離れているが。

 ま、帰りはタクシー代を渡せばいいだろう。


 正直、この後に運転する気力もない。

 口裂け女に全てを出し尽くした直後だから。


「そうですけど、乗っていきます?」

「えー! 運転する王くん見たいっ! 大人になったんだねえ!」

「……はい」


 親戚のおばさんみたいなことを言う。

 なんだか気恥しくなって、上手く言葉が出てこない。

 そのまま駐車場に移動し、ピカピカの新車に僕は乗り込む。


「お邪魔しまーすっ」


 彼女はそう言って、そろりとドアを開いて乗った。

 互いにシートベルトを付けて、車を滑りださせる。


 会話もなく、エンジン音だけが聞こえる。

 前のボロい軽自動車と違って、新車のセダン車でハイブリットだ。

 そこまで音自体は大きくないはずなのに、沈黙のせいで妙に耳にこびりつく。


「……」


 七愛がずっと僕を見ているせいだ。

 運転に集中しなければならないのに、そこまで見つめられると緊張してしまう。


「あの、あんまり見ないでください。穴が空きます」

「えーっ、見るもん」


 やめてくれないらしい、事故らないように注意しないと。

 事故は二度と嫌だ、あんな怖い思いはもうごめんだ。

 でも美少女に見つめられると緊張する。


 不思議な感覚だ。

 思い出してみれば一緒にいて当たり前の存在のはずなのに、異性として見てしまって緊張する。

 昔からかわいすぎて、でもそれが日常だから緊張なんてしなかった。

 当時から異性としては見ていたが、それを越えるほど妹のように思っていたからだ。

 今はなんだか……なんとも言えない微妙な感じ。


 そのまま二十分ほど会話もなく我が家が見えた。


「わっ、懐かしい! 隣も私が住んでた家だったね!」

「そう、ですね」


 そうか、なんとなくわかった。

 あの時点からすぐに、七愛は我が家の隣家から離れて暮らしていたんだ。

 そりゃ、そうだよな……。


 そのまま家の敷地へと入り、車庫に入れる前に彼女を降ろす。

 暗く物置のような車庫に車を停めて、僕も降りた。


「あ、そんな待ってなくていいんですよ、どうぞ入ってください」


 僕を待っていたように立っていた彼女にそう告げて玄関に向かう。


 心の中でただいま、と告げてリビングに辿り着いた。


「あー、僕の部屋来ます? リビングは広すぎて温まるまで時間が掛かるので」


 なんか、誘い文句みたいで気持ち悪いか?


「うん、見たいな! リビングは昔と変わってないんだね!」


 でも、普通の返事が返ってきた。

 彼女は何度もうちに来たことがあった。

 そりゃ隣同士で同学年だ、当たり前だろう。

 お父さんによく茶化されたものだ。


 自室へと入って、僕はジャンパーを脱ぐ。

 暖房のスイッチを入れて、僕はベッドに腰掛けた。


「そこの椅子にどうぞ」


 向かいにあるベットを指差すと、彼女は首を振って隣に座ってきた。

 ちょっと、幼馴染としてもそれはどうかと思う。


 さらに彼女はフード付きの白と緑色のポンチョを脱いで、隣に畳んだ。


「わぁお……」


 思わず、心臓が高鳴ってしまった。

 変わったのは背丈くらいかと思っていたが。

 森に住む妖精のようなベージュがかった白いブラウスに緑色のリボン、腰上から伸びる深い緑色のロングスカート。

 森ガールっていう昔流行ったファッションスタイルに見えるが……そこじゃない。


 腰は細いのに、とんでもないほど胸がデカい。

 巨大といって差し支えのない爆乳だ。

 これほどまでに大きな胸は見たことがない。

 その双丘は重力に逆らうようにそそり立っている。


 言っちゃ悪いが、エロ漫画から飛び出してきたような肉体だ。

 なのに顔は幼いが……七愛も成長したんだな。


 中学一年生の頃はようやく膨らみ始めたくらいだったのに。


「お、大人になりましたね」

「ねえ今、胸見て言ったでしょー! やっぱり王くんエッチだねえ!」


 彼女は胸の上に両手を置いて、流し目で僕を見た。

 これから結構重い話をするであろうに、興奮してしまいそうだ。


 落ち着かなきゃ。

 ていうかやっぱり隣に座らないでほしい。

 僕が移動しようかな。


「あー、えっと、別に変な目で見てないですけど?」

「えー? 別に、変な目で見てもいいんだけどね……?」


 突然彼女は艶めかしいと誤解してしまいそうになるほど、甘ったるさを増した声を出す。

 そして僕の手に触れて、優しく握った。

 湯たんぽのように暖かな手だ。


 こんな冗談も言えるようになったのだ、ギャグの一つも言えなかった彼女が。

 これもまた成長だ。

 でもやめてほしい、お前は経験を積んだのかもしれないが僕は未だ童貞だ。


「ちょ、ちょっと話をしましょうよ。積もる話があるでしょう、しかも降り積もりすぎて確実に重くなる話が」

「そうだね、でも手はこのままでいい? お願い」


 正直、とてつもなく話しづらい。

 でも、彼女も色々あったのかもしれない。


 そう思うと、僕はその手を振り解けなかった。

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