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第四十二節 崩王の手

 そりゃ、そうだ。


 僕も大和さんも、きっとこの光景が予想できていた。

 でもそれを口にすれば、ここに来る決意が薄れる。


 黄昏の太陽に染め上げられた荒野。

 その中でも、赤い血だまりが沈む太陽を濁った鏡のように映していた。


 その中にいるのはただ一匹。

 飛び散った血の跡を踏み付ける口裂け女だけだった。


 溝口の姿も、崩術師の姿もない。

 臓器一つ、靴一つも残っていない。

 誰もかれも皆やられてしまったんだ。


「王雅……手遅れだ」


 ヘルメットの内臓マイク越しに大和さんの声が聞こえる。

 しかし、返り血なのか生地の色なのかもわからない赤いコートに包まれた口裂け女はそうさせてくれないだろう。


 荒野に漂っていた鋭さの欠片のような殺気が、僕たちが視認できるほどの距離に辿り着いた瞬間からこっちを向いている。


「逃げ切れるとは思いません、なにか手を打たないと……!」


 僕たちが逃げられるのなら、過去でお父さんたちだって逃げていたはずだ。

 逃げられない、背は向けられない、そう考えたほうがいい。

 なによりあの殺気が逃がさないと言っている。


「ンじゃァ、戦うしかねぇな……」


 その通りだろう、とにかく戦いは避けられない。

 現世に戻るための崩進(ほうしん)を使えるのは僕だけ、僕が戦っている隙に逃がす意味もない。

 二人でやる、それが僕たちに出来ることだ。


 僕の決断を試すように、一歩ずつ口裂け女が近寄ってくる。

 ヘルメットから見えるヘッドアップディスプレイが、ロックオンカーソルでその姿を捉えた。


 距離が近くなるほど、邪悪な気配が体中に寒気を撒く。

 記憶と恐怖が蘇る……が、僕は動ける。


 あの時だって、僕は動けたんだ。


「俺は攪乱だァ、あいつの手札を見てやらァ」

「わかりました、僕が隙をついて攻撃します」


 お互い震える声で、作戦とも呼べないような作戦を立てる。


 まだ距離はあるが、顔がハッキリと見えた。

 壊れたように口が裂けていき、チェシャ猫のような笑みを浮かべている。

 戦っている時の僕のような、笑みを。


「やるぜ、攻撃する時は一声掛けろよ」

「ま、待ってください!」


 一瞬の違和感。

 口裂け女は歩きながら、両手を突き出し交差させた。

 この、構え……。


 右手を顔の下に、左手を前に。

 崩衝(ほうしょう)……その構えだ。


「あいつ、崩術使えるのかよ……!」


 それどころじゃない。

 そんな話じゃない。


 オーソドックスな構え、崩術師が型ありで崩術を使うのならばみな一様にあの動きをする。

 そうじゃない、問題は崩術が使えることじゃない。


 ──崩王、いやお父さんの動きにしか見えない。


 癖もない、動きに特徴もない、でも何度も見たお父さんの崩衝(ほうしょう)の構えに見える。


「う、嘘でしょう……そんなはず……!」


 口裂け女は、情報喰獣(データイーター)である可能性があった。

 奴はお父さんを食べた、だからお父さんの記憶や技術を取り込んだ……そんな、信じたくない。


 ふざけるな、ふざけるなそんなこと!

 恐怖心が、怒りに変わっていく……歯が、割れるほどに噛み締めてしまう。

 お父さんを、冒涜しやがって……!


 恐怖も怒りも駄目だ、判断が鈍る、感情を沈めなきゃ……僕のせいで大和さんまで死にかねない。


「どうしたンだよ!」

「お父さんの、動きです……!」

「ンだとォ!? だがもう話してる暇はねぇ!」


 落ち着く暇もない、待ってくれるはずもない。

 口裂け女はゆっくりと歩き続け、もう交戦距離に入ろうとしている。


 まず、大和さんが走った。


 真正面に突っ込んだ彼に対して口裂け女は崩衝(ほうしょう)を放つ。

 大和さんは読んでいたように回避動作に移り、真横に跳ねる。


 もし、お父さんなら、お父さんの戦い方なら……それはまずい!


「大和さん、ブースター!」

「──ッ!?」


 僕の掛け声と同時に、口裂け女はゴミでも放り投げるような動作で手に宿った緑色の光を飛ばした。

 崩衝(ほうしょう)から崩放(ほうはう)への変化、お父さんの戦術として聞いていた通りだ。


 間一髪、空中にいた大和さんは色んな箇所からブースターを放って空中機動で避けられた。

 一回転して着地し、口裂け女もその動きを体全体で追っている。


 僕は左腕を突き出す。


「ショット!」


 財団製AIによる音声認識と大和さんへの掛け声を同時にこなし、腕に僅かな衝撃が走る。

 パイル・バンカーが射出され、凄まじい速度で口裂け女へ飛んでいった。

 張り詰めたロープがはち切れたような音に、空気を切り裂く鋭い音が乗る。


 避けられる道理はない。

 道理はないはずなのに、奴は首だけをぐるりと向けて口を開いた。

 骨格などないかのように、口が引き裂けていく……杭が空気ごと引きずられるように、闇の奥へ沈んだ。


 奴は大和さんに向けて駆け出しながら、顔だけはずっとこちらを向いていた。

 口を閉じて、頬が膨らんでいく。


 閉じられた口から、杭が覗いた。

 すると勢いよくそれを吐き出した、杭が……戻ってくる、利用された。


 僕は転がりながらそれを避け、すぐに口裂け女に向かう。

 もっと近くで、顔の届かない所に撃ち込まないと……!


 大和さんへ奴は崩衝(ほうしょう)を放つ。

 構えなしで崩色を取り込めている、やはりか。


 僕も構えなしで崩色を取り込む練習をしていたから、なぜ最初だけ構えを取ったのかわかる。

 最初に構えありで取り込みから発動までを自動化すると、その後に染めやすくなる。


 李さんは最初から構えなしだったが、あれもあれで別格だった。

 だがお父さんは構えを取って毎日修行していた、そこまで模倣するのか……。

 虫酸が走る……ッ!


 大和さんは地面を蹴って、跳躍してそれを避ける。

 避けるどころか、迫る右腕を踏み付けていた。


「らァッ!」


 しかしこちらに顔だけを向けたままのその表情に驚愕の色はない。

 なぜ大和さんの動きが見えているのかもわからないが、空ぶった右腕は大和さんの足場となり、さらなる跳躍の足掛かりとなっていた。


 僕は走りながら腰からマチェットを引き抜いて、右へ構えてから半円を描き中央に持ってくる。


崩注(ほうちゅう)!」


 崩力で刀身を覆って、左手の崩力で固定する感覚。

 緑を纏うマチェットの刀身だけが赤く熱を帯びていく。


 熱と崩力、当たればさすがにダメージがあるはずだ。


 僕が到達する寸前に、奴は左腕で崩衝(ほうしょう)を大和さんの足に当てようとしていた。

 もう一度彼はブースターから炎を吹いてそれを避ける。


 十分な隙だ。

 奴の右腕は踏まれた衝撃で下がっている、左腕は足を掴もうとして避けられている。

 僕への攻撃は、ない。


 足を踏ん張って、最後の一歩を踏み出す。

 右上へヒートマチェットを振り上げて、勢いづけて掻き下ろす。

 反撃はない、出来ないはずだ。


 足。

 奴の足は自由だった。

 真横だった体のまま、ステップを踏まれて僕のマチェットは宙を斬る。


 その間を一瞬を埋められる、左手を振り払うように崩衝(ほうしょう)が迫る。

 振り下ろしたマチェットをそれにぶつけるように僕は腕を上げる。


 音はない。

 しかし僕のマチェットに込められた崩注(ほうちゅう)と奴の崩衝(ほうしょう)がぶつかり、激流のような反発力が生まれた。

 腕が流され、体も仰け反る。


「ぐぅっ……ショットッ!」


 右上へ体が仰け反るということは、身を任せれば左腕が口裂け女に向く。

 倒れる狭間にAI制御のサブアームによってリロードされていたパイル・バンカーを射出する。


 胴体に向けて撃ち出された杭は、当たらない。

 体を折り曲げ、腰を引かれて躱された。


 こ、これでも駄目か! 


 こいつは、獣だ。

 戦闘本能が研ぎ澄まされた獣。


「ウォォ!」


 しかし、僕は一人ではない。

 口裂け女の背に着地していた大和さんが拳をぶち込む。

 良い連携だ、僕たちの動きが繋がっていく。


 奴は吹き飛ばされ、頭が地面に激突する寸前に手を出して衝撃を吸収した。

 そしてバク転の要領で二度回って、煙を巻き上げながら地面に足を付ける。


 獣のようでありながら、理性的な動き。

 崩王であって、獣であって、それが統合されている。

 まごうことなき化け物だ。


「クソ、効いちゃいねぇなァ!」

「次は僕から行きます!」


 間髪入れずに奴は重心の読めない滑るような動きで走ってきた。

 僕は左手にマチェットを持ち替えて、腕を交差させる。


崩衝(ほうしょう)ッ!」


 僕の掛け声に、口裂け女は笑みを持って答える。

 突き立てた僕の右腕、その掌から放たれる崩衝(ほうしょう)の光が揺らめく。

 奴の口へ向けて光が吸い込まれる。


 崩衝(ほうしょう)同士がぶつかるはずだった。

 でも、僕の崩衝(ほうしょう)だけが消えていた、ラバーのような素材の手袋越しに感じる暖かさが失われていく。

 消える、反発すら起こらない、ヤバい……! 一方的に負ける!


「王雅ァ!」


 大和さんに背を引かれる、それでも避け切れるかわからない。


「ショットォ!」


 確実に攻撃をされないために、奴の下半身に向けてパイル・バンカーを撃つ。

 当然のように踏み込み、横にステップを踏まれ躱された。

 しかしそのおかげで、口裂け女の崩衝(ほうしょう)は僕に届かなかった。


 もうパイル・バンカーは三発使った、残り、二発だ。


「グゲギャ!」


 口裂け女はわけのわからない奇声を上げて、斜め横からこちらに向かって口をあんぐりと開く。

 さっきはパイル・バンカーの杭を口に入れて、筒なしの吹き矢のように放ち返してきた。

 そして今さっき、僕の崩力を吸い取った。


 直感。

 吐き出すことで崩放(ほうはう)もどきを撃ってくる。


 やはり、奴の窄まった口から吐き出されるように崩力の光が撃ち出された。

 大和さんの位置から見えているか、大和さんが僕を掴んだまま逃げれば避けられる。


 が、確実じゃない……!

 咄嗟に、僕は未だ崩注(ほうちゅう)を纏ったヒートマチェットを放る。


 崩放(ほうはう)もどきとマチェットがぶつかると、爆ぜる光の残像だけが網膜に張り付いた。

 目の前で花火が炸裂したような光に包まれる。

 同時に僕たちの頭上を掠め、マチェットは回転しながら飛んでいった。


 滅茶苦茶だ、なんでもありだ。

 逃げる隙すら作れないのに、どうやって勝つんだ。

 勝利は諦めて逃げるにしても、まったく太刀打ちできない。


 化け物でありながら最強の崩術師だ。

 認めたくないが、お父さんでありながらそれを越えた存在ということだ。


 パイル・バンカーも通用しない、マチェットは回収する暇はない。

 崩術は吸い取られる、打つ手がない。


「諦めンなよォ!」


 そうだ、その通りだ。

 生きるんだ、生きなきゃできないことがいっぱいあるんだ。

 一体なんのために今まで苦しんできたんだ、生き残るためだ。

 打つ手がないからって、生きることは諦められない。


 大和さんに手を離され、僕は自分の力で立つ。


「もう一回俺が牽制する! 連携で制圧すンだ!」

「はい!」


 僕の横を大和さんが通り過ぎる。


 彼は口裂け女に迫って、奴の崩衝(ほうしょう)を紙一重で避ける。

 覚悟が決めたように、そこからさらに踏み込んだ。

 大和さんは超至近距離戦を仕掛ける。


 僕の目では追い切るのが限界なほどの速度で突き出される崩衝(ほうしょう)を掻い潜っている。

 頭を振って避ける。上体を使って避ける。全身で避ける。

 極めて効率的に最適化された回避で避け続け、拳を放った。


 口裂け女は手と体が別々のように、腕を振り回しながら体だけ引いて躱す。


「大和さん、避けてくださいよ!」

「……ッ!」


 返事はない、息遣いしか聞こえない。

 だが僕は彼を信じる。

 こうするしかない!


 彼の向こう側にいる口裂け女。

 今パイル・バンカーを撃てば大和さんに当たる。


「ショット!」


 その瞬間、大和さんは足を踏ん張りながら口裂け女の脇を掻い潜った。

 パイル・バンカーによる杭が飛び出して、奴の胸に迫る。


 口裂け女も、大和さんが避けた方向に回避する。

 当たらない、だが避けた先に最後の一発を撃ち込んでやる。


 次の狙いを定めると同時に、回り込んだ大和さんが、宙を切り裂くパイル・バンカーを掴み取った。

 予想を超えている、さらに作戦を更新しなくては──!


「ショットッ!」


 僕はさらにもう一歩ステップを踏まれても当たる位置に最後の一発を撃ち込む。

 同時に大和さんが回転しながら手に持った杭を口裂け女に投げる。


 逃げ場なし、十字架を形作るように杭が口裂け女目掛けて迫った。


 僕の杭は虚空を撃ち抜く。

 しかし、大和さんが投げたほうの杭が奴の頭に突き刺さった。

 斜め下から、確実に突き刺さった。


 僕は立ち尽くし、大和さんは転がって片膝をついて奴を見る。


「グ、グギャギャギャギャ!」


 口裂け女は、両手で自身の頭を押さえて、これでもかと口を開いて奇声を上げた。

 効いてるのか、効いてないのかまったくわからない。

 笑っているのか、悲鳴なのかもわからない。


 しかし、顔全体が白目を向いたように、顔のパーツが全て上に消えてゆき、中心に口が移動した。

 もう目も鼻もない、おおよそ人の顔ではない。


 その口はさらに引き裂けて、顔が口だけの怪物となった。

 鋭く黄ばんだ牙が、びっしりと口内を覆っている。


 同時に、全身の表面から緑色の光が溢れ出す。

 まるでオーラのように、目が焼かれるほどの光を纏う。


「あれが、崩極(ほうごく)……」


 お父さん(崩王)の特別な技。

 究極の崩術の一つ。

 全身から崩衝(ほうしょう)を放ち続けるであろう、崩極(ほうごく)


 見た目すらも化け物に堕ちながら、崩極(ほうごく)を放っている。

 頭に撃ち込まれた杭が、光の向こう側で液状化して溶けてゆく。


 使えるだろう、そうだよな。

 お父さんのノウハウを全て身に着けているのならば、お父さん独自の技も使えて然るべきだ。

 これを使われる前に勝負をつけたかったが、使われてしまった。


 口裂け女は黄昏色に染まる景色を、崩色で上書きしていく。


「──……」


 それを見た瞬間から、なぜだか僕の思考が加速していた。

 あるいは命の危険を感じて走馬灯染みた集中が引き起こされているのかもしれない。


 僕は口裂け女のように崩力を吸い込めない、剥ぎ取ることは不可能だ。

 どんな攻撃も崩壊させられてしまって届かない。

 体のどこかに接触すると、そこから崩壊する。

 絶対防御にして、最強の攻撃。


 奴は後ずさる大和さんに向かって突進する。

 獣のように両手を上げて全身を叩きつけるような攻撃を、大和さんは後ろに跳躍し避ける。


 その両手は口裂け女の上体ごと地面に叩きつけられるが、後を追った長い髪が僅かに大和さんのスーツに触れていた。

 髪の毛、そこにまで崩極(ほうごく)を纏っている。


「クソッ!」


 着地した後もたたらを踏みながら後ずさる大和さん。彼を覆う装甲が溶けてゆく。

 炎が燃え移るように、胸部からじわじわと液状化しながら溶けていってる。


 彼はまだ崩壊が及んでいない部分の装甲を引きちぎって、侵食を食い止めようとしている。

 口裂け女はなにに満足したのか、急に僕のほうを向いて走ってきた。


 その姿に僕の思考が、さらに加速していく。

 心拍の音が遠ざかって、意識に没入していく。


 崩注(ほうちゅう)をパワードスーツに纏わせる疑似崩極(ほうごく)、これは意味がない。

 どう考えても出力はあちらが上だし、しかも奴は崩力を吸い取れる。

 自身の崩極(ほうごく)ごと吸い取ってしまう可能性も薄い。

 奴はさっき、自分の崩衝(ほうしょう)を維持したまま、僕の崩衝(ほうしょう)だけを吸い取った。


 なにを吸い取るか、対象を選べるんだ。

 武器も、もう残っていない。

 僕と契約した妖怪がどう撃退したかも、恐らく妖怪独自の能力によるものだろう。

 そんな力は僕にはない、この場にもいない。


 奴が迫る、打開策が思い浮かばない。


 指一つ触れられれば勝ちというのがわかっているかのように、僕の目の前で腕を鞭のように振り回し始める。

 あまりの輝きに目が霞む、動作が見えない、わからない──!

 視覚的にも、効果があるのかよっ!


 僕は後ろに倒れ込みながら、両肘を引くことでジェットパックを起動する。

 仰向けに倒れた瞬間に背部からジェット噴射しながら、地面を削る感触と共に僕は地面を滑り飛ぶ。


 触れられたかどうかもわからない、僕は上体を起こすことで地面にブースターを向けて強制的に体を起こす。


「パージ!」


 僕のパワードスーツは大和さんと違ってコンピューター制御で、動力付きだ。

 だから付けられたパージ機能がある、触れられていたら手遅れになる。

 使わざるを得ない。


 全方向から圧縮された空気を撃ち込まれたような衝撃が全身に駆け巡る。

 腕部とヘルメットだけが残っている、ここはパージ機能で吹き飛ばすには危険だったからだ。

 まずヘルメットを取っ払う。


 肉眼で見える、口裂け女は追ってきている。

 この際、腕部は付きっぱなしでいい。


 一瞬だけ思考を割り込ませる間がある、接触まで一瞬だけ。

 考えろ、僕が崩王に勝っている所はあるのか、なにが出来るのか。


 付け焼刃の崩放(ほうはう)は使えるようになったが、未だ実戦レベルではない。

 そもそも崩術じゃ太刀打ちできないんだから、崩術は捨てろ!


 どうするんだ、どうする。

 僕に出来ること、僕の全力。


 来る、あと二秒くらいか!

 僕が崩王に勝っている所、お父さんと獣染た化け物の融合に勝る所……!


 長内王雅には、小狡い悪知恵しかない!

 そして獣術と崩術しかない。

 それが現実だ、捨てられない! それしかないんだ!


無門(むもん)ッ!」


 言葉に乗せて、無門(むもん)を発動させる。

 パワーアシストに頼って崩術もそこまで使っていない、全ての元たる開力にはまだ余裕がある。


 奴が迫る。

 半狂乱のように上半身を振り回してくる、口だけの化け物。

 僕は地面を蹴っ飛ばして、後ろに、横へ避ける。

 紙一重、このままではいつ当たってもおかしくない。


 出来ること、小悪党らしい悪知恵。

 崩衝(ほうしょう)じゃない、未完成の崩放(ほうはう)でもない、使う対象がない崩注(ほうちゅう)でもない。

 最後に残った、僕が使えるただ一つの崩術。

 これに賭けるしかない、命ごと。


 僕は回避しながら、口裂け女に向かって腕を突き立てる。

 下から上に向かって手首を捻る。


 チェシャ猫のように笑いながら。


 攻撃用ですらないその技。


崩進(ほうしん)──ッ!」


 空間の綻びをさらに歪ませ、幻世界と僕たちの世界を繋ぐ技。

 意図的に微々たる量に崩力を留めて、完全には開かないようにする。


 空間の綻びというのは、現世から幻世界に来るのに必要なだけだ。

 幻世界ではどこからでも使える、ただし来た位置から帰らないとどこに出るかわからないだけだ。


 ここでも、使える。


 空間が捻じれるように歪み始め、口裂け女は纏った崩極(ほうごく)ごとそこに触れた。


 これは、空間そのものに崩力を撃ち込んでいるようなものだ。

 僕の崩力じゃなくたって、それを押し広げるために触れた崩力が使われる可能性がある。


 景色がさらに歪む。

 世界全体が捻じれたかと思うほど巨大化し、向こう側の雪景色が見えた。

 僕たちが入口に使った公園ではない、グラウンドとその向こう側に見知らぬ学校が見える。

 奴の崩極(ほうごく)を吸い取って、崩進(ほうしん)が完成した証拠だ。


 口裂け女の姿は見えない、崩進(ほうしん)による出入り口が僕たちを隔てている。

 向こう側から入ればどうなる、予想がつかない。

 悪手かもしれない、僕たちの世界に口裂け女が解き放たれる可能性もある。


 視界が押し潰されていく、雪景色に彩られた学校に穴が空く。

 その向こうには、口裂け女の口だけの顔があった。


 理解しきれない視覚情報すら食い破るように、奴は景色を食らう。

 正確には、崩進(ほうしん)による出入り口を食っているだけのはずだ。

 奴がそこに頭だけでも突っ込んだら、なんとかして閉じて空間で切断するはずだったのに。


 圧縮されるように吸い込まれていく、口の中に。

 景色も、纏う崩極(ほうごく)ごと、なにもかも。


 全身を覆って迸るほどの崩力を一気に吐き出すつもりか……!?

 開力の限界だから、か!? 崩進(ほうしん)の完成のために崩力が大幅に消費したから、獣の最後の抵抗か!?

 だとしても、当たったら終わりだ。

 拡散しながら放たれたら、避けられる距離でもない。


 口内は、底知れぬ闇。

 それを光照らす崩力の奔流──。


 それが、放たれた。


 空を仰ぐように、真上へと。


 大和さんが、歯を食いしばりながら組み付くように羽交い絞めにして、口裂け女の腰を折っていた。

 そうすることで奴の照準がズレた。


 天高く、どこまでも光線が走っていく。


「決めろォ!」


 構えてる時間はない。

 僕は両腕に開力を放ちながら、崩色を取り込む。

 同時に、奴は光線を吐き尽した。


 奴は大和さんに抗いながら、体を起こして口を僕へ向けた。

 万が一再び崩極(ほうごく)を発動されてもいいように、敢えて口を狙う。

 口の中は覆えていなかった、さっき見た時はそうだったはずだ。

 発動の兆候があったら、大和さんは手を離してもらうしかない。


(そう)崩衝(ほうしょう)ッ!」


 僕は両腕を、奴の口に突っ込む。

 口内の牙、その上下に手を当て、無門(むもん)によって出力が増した崩衝(ほうしょう)をありったけ流し続ける。


 空気の流れを感じる、同時に奴に注ぎ込んでいる崩力が奥へ揺らぎ、吸われていく感覚もある。

 吸われた分は崩力の効果を発揮しないだろうが、それでも注ぎ続けるしかない、注いだ分は効くと信じて。


 奴は口を閉じようと、圧力を掛けてくる。


 吸いつくされる前に、注ぎ切って殺す。

 噛み千切られる前に、殺す。

 もうそれしかない。


 全力で、体中の開力を崩色に染め上げながら、ただ放ち続ける。


 駄目だ、力負けしている、口が閉じる……。

 残ったスーツの腕部パーツに、歯が食い込んでいく。


 その刹那。

 三つの崩力らしき閃光の弾が口裂け女の頭に撃ち込まれた。

 真横からだ、大和さんでも僕でもない。


 しかし、それのせいなのか口裂け女の顎の力が抜けた。

 粘土か泥のように、歯が溶けていく。


 続いて、口が原型を崩して溶けていく。

 僕の腕は生暖かく気持ち悪い感触に包まれていく。


 それでも僕は緩めない、全部吐き尽くすように崩衝(ほうしょう)を注ぎ続ける。


 やがて、口裂け女だったものはその色だけを残して粘度のある液体へとなって地面へ沈んだ。


 大和さんはその液体にまみれている。

 僕も、体の力が一気に抜けてビチャビチャの地面に膝をつく。


「ハァ、ハァ……倒した、ンだよなァ?」

「……さすがに、倒した……いや、殺したはずです」


 ただ僕は茫然と地面を眺めることしかできない。

 勝利の実感が湧いてこない。


 必死すぎて、全部上手くいかなくて、化け物すぎて。


 でも、でも……目的を一つ果たせたんだ。

 お父さんの無念も、晴らせたはずだ。

 僕一人の力ではなかったけど、僕はそれがいいんだ。


 頭にお父さんの顔が浮かんだ。

 お父さんが食われた時の悲しみと、それよりも前のお父さんと過ごした日々も頭に過ぎる。


 無意識に、涙が頬を伝った。

 涙が口裂け女だった泥に流れる。


 お父さん、お父さんはこれで幸せになれるのだろうか。

 天国で笑ってくれるのだろうか。

 それとも危険なことをしてはいけませんと、怒るのだろうか。


 わからない。

 わからないけど、お父さんと過ごした幸せを取り戻せたように。


 お父さんが、僕の頭を撫でてくれた気がした。

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