第三十九節 映画のような彼女
映画のワンシーン。
そんな印象を受ける。
夜の帳が降り、コーニングスさんの車で帰宅する途中では、大和さんになにがあったのかを聞かれたが答えられなかった。
呪術師との会話は通話が繋がりっぱなしだったようでほぼ聞こえていたらしいが、その前のコーニングスさんとのやり取りは誤魔化した。
いくらなんでも、アレは言えない。
その後大和さんを大江戸宅で降ろして、コーニングスさんが我が家に送ってくれている途中。
僕はあまりにお腹が空きすぎて、どこでもいいからテイクアウトできる店に寄ってくれと頼んだ。
するとなぜだか彼女は僕を焼肉屋に連れてきた。
金髪を揺らし、今日はワイン色のヒラヒラしたシャツで甲斐甲斐しく牛タンを焼いている。
さすがに女性ものの服の名前がわからないが、薄い布がひらめく様子は魚のヒレを思わせる。
そんな外国人美女が目の前で肉を転がす姿は、あまり現実味がなく映画のように感じていた。
結局呪術師には歯が立たず、見逃してしまった。
こんなゆっくりしていていいのだろうか。
ご飯なんてチャチャっと済ませて、対策を練ったほうがいいのだろうか……それに、奴が言っていたことも気になる。
しかし、腹が減っては戦は出来ぬだろうし頭も回らないだろう。
にしても、なぜ焼肉。
さっきのことで怒る口実がほしいのだろうか……それともハニトラの延長か。
大和さんを帰さずに同席させればよかったのだが、突発的だから予想できなかった。
「はい、どうぞ」
「あぁ、はい……ありがとうございます」
彼女はトングで、僕の皿に肉を乗せる。
今日、なにも食べていなかったから僕は抗えなかった。
店内の柔らかい暖色に包まれた牛タンは、油をてらてらと反射させて食欲を刺激させる。
それをレモンダレにつけ、口へ運ぶ。
見るだけで香ばしさを感じさせる焼き目と脂の甘い匂いが、レモンの酸をさらに立たせていた。
う、うまい……!
僕はすでに運ばれていた白米を口に運び、噛み締める。
「日本のお肉もジューシーね」
彼女も赤い唇へ牛タンを運んで、ぱくりと食べていた。
「美味しいですね、やっぱり」
たまたまだと思うが、僕はここに来たことがある。
昔、お父さんに連れられてきて。
焼肉屋の中では一番好きな店だ。
「来たことあるの? 家でヌードルばっかり食べてそうな印象だったんだけど」
「昔、お父さんと……ていうか僕自炊してますし」
「一人暮らしだものね、寂しいでしょ?」
寂しい……? 僕は寂しいのだろうか?
テンスさんがいなくなってから、その感覚は強くなったかもしれない。
でも寂しいと素直に言うのも嫌だったから、トングを手に取って次の肉を網へ乗せた。
「コーニングスさんこそ寂しくないんですか?」
「寂しいわよ、家族からも離れて仲の良かった同僚からも離れて……日本に来たのも初めてなんだから」
「そうですか……」
僕は肉をひっくり返すと、鉄板の熱気に指先がじんわり汗ばむ。
網目状の焼き目がしっかりとついていて、涎が滴る。
会話は程々でいいだろう、肉だ肉。
「ねえ、さっきあなたの家に行った時のことだけど……」
ようやく本題が来たようだ。
そう思いながら僕は肉汁が落ちて、煙に燻された肉を自分とコーニングスさんへ配る。
どう出るのか、あまり突っ込まれたくないのだが。
「本当にごめんなさい、無理やり聞き出そうとして」
「……いえ、こちらこそすみませんでした」
意外にも謝罪であった。
僕も改めて謝罪し、頭を下げる。
「信用されてないってわかってるのに……あなたたちの前では、頼れる大人になりたかったのに、私は……」
僕は肉を口に入れて、その姿を見ていた。
なにかに呆れたようにため息をついて、自信喪失しているような顔。
肩がわずかに落ち、先ほどまでの有能なエージェントの影が薄れ、ただ迷子のような表情だけが残っていた。
「そうですね、僕はあなたを信用してません。嘘をついたし、スナイパーであろう人たちが控えていたことも教えてくれませんでした!」
そう言って僕は口に肉を放り込む。
もういいだろう、まどろっこしいやり取りは。
素直に言ったほうがいい気がしたんだ、彼女のためにも僕のためにも。
「ごめんなさい、言い訳になるけど、余計な不安を与えたくなかったから」
本音に見える、見えるがエージェントの心理誘導かもしれない。
僕たちは、心を通わせることが出来ないんだ。
どうやっても、どこまで行っても。
だからせめて本音で喋る。
「でも、嘘ってどれのこと……?」
僕はごくんと肉を飲み込む。
「彼氏がいたことないとか、経験がないとか……」
「……え!? そこなの!? それは本当だから!」
馬鹿言え。
そこを認めてくれたらちょっと信じてもよかったのに!
「どういう生活してたらその美貌で彼氏が出来ないんです? ありえない話です」
「その、出来かけたことはあるのよ? でも父と母が厳しくて……父の道を継いで防衛相に入った時も腫物扱いされてたから……」
うーん……。
にわかには信じがたい。
嫌だったら一人暮らしすればよかっただろうし、それをせずに親の言いなりになる必要があるのだろうか。
「まあ、一旦置いておきましょう。どうせなら今後の話をしませんか?」
「よくないでしょ! それはエダーク財団と関係ないのだから信じてよ!」
「いやいや、ハニートラップの可能性がありますので信じられませんね!」
網の上の肉が如く、会話が跳ねた。
でも、だんだんスカッとしてきている。
溜まっていた膿が出ていって、気持ちが晴れやかになってゆく。
「私にそんな技能あったら、財団に左遷なんてされないから! それに、長内が成す術なく私に、ろ、篭絡されているでしょ!?」
篭絡って……いやでも、話の筋は通っている。
出来るならもうそうなっているはずだ、なっていないというのは出来ないということ。
それってつまり、技能があっても身を汚さずにそう信じさせることも可能になる。
やはり信じられん……かな?
日妖に圧力を与えられる、凄まじい権力組織。
自身のそんな保身を優先できるだろうか?
明らかに女性に免疫のない僕を手玉に取るのは簡単で、そうしない理由があまりない。
本気で色仕掛けされたら、僕は手駒にされる自信がある。
「でもですねぇ、やっぱりですねぇ……」
「お願い、それは信じてよ……それ以外は疑っててもいいから」
しかし、なぜこんなに必死なのだろうか。
前かがみになって僕を見つめる瞳は真剣だ。
この一件に執着する意味がわからない。
だが釘だけは指しておかなければいけない。
「そこだけは信じてもいいですが、それを利用したなにかをしようとしたらもう絶対に信じません」
「ありがとう、絶対あなたたちを利用なんてしないから!」
彼女の表情は突然、フラッシュのように輝いた。
もし、もし彼女がずっと本音だったのなら……財団は絶対に彼女をエージェントにするべきではなかった。
でもそれはあまりにも考えにくい、まだまだ信じないんだからな。
だからそのかわいい笑顔を向けるのはやめろ。
「じゃあ、そろそろ呪神教の話をしてもいいですか?」
もう大概のことはバレてしまっているだろうからちょうどいい。
財団側の意見も聞いてみたい。
「呪術師の男ことよね。色々言っていたけど……あなたの触れられたくない部分もあるでしょ? 大江戸じゃなくて私でいいの?」
あんなことを言われてヘコんだばかりの大和さんに相談できるはずがない。
「まあ、その部分の話ではないので……あの問題は呪術師をどう止めるか、です」
「止めなきゃいけないの?」
彼女は怪訝そうに聞いた。
僕がテンスさんとの再会を望んでいることは、彼女に言っていない。
対戦相手として確定したわけでもないのに、止めなければならない道理はわからないだろう。
「あの時言っていた、長内が探してる異世界人がテンスっていう人なの?」
そうか、それは言ったな。
それと呪術師の話を結び合わせれば、そういう結論になる。
これは誤魔化しても話は進まないな。
「そうです」
「異空間の呪神教と敵対関係にある異空間体がテンス……といった会話だったはず。長内はその人に味方したいわけね」
彼女は集中し始めたのか、急激なほど青緑の瞳に知性の色が宿る。
実に有能そうだ、やはりこういう顔も持っているよな。
安心したよ、それを隠す気がないようで。
「まず呪術師は物凄く焦っていたわ、勝利に必要な駒としてあなたを利用したがっているように見えた」
「そうですか? 余裕そうでしたけど」
「あそこまで情報をペラペラ喋るとは思えない。あなたにさほど価値を感じていないのであれば、情報くらいは出し惜しみしてもおかしくない。でも彼は……そう、必死だったから」
それがわかるってことは、コーニングスさんもその手の交渉術や人心掌握術を持っているのだろう。
使われた記憶はないが、僕に見抜けるはずもない。
今は置いておこう、あの呪術師は焦っていた……そこだ。
そういった印象は受けなかった、楽しそうな感じはしたけど。
でもたしかに、そこまでしてなぜ僕がほしいか……考えられるのは、テンスさんに勝てる見込みがないから。
それ以外には考えられない。
「だから、下手に動かないことをオススメするわ。もう正直に言うけれど、あなたは私以外の財団に監視されている。テンスという人が呪術師以外にも財団に狙われたら、状況が悪化するわ」
理に適っている。
「なるほど……」
そしてやはり監視されていたのか。
ここまで注目を集めたのは人生初めてだ、僕の部屋のカーテンずっと閉めといてよかった。
「僕の部屋に盗聴器や監視カメラはついていないでしょうね?」
「バレたら財団への信用を失って円滑に進まなくなると進言して、私が止めたから」
なら、テンスさん関係については一旦考えなくてもいいか。
いざとなれば預言者さんだっているんだ、心配だけど……物凄く心配だけど、僕が関わったほうが危険だというのならば、今はとにかく接触すべきではない。
あっちにも敵、こっちにも敵といった、僕たちのような状況は本当に苦しいからな。
「意外と頭いいんですね、コーニングスさん」
「これでもパパのコネと厄介払いで左遷されたとはいえ、エダーク財団の特務エージェントなんだから……」
最初から彼女を頼ればよかった、とは思わない。
こういう状況で、僕がまたパンクして、僕は止めたかった情報まで与えてしまった結果だからこそ、こうして相談できるのだ。
怪我の功名だろう。
「長内……テンスっていう人はどういう人なの?」
コーニングスさんから知性が薄れた。
今まで僕と接してきた彼女の顔だ。
だというのにテンスさんの情報収集……判断が難しいな。
「知りませんけど」
「どういう意味!? 中性的な人なの……?」
テンスさんの風貌の情報。
素肌を一切見せぬ黒ローブに仮面、そして手袋。
目立ちすぎる、伏せるしかない。
「まあ、色々あるんですよ」
「あなた、その人の話をする時の顔……」
彼女は言い淀み、なぜだか肉を食べた。
そしてトントロを網へと乗せる。
「なんです?」
「いえ、なんでもないから……それよりも、呪術師も財団と手を組まれたら厄介だから、私で止めていいわよね?」
「はい」
複雑な顔を浮かべて彼女は話を切る。
お父さんの話をする顔と同じとか、か?
家族とまでは思っていないが、彼と過ごした日々は特別だ。
お父さんに感じている、家族としての尊敬や好き。
大和さんに感じている、友情やちょっとした依存心。
空さんに感じている、不安や心配と悲しみ。
それらとも違う、テンスさん風に言うのなら名前のわからない感情が彼にはある。
これも大事だが、目下の問題と言えば違うか。
「そういえば、僕がパンクしたらどうなるか見てもらった通りだと思うんですけど」
彼女は頷く。
今は落ち着いているが、これからも散々な目に合う可能性は十分に考えられる。
「どうしたらいいですかね、ショックなことがあるとすぐパンクするんですよ」
「……それはしょうがないことだと思うけど、対策法ね……」
コーニングスさんは真っ白な手でコップを持ち上げて、ウーロン茶を喉に通す。
カランと音を立て、彼女は一気に飲み干す。
それでも彼女はうんうんと唸り、中々答えを出してはくれなかった。
僕も考えながら肉をつつき、白米を食べる。
ゾーニングは失敗した、その方法自体はよかったのだが耐えきれなかった。
「その、女の人に甘えてみるとか……?」
ようやく口を開いたかと思えば、またそんな話か。
大和さんにも言ったが、彼女になってくれる相手がいねーんだっての!
いたら苦労してないわ! あんたと焼肉来てないわ!
「相手がいないんで、無理ですね」
声を荒げないように抑えつつ、やんわり言う。
本当は怒鳴りたい、モテたら苦労しないと。
大和さんや空みたいな顔があれば、僕は性格はかわいらしいのだから余裕なはずなのに。
「その、信用できないと思うけど甘えるだけなら……私でもいいんじゃない?」
「結局ハニトラですか! ていうかベッドでなにがあったかもう忘れたんですか!?」
「だから違うって! 忘れてないけど、そういう甘えるでもないから!」
結局、僕は声を荒げてしまうのであった。
決して平穏な日々とは呼びたくないが、悪くない食事だった。
肉が美味しいから。
そのはずである。




