第三十七節 壊れた誘惑
帰国から一日は、僕はただ無心に修行をしていた。
思考も感情も体から追い出すように、ひたすらに修行の間で崩術と獣術を交互に磨いていた。
腹が減れば飯を食い、風呂に入って、眠った。
生ける屍のような感覚だった。
二日目、今日。
上手く体が動かなくて、動こうとすると思考が溢れ出てきて体を止める。
頭から鎖が伸びているように、体を縛っていた。
昨日は動けたのに。
ちゃんと死んだ屍だ。
明日はパワードスーツの会議を事務所でやらなければならない、なんとかしなければ。
だが、なにか切っ掛けがなければ動けない。
でも、時計もなくパソコンもスリープで、ルーターのランプが光っているだけだ。
黄昏世界のように時が止まっている、動き出すのは思考。
布団に包まったまま身動きの取れない僕は、時間の流れも感じないまま頭だけが生きていた。
空さんが会紡機戦に参加していないのは、異世界に召喚されるからだろう。
だから戦う羽目にはならないはず、そう何度も結論付けた。
銀髪のピアス男は異世界人。
唐突に表れた、なにかケープタウンの二人と親交があったのかもしれない。
僕達と雷神教神託者のように。
そしてエングレイバーだかなんだかと言っていた、開術師をそう呼ぶ可能性もある。
が、陽葵さんのように存在に刻まれた力のほうがしっくり来る。
元々誰にでもあって、新たに刻まれることもあるらしいが……それに覚醒しているということだろう。
つまり刻印覚醒者、とそんな感じだろう。
僕にもその力があるのかもしれない、でもまったくの未知で扱える気がしない。
もしその力があれば、もっと役に立てたのだろうか。
大和さん一人に戦わせることなく、あそこまでの怪我もさせず。
「……」
重要なのは、テンスさんたちが日本を拠点にしていると断定してきたことだ。
なぜ僕たちから情報を得たかのように振舞ったかわからないが、記憶を読む技なのかもしれない。
僕は正直、もう日本にすらいないんじゃないかと考えていた。
でも、日本を拠点にしていると銀髪の男は考えたらしい。
ならば、テンスさんに伝えるべきではないだろうか。
あいつは理由はわからないが、雷神教神託者に敵意があるようだった。
テンスさんが危ないかもしれない、空さんはまるで最強のように言っていたがどうなるかわからない。
でも無暗に探して見つかるものか?
ホテルと言っていたが、顧客情報を教えてもらえるだろうか。
だからこそ戦ってでも再会しようと決めていたんだ。
そう考えると思考が振りだしに戻っていく。
それからどれだけ同じことを考え続けたのかはわからない。
寝ているんだか起きていたんだかもわからない微睡の中、ドアベルが鳴った。
体を起こそうとするが、ようやく切っ掛けが出来たのに動かない。
力は入る、でも動こうとすると頭の処理に追われてフリーズする。
そのせいで活力が奪われていく。
間隔を空けたドアベルが何度か鳴る。
扉を開く音、強盗かなにかだろうか。
大和さんなら事前にアポ取るだろうし。
この部屋まで来たら戦おう。
そしたら動こう。
そう決めて、その足音に耳を澄ませる。
ゆっくりと歩いているような足音が部屋の前で止まった。
乾いたノック音。
「長内、いる?」
その声はコーニングスさんのものだった。
「はい」
僕は少し掠れた声で返事をする。
扉が開いて、淡い金髪が飛び出す。
その姿はたしかにコーニングスさんだった。
「もう昼過ぎよ、まだ寝てたの?」
「まぁ、そうです」
僕はベッドの上から起き上がることもなく適当に誤魔化す。
彼女は扉を閉めて、ベッドの横に立って僕を見下ろしている。
そうだ……エダーク財団ならテンスさんたちの居場所がわかるのではないだろうか。
「あのね──」
「あの、探してほしい人がいるんですけど」
「……どんな人?」
言葉が被ってしまった、が別にいいだろう。
このまま続けよう。
「異世界の人です、会紡機戦に参加してます。この間の銀髪の男に狙われています」
「駄目よ」
彼女は即答した。
なにか言い辛そうな表情を貼り付けた顔で、下唇を噛んでいる。
なんで駄目なんだよ、別にいいじゃないか。
「あのね、漆真空とリートの情報も私で止めてるのよ。財団に狙われないように」
「……ああ、なるほど」
「そう。異空間体が心配という理由なら、財団の手を借りるべきではないわ。だって財団がその人たちと手を組んでもあなたたちが危ないから」
空さんたちが財団に狙われる可能性を失念していた、言われてみればそうだ。
財団の管轄だった、それを止めている……本当か?
でも、そう言われればこれ以上彼女にすら情報を降ろしたくない。
「それより大丈夫なの……? なんか、最近ずっと様子が変よ」
僕も学ばないな。
またこんなんになっていた、駄目なのに。
これじゃ駄目なんだ、前向きに前向きに。
「大丈夫ですよ、寝ぼけてるだけです」
「元気が出る話があるんだから、大江戸は学校にいるから先に聞いて。そのために来たのよ」
そう言って彼女は握り拳を作って胸の前に置く。
なんだか嬉しそうだ。
「会紡機戦を勝ち抜いた後、手出ししないっていう私の案、ようやく通ったのよ! 可決されたんだから!」
熱弁するように腕を揺らしながら彼女は言う。
今にも飛び跳ねそうに。
ああ、これは良いニュースだ。
嘘かもしれないけど。
「大和さんにも、はやく教えてあげたいですね」
「……ちっとも嬉しそうじゃない……降参した場合が心配? それは別問題だって突っ撥ねられちゃったけど、それも絶対通すから!」
疑っているから、だと思うが自分の感情がわからない。
なにか小さく生じている気もするが、それに触れられない。
手が届かない。
「嬉しいです、ありがとうございます」
僕はボーッとしながらお礼を述べる。
前向きに返したつもりなんだけど、彼女はそれでも納得のいかない様子だ。
どうしたらいいんだっけ、こういう時は。
小悪党ジョークか?
「お祝いしますか? ベッドの中で」
「ねぇ、そんなこと言ってないで……」
彼女の言葉の続きを、なんだか聞きたくない。
「またまた、経験豊富なんでしょう? 彼氏は今まで何人いたんですか?」
「いたことないから! ふざけないで、ちゃんと言ってよ。なにが辛いの? ちゃんと言って!」
ああ、嘘だ。
やっぱりこいつは信じちゃだめだ。
この美貌で交際経験がないわけがない。
嘘をついたんだ。
じゃあ信用しちゃいけない。
大体、銀髪の男へ発砲した時も不自然だった。
コーニングスさんが撃った弾以上に弾丸が転がっていた、スナイパーか援護部隊がいたんだ。
それは大和さんにもこっそり確認を取った、間違いない。
常時監視されていてもおかしくない、いやというかされているだろう。
そんな話、言ってくれもしなかった。
「ベッドの中で語りますよ」
もういい。
なにも話すこともない。
大和さんに相談すればいい。
コーニングスさんのことはなにも信じられない。
「じゃあいいわよ! ベッド入るから! そしたら相談してくれるんでしょ!?」
彼女は泣きそうな顔をしながら、僕から布団を引き剥がして体をねじ込んできた。
シングル用なのに、大人二人で鮨詰め状態になってしまう。
冷たい壁が背に当たって、柔らかな匂いが漂う。
ほら見ろ。
普通ベッドに入ってくるわけない。
今度はハニトラだ、大和さんの言った通りだ。
大和さんは全部正しかった。
彼の言う通りにしていればいいんだ。
「ねぇ長内、そんな目しないで……信じろとは言わないって私は言った。その意見は変わってないけど……」
彼女は泣かない、泣きそうな顔のままで。
だけどその緑と青が入り混じった瞳から涙は流れない。
演技だから。
大体僕がどんな目をしているというんだ、虚ろな目か?
バカな、元気に満ち溢れた目をしているはずだよ。
だってもう、勝手に弱って大和さんに迷惑掛けられるわけがないだろ。
相談してから弱るならともかくな。
「あなたたちは悪くない……全部、大人や社会や会紡機のせいだから……あなたは巻き込まれただけの子供なんだから……信じなくていいから」
彼女は言う、僕の背に手を滑りこませて。
いかにも表層的な言葉を並べながら。
責任とはそんな単純なものではない。
それでも歩んだ僕には責任と罪があるんだ。
それを跳ね飛ばして戦う道を選んだ。
それでも生きていていいと心で思ってくれたテンスさん。
僕を支えてくれて、一緒に戦ってくれる大和さん。
そして倒すべき口裂け女。
それら全部を否定してるんだ。
「ねぇ、言って。なにが一番辛いの?」
だというのに僕は。
敵意と失望と怒りが混在しているはずなのに。
「……当たってるから! 辛いって、そういう意味じゃないから!」
コーニングスさんが叫ぶ。
僕の体の一部が彼女に触れていた。
「ふ、ふふふ……っ」
腹の奥から笑いが込み上げてくる、目からは涙が溢れてくる。
頭の中も胸の中も、グチャグチャだ。
さっきまでが嘘みたいに無意識に体が動く。
起き上がって、唖然とするコーニングスさんを跨いで地面に降りる。
ジャンパーを剥ぎ取るように手に取り、羽織る。
「ま、待って……!」
そのまま、家を飛び出した。
みんながそう扱うから僕は弱っていくんじゃないのか?
僕は強い、なにも気にしないとみんなが言えばそうなるんじゃないのか?
そういう実験も何個かあったと動画で見たことある。
僕はそういうフリをしているだけだ。
弱ったフリをしているだけだ、大丈夫なんだ。
テンスさんを探して、伝えなきゃ。
僕は走る。
いつの間にか走っている。
涙と笑いに取り憑かれながら走る。
雪に塗れた真っ白な空間を。
すれ違う人、違う人ばかりだ。
テンスさんじゃない、誰もかれもテンスさんではない。
大和さんでもない、お父さんでもない。
僕は立ち止まって、蹲っていた。
「誰か、助けてください……」
足跡のついた雪道に助けを求める。
誰も答えない。
「くくくっ……ははは!」
笑いが零れる。
僕はなにを学んできたのだ。
今までも苦しんで、その度に助けられてやってきただろう。
なにも成長していないのか? また誰かに助けてと望むのか?
僕の頭が悪くて、甘えているだけだろ。
僕は立ち上がる、テンスさんを探す。
銀髪の男は只者ではないと思う、せめて警戒するように言ってあげないと。
僕にできることはあるんだ、僕はできるんだ。
役に立たなくて不貞腐れてただけだ、だから疎外感を覚えたんだ。
限界なんてきてない、成長してる。
だからなんてことない。
普通のことを普通にすればいいんだ。
「長内!」
雪山と雪山の間、スーパーへの入り口があるところで車道から声が聞こえた。
コーニングスさんが助手席の窓を開けて叫んでいた。
その姿を見た瞬間、寒気が走る。
鳥肌が立って、僕は頭が真っ白になって逃げていた。
だけれど車が入り込めないだろう場所を選んで逃げるだけの理性はあった。
面白い、僕は壊れてない、だって考えられているもの。
どれだけ逃げただろうか。
太陽が沈みかかっていた。
町の都心部まで来ていた。
僕の住むところは町ギリギリに位置する田舎だ、都心部は上部。
車でも遠いのに、あっという間だった。
人込み、バスの中、そこにテンスさんの姿を探す。
商店街を彷徨う、多くの人でスマホが鳴った。
大和さんから、着信が来ていた。
「はい」
僕は画面をスワイプしてスマホを耳につける。
『おい、コーニングスから聞いたぞ。どうしたってンだよ』
通話越しに大和さんの声が聞こえる。
あ、学校終わったのか。
「ちょっとストレスでヒステリック起こしただけです」
『今どこだ!』
その怒鳴るような声に体がビクりと震える。
そりゃ怒るよな、進歩ねぇもん僕。
「位置情報送ります」
そう言って通話を繋いだまま、位置情報の送信をしたその刹那。
僕の隣に見覚えのある姿が通り過ぎた。
すぐに顔を上げると、その姿が鮮明に見えた。
それは、テンスさんではない。
預言者さんでもない。
あの、銀髪の男だった。
「銀髪の男を見つけました、追います!」
『ま、待てバカヤロォ!』
僕はスマホをポケットに突っ込んで、その姿に向けて走る。
人込みを掻き分けて、変な目で見られながらも。
あいつでもいいんだ、あいつを止めればいいんだ。
それでもいいんだ、不意打ちなら倒せるかもしれない。
ああ、僕はまだ見捨てられていない。
商店街と商店街を繋ぐ道路へ折れて、男は歩いていた。
人通りが途端に少なくなった道を。
僕は走りながら、無門を発動させ崩衝の構えを取る。
すぐに距離は詰まった、振り返りもしていない。
もうすぐ、その背に届く。
ボロ布を纏った背中に届くかと思った瞬間、恐ろしいほどの眼光が走った。
手を掴まれて、僕の勢いを利用して地面へ放り出された。
「ああ、なんだ貴様か……貴様が住む町なのだから出会うこともある、か」
地面に手を付きながら、その顔を見上げる。
ピアスだらけの白みがかった肌。
雪景色を内包するかのような銀髪に、薄いオレンジ色の瞳。
そいつは僕に手を差し伸べた。
僕はその手を、崩衝を灯した手で握った。
この不意打ちなら……!
しかし、崩力がまったく浸透しない。
見れば世界全体が揺らぐほどの無門……その手に僕は引かれ、立たされる。
「長内、貴様は呪神教に入るべきだ」
「……は?」
一体、なんだ……?
どうやって勝つ……?
「貴様は自己を確立したいと常々思っていただろう。開示の呪いによって記憶を読んだ俺にはわかる」
うるさい、なぜ戦おうとしない。
なんなんだ、どいつもこいつも……。
「我々呪神教は皆一様に己を完全にするために行動している」
御託はいらない、そう思って殴りかかろうとすると見切っていると言わんばかりに避けられる。
「落ち着いて話をしよう」
「……だって、あなたはテンスさんの敵です」
「テンス……第十神託者か、たしかに神託者は敵だが俺はまだ貴様の敵ではない」
またこういうのか。
コーニングスさんで間に合ってるんだ、そういうのは。
でも、勝てる見込みがない、散々喋らせて仲間になると言って油断させるか?
ああ、それにしてもいい、戻ってきてる、僕が。
「会紡機は元々、我々呪神教のものだ。それを何度も神託者に奪われている……会紡機を得ること、それが我々の悲願だ。だが貴様の記憶では会紡機を望むもっともらしい理由はなかっただろう? 協力しないか?」
「僕はテンスさんの味方です」
でも、これだけは嘘をつけない。
テンスさんを、彼を裏切るようなことは口が裂けても言う気にならない。
ほかの切り口で乗って油断させる。
「それではいけないんだよ、長内王雅」
彼の目は未だ鋭い、隙が見当たらない。
「第十神託者と再会してどうするというのだ、生きる世界が違うだろう。奴らは自己を雷神の天命にすり替えて生きる、神に魂を売った連中だ」
テンスさんの話を続けるな、喋るな。
それ以外にしろ、乗れるものも乗れなくなる。
「でも、テンスさんは……自分の感情を知って大切にしようとしています」
「アレは神託者になったばかりだからだ、いずれそうなるんだ。第一神託者がそうするんだよ。止めたいとも思わないのか?」
預言者さんが……テンスさんを傀儡にするとでもいうのか?
ない話ではない、そういうきらいはある。
だけど、こいつの言ってることは破綻してる。
テンスさんの敵のくせに、僕が仲間になったらお前が降参するとでも言うのか?
「どうせ、テンスさんを殺すつもりなんでしょう!?」
「ああ、だが貴様が呪神教に入った上で奴が降参するのなら命は奪わないと約束しよう」
「はぁ……?」
「腐っても神託者だ、天命は全うしようとするだろう。だが貴様が懇願すれば、相手が第十神託者とて一縷の望みも生まれる」
利用しようって、そういう腹か。
なんだかんだ言ってもそうなんじゃないか。
コーニングスさんも、こいつも。
「貴様は暴力がなんだ倫理はなんだ、誠意が他人がと悩んでいたようではないか。その悩みからも解放され、第十神託者の命の危険もなくなる」
そこまで見えたのか、プライバシーの欠片もない。
だけど、言っていることは間違いではない。
どうやって悩みから解放されるのかは不透明だが。
「それに、貴様が──寝ぼけ眼と呼んでいるソレも、我々の悲願が叶えばどうにでもなる」
その言葉。
その言葉に僕の芯が揺れ動く。
心が、体が、天地がひっくり返ったように。




