第三十節 決意は拳で砕けるか
口裂け女。
お父さんを食った、お父さんの仇。
憎しみがないわけではない、許せないという気持ちもある。
お父さんはもっと暖かな、老衰のような死であるべきだった。
それを捻じ曲げた、正しい死に方をさせなかった、それに対する怒りもある。
ただ、なぜだか僕はそれを、宿命だと感じていた。
超えるべき壁……試練だと。
だからそれは復讐という形をしているが、中身は少し違う気がした。
天罰を下す、因果の応報を与える、というそんな風に捉えている。
「最近すっきりした顔してると思ってたのによォ、難しい顔になってやがンな」
エクソテックス本社の社長室へ繋がる通路を歩いていると、過ぎ去る扉を共にしていた大和さんが口を開く。
「ええ、お父さんを殺した相手がわかったんです。李さんが最後に言ってた妖怪みたいです」
「……いきなり、雑談みてぇになに言ってンだよ……!?」
人生、迷いや悩みを捨てることはできない。
ましてや僕は逐一悩んでしまうタイプで、しかもオツムがよろしくないから中々答えを出せない。
それでも、僕が行く道は決まっている。
「まあ、僕の目的は明確になりましたから」
「……なあ、最近なんか趣味の遊びとかやってっか?」
突然大和さんは話を変えた。
歩幅を少しばかり狭めて、ゆっくりと窓を眺めながら。
僕も釣られて、窓の外の景色を眺めた。
大道路にライトを点けた数々の車が走っていて、通行人はあまりいない。
通路は昼間のように明るいのに、外は不自然に暗い。
「そういや、やってないですね」
パソコンゲームもあまりやらずに開術系と筋トレばっかりだ。
でもそんなの今に始まったことではない。
たまにパソコンを点けると、ネット友達から死んだか? なんてメッセージは来ていたが。
「三日前も銭湯行った時もそうだけどよォ……オメェ、普通じゃねぇことを普通のように語ってる自覚あンのか?」
う、うーん?
普通じゃない、か?
大和さんの身の上話と無門の命名くらいしか覚えていないが。
「反社だの、異世界だの、吸血鬼だの、陽葵の超能力だの、神託者だの、妖怪だの日妖だの……全部、普通のことじゃねぇんだ。その区別、ついてっか?」
僕は会紡機戦が終わるまでの辛抱だと思っている。
そうしたら、またあの引きこもり生活に戻れるのだと信じている。
だけど、ずっと妖怪が見えていて非公認崩術師をやっていた僕だ。
特殊は特殊なのだろうが……そこまでおかしい気がしていない。
麻痺しているんだろうか。
「説教じゃねぇからな、オメェは極端すぎっから心配しただけだ……まァ、考えといてくれや」
社長室の前に立つと、彼はそう言ってノックもせずに扉を開けた。
黒くシックな両開きの扉は、軽々しく次の景色を見せる。
僕は一応開きかけの扉をノックしながら開いた。
「失礼します」
僕は会釈を済ませて、大和さんは無言のまま社長机の前にあるガラスの机前まで歩く。
五回も来ていないのに、なんだか見慣れた風景だと思ってしまう。
「よォ、たまにゃ呼び出しじゃなくてメシ奢れや。そこでも話は出来ンだろ?」
「すまないが、多忙な身でね……最近は会紡機戦に財団も絡んでいるからここを離れられないんだ」
二人は挨拶もせずに語り始めた。
無表情な大和さんに対して、社長さんは温和に苦笑いしながら対応する。
「まず、財団の件ありがとうございました。お陰で日妖のほうもなんとかなりました」
「ああ、緊急事態だったようだから連絡して正解だった。日妖なんて組織があってそこと財団が繋がっているなんて、私も知らなかったがね」
知らずに連絡したのか、結構ズブズブなのか?
異空間体調査管理財団と日妖の関係性まではわからないが。
「じゃあもう財団のことは知ったんだろう? 異空間体調査管理財団、通称エダーク財団のことを」
いや通称までは知らんかったけども。
「Foundation for Extra-Dimensional Entity Research and ContainmentでEDERC財団ってとこか」
「ふぁっ……」
英語が長すぎてわからんが、なんかダークな財団そうだな。
「軍用パワードスーツの取引先の一つでね、会紡機戦の取引にも乗ってくれて後ろ盾になったというわけさ」
「なるほど?」
未だエダーク財団なる組織の全容はわからないが、なにやら怪しい組織で権威があることは理解できた。
「そろそろ兄貴に関する情報、一個くらい落とせンのか?」
「ああ、大江戸武蔵くんの件だね、とても貴重な情報がわかったよ」
社長さんの背にある一面のガラスはカーテンで塞がれていて、密閉されている。
その密室空間の息苦しさと、大和さんの生唾を呑む音が混ざり僕も思わず緊張していまう。
「彼、失踪前に何者かに狙われていた……どうやら、海外に亡命したようだ」
「ぼう、めい……?」
密室に逃げ場などないというのに、大和さんの小さな声は溶けて消える。
「残念だがここまでしか言えない。まだ会紡機戦を降りられちゃこっちも困るんだ」
もっと貴重な情報を持っているから、知りたかったら会紡機戦に参加し続けて会紡機取ってこいよってことか。
「兄貴は生きてンのか? どうなんだ……?」
「そこまでは本当にわからないが、今その国を調べてもらってるよ。私が知っているのはなぜ狙われたかと、亡命先の国くらいだ」
「……そうかァ」
温和さを崩しつつも、感情の見せない表情で社長は言う。
言葉はスラスラ出てきているのに、なんだか言葉を選んでいるような違和感を覚える。
本当の話なのか、それは?
だが、社長さんが隠している部分は吸血鬼の二人が探っている範囲だ。
両者の情報を補完し合えば、失踪の全貌が見えてくるかもしれない。
「さて、今回も大江戸くんは金銭的な報酬はいらないのかな?」
「あァ、王雅にでも回してやってくれ。学生のうちに大金なんて得たらおかしくならァ」
すんなり大江戸武蔵さんの話が終わってしまった。
それでいいのだろうか。
「いや、僕もパワードスーツ壊しちゃいましたし……」
李国燕さんとの戦いでもうスーツは使い物にならなくなった。
戦うには、パワードスーツは必要だ。
「気にするな、と言いたい所だが……あれの開発費もバカにならないことは事実だね、しかし報酬は支払うよ。こちらで貸し出したもので会紡機戦の協力もしてくれている長内くんに責任はない」
「そうですか、ではありがたく」
大和さんが大人になったら、大和さんの分は返そっと。
「ただ少々困ったことになってね」
僕専用に調整したものをそうポンポン何個も作れないだろう。
なにに困っているのだろう、開発資金が足りないのだろうか?
それは僕も困るぞ。
「やはり非武装のスーツでは戦いに持たないことはわかった……が、日本では武装パワードスーツは作れない。そこで軍事機密提携しているタイ王国軍に協力を要請したんだが断られてしまってね」
タイ王国軍。
あのインドネシア異世界騎士戦の時にスーツ自動装着コンテナを届けてくれた軍か。
日本じゃ作れないから、タイにある奴を使わせようとした、ってことか?
ということは、次から会紡機戦の待機にタイまで行かせようとしてたってこと!?
「もっと詳しく言えやァ」
「この国では非合法なパワードスーツを隠匿する場所がない、そこでタイから戦闘直前に運んでもらおうと考えたのだが……」
なんだ、そういうことか……獣術の無門だけではちょっと不安なんだよな。
李さんとの戦いもパワードスーツなしだと勝てなかったし、ましてや李さんやお父さんを越えた存在を相手にする可能性もあるんだ。
武装パワードスーツはほしい。
「断られはしたが、タイ王国軍から交換条件が降りた。軍に対し政治的圧力を掛けられるほどの権力者が邪魔らしくてね。排除してくれるのならば、と」
話が……見えた。
「僕たちが始末しろってことですか?」
「頼めるかな?」
社長は当たり前のように頼んだ、ずっとテンションが一定だ。
視界の端で、なにかが揺れている。
「俺たちは殺し屋じゃねぇ!」
大和さんはいつからか震えていた拳をついに解放し、目の前のガラス机を叩き割った。
耳を切る高音が降り注いで、足元に破片が転がった。
顔が反射している、驚きながらも冷たい目をしてる。
あ、これ僕の顔だった。
危ないな、自己だけは強く持たなければ。
「ふざけるなよ……? テメェの口車に乗ってンのは目的があるからだ、会紡機戦は取引だ! ンな風に利用されるのは御免だぜ!」
「だとして現実的な問題として武装なしで勝てるのか?」
無理だろうな。
異世界の騎士さんはヘリを叩き切ったが、僕にはまだそんなことはできない。
手出しされなかったら出来るかもしれないが。
でも機銃を耐えられるとは思えないし、プロペラが当たったらさすがにミンチだ。
とにかく有利に進めて、確実性を上げるなら武装パワードスーツは必要だろう。
「君たちに選択肢があると思ってるのか? 会紡機戦で負けても殺されると決まったわけではないだろうが、エダーク財団に始末されるよ? どっちにしても負ければ死しかないんだよ君たちは」
……初めてだ、社長さんがここまで直接的な脅しを口にしたのは。
やはりと言うべきか、淡々とした口調で感情も見えないままに。
ただし今回は言葉を決めていたみたいに、迷いが見られない。
そうだよな、僕たちの予想通りだよ。
ただ勝ち残っても始末されるかもしれないけどさ。
「ようやく煙巻くことくれぇは辞めれたじゃねぇか」
「社会ってのはこういうバランス感覚が大事なんだよ、子供にはわからないかもしれないがね」
「その子供の命を利用してる奴に、言われたかねぇよ!」
その言葉に、社長さんの頬はぴくりと動いた。
ストレスに反応したように、表情が勝手に痙攣しているような。
「……だが、私にその権力者を始末する力はない。どうにもならないんだよ」
「あ? テメェもリスク背負って国内で非合法パワードスーツ作れや」
「その結果、警察やマスコミに露見して君たちが力を失っては本末転倒だろ?」
堂々巡りだな……どうしようか。
答えは一つしかないのに、悩んでてもしょうがないか。
「じゃあ僕一人でやります」
「あ!? なに言ってンだよ!」
口裂け女、崩王を越える力を持つ存在には少しでも、ほんの僅かでも勝率を上げる工夫をしなくてはならない。
きっとそれほどまでの化け物だ。
でも、大和さんの手は汚れちゃだめだ。
何度も考えたことだ、彼は清い手のままにお兄さんと再会するべきだと。
だったら、答えはもう決まっているじゃないか。
「でも、お兄さんと再会するためには大和さんは死んじゃいけないですし……お兄さんに合わせるはずの顔に泥塗っちゃいけないでしょう」
当たり前のことを言ったつもりだった。
だというのに、大和さんは獣か鬼のような顔へと激怒に歪む。
床を砕くほどの勢いで僕に迫り、血管の浮き出た両腕で襟元を捻り上げられる。
「オメェの手は汚れていいンかよ!? 俺の問題まで全部背負い込もうとすンじゃねぇ!」
「でも、僕にとって大和さんは大事な……友達なんです」
「だったら、余計にだろうがァ!」
その言葉の勢いが拳に宿ったかのように、目にも止まらぬ速さで頬へ叩き込まれる。
無意識に無門を発動してしまったが、気づいた時には地面に横たわっていた。
それでも頬は熱を帯びている。
「オメェは、おかしくなってやがる! なにを決めたンだか知らねぇが、間違ってンだよ!」
「だって、間違った道しか選べないんですもん……」
「言い訳をすンじゃねぇ! 俺の拳は既に汚れてっし、俺も間違いだらけだ! だがそれでいいなんて思っちゃいねぇ!」
でも、でも……。
じゃあ寝ぼけ眼をどうすればいいんだ。
あいつの意思に従うと正しい道を選べるさ、でも僕は侵かされる。
戦いに勝てもしない、生きていけない。
そうなるとテンスさんにも、もう会えない。
お父さんの安寧も守れない。
なにも出来ないんだ。
だから決めたんだ、間違ったまま行くんだ。
もう、悩んでも迷っても曲げないんだ。
「間違えるにしたって、オメェ一人でなんて許さねぇ!」
だめなんだって、どうしてもだめなんだそれは。
大和さんは、汚れちゃだめなんだ。
「オメェはもう十分傷ついてンだよ!」
……傷ついてる?
なんだそれ、どういう意味だ?
急に頭が回らなくなった。
傷ついてるって、そうなのか?
「オメェは散々な目にあった、その度に悩んでたことは知ってらァ! だが王雅、オメェが間違ってるのは助けての一言もなしに、全部一人で背負ったことだ!」
たしかに助けてと言ったことはない。
結果的に助けられて感謝したことはある。
自分から求めたことは、あまりないかもしれない。
「小便タレで、女見る度に鼻伸ばして、悪知恵ばっかりで、なのに……なのに、真面目で純粋すぎンだよ……!」
真面目で純粋。
そうは思わない。
どこまで行っても、彼の言うことは正しくても僕はそう生きられないと思ってしまう。
起き上がる気にもなれず、思考が停止しかかっていた。
僕を動かす原動力が奪われる気がしている。
失ってしまえば、僕は全てを乗っ取られて沈んでいく気がした。
「力が、足りないんです……もっと強い力がなきゃ、勝てないんです」
「ンなのわかってる、生き残るための力は必要だ。俺たちゃ銃も手に取った、どれだけの人数をぶっ飛ばしてきたかも覚えてねぇ……引き返せねぇかもしれねぇ」
「……」
「だがよ、信念だけは持ってなきゃいけねぇ」
その信念が、僕の場合は間違ったまま進むことだったんだ。
だから、これでいいんだ。
「僕は、おかしくなんかないです……!」
さっきまで立ち上がることも出来なかったのに、無意識に立ち上がっていた。
「正常なまま、間違えるという決断をしたんですッ!」
「オメェは戦っちゃいけなかったンだよ、王雅」
殴り合いになるかもしれない、そう思ったが彼は脱力して手をぶらんと投げ出した。
「良くも悪くも、オメェは繊細すぎンだよ」
「繊細? 僕は戦うことは嫌いじゃないです」
「ああ、楽しんでる時もあっただろうなァ。でもオメェは罪悪感を誤魔化せねぇ、歪んだ自己正当化しかできねぇ、だから戦いに向いてねぇんだ」
……悪く言えば神経質すぎるのか。
なに一つ完璧に出来やしないのに、僕は完璧主義者なのか?
間違っていることを正しいとは思えない。
だから間違えたまま、間違えていること自体を自己肯定する。
「間違いたいなら間違えばいいさ、オメェがそれでいいんならそれでいいンだ。でも、オメェは救われていいんだ。だから相談してもいいし、助けてと言ってもいいンだ」
わ、わけがわからない。
もうどんな話なんだかわからない、彼の言うことが滅茶苦茶かずっと一本筋が通ってるのかもわからない。
「オメェは繊細だから罪悪感を覚えちまう。真面目だから自分の罪悪感を誤魔化せねぇ、純粋だから自分は悪のまま生きていくしかねぇと思っちまう……その先は、地獄しかねぇよ」
目的のために自分を落とし続ければ、当然落ちていく。
その果てに地獄があるって……ことか。
それは理解できるが。
「オメェは正しくなくていい。だけど悪人にも向いてねぇ……小悪党だよ王雅、それでいいじゃねぇか」
小悪党……小悪党か。
「小悪党……ですか、ははは、僕らしいですね」
なぜだかその言葉が軽くて、だけど胸にしっかりと沈み込んで、視界がまた一つ晴れた気がする。
過去の全てが陳腐になってしまうかもしれない。
決意の価値も下がるかもしれない。
今までの悩みが下らないものになってしまうかもしれない。
僕そのものがしょうもない存在になるかもしれない。
そう思うと、なんだか面白くなって笑った。
「そんなもンだろ? 人生なんてよ。ってーわけで社長、その話は断らせてもらう。大悪党に頼むンだな!」
「……青いな、後悔するぞ」
「るっせぇ! 大物ぶンじゃねぇバーカ! 帰るぞ王雅!」
そう言って彼は中指を突き立てる。
「そうですね、すたこらさっさーです。社長さん報酬金はお忘れなく!」
僕もわざとらしく、助走をつけて部屋を出た。
それでも現実的に、力は必要だ。
でも小物らしく、ずる賢くなんとかすればいいんだ。
正しい選択も間違った選択も、未来を見なければわからない。
行動の結果、誰が救われて誰が苦しむかなんて予測できないことばっかりだった。
綺麗に丸っと解決したこともないように思えるし、絶対の正誤もなかった。
だから信念が必要なんだろう、小悪党であるという信念もその一つか。
全部がそうとは言わない、それでも核心ではある。
そんな考えも捨てきれずに、僕を苦しめてきたなにかに一矢報いたような気持ちになって。
僕たちは子供みたいに、通路を笑いで響かせ歩いた。




