第二十九節 消える影、迫る影
僕たちは広間に移動しながら、思考を回す。
収穫もあった。
鬼術師になるデメリットがもう一つわかった。
おたんちんな妖怪と共に過ごすのは、とても大変だということ。
きっと猫や犬のほうがお利巧さんだ。
賢い妖怪って、見たことないんだよな……ずる賢いならたくさんいるけど。
「銭湯なんて一人じゃ来ないので久しぶりに気持ちかったです」
「極楽浄土を見たですじゃ」
とくにシャワーが良かった。
僕はそう言いながら、空間が間延びしたような広間の座布団に座った。
凄まじい長テーブルがあって、仕切りもなく他の団体とは距離を離してそれを共有する。
田舎らしい、お喋りも食事もお休みもできるスペースだ。
「俺も家から出れてガス抜きできたぜ」
そういえば、大和さんを一応送別会に誘ったがまさか本当に来るとは思わなかったな。
影貉さんのこと好きじゃないだろうに、と思っていたがガス抜きしたかったのか。
「大丈夫なんですか?」
「たまにゃいいだろ? 模試はないとは言え、受験勉強だけじゃ息がつまらァ」
「親御さん、前に凄い怒ってましたけど」
「ちゃんと行先言って出てくようにしたから、大丈夫だろォ」
今まで言ってなかったのかよ。
そりゃ心配するだろ、お兄さんが失踪してんだから。
「ていうかなんで模試ないんですか?」
「志望は海外の大学だからよ。もうIELTSとTOEFLも済ませたし、この時期に済ませておくことはもう済ませてンだよ」
そうか。
来年にはもう、海外に行くのか。
びっくりしたけど、すぐ腑に落ちた。
彼らしいや。
でもアイエルツとトウフルってなんだっけ。
トーイックは知ってるけども、また別なのだろうか。
底辺高卒だからわからねえぞ!
「ってことは、会紡機戦が今年中に終わらないと困りますよね」
「ほんとだぜ、でもオメェの恩師やら異世界の騎士レベルの奴らがゴロゴロいるとも思えねぇし、もう四十人は切ってると思うぜ? 相打ちとか失格とかもあンなら、二十人切ってるかもな」
その計算はよくわからないが、四十人から二十人と考えればもう戦いも佳境だ。
与野さん、異世界の騎士、李国燕さん。
たった三人としか戦っていないのに。
「真面目な話をしているところ申し訳ないのですじゃ、ちょっとお酒を頼んでくれませんかの?」
「へっ? どっちも未成年だから頼めないですよ」
「後生ですじゃ! 風呂上がりの酒というものを味わってみたいんですじゃ!」
僕は大和さんと顔を見合わせる。
なんだか困った顔をしている、そして鏡合わせになったように僕もその表情になっていることだろう。
「王雅も童顔だしなァ……どうすンだよ」
「僕童顔じゃないですけど、歴戦の戦士みたいな顔ですけど」
「どこがだよ!」
「長内殿は男前ですじゃ! いけるですじゃ!」
そうは言われても。
僕は反倫理的だとしても、間違っているとしてもそれが想いにとって必要ならすると決めた。
李さんとの戦いを通して確信も持てた。
でもこれは想いではあるが、なんだかなあ。
「妖狐たちのように変化とか出来ないんですか?」
「出来たとしても、ワシは一般的な人間には見えないですじゃ」
あ、そうだった。
むぅ……妖怪知識炸裂かと思ったのに。
そうしていると、大和さんが身を寄せてきた。
「ノンアルビールならいいんじゃねぇの……?」
そう耳打ちされた。
ノンアルなんて知らないだろうし、いいアイデアかもしれない。
「たしかに……!」
「ンじゃ、俺コーラな」
僕はすくりと立ち上がり、影貉さんにウィンクすると彼は、おおっと声を上げる。
そのまま広間の飲食入り口に行くとお婆さんの店員さんが見えた。
緊張するな……ノンアルだから大丈夫だろうけど、大丈夫だよな?
なんで銃をぶっ放したり、命の駆け引きをしてきた僕がこんなことで緊張するんだ。
極限状態じゃないから、とかか?
ごくりと、生唾を飲み込んで僕はお婆さんへ戦敵が如く視線を送る。
「ノンアルコールビールとオレンジソーダとコーラを……ください!」
「ノンアルとオレンジソーダとコーラですねえ……九百三十円になります」
よしっ!
内心でガッツポーズを取りながら、僕は財布を取り出して千円を出した。
お釣りをもらって、勝利に酔っていると次々にカウンターにそれは置かれた。
僕はそれを一度に持ち、長机まで運ぶ。
「さすが長内殿!」
「ふふん」
「喫茶店奢ってもらってばっかだし、金払うわァ」
「いりません、今は気分がいいので」
僕は勝利の美酒を一気に飲み込んだ。
風呂上がりのジュースは最高だ……。
「くぅぅ、五臓六腑に染みわたりますなぁ!」
妖怪に五臓六腑なんてあるのだろうか?
そんなことも考えながら、思い思いに僕たちはドリンクを楽しんだ。
「あ、そうだ、獣術のことなんですけど」
「あァ、身体強化みたいなやつだよなァ?」
「崩術って崩衝とか崩放とか個別の技名があるじゃないですか。これも獣術というカテゴリの中の個別術だと思うんですよ、テンスさんから名前聞き忘れちゃって」
「まさか、オメェ……」
「お二人で考えてくれません? ジュース奢り代ってことで」
僕は唐突に思いついたことをそのまま口走った。
どうせだから、かっこいい技名ほしいよな。
「じゃあまずワシから……タイガーボディでどうですじゃ?」
だ、だっせえ。
なんでタイガーなんだよ。
「……男の拳でどうだァ?」
趣味じゃない……。
だめだ、この人たちにはセンスがない。
中二なセンスが。
うーん、外に繋がる命線を閉じて内で高速循環させるから……うーん。
閉じ、無色の開力を循環させるから……無門。
いいな。
「じゃあ獣術改め、無門で」
「ワシらの意見は!?」
中々いい、無門。
「だっせぇ……けどま、いいんじゃねぇの? 李国燕との戦いでも技名叫びあってたの正直引いたけどよォ、利には適ってると思うぜ」
「ださくないですけど、真剣な師弟対決に引かないでほしいんですけど、そうなんですか?」
「パブロフの犬ってあるだろ、条件反射の条件付けやパフォーマンス・ルーチンだァ。言葉にそれを紐づけてイメージしやすくするのは認知神経科学には有効だと思うぜ?」
「なるほど!」
言葉を紐づけてイメージか。
開術系にはぴったりかもしれない、感覚も大事だしな。
「だがクリア・マニューバだと名称が長すぎて、効果薄れるなァ」
「えー、いいじゃないですか無門! 無に門って書いてクリア・マニューバですよ」
「ンなら無門にしろや!」
「今回ばかりはワシも同感ですじゃ、無門のほうが崩術師らしくて良いですじゃ」
「もぉ。しょうがないですね、今回だけですよ?」
「しゃ、釈然としねぇ……」
こうして、技名は無門と決まった。
その決定と共に風がふわり流れ、良い匂いが漂った。
人が通ったのだろう、僕たち同じシャンプーやボディソープのはずなのになんだかそこに甘い香りまでついていた。
僕たちの間に、するりと艶やかな黒髪がサランヘヨ。
「こんにちは!」
あ、頼成さん……?
なぜここに、ていうかお風呂上りか?
「む、あの時の女子……迷惑をかけてすみませぬじゃ」
影貉さんは聞こえてもいないのに、頭を下げた。
「あ、どうもです」
「おォ、頼成。オメェも銭湯か?」
「そうなんです、お母さんと一緒に来てて」
腰を屈めた彼女は、少し胸元がゆるい服で実った双丘が深淵なのだった。
子供っぽい黄色の服が、逆に煽情的だ。
……思い出してしまうな、前に破れた服から胸元を見てしまったことを。
でも大事なところは見てないから大丈夫だよ!
僕は紳士さ。
「奇遇ですね、運命なのかもしれませんね」
僕はニヒルに笑いながらそう言った。
大和さんはなぜだか、えずき出しそうな顔をしているが関係ない。
頼成さんは視線を僕と大和さんへ焦点を定めず泳がせながら、頬を上気させていった。
どっちを見ているんだかよくわからんが、僕に集中してくれてもいいんだぜ。
「あ、えと、さっきなんだかマニューバって言ってましたよね。UFOの話ですか?」
「ふ、その通りです」
僕は声を低くして、囁くように話を合わせた。
まさか獣術の話をするわけにもいくまい。
「大江戸くんも、ついにUFOに関心を示したんですね!」
「いやぁ……? こいつの話に付き合ってるだけだァ……」
「長内さん、UFOそんなに好きなんですか!」
「ああ、ええ、嗜む程度に」
まずい、その方向はまずいって大和さん。
深堀されたらなにも答えられないぞ?
しかも反応できないのをいいことに、僕のオレンジソーダに影貉さんが顔を突っ込んでいる。
「宇宙人はなにが一番好きですか?」
なぜだか僕の頭の中は円盤型のUFOがフラフープへと姿を変えていた。
思考もフラフープもふらふらと回っていた。
「フ、フ、フラ……」
思わずフラフープと言いかけそうになってしまう。
「フラットウッズ・モンスターですか? 私もとても好きです!」
切り抜けた、という安堵よりも同時に無邪気に笑うその顔が眩しすぎて目を合わせられなくなった。
エロかわいい……。
彼女はなにかに気づいたように、少し離れてこちらに振り向いた。
「お母さんがお風呂上がったみたいなので、お邪魔しちゃってすみませんでした!」
「いや、元気そうでよかったぜ」
「その通りです、大和さんいいこと言う」
彼女は大きな胸を揺らしながら、ママと呼びながらトテトテと効果音がなりそうな小走りで走り去っていた。
サイハイソックスから覗くふともも。
ふんふん、ふともも、ふんふん。
「さて、俺たちも帰るかァ?」
「ワシも満足しましたじゃ、今回は誠にかたじけないですじゃ!」
影貉さんにはあまり触れてあげられなかったが、満足したようでよかった。
まあ、付き合いも短いし感動の別れというほどでもない。
そこまで生活上も接点がなかった。
こんなもんだろう。
落ち着いた体を起こして、僕たちは玄関から出た。
まだ暖かった肌を、雪景色が冷たく迎え入れる。
寒いけど、なんだか気持ちいいな。
二人と一匹で車に乗り込み、僕は大江戸家へと向かう。
「僕、頼成さんが好きかもです……」
なんとなく、雑談感覚で口走ってしまった。
「あァ? マジでか? 性欲じゃなくて、か?」
せ、性欲?
ただの性欲?
そんなバカな、と反論はできない。
ありそうな気もする。
「恋慕と情欲の違いは難しいものですじゃ。昔も義理と人情と言って考えられてきたことですじゃ」
ヤクザみたいな言葉だが、そんなもんなのだろうか。
何時代の話なのかはわからないが、戦国時代とか江戸時代とかか?
「まァ、俺も恋なんぞしたことねぇからわからねぇけどよ……普通に下心にしか見えなかったぜ?」
そっか、難しいな。
……恋ってなんだろう、性欲とどう違うんだろう。
ずっとそれを考え続けて、大江戸家に辿り着いた。
大和さんが楽しかったぜ、と言い残して降りると後部座席から影貉さんが飛び出してきた。
助手席にこてんと陣取ると、僕はまた車を走らせた。
「恋ってなんだと思いますか?」
「妖怪はそういう感情がないからわからないですじゃ」
「そうですよね」
まあ、エロいだかわいいだ、僕に惚れてるかもしれないだ、そういうのは恋ではないというのはわかった……まだ僕は、恋の感触を知らないんだ。
でも、そうした欲望は僕のものではある。
向ける対象が違うのかもしれないし、これからこれが恋になるのかもしれない。
まだそれは、わからないけど……少なくとも今は違うと、そんな直感がある。
最近車に乗ると考えごとをする癖がついてしまった。
喫茶店と車では壮大なテーマを考えてしまう、これがパブロフの犬か。
「そういや、今回は僕が崩進で黄昏世界の入り口開きますけど、崩術師なしでどう帰るつもりだったんですか?」
黄昏世界には稀に突発的な穴が開くことがある、こちらへの穴が。
じゃあ逆にこっちの世界でも崩術師の手なしに穴が開くということだ。
偶発的な代物だから、意図的には帰れないはず。
「帰るつもりもありませなんだ、考えたこともありませぬが……まあ、いざとなったら日妖に頼めば帰らせてはくださるじゃろう」
「まあ悪さしなかったら、の話ですけどね。キムナイヌさんとの一件がバレたらどうなるかわかりませんでしたよ」
会話が進む度に車は進んだ。
それからも適当に、崩術師やお父さんの話をしながら僕たちは公園に辿り着いた。
寂れた、雪に埋もれた公園に。
車を降りて、ズボズボと滑り台の元まで進む。
肌に感じる、歪んだような空気の淀みを。
空間の綻びへ手を差し出して、ドアノブを捻るように僕は手を捩じった。
「どうせなので、僕も黄昏世界に寄っていきますよ」
「誠ですじゃ? さすが長内殿!」
理由はない。
だけどその言葉は空元気のように聞こえた。
無理やり出したような喜びの声に、一抹の不安が混じっている気がした。
なんだ、やっぱ寂しいのか?
まあ、彼はこんなんだが癒しにはなっていた。
もう少しいてくれてもいいがね……。
雪景色が螺旋を描くように捻じれて、緑色の光がラテアートのように混ざって溶けた。
波紋が広がるように、空間が中央から押し広げられた。
彼は無言でそこへ飛び入る、僕もそれを潜った。
沈みかけた日が停止した世界。
荒野には神が玩具を散らかしたかのような岩が散乱している。
風も吹かず、寒くもなく暑くもなく涼しくもない。
自分の時まで止まってしまったかのような、世界だ。
彼は無言で短い足で歩いた。
僕もとくに言葉もなくその後を追うと、いきなり立ち止まった。
「長内殿……長内殿は苦しい真実か、楽な無知か、どっちがよいですじゃ?」
「うーん、どっちかっていうと真実のほうがいいですかね?」
何気なく、とくに考えもせずに僕は答えた。
すると彼は首だけ振り返って、視線を合わせた。
そのまま、体も振り返らせ僕に向かい合う。
なんか、大事な話っぽいな。
妖怪のことだからわからんが……と内心で笑いながら僕はしゃがんで目線を合わせる。
「言うか言わまいか、迷いましたが……あの中国の崩術師が言っておった妖怪、覚えておりますじゃ?」
「えーと、李さんの仲間を食ったという?」
「そうですじゃ、恐らく……これは憶測というのは前提に聞いてくだされ」
「はい」
なんだろう、その妖怪に心当たりでもあるのだろうか。
「恐らくその妖怪は、少し昔にここにも表れたことがありますじゃ」
「ふむ? 日本に来てるんですか?」
「中国からどう渡ってきたかはわかりませぬが……その妖怪は、崩王を食った口裂け女かもしれないですじゃ」
崩王を……く!?
頭が、なんか、奥……!
脳の奥に沈んだなにかが浮かび上がってくる、ような。
涎を垂らして、凄まじい痛みに脳が軋む。
両手で頭を抱えるが、止む気配が、ない。
脳に石をぶちこまれたような、そんな痛みで……!
「長内殿! どうしたんですじゃ!」
知らない、少女。
ぼんやりとする影。
お父さんが、食われる。
巨大な口がお父さんを飲み込んでいる、手が、頭に迫る。
溝口……溝口は、本当のことを、言っていた……?
口裂け女、口裂け女、あいつがお父さんを、食った?
恐怖が神経を乗っ取り、鉛のように重くなった体が倒れる。
体が動かない、ビリビリとする殺気。
断片的な映像の逆流と一緒に、凄まじいあの時の殺気を思い出させる。
「あ……あ?」
……口裂け、女。
僕は見た。
僕を見ている、口裂け女を。
見たことが、ある。
「影貉さん……」
「大丈夫ですじゃ!?」
「口裂け女、僕は、会ったこと……あります。あなたはなぜ、崩王が食べられたことを知っているんですか?」
「目撃した妖怪がおって聞いたのじゃ、その場に長内殿がおったとは聞いておりませなんだが……」
頭痛がすぅっと引いていく。
殺気が僕を追い越していく。
脳の奥に痺れを残して。
少女と背を向けた人らしき人物のことは思い出せない。
でも、食われるお父さんと口裂け女らしき者はなんとか思い出した。
僕は、なんで忘れていたんだ?
「……へ、っへへ」
お父さんを倒す、力を持つ……なら。
僕の口は、チェシャ猫へと引き裂けていく。
お父さんを、崩王を倒せる存在だというのなら。
会紡機戦に、参加してるかもしれない。
テンスさんとの再会、大和さんとお兄さんの再会。
その目的に、さっそく障壁が現れた。
お父さん、きっと僕は仇を取ることになると思う。
こればっかりは、天国から応援しててくれ。




