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第二十八節 泡と語られる

 しっとりとした地面。

 裸の男たちが、股間をタオルで隠しながらのそのそと扉の奥に消えていく。


 僕はロッカーに衣服を入れると、隣からも布ずれの音が聞こえてくる。


「……」

「なに見てンだよキメェな」


 すげぇ肉体だ……筋肉が部位ごとに盛り上がっていて、どこがどこの筋肉なのかはっきりとわかる。

 雪国らしい色白の肌に、キリっと整った目。

 鼻も高くて、でも生意気そうなかわいげも残した非常に整った顔だ。

 ヤンチャ系イケメンの代表格に上がりそうだな、大和さんは。

 ただ、筋肉増量は止まっているのではないだろうか? なぜだろう?


「いやぁ、すごい筋肉だなあと思いまして」

「今更かよ、そういうオメェは……」


 彼の視線が僕の視線を滑る。


 いやん、恥ずかしい。


 僕の色白さは、不健康な感じの白さだ。

 しかし、引きこもっていた時よりはかなり引き締まった。

 うっすら腹筋も割れてきたしな、見ろこの肉体美を。


 しかしなんだろう、大和さんの視線が股間辺りで固定されている気がする。


「……チンコちっさ」


 その声は耳には届いた。

 耳の奥に振動が響いた、それがコメカミ辺りで留まった。

 脳が理解するのを拒否している、外国人の学者の名前だと勝手に脳が改竄を始めた。

 チンコ・チッサ……はぁ……?


 ──……冗談だろ?


「なにポケーっとしてんだよ、さっさと行こうぜ」

「長内殿、一物の大きさが男の全てではないですじゃ」


 僕を置いて、彼らは歩き始めた。


「ち、ち、小さくないです……! 大和さんが大きすぎるんですよ! 人の見た目を揶揄するなんて最低です!」


 僕は眼鏡を取って、ロッカーに仕舞い込んで急いで百円を入れた。

 鍵を引き抜いてすぐに、その背中を追いかける。


 が、すでに後悔していた。

 影貉さんの口車に乗らなければよかった。


 李さんとの戦いから数日。

 影貉さんは黄昏世界に帰ると突然言い出し、最後の思い出に温泉に入りたいと言い出した。

 それで温泉ならぬ銭湯に連れてきたらこれだ、僕って小さいんだ……。


 泣きそうになりながら扉を越えると、むわぁっと湿度の高い熱さに当てられる。

 すぐにじっとりと体が濡れたような感触を覚える。


 艶めかしいライト、足裏に伝わる黒いタイルは生暖かい。

 眼鏡なしだとボヤけていて、なにがなんだかわからないがとにかくその高級感は認める。


 僕は目に力を入れてひそめながら、かけ湯をして彼らの背中を頼りに歩く。

 シャワーであろう場所に座って、体を洗った。


 家のと違って、シャワーの水圧が強くて実に爽快だ。


「影貉さんは動物なんですから、本来入っちゃいけないんですからね。ちゃんと体洗いまくってくださいよ」

「心得ましたですじゃ……でもワシ、自分じゃ洗えないですじゃ」


 まあまあ、そうだろう。

 手も届かないしな。


「しょうがねぇなァ、最後だし俺が洗ってやらァ」

「長内殿がいいですじゃ~!」

「黙れ、暴れンな!」


 ああ、ずっと浴びていたい。

 強いシャワーが大好きだ。


 そうして、ようやく僕たちは湯舟に浸かった。

 ブクブクの、ジャグジータイプというのだろうか。

 そんな湯舟に。


「あァ……生き返るぜぇ」

「ジジくさいですね」

「あァ!? こン中じゃ俺が最年少だっつの!」


 この中って。

 七百歳(影貉さん)ピカピカの十九歳()十七歳(大和さん)だぞ?

 一人、いや一匹だけ明らかに違うのがいる。


「極楽ですじゃぁ……」


 影貉さんは、首までどっぷりと湯舟に浸かって言葉を漏らす。


「ほら見てください、大和さんとほぼ同じです。あなた七百歳と同じ!」

「うるせぇな、短小」

「た、短小!? いつまでそれ引っ張るんですか!? マジで傷ついてんですけど!」


 じんわりと芯から温まるような湯に、水を差さないでもらいたい。


「まあまあ、お二方。温泉は心身の疲れを洗い流す場所ですじゃ、落ち着いて」

「そういや影貉ァ、なんでいきなり帰ンだよ?」

「あんな崩術の本場である中国の凄腕崩術師と、崩王のご子息の戦いを見せられたら、わかりますじゃろ?」


 僕はすでに理由を聞いていたから、その理由は知っている。


「常世に帰って、同じ影貉の仲間たちに語り聞かせたくなったのですじゃ。崩術師同士の戦いというだけでどれだけ貴重か」

「ほーん、同じ妖怪ってたくさんいンのな」

「そうですじゃ」


 でも契約しないと個体名は付けられない。

 そこが面倒臭そうだけどなぁ。


「俺も行ってみてぇな、王雅は黄昏世界って呼んでンだっけ」

「ええ、帰りに行きます?」

「行ってもつまらん場所ですじゃ、な~んもない夕暮れの荒野ですじゃ」


 ま、それもそうか。

 妖怪たちはたくさんいるけど、本当にそれしかない。

 友好的な妖怪だけではないし……戦闘力はなくても厄介な妖怪は多くいる。


 例えば、河女(かわおなご)

 青森県の妖怪だった気がする。


 彼女の呼びかけに答えてしまうと、三大欲求を刺激される。

 止め処ない食欲に負け、昼間は睡眠欲で眠りこけてしまい、夜になると性欲に駆られて河女さんを探してしまう。

 最終的には、満たされることのない欲求で精神が崩壊する。


 言い伝えとは少し違ってたから印象的で覚えていた。


 対処法は一つ、河女さんの視界に川が入らない場所まで移動する。

 そこなら会話しても問題ない。


 つまり、戦闘力も大事だがそれよりも妖怪知識がないと妖怪と関わるのは危ない。


 僕と一緒ならば、そう危険ではないと思うが。


「ンじゃいいわ」


 すっげぇ真剣に考えていたのに、大和さんはあっさりと諦めた。

 深いため息をつきながらも気持ちよさそうに彼は目を瞑ってしまった。


 僕も湯舟の感覚に集中する。

 少し苦しいほどに熱いのに、なぜなのか心地よい。

 気泡に体が撫でられてまるで疲れが湯に染み出すようだ。


 僕も瞼を落として首元まで湯に浸かった。

 真っ暗、真っ黒な視界。


 なぜだか頭にテンスさんが思い浮かんだ。

 漆黒の神誓衣なるローブを身に着けていたからだろうか。


 そういえば、彼は風呂に入る時はさすがにローブを脱ぐのだろうか?

 うちに居候していた時も風呂は勧めたが、覗いておけばよかった。


 記憶の限りだとトイレに立ったこともなかったし、彼の生理的な行動は一切見たことがない。

 お腹が空いてご飯を食べるということは、生理現象自体はあるのだろうが。


 元気に、してるかな……。

 ホテルにでもいるのかな、つまらなくないかな、預言者さんにいじめられてないかな。

 なんだか、彼のことを考えると胸の奥が一段沈み込んだように切なくなる。


「はぁ……兄貴、どこにいンのかねぇ……」


 彼も同じようなことを考えていたみたいだ。


「冥さんや曲夜さんから連絡は?」

「連絡自体はあっけど、進展はねぇよ。ま、退社してンだから情報なんて集めようもねぇわな」

「……心配ですよね」


 その気持ちは、今はもうわかる。

 状況も違うし完全にわかるわけではない、ちょこっと共感できる程度だが。


「ほう、小僧は兄を探して戦っているんですじゃ?」

「自分の身を守るためにしょうがなくって一面もあらァ、だが兄貴を見つけたいって比率が一番でけぇかな」

「家族愛はよいものですじゃ、乱暴な言葉遣いの割に意外じゃけどな!」


 なにが面白かったのだろうか、影貉さんはホッホッホッと笑った。

 大和さんは身を沈めたまま、なにか悩むような唸り声を上げる。


「ガキくせぇってわかってっけど、俺ァ戒めに口調荒くしてんだァ」

「え? そうなんですか? 性分じゃなくて?」

「目上相手にもこの口調貫いてンだぜ、理由もなくやってたらバカだろォ?」


 ちょっと、それは意外すぎる。


「なんですか? 戒めって」

「どこから話せばいいんだかなァ……」


 そこから、ぽつりぽつりと彼は穏やかな口調で語り始めた。


 中学一年生の頃、去年まで小学生だった彼は勉強好きな少年だったらしい。

 入学してすぐ、女子生徒になにやら嫌がらせする先生が目について、エスカレートした現場を目撃した。


「そんで、頭来てぶん殴っちまったンだよ」


 すると教職員や校長も全面的にそれを否定。

 大和さんの両親も最初こそ抗ったが、結果的に謝罪する形となった。


「俺ァガキでな、間違ってることが間違ってるってならねぇことにイライラしてよォ。言っちゃえばグレちまったンだよ……あの先生(せんこー)の安堵した面が今でも許せねぇ」

「なる、ほど」

「でも……ずっと兄貴だけは俺の味方をしてくれた」


 それが半年間という単位で長引いたこともあって、大和さんの行動は徒労に終わってしまった。

 彼は田舎特有のヤンキーの多さもあってか、よくない連中とつるみ始める。

 だが、それでも彼のお兄さんである武蔵さんはずっと大和さんの味方でいた。


「喧嘩ばっかしてよォ、結局不良共も間違ってるからソリが合わなかったンだよ」


 それでも武蔵さんは大和さんに付きまとって、学校に行こうとか真面目にやろうと諫め続けた。

 そんなある日、それにすら激怒した大和さんは武蔵さんを半殺しにしたらしい。


「そン時、お人好しもいい加減にしろつったら、見たことねぇくらいキレてよ。普段はすげぇ温和なンだけどな」

「なんて言われたんです?」


 彼は、まるで全てを鮮明に覚えているかのように間髪を入れずに口を開いた。


「お人好しじゃない、俺はお前にムカついてるんだ。俺は辛い思いをしてる人や子供を救いたくて働いてる。はっきり言ってお前はそういう子たちとは違って恵まれてるよ、だから救う側だってなァ」


 素晴らしいお兄さんだな……そりゃ、尊敬するわ。


「俺よりも頭もいいし俺よりもっと多くの人が救える人間になれるんだ。だからこんなところで寄り道してるお前を叱咤しないと気が済まない。そう言われたンだ」


 素敵な言葉だ、兄弟愛そのものだ。


「なるほど……そのことを忘れない戒めですか?」

「それもあるけどな、俺は兄貴のその言葉を信じちゃいなかったンだ」

「ふぇ? なぜ?」


 あまりにも意外な言葉が続いたものだから、間抜けな声を上げてしまった。

 それで更生したんじゃねえのかよ。


「俺ァ、兄貴のほうがよっぽど優秀だと思ってンし、俺ァ色んな人に迷惑かけた償いもしないまま、みんなに許されちまった。というか、暴れられたら困るから話合わせただけだと思うがなァ……謝っても、いいよいいよつって、苦笑いでみんな去ってくンだよ」

「……」

「だからこの口調は俺は愚かなチンピラのまま変わってねぇっていう戒めなんだよ。その責任の取り方をずっと考えてたンだ」


 僕は彼はあまり悩まないタイプだと思ってた。

 だけど、そんな昔からずっと悩んでいたのか……僕が最近悩んでいたようなことを。

 でも、目上には敬語でもいいと思うけども。


 彼も、不器用なのかな……?


「償いはもう、できたんですか?」

「俺よりもたくさんの人を救える兄貴を見つけ出す、それが俺の償いだ。それが一番みんなの為になると、兄貴が失踪した時に思ったンだ」

「なんと堅気な男……この影貉、見直したですじゃ!」

「そんなんじゃねぇ」


 そうか……お兄さんに拘る理由はそれか。

 ただ家族だからじゃない、罪悪感に理屈と感情で向き合ったんだ。

 その結果が、大江戸武蔵さんを見つけ出すことなんだ。


「だからな王雅、俺に尊敬してるつってたが……俺なんぞ、尊敬に値しねぇよ」

「……」


 そうは言われても、そう簡単に尊敬なんて破綻しない。

 そんなので失望するなんて、最初から尊敬でもないだろう。

 それではただの偶像崇拝だ。僕は彼の生き様を目で見て尊敬したんだ。


 不器用かもしれない、だとすると僕よりもっと凄いさ。


「でもまさか、ゲノム編集で人を助けようと思ってたとは思わなかったし、俺にゲノム強化剤を投与するなんて思いもしながったがな……複雑だぜ」

「前者はともかく、後者は確定ではないでしょう?」

「兄貴はエレインコーポをずっと前に辞めてンのに、エレインコーポの誰がわざわざ俺に投与すンだよ」


 それも、そうか。

 ゲノム編集、遺伝子操作。

 倫理的に危うい領域だ、それで助かる人がいるなら僕はそれでもいいと思うが……そう単純な話ではないんだろう。


「あんまり聞かないほうがいいかとも思うんですけど、ゲノム編集ってなんでダメなんですか?」

「優性思想に繋がるやら遺伝子プール……子々孫々その遺伝子が引き継がれる可能性、未知の健康被害を引き起こす可能性……いくらでも理由はあンぜ」

「難しい話ですじゃ……」


 僕も影貉さんに同感だ。


 あまりピンとこないが、はい遺伝子良くなったという問題ではないのか。


 僕は精神的に寝ぼけ眼によって自己同一性というのだろうか? それが揺らいでいるが、肉体的にそれが揺らぐことにもなる。

 自分はどこまでの定義で自分なのか、という問題もあるだろう。


「だが俺も、兄貴の気持ちはわからんでもない。俺にゲノム強化剤を投与したことじゃねぇぞ? ゲノム編集の是非についてだ」

「ほう、そうなんですか?」

「技術として確立することは悪とは思わねぇ、いざ必要になる世がいつ来るかもわからねぇ。だから医療や医学に政治や思想は持ち込みすぎちゃいけねぇと思ってる……いらねぇとまでは言わないがな」


 大和さんは額の汗を振り払うように拭った。


「兄貴が研究を邪魔されるってボヤいてンの聞いて、それからずっとそう思ってたンだ。だから俺はフライトサージャンを目指してンだよ」

「そのフライトサージャンってのは?」

「簡単に言や、宇宙飛行士の専任医師だわな……人類が宇宙に上がったらよ、また時代が変わって価値観も変わるんだ。人なんてそんなもンだが、人は未知を怖がるだろ?」


 まあ、そうだろう。

 理解できないものは怖いものだ。


「未知は怖くねぇって、安全な未知もあるんだって……証明してぇンだ。どんなもンでも救われる人がいンなら、やるべきだってな」


 きっと、お兄さんの研究が素晴らしいものだと信じていたからこそだろう。

 だから邪魔をしたがったり、怖がったりする人たちを変えたい。

 彼はそう考えたのだと、僕は思った。


「ッチ、恥ずいこと喋っちまったぜ……のぼせそうだから俺ァ上がるわ」

「じゃあ僕もそろそろ……影貉さんは?」


 そういえば、後半ほとんど会話に参加していなかった彼は、湯舟に浮かびあがって泳いでいた。

 いや、動いていない……のぼせてる!?


 僕は急いで影貉さんを掬い上げて、更衣室の扇風機に当てる。

 すると、力なく項垂れていた彼はようやく小さな目を開いた。


「話が難しすぎて、のぼせてしまったわい……」

「ああよかった……先に上がってもよかったんですよ?」

「また現世には来るじゃろうが、いつ来れるかわからんですじゃ……できるだけ長く楽しみたかったんですじゃ」


 欲張りで倒れちゃわけないぞ、まったく。

 これだから妖怪は……。


 そう思いながら彼を降ろし、服を着た。


 そうすると、まだびしょ濡れの影貉さんは身構えた。

 ただ立っているだけなのに、なぜか身構えたと感じてしまう。


 急に猫か犬のように体をブルブルと身震いさせ、水滴を全方向に弾き飛ばしてきた。


「あーっ!」

「うおっ!」


 思わず僕と大和さんは声を上げてしまい、裸の男たちからの視線を浴びる。


「失敬失敬! つい癖でやってしまったですじゃ」

「獣畜生だなマジでよォ」


 しょうがなく僕たちはバスタオルで辺りを拭いてまわった。

 落ち着け、我慢だ。

 影貉さんは今日帰るんだ、こいつに付き合うのはこれで最後だから。


 怒っちゃだめだ……!

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