第二十七節 崩術師の頂き
獣術の副作用で崩衝が強化された時よりも、李さんの崩衝は光り輝いていた。
「崩冲!」
「崩衝!」
交錯する手は、僕が一歩先に届く。
身長差だ、僕のほうが身長が高いことで腕も長かった。
彼の腕は届かない距離で顔へ当てられそうだ。
李さんは予測していたかのように、僕の右腕を左手で掴んだ。
その手にも、崩力は宿っている。
なぜだか、僕は腕を引っ込められた。
ただ、感覚が変だ。
「はぁっ!」
僕は、距離を取るために、上体を斜めへと落として、右足で蹴りを放つ。
「崩除ッ!」
彼は左足でそれを受け止めていた。
まるで僕の右足を蹴るように、足裏を添えてられている。
僕がついぞ習得しなかった、身体強化術の崩除か。
構えもなしに使えるのか、それすらも。
思考ごと押し出すように、僕の右足は押される。
一瞬で僕は重心は消え失せて、うつ伏せに倒れてしまった。
伏せた僕に向かって、緑色の光と影が伸びる。
僕は鈍い灰色の地面に両手をついて、頭上から足へ力を流すように摩擦で体を進めようとする。
パワードスーツの胴体が金属系素材かつ尖った形状のお陰で接地面積が少ないことが幸いしたのか、勢いよく僕は地面を滑る。
すぐに転がりあがると、地面が液状化して溶けていた。
本物の崩衝の威力だ、お父さんもこのくらい出来た。
僕は構えを取ろうと眼前で両腕を交差させると、右腕の装甲がドロドロに溶けていることに気づく。
まるで熱さもないのに、水銀のように腕から装甲が流れ落ちている。
さっき腕を引き抜けた理由はこれか、助けられた。
僕が構えを取ると、李さんはゆらりと揺れる。
なんの動きだかわからなかったが、右方向へ向けて高速で走り始めた。
「崩放、避けられるカ!?」
彼は腰溜めに構えた掌を、何度も突き出しては戻した。
その手から、バレーボールほどの大きさを持った崩力の塊が飛んでくる。
僕は彼の軌道を追うように、走りながら避ける。
太陽系のように、付かず離れずで回転しながらも、崩放を避け続ける。
音もなく着弾し続ける地面は、もはや水たまりのようになっていた。
足を取られぬように踏ん張りながら、ただ逃げに徹することしかできない。
彼もそれを悟ったのか、急に地面を踏み込んで距離を詰めてきた。
僕もその動きに対応するよう、円環だった中央へ駆ける。
衝突する一歩手前、体を倒してスライディングを決めながら崩衝を宿した手を構える。
彼は視線だけで僕を追ったかと思うと、跳躍しながら僕の崩衝を迎え撃った。
手と手が触れ合う寸前、宙で崩衝同士がぶつかった。
物凄い反発力が生まれ、右手が吹き飛ばされたかと思うほど押しのけられる。
地面に叩きつけられた右腕をそのままに、すぐに体を起こして振り返る。
「メールで教えただけ、なのにここまで崩術を使えるようになったカ、すごいダネ、長内クン」
これがなきゃ、生きていけなかったから磨くしかなかった。
でも、あなたとテンスさんのお陰だよ。
「これならどうカナ!」
彼は地面に手をつけたかと思うと、緑色の光が液状化した地面と混ざりながら線となり伸ばしてきた。
まるで巨大なミミズのようかと思ったが、何本にもそれは別れる。
地割れのような光が四方八方から僕に迫った。
僕は両腕を引いて、ジェットパックを起動する。
「ムッ!? 在空中!?」
空中に、じわじわと浮かんで体勢を傾けて李さんへ近づいた。
彼は手を地面から離し、腕を引いて崩衝を構えた。
僕はそれを見た瞬間、ジェットブースターを解除して地面へと降り立って地面だった液体を掬い取る。
右手で崩力を送り、左手でそれを固定する。
「崩注……!」
蛍光色の泥のようのなそれを、僕は放り投げた。
実戦で使うのは初めてだし、武具以外に使えるのかわからなかったがうまくいった。
崩力の飛沫が李さんへ襲い掛かる。
「崩守ッ!」
彼は再度地面に手をついて、避けすらもしないと思ったら半円の壁を立てた。
崩守だ、ただの人払いの結界で本来は崩術という括りでもないその技を、崩力で覆っている。
実態のない結界に崩注しているようなものだ。
なんていう技術と対応力なんだ……!?
崩力と化した飛沫はあっさりその壁に取りついて、もはや同化していて効果がわからない。
穴すら開かず、崩守は保たれている。
使用者本人は動けない代わりに、誰も寄せ付けない最強の要塞。
ただ、これを破る技はある。
結界破りの崩攻だが、僕は使えない。
思考が巡る、時間は流れる。
攻め手がお互いにない。
いや、機転を利かせろ。
「よしっ……!」
僕は崩守に向かって思い切り走った。
体を横にし、思い切りブレーキを掛けて液体化した地面をぶっかける。
元々、崩力によって崩壊した地面はこれ以上崩れようがない。
覆い尽くして、視界を奪ってやる。
また回り込むように円を大きくしながら距離を開けて、また迫り急ブレーキをかけたその時。
「王雅ァッ!」
「長内殿ォ!」
大和さんと影貉さんの声が同時に響いた。
崩力に包まれた腕が、泥の飛沫を声ごと突き破って出てきた。
眼前に染まるその攻撃を、僕はギリギリ掠りながら避ける。
引かれる腕、反対の腕による隙のない攻撃。
僕は避けるしかない。
インファイト戦が始まった。
腕を掻い潜って避けたと思うと間髪入れずに次の攻撃が飛んでくる。
一番まずい展開だ、僕は構えありの崩術しか使えない。
説明通りだと、パイルバンカーは一発切りで安易には使えない。
超至近距離戦が続くと、僕は防戦一方になる。
思考の隙間を縫うように腹への攻撃。
うねるように僕は腰を引いて避ける。
彼はその手を引かず──打ったまま軌道を変えて腹部に密着させてきた。
重たく冷たい、外気が腹を撫でた。
そこだけが、外にいるような感触。
パワードスーツに穴開けられた、クソ。
このまま、内部の生身まで手を滑りこませてくるはずだ。
そう思って、その手を掴もうとすると引かれた。
どうなってんだよその勘!
「シッ!」
今度は真正面から腹への崩衝が迫る。
それを身を引いて避けようとすると、頭が打ちあがった。
ヘルメット内部のディスプレイが一瞬でノイズまみれになり、僕はなにが起こったかも理解できずに体が倒れ掛かる。
両腕で、同時に攻撃してきたのか?
遅れて思考が巡る。
それを僕が避けられたら、最大の隙になるというのにリスクを冒してきた。
崩術師としてだけではない、戦いというものをこれほど理解している者がこの世界にいるのか。
リスクを支払うタイミングが、神懸かってやがる。
それでも、負けちゃいけないんだ。
僕は倒れたままに、ブリッジのように地面に手をついて膝を曲げる。
両足を、そこにいるはずの李さんへ放り投げた。
感触がある、吹っ飛んだ、はずだ。
這うように移動しながら、なんとか立ち上がるがノイズが酷すぎて視界が見えない。
パワーアシストのままに、スーツのヘルメットを引きちぎって有視界を確保する。
ただ、後ずさっただけだ。
地面が崩壊し濡れているから、摩擦もなくダメージもなさそうだ。
崩徐は防御力の強化能力はないはず、ただ脳のリミッターを外すだけ……そのはずだ。
なのに……なんでダメージがない?
「いいセンス、だけどもう終わらせるカラ」
彼はそう言って、左手を右腕を掴んだ。
ずっと維持されている崩力の光が……伸びた。
「これ、自分が使える中で最強の崩术……ッ! 崩龍ッ!」
その崩力は、鞭のように伸び、しなった。
見たことも、聞いたこともない術だ……中国秘伝か、オリジナルか!
彼は右腕から左手を離すと、それが合図だったかのようにそれを振るった。
目の前を緑光が通過し、残像でも残っているかのようにそれが消えない。
右上から左下へ、かと思うと横薙ぎへ、僕はただ後ずさりながら下がることしかできない。
変幻自在で、軌道がわからない。
崩術は基本的に直線運動だが、こんな曲線の無茶苦茶な動きは見切れない。
見切れる気がしない……!
慣性すら働いていない。
崩力は質量がないのだから、当然のことだ。
まずい、どうやったら掻い潜れるんだあんなの!?
崩衝を発動させながら掴む? できるのかそんなこと!?
左から横薙ぎの崩力の鞭が迫った、まだ避けられる。
そう思った刹那──それは伸びた。
光が膨張したとでもいうように。
背筋の粟立ちから始まり、全身を駆け巡る悪寒が無意識に体の力を奪っていた。
膝が抜けて、全身の吹き出した汗の感覚だけに支配される。
そのお陰で、僕は屈んだ形となって頭上を崩力の鞭が通過した。
だがもう、逃げようがない。
まずい、どうしたらいい、さっきみたいに崩注を……引きすぎて崩壊した地面のある地帯じゃない。
崩注の準備で固まっていた腕を、無我夢中で胸に沿える。
パワードスーツは防具、いける、頼む、元々武具に使う術なんだから。
僕はパワードスーツの表面に崩力を張り巡らせ、左手でそれを固定した。
「──ッ!?」
なぜだか、李さんの動きが止まる。
ただ見えるのは、驚愕したその顔と腕を覆う緑色の光だけだ。
「崩王の──崩極ッ!?」
その言葉には、僕でさえも驚いてしまった。
お父さんの全身に崩力を纏う、究極の術。
その名は今初めて知ったが、たしかに似たようなことはしている。
実際には違う、ただの崩注だ。
ただ顔や腹の穴、溶け落ちた右腕は覆えていない。
不完全だし、今この状態で攻撃されても瞬間的に反応して纏った崩力を注がなければいけない。
崩注は纏わせることと、注ぎ込むことは別の操作を必要とする。
攻撃する時は、纏った崩力の固定を解くイメージだ。
今それをすれば崩力が霧散する。
ただの防御としては効果があるだろうが、生身の肉体は覆えないし攻撃に転じさせるのは難しい。
お父さんの全身が常時攻撃状態になるであろう崩極とはまったくの別物だ。
そこまで完璧な代物ではないが。
「使えは……するはずですッ!」
僕は立ち上がって、十字ブロックの如きガードで生身を晒して顔と腹を守りながら突進する。
李さんは気を持ち直したように、表情を戻して鞭を振るった。
巨大な鉄球に叩かれたような衝撃が左肩に走る、崩力同士の反発だ。
彼の鞭も反発したように大きく弾かれた、腕に衝撃が伝わっているのか、李さんの脇も開く。
僕は右足を縫い付けるように踏ん張って、それでも走った。
彼は下からしならせ、突きのように一直線へなるように鞭を伸ばした。
狙われるは、ガードに使っている腕の損傷箇所。
同時に僕は、腕を交差させ左手を前へ、右手を後ろへと構えていた。
これを、狙ってたんだ。
崩注と重ね掛けでも、発動できた。
「崩衝ッ!」
鞭と崩衝の接触。
同じ色の光が交わった刹那、大波に煽られたかのように上半身が崩される。
それでも下半身は引っ張られないように、僕は歩みを進めていた。
崩衝も、鞭の大部分も接触によって飛び散っていた。
もう構えを取れる距離ではない。
僕は掲げられた梨さんの右腕を、なんとか掴む。
掌自体はパワードスーツではない。崩術が行使できるよう、ただの手袋みたいなものだ。
パワーアシストはない。
だから握り潰すのではなく、へし折る!
腕が折れる、名状しがたいその感触が彼から僕へ伝わる。
「ぐっ……!?」
李さんの口は苦痛に歪む。
ただ、その瞳の闘志は消えてはいなかった。
彼は僕を抱え込むように、背中に手を回していた。
「背中、崩力の練り込みガ、甘い!」
そう言われ、背中に重いなにかが落ちてくる感覚を覚える。
装甲を崩壊された、そのまま暖かい感触……手が添えられた。
負ける……!
嫌だ、その感情のままに開力を回転させ、獣術を発動させる。
同時にパワードスーツの制御システムがやられたのか、倒れ込んでしまう。
全身が重すぎるッ!
「王雅ァ! 限界だァ!」
迫る大和さんの足音。
開力の隙間に入り込もうとする李さんの崩衝。
「为什么不渗透……!?」
今まで感じたことがないほど、崩力に押されていく。
もう、手が当たっている感覚はない。
腰が砕けるように、力が入らない。
それでも、僕は開力を回し続けた。
そして、四肢の感覚がなくなる前に足を踏ん張って倒れないように持ち堪える。
李さんが倒れ、手が背中から離れた。
速度の、勝負だ。
僕は獣術を発動させながら、彼の右肩を全力で踏み付ける。
そのまま、重く痺れかかった左腕を構えて──取っ手を引いた。
張り詰めたロープが切れたような音が瞬く。
少量の煙を出して、鈍く光る長い杭が李さんの左肩に目掛けて走る。
パワードスーツの動力が切れても、パイルバンカーは後付けの別だ!
僕の内なる叫びを乗せた杭は、全てを貫通し──李さんと地面を繋いだ。
もう僕の全身の感覚はほぼなくなっている、開力で彼の崩力を追い出しきれない。
それでも、僕は立っていた。
それでも、崩衝の構えを取ろうと腕を交差させていた。
ずっと呼吸していなかったかのように、息を荒げながら。
「……参りましタ、長内クンの勝ちです」
その言葉と同時に、僕は膝から崩れ落ちる。
倒れそうになったところを、駆け付けた大和さんに抱えられた。
「はぁ、はぁはぁ……本当に、僕の勝ち……ですか?」
「はい、自分はもう戦うできないですカラ……長内クンの勝ちです」
僕は大和さんに体重を預けたまま、言葉も出ない。
極限の状況に頭が真っ白になっていた。
「長内クン、崩王と血の繋がり、ナイと言ってた……でも、崩王の息子で間違いない」
大和さんの肩越しに見える彼は、血をだらだらと垂らしながらそう言っていた。
激痛で叫び出したいだろうに、言葉を振り絞るように僕に言ってくれた。
生々しい血溜りには似つかわしくない、台詞を。
「あなた……強すぎ、ます……」
「自分、中国でも三本の指入る崩术师……長内クンその上行った」
全力だった。
パワードスーツがなければ一瞬で負けてた。
パイルバンカーを取り付けてもらってなかったらわからなかった。
純粋な崩術の力ではなかった。
崩術師としての格は、俄然と李国燕に軍配が上がる。
それでも、会紡機戦は勝てた。
でも僕は、勝ちか負けはどうでもよかった。
お父さんが安らかな眠りは続く。
テンスさんへと繋がる道も続く。
それで、よかった。
「崩術師としては、負けですけど……認めてくれて、ありがとうございます」
振り絞ったように、僕はそう言う。
「──崩術は、戦う力だカラ……一つの武器、勝って生き残ることが崩术师の誇り……」
その言葉と共に彼は、満足げになりながら透明になっていった。
「やったな、王雅……いつもより、すげぇ強かったぜ?」
「体の感覚が、まったくないんですけどね……心臓動かなくなって死ぬかもです」
「そうなったら心肺蘇生してやらァ」
李国燕。
崩王の名を継ぐのはあの人かもしれない。
それでも僕は、長内礼司の息子である事実は変わらない。




