第二十五節 同じ穴の貉たち
なんとか喫茶クラブ滑り込むと、大和さんはまだ来ていなかった。
汗でびっしょりと濡れながら、眼鏡を曇らせた僕を見たマスターさんは控えめに挨拶をしてくる。
これから僕は何度も通うから、そんな怪しまないでくれ。
頼成さんの安否も気になるからな。
僕はいつもの席へ座って、今回はコーラを頼んだ。
今回は初めて整った白髪を持つ、お腹の柔らかそうな中年男性のマスターさんが持ち運んでくれた。
一瞬のうちに僕はそれを飲み干した。
冷たい、火照った体に染みる。
マスターさんから受け取ってから、ものの三秒で。
「ぷはぁっ! おかわりお願いします!」
「か、かしこまりました……よっぽど疲れてたんだね、ごゆっくり休んでいってね……」
ようやく僕は一息つく。
一息といってもゲップだが。
照らされた暖色の光が影を通路に影を生んでいる、未だこの中にアナグマ妖怪がいるのか?
「アナグマ妖怪さーん……」
怪しまれないように、小声で呼ぶと僕の影を揺らめかせ、顔を出した。
「ワシはアナグマじゃないですじゃ!」
そのまま影から這い出てきて、辛そうな唸り声を上げてテーブルへ上ってきた。
行儀が悪い。
短い手足、長い胴。面長というか鼻と口が長い。ただ少し小さい。
しかしアナグマやハクビシンは茶色っぽい体毛のはずだが、こいつは真っ黒だ。
顔にだけ白いラインが入っていて、毛並みはいいのにどこか老人臭さを感じる。
アナグマでないのならなんなんだ。
「ワシは影貉という妖怪ですじゃ」
「あ、どうも。僕は長内王雅です」
影貉。
貉って、あの同じ穴のムジナという慣用句に出てくる貉か。
こんな動物にしか見えない、聞いたこともない妖怪もいるものなのか。
じゃあどこかに、人間にしか見えない妖怪とかもいるのかな。
「あぁ、長内王雅さん……? はぁ……」
しかし返事をしたのは影貉さんではない、マスターさんだった。
コーラのおかわりが音も立てずに目の前に置かれ、水滴がついていてコップは冷たさに曇っていた。
おいしそうと思うより、マスターさんの視線が気になった。
なにか、頭のおかしい奴を見るかのような目で僕を見ている。
いきなり自己紹介をされたら、そりゃ怖いだろう。
僕はマスターさんがそそくさと逃げていくのを見届けてから、影貉さんへ視線を落とす。
「しっかし呼びにくいですね、影貉という名前は。シャドームッジーナとかどうですか? 恰好いいでしょう」
「な、なんと! 駄目に決まっておる! 妖怪に名をつけて良いのは契約した鬼術師だけですじゃ!」
「鬼術師……?」
なんだっけ、鬼術師。
聞いたことはある名称だ、お父さんから。
しかし、なんのことだったか……大昔にいた崩術師の派生形だったことは覚えている。
「妖怪と契約した崩術師が鬼術師と呼ばれるのですじゃ」
「あー、そんなんでしたね。でも日妖がそんなん許すんですか?」
「許されぬからもう鬼術師は残っておりませんですじゃ」
どうりでお父さんの口からあまり聞かなかったわけだ。
これは昔話。
冥さんと曲夜さんも大昔に海外の崩術師と契約してその名を与えられたのだろうか。
名前的に、日本人と契約したのか?
まあ、さておき今の僕の状況だったら許されるのではないか。
どうやら異空間体調査管理財団は日妖の上に立っているようだし、僕は財団の関係者扱いらしい。
口出しできないだろう。
令和の世に蘇る鬼術師、悪くない。
「契約ってどうやってするんですか?」
「契約を持ち掛け、妖怪に勝てたら晴れて鬼術師になれるのですじゃ」
「強い妖怪と契約したほうが有利とかあります?」
「当たり前ですじゃ、妖怪の能力を使えるようになるのじゃから!」
まあ、バトルして勝てたらってことか。
愚直で脳筋な妖怪らしい。
だがこれは……あまり成り立っていないな。
弱い妖怪と契約した崩術師は雀の涙ほどの力しか得られない。
強い妖怪に挑むのはリスクが高い。
強い妖怪に勝てるほどの実力があれば、そもそも必要もなさそうだ。
強力な能力を持っている妖怪を倒せるほどの崩術師に、それ以上の力が必要だろうか?
日妖が契約を禁止したのもあるだろうが、まともな崩術師ならデメリットのほうが勝るだろう。
じゃあま、いっか。
崩術と獣術を極めるほうが先だ。
からんころんと音を立て、扉から誰かが入ってきた。
後ろを振り向いて目をやると、大和さんだった。
マスターさんは入店の挨拶をしたと思うとすぐさまコソコソと大和さんに語り掛けていた。
その話を聞いた大和さんが僕を見る。
「あー……あいつ悪い奴じゃあねぇんだけどよォ、ちょっと変わってンだよ」
「そ、そう……大江戸くんのクラスメイトなのかい?」
「いンや? インターン仲間なんだよ……俺ァあとで注文するわァ」
そう言って手をひらひらさせながらこちらに歩いてきた。
「よォ王雅、待たせたみてぇだな……ンでそんな薄着なわけ?」
「色々ありまして……」
「汗まみれだしよォ、オメェは放っとくとすぐに問題起こす!」
「違いますって、日妖も今回も巻き込まれただけですって」
口をへの字にした大和さんは対面に腰掛けた。
「そもそも、ンだよ? このリアルすぎる人形はよォ」
大和さんは影貉さんを指差しながら、そう言った。
見えてるのか、見えている……妖怪が?
冥さんと曲夜さんは人間と契約したから誰からでも見えるようになった。
でも影貉さんは頼成さんには見えなかった。
つまり、契約していないのは明白。
誰にでも見える存在ではない。
僕と同じで彼は先天的に見えるタイプの人、だったのか?
「ワシは人形じゃないですじゃ!」
「喋るタイプかァ、最近流行りのAI搭載か? にしちゃ、かわいくねぇな」
誤解するのも無理はない。
だが、かわいくないだろうか……ちょっとかわいいと思うんだけどな。
喋り方がジジィすぎるのは、ちょっとどうかと思うが。
「大和さん、その動物は妖怪です」
「はァ? 妖怪だァ?」
「そうですよ、影貉さんと言うらしいです」
「その通りですじゃ」
「……なんでそんなのがここにいンだァ?」
そう言われれば。
なぜここにいるんだ。
なんの為についてきたんだ。
「この長内殿はなんと、あの日妖に一泡吹かせた御仁なのですじゃ!」
「知ってらァ」
「ワシは七百年と生きておるが、こんな話は聞いたことがないんですじゃ!」
日本妖怪対策局にそこまでの歴史はないよ。
たしか大正時代の末か昭和初期に出来た組織だぞ。
以前も似たような組織があったのだろうか。
「ンで、それは付いてきた理由にはならねぇだろ」
「ワシは二十年ほど前、常世から現世に来たのじゃ。日妖の目を掻い潜りのぅ……」
常世、そうだ黄昏世界を妖怪はそう呼ぶ。
現世は普通にこっちの世界のことだろう。
「この御仁ならワシを日妖から守ってくれる力がある、間違いないですじゃ!」
そうか、門前払いされたということはこっちの世界にいることはバレてるのか。
「じゃあ帰ればいいじゃないですか」
「もうあの変わらぬ景色は懲り懲りですじゃ!」
さすがに知らん。
面倒見切れない。
「まあちょっと影貉さんは一旦置いとくとして、なんで妖怪が見えてるんです?」
「俺も知らねぇよ、見たことねぇし……オメェが送ってきた崩術動画に書いてあった瞑想したからかァ?」
え、もう実践してくれたんだ。
嬉しい……それで妖怪が見えるようになったって、僕の講師能力高すぎないか?
久しぶりのパソコンを使い、BGMまでも厳選した完成度の高い動画だからな。
「ファジーすぎてマジで意味わからンかったが、めちゃくちゃ頑張ったぜ」
ファジーってなんだろう。
高度みたいな意味だろうか。
僕の講義力に頑張ってついてきたのだろうか、頭の良い彼が?
ふふ。
「それはいいんだっての、さっきなにがあったかを聞かせろや」
まあ、そうだな。
「影貉さんが他の妖怪の食糧を取って、その妖怪が……この店の女性店員を攫って助けたって流れですね」
「頼成を? なんでだよ?」
名前を知っているのか。
仲いいのだろうか。
「ワシが女子の影に潜ってしまったんですじゃ……」
「ンだとォ……? テメェ、頼成を巻き込んだのか」
彼は摑み取りをするかの如く、恐ろしく素早い手つきで影貉さんの首根っこを掴んでいた。
影貉さんは苦しそうに手足をばたつかせる。
「待ってください、僕も悪いんです!」
「なんでオメェがわりぃんだよ」
彼は手を離さずに言う。
眉が逆八の字に曲がり、怒りのままに僕を睨んでいる。
「あのっ……影貉さんは、日妖に門前されたんです、僕が暴れたせいで日妖は忙しくて」
「……チッ」
彼はようやくその手を離す、テーブルの上で影貉さんが横たわった。
大丈夫のはずだ、妖怪は崩術以外では死なない。
「王雅が日妖に捕まったのはオメェの責任じゃねぇ」
それから彼は続けた。
蛇松組の用心棒だった与野さんを殺さずに吸血鬼に引き渡す決断をしたのは俺だ。
吸血鬼に取引を依頼したのも俺だ。
陽葵さんを救出したがったのも俺で、王雅はただ手伝っただけだ。
そのせいで日妖に捕捉された。
彼はそう言った。
「それが原因で日妖に捕まって、オメェは拷問までされた。そのツケを全部王雅一人で支払った……全部、俺がわりィのに……ッ!」
「いや……でも、その、僕のせいでもあるでしょう」
だって、僕はそうしない選択肢だって取れた。
全部で取れた。
抗えた、いつだって、どんな内容でだって。
「……俺は、クソだ」
消え入りそうな声で彼は漏らした。
顔を伏せて、ふがいなく漏らした。
でも、今、どうにかなってるじゃないか。
暖かい喫茶店の景色が、なぜだか嫌味に感じた。
僕が罪人なんだ、彼は違うんだ……無根拠にそう思ってしまう。
「僕は、大和さんを尊敬してるんです」
「……はァ? ンでだよっ……」
「大和さんはこの状況に呑まれてない、揺らいでない。僕はもうずっと悩みまくりですよ、もうほんと……ず~っと悩んでます」
僕も段々声が小さくなっていく。
「でも悩む僕は僕じゃないから、なんとか調子こいて誤魔化しつつやってるだけです」
「だからって、俺の責任は消えねぇ……」
「悩まないでください、後悔しないでください……! 僕は大和さんとテンスさんのお陰でなんとかここまでやってこれたんです、テンスさんはもういない……大和さんが沈んじゃったら、僕はどうすればいいんですか」
結局、こんな卑怯な言い方しかできない。
自分自身を人質に取るような言い方しか。
「僕のために、自己嫌悪はやめてください。せめて今後のためのバネにしてください、自分を責めたってどうにもならないでしょう? 頼成さんも命に別状はなさそうでしたし、ね?」
僕が告げると、大和さんはしばらく黙った。
彼の代わりに僕は紅茶を頼み、運ばれてきてもなお黙った。
いつの間にか起き上がっていた影貉さんが困ったように僕を見上げている。
「わァったよ……影貉、悪かったな。だが、巻き込んだ事実はテメェの責任だ」
「……反省しておりますじゃ」
僕はため息を一つ、吐き出す。
なにか解決したわけでも、大団円で収まったわけでもない、理由のないため息を。
ようやく大和さんは紅茶を一口飲みこんだ。
「話を変えましょう。実は次の会紡機戦の相手、僕の恩師でして」
「……?」
「崩術師を学ぶきっかけになった人なんです」
「この流れなら、冗談じゃねぇだろ……なんで言わなかったんだ」
「ショックすぎて」
本当にショックだったが、僕は考え続けてこれについての答えだけは出せた。
僕と違って大和さんは頭がいい。
切り捨てるべきことは切り捨て、必要なものことだけを考えられる。
きっと、自己嫌悪とか挟まなくても答えを出せる人だ。
「名前は李国燕、中国の崩術師でどうやら有名人です」
「あァ……」
「僕一人に戦わせてください」
間髪入れずに僕は言った。
「もしも僕が負けたら参加資格のこともありますから、大和さんが戦ってもいいです」
「オメェが死んじまった後に、俺が戦えると思ってんのか……?」
僕は、決意を持って口を開いた。
「僕はテンスさんにもう一度会うんです、長内王雅として、絶対に……だからもしもの話です」
なんだか彼は呆けた顔をしていた。
そうじゃねぇと言いたげだが、なにを考えているかまではわからない。
「覚悟はわかった、だがオメェがやられてる間、俺が指咥えて見てられると思うか?」
「え? できるでしょう?」
「俺をなんだと思ってンだよ王雅……俺はな、オメェをダチだと思ってンだよ」
ダチがやられてるところを傍観する、それは男のすることじゃねぇ、ってことか。
たしかにそうだし、彼の信念としてもブレない。
頭から抜けていた。
「それでも、お願いします。そもそも戦闘になるかもわかりませんが、降参しなかった場合は戦います……李さんに、誠意を持った上で」
「本気なんだな」
僕は頷く。
「つきましては、崩術の指南役として影貉さんを引き取ってもらえませんか」
「ええっ!? 長内殿、酷いですじゃ!」
「話繋がってねぇだろ、それは」
え、駄目なの?
割とマジで言ってんだけど。
今回は意図的にだが、いつだって二人揃って戦えるわけじゃないだろう。
七百年も生きてたら役に立てるだろ?
「嫌ですじゃ、この小僧は怖いですじゃ!」
「じゃあ黄昏世界……常世に送りましょうか?」
「俺も嫌だね、いくらなんでもこんな奴と一緒に住めねぇ」
僕は目を瞑り、頭を傾げて考え込んでいるとまた誰かが入店してきた。
「らん、頼成? 救急車で運ばれたンだろ!?」
「そのはずですけど……?」
彼女は身に着けていた防寒具とはまた別の防寒具を身に着け、僕のジャンパーを手に入店してきた。
マスターさんに会釈したかと思うと、迷いなくこちらに独特な歩みを進める。
え、なんで、夢だったとか思わなかったのか?
「大江戸くん……長内さん……」
彼女は下唇を噛んで、ジャンパーを僕に渡した。
あ、そっか……着せたから、僕が着ていたのを知ってるから僕の関与は確実なんだ。
うかつだった、が……あんな恰好で放置もできなかった。
「あの、ご無事でなによりです」
「怪我もなくて打撲だけだったので……それで私、なんで空に浮かんで、服も長内さんのを……?」
「えっと、それはあの……」
どう説明すればいい?
「もしかしてですけど……」
私を襲ったんですか?
その幻聴が聞こえる。
僕は襲っていない、でも状況から見ればそう見えるだろう。
空に浮いたのは意味がわからんだろうが。
「私はアブダクションされたんですか?」
アブ、なんだそれ……?
「私、UFOに乗ったんですか? そして人体を調査され降ろされて、長内さんが服をくれた……としか考えられなくて」
それだけは考えられないの間違いでは、なくか?
でも、乗るしかないのか? それとも罠か?
ここで乗ったら、そんなわけないでしょ襲ったんだ! ってなるのか?
もうわからん、乗ろう。
「そうです……円盤のUFOでした」
「アダムスキー型っ! ほら大江戸くん、やっぱり宇宙人はいるんですよ!」
「あ、あァ……驚きだな」
僕の頭の中はハテナで埋まる。
ハテナしか見えない。
「長内さん、助けてくれてありがとうございます! 覚えてないのが悔しいですけど、とても貴重な体験ができました」
「は、はぁ……すみませんでした」
「どうして謝るんですか? すごいことですよ!」
そう言って彼女は勢いよく頭を下げ、やはり独特な走り方でマスターさんの元へ走っていった。
「マスター! ついに宇宙人にアブダクションされちゃいました!」
「君までおかしくなったの?」
遠くで変なやり取りが起こっている。
「あいつ、宇宙人の話大好きでよォ……よくそういう話してたンだよ」
「ど、どういう流れでその話になるんですか」
「俺の夢はフライトサージャンだからなァ」
なんだそれ。
わけがわからんが、無事でよかった。




