第二十三節 繋がる心
ビジョンが見えてから、二日が経った。
大和さんには告げずに、僕はただ一人で考えていた。
ただ茫然と考えていた。
崩術を含む開術の修行もやったが、いまいち身が入らない。
でもテンスさんは、ずっと僕のそばにいてくれた。
結局、眠れずに迎えた深夜二時。
なにか暖かいものでも飲みにとリビングに来た。
雪降らぬ星空をテンスさんが眺めていた。
ベランダに手を当てながら、空を見上げている。
このまま、ペタりと張り付いた偽物の星空に吸い込まれて消えてしまいそうだ。
「テンスさんも眠れないんですか?」
「はい、考え事をしておりました」
「飲み物でも淹れますよ」
「ありがとうございます」
そう言って僕は棚からココアの袋を取り出し、粉をカップに落とす。
牛乳を入れ、それを二つ電子レンジに入れた。
暖色の光に照らされた二つのカップが回転する。
近づきもせず、離れもせずに。
眺めていると、残り時間の数字が零を示してチンッという陳腐な音を奏でた。
「僕の部屋で飲みますか? 暖房つけてますし」
「わかりました」
そういって、二人で僕の私室に移動した。
しばらく起動していないパソコンの画面は暗く、顔を反射していた。
ゲーミングチェアに座ったままくるりと後ろを向いて、ベッドに腰掛けさせたテンスさんを見る。
「そういえば、テンスさんも会紡機戦があるんですよね? 対戦時期ってそれぞれで違うんですね」
「そうですね、わたくしはあの時ビジョンは見えませんでした」
「何度戦ったんですか?」
「会紡機戦は二度ありました」
そこは同じなのか。
偶然か?
「オサナイ様、次の相手は恩師様なのでしょう?」
話に繋がりはあるが、話題は変えられてしまった。
「そう、ですね」
ハッキリ言って、そこまで繋がりのある人物ではない。
顔を合わせた時間は一時間もない。
ただ偏食と悪癖を治してくれて、崩術を教えてくれただけの人だ。
たったそれだけのことが僕の人生を変えていた。
そんなもんで変わる人生でもあった。
「なぜそんなに気を落としているのですか?」
なぜって、自分から恩師と言っていたじゃないか。
恩師と戦って喜ぶ人などいるわけがない。
そんな恥知らずではない、つもりだ。
まだ。
彼はココアを一杯飲み、首を傾げる。
「崩術の成長を見てもらういい機会ではございませんか、会紡機戦は別に殺す必要はないのですから」
……そういう考え方もある、か。
否定できない。
武術に限って言えば、それは当たり前のことかもしれない。
でも僕は暴力そのものや定まらぬ生き方そのものに悩んでいる。
今のことではなく、未来のことで悩んでいるとも言える。
今から繋がる未来を一貫させたいのだ。
彼は腰かけたベッドの敷布団を撫で、手を沈ませた。
「柔らかいベット、美味しい食べ物、ただ談笑する人々、命を懸けずとも過ごせる世界……あなた様方は恵まれています」
僕たちが全てではない、もっと苦しむ人々も多くいる。
でも、そういう話でもないだろう。
これは、僕の話だ。
「異世界からすれば、そうですか?」
「はい、それでも人は悩まずにはいられない。その都度に応じて全てを量らなくては生きていけない、そういうものなのかもしれませんね」
毎日が死と隣り合わせで、僕たちのような人間はさぞ幸福そうに見えるものだろう。
僕も、わかる。
寝ぼけ眼に僕が消されてしまう恐怖は物心ついた時から始まっていた。
自分を自分として持ち、生きられる人たちが幸せそうに見えた。
それでもみんな、悩んだり苦しんだりしていた。
「僕もそう思います」
「ある人からすれば、わたくしも幸せ者でしょう。そしてある人から見れば、わたくしは不幸なのでしょう」
そうだ。
価値や優劣というのは相対や対比によって生まれる。
そういうもんだろう。
「そういうことを考えて、眠れなくなったんですか?」
「そうとも言えます。わたくしは今まで感じたことのない感情をどうするべきなのか、わからないのです」
確かに、最近の彼の言動からは感情というものを覚えさせる。
生まれて初めてなのだろうか、そりゃ子供っぽく見えて当然だ。
「どんな感情ですか?」
「芽生えている感情の名前がわからないのです」
そのレベルか。
だとするとお手上げだな、どうとも言えない。
僕は夏から出しっぱなしになっている扇風機を眺めて、なにも動かない景色を見て考える。
感情の取り扱い方、か。
怒りや悲しみはよくないことで、嬉しさや楽しさはよいこと。
でも悲しんだほうがいい場面もあって、怒るべき場面もある。
嬉しさも楽しさも同じだ。
ありのまま、正しく生きるのが一番いいというのはわかる。
「誰かにとって良いことをするべきなのか、自分にとって良いことをするべきなのか。それはバランスであるというのが正論でしょうね」
感情の取り扱い方というのも、つまるところはそこだろう。
利他だから正義、利己だから悪、そんな単純な問題でもない。
正しさと悪も時代によって変わる。
彼のような異世界人で言えば、世界によって変わる。
だから僕は、一つの選択をするしかないと思ったんだ。
正しくない一つを、選択するしかないと。
「でも、結局やりたくないことは人は続けられないでしょう。でもやりたくないこともしなくてはいけない、これもバランスです……でも人は思考や理性だけで生きてるわけじゃないです」
そうあるべきでも、そう生きられるかは別の話だ。
目指し続けろが正しいのはわかっていても、そうできるかも違う。
法的や倫理的に見れば李さんと戦ってはならないように。
会紡機戦や命や大和さんの為や武術で言えば、戦うべきなように。
「わたくしとオサナイ様もいつか相まみえることがあるかもしれません。その時はあなた様に、悩んでほしくありません」
迷いなく戦え、と言いたいのだろうか。
言いたいことはわからない、でもその気持ちはなんとなくわかる。
理由もわからないが、彼は助けたいと、生きてほしいと、本気で思ってくれたんだ。
理屈なき共感だ。
心で理解した。
彼の想いを、僕の心が受け取った。
たしかに今、僕の心はここにある。
目元が急に熱くなり、ぼろぼろと暖かい涙を零しながら。
気づけばテンスさんを抱擁していた。
「助けてくれ、て、ありがとう、ございます、テンスさん……僕を受け入れてくれて、ありがとうございます……」
「オサナイ様……」
「王雅って、呼んでくれませんか……?」
「オーガ、様」
彼はベッドのヘッドボードにココアを置いて、僕の背に手をまわした。
「オ、ウ、ガですって」
「オウガ様……生きてくださって、ありがとうございます」
心で通じる。
初めてのことだ。
こんなに、これほどまでのことなのか。
僕はまだ、生きているんだ。
ここにいるんだ。
いてもいいかはわからないが、いていいと思ってくれる人がいるんだ。
「──よくないなぁ」
預言者さんの声がぽつりと響いた。
目線を送ると、生気の感じない黄金にも似た黄色の瞳がこちらを覗いていた。
相変わらずこの少女も小さな背丈に似合わないほど、堂々としている。
いつも唐突に表れるものだ、ちょっと気まずいじゃないか。
このままでは話しづらいだろう、そう思い僕はテンスさんから手を離す。
よくないって、抱擁のことではないだろうけどさ。
「預言者様、申し訳ございません」
「キミに頼んだのは監視だよ? 守ったってどういうことだい」
「オウガ様が死を望み、死の危機に瀕しておりましたので愚行致しました」
預言者さんはパソコンの前に歩いていったかと思うと、先ほどまで僕が座っていた椅子にどかりと座る。
相変わらずの土足のまま、手と足を組んだ。
それ、黒ローブ……神誓衣の一部ではないのだから汚れるだろうが。
図々しいことこの上ない。
とはいえ、まだ口は挟めない。
これは神託者としての会話で、僕は無関係だ。
「たしかに生かさなければ監視はできない、拡大解釈すればそうだろうさ。でも、そういう考えで守ったわけじゃないだろう?」
「仰る通りです、申し訳ございません」
「いや、なにも神託者にとって感情は不要だとか言うわけじゃないよ。ボクも感情豊かなほうだしね」
生意気そうに預言者さんは鼻を鳴らし、自重げに笑う。
「ただ、キミはこのままだと天命に疑問を抱く」
預言者さんは無表情にも似た真面目な顔に戻し、ぴしゃりと言った。
「それはよくないだろう? 物事には順位と順序がある。ボクたちは雷神から下された天命に従うことが第一だろう、感情だの倫理だのは二の次のはずだ。感情を持つのはいいことだけど、キミはそれほどの感情を持つにしては……遅すぎた」
「はい、仰る通りです……」
なんだって言うんだ。
テンスさんに配慮しているように聞こえるが、結局無情な論理じゃないか。
「王雅くんと触れあって、キミは多くを感じすぎたんだね」
「うちに預けたのは預言者さんでしょう」
思わず、割り込むつもりはなかったのに言ってしまった。
「そうだね、その通りさ。でも信仰心しかなかったこの子が揺らぐなんて思わなかったんだ。でも、キミが……」
じゃあお前の責任だろうが、と言いかけるがさすがに喉に止める。
僕のせいにでもするつもりか?
「……キミは、なんなんだい?」
「口出ししたことへの文句ですか? 権利くらいはあると思いますけど」
「いや……違う。キミは、誰なんだい?」
わけのわからない言葉。
僕を見ているその目、視線が絡み合っているのに、目が合っていない。
僕じゃないものを見ている……僕の、中にあるなにかを。
言葉の意図を理解するより先に僕の奥底で寝ぼけ眼が花開いた。
なん、なんだ、最近大人しかった癖に。
しかし、いつものような慈悲深さではない。
悲しみと、少しの怒り。
それが内側を覆いつくして、海に溺れたように僕は居場所を失う。
僕が体から追い出される。
真っ暗な所で、スクリーンでも見ているかのように僕の目から流された映像を見ている感覚。
体が勝手に動いている、僕のものでない感情によって。
預言者さんに駆け寄って、僕の体は彼女の頬を平手打ちしていた。
その感触も僕は感じない。
悲し──しい──の……。
ど──てそんな──……の?
なぜ──に──を失って──の……?
僕は、そう思っていた。
僕ではないのに、僕がそう思っていた。
まるで、なにも見たくないかのように寝ぼけ眼はその瞼をギュッと閉じる。
その瞬きの間に内圧の海が引き、溶けかかっていた僕が戻ってくる。
「キミは……この子が惹かれるのも……」
内側の海の中で溺れ、揺らぎながら閉ざされていったスクリーンが一気に幕開けた。
体という操縦席に、再び戻ったかのように。
手には痛みと痺れが生まれた……あれだけ僕が恐れていた預言者さんを叩くだなんて。
しかしようやく正確に見えた預言者さんは怒っても驚いてもいなかった。
なにか、目がキラキラしていた。
期待、慈しみ、いや……その目はそれらとは違う。
「……資金は調達できたし、キミはこの家を出てもらう」
まるで切り替えたように、寝ぼけ眼の奇行がなかったかのように彼女は話を逸らした。
「え?」
だけど僕はその言葉に驚いていた、いつもの息苦しさすら忘れて。
預言者さんの視線の先にあるテンスさんではなく、僕が疑問の声を発してしまった。
テンスさんに言っているのは最初からわかっているが、そんな急に。
「最初からそう言ってたでしょ? 資金調達できるまでの間預かってってさ」
「そ、そうですけど」
「まだ数日しか経っていないのに、そんなにあの子が気に入ったのかい?」
そんな、人をペットか人形のように。
「わたくしはまだ、オウガ様の家におかせていただきたいです」
「駄目だよ、監視の任も解く」
「そ、そんな急に、ですか?」
いきなりすぎる。
なんでだか納得できない。
「だから急じゃないって。居候させてくれたお礼はするから、なにか考えておいて」
「いや、僕もまだ彼にはいてほしいんですけど」
「あの子と君は敵同士だ、そうだろう?」
そう言われれば、なにも言えなくなる。
でも僕はまだテンスさんにいてほしい。
ここにいてほしいんだ。
「預言者様、どうしてもでしょうか」
「うん、どうしてもだよ。キミもキミで絆されすぎだ」
「……酷いです」
預言者さんは眉を顰めながら、瞼を降ろした。
面倒臭そうに、子供のワガママを耳に入れたように。
「なにも二度と会わないわけじゃないんだからさ、お互い勝ち進めばまた会えるだろう?」
「それでも、敵同士じゃないですか」
「今も潜在的には敵同士だよ」
冷徹にそう返される。
そりゃ、そうだけどさ、僕もテンスさんもそうは言っていたけどさ。
なんか、違うんだよ。
「でも、テンスさんは……僕にとって必要な人なんです」
「雷神教神託者にとっては、それよりも必要な人材だ。問答もこの辺にしよう、行くよ」
「……嫌です」
「天命の為だよ。それでも嫌だと言うのかい? もう一度言うけど、二度と会えないわけじゃないんだからさ」
そう告げ預言者さんは立ち上がり、彼の手を取った。
それでもテンスさんは足を地面に縫い付けられたかのように立ち上がらなかった。
何秒、何十秒……立ち上がらないでほしいと、僕も願ってしまう。
「わかりました……」
でも、彼は立ち上がった。
預言者さんの神誓剣が宙を割く。
その軌道は雷の門に変わり、神誓門が開いた。
「……オウガ様、いつの日かまた」
僕は一歩だけ、その姿を追いかけてしまう。
「また……また会いましょう!」
振り絞った声にテンスさんは振り向きながら、その奥へと消えていった。
ぽつんと残された静かな自室の中。
僕は瞼を閉じた。
皮肉にも、僕の中の靄は全て晴れていた。
戦うというかつて父から最も遠ざけられた道が、僕の歩む道となった。
なってしまったとは言わない、僕がそこへ歩むことを決めたんだ。
罪を犯そうが、どれだけ迷おうが、悩もうが。
死の危険が迫ろうが、寝ぼけ眼に乗っ取られかけようが。
大和さんとお兄さんの再会も果たす、その為にも尽力する。
そして僕は、長内王雅として彼にまた会うんだ。
その為に、戦う。




