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第二十二節 師への挑戦

 良い匂いだ。

 香水を薄くしかし深くしたような甘く儚い匂い。


 瞼を開けると、顔があった。

 び、っくりした……。

 真っ白な肌を持つ、綺麗でかわいらしい顔。冥さんだ。

 普段鋭い表情をしている彼女は、寝ている時だけなぜだか子供のように幼い。


 いつもならドギマギしてしまうところだが、僕はこれから死ぬんだ。

 そんな気にこそなれないが、いい冥途の土産が出来た。


 起き上がると、昨日の情景だけが思い出される。

 ああ、財団がどうとかで殺されないんだった。


 僕は背伸びして、記憶を整理する。

 異空間体調査管理財団とやらが日妖に圧力をかけた。

 そのせいで僕は殺されず、テンスさんによって自宅へ帰ってきた。

 その後の記憶がどうにもない。


 どこから引っ張り出してきたかもわからない布団がリビング奥の仏間に敷かれていた。

 その上に寝ていた……ということは、どういうことだ?


 よくわからない。

 でも、一つわかることがあった。

 一度寝ただけで、恐ろしいほどにあの件の現実味を失っている。

 死ななければならない気はしているが、死にたいと考えられない。

 僕の身に起こったことではないようだ、映画かなにかを見ていたような。


「パプリカァ! 入れすぎだろうがよォ!」

「うるさいなあ! こっちのほうがおいしいんだもん!」


 リビングから声が聞こえてきた。

 僕はリビングに繋がる襖を開けると、キッチンに曲夜さんと大和さんが立っていた。

 曲夜さんはわかるが、なぜ大和さんが?


「おっ、王雅起きたかァ」

「おーがーぁー!」

「まだ途中だぞオイ!」


 曲夜さんはこちらを向いたかと思うと、ぴょんっと飛び跳ねメッシュの入った金髪を揺らしながら小走りで迫ってきた。

 体を押し付けるようにハグされる。

 吸血鬼(ヴァンパイア)なのだから血の匂いがしそうなものだが、彼女もやはり、花の香りがした。


「助けてくれてありがと!」


 僕は動揺したまま、ちゃんと言葉を受け取れない。

 助けたいという気持ちはあったけど、それは救いたいではない。

 大和さんの依頼を達成し、大和さんがお兄さんと再会できるようにだ。

 この感謝は、受け取っちゃいけない。


 話を変えよう。

 なにか、話題……あ、そういえば。


「なんで曲夜さんって、大和さんに見えてるんですか? 日妖は妖怪が見えますけど、妖怪と似た感じなんでしょう?」

「人間と契約したからだよ、凄く昔に死んじゃったけど」


 ああ、そんなことお父さんが昔言ってた気がする、妖怪との契約がどうとかと。

 よくわからんけど、契約したら人に見えるようになるのか……お父さんは妖怪と契約していなかったから、あまりその話には明るくない。

 でも話が終わってしまった。

 そうだ、本題はエレインコーポだ。


「エレインコーポの件はどうなってますか?」

「あとちょっとってところで捕まったんだよねー」


 彼女はスッと身を引いてそう告げた。


「あと、ちょっと……ですか、具体的には?」

「大江戸武蔵がエレインコーポにいたのは間違いないし、ゲノム強化剤の研究開発をしてたのも間違いなかったよ!」


 たったそれだけじゃないだろうな。

 そんなの予想に対しての裏付けだ、大和さんもそこはわかってる。

 問題は今、どこにいるかだ。


「あとは、エレインコーポを二年くらいに前に退社してたんだよね」


 料理皿を両手に持った大和さんが頓着せずに歩いてきた。

 僕が寝ている間に来て、もうこの話は聞いたのだろう。


「俺ァずっとエレインコーポに勤めてると思ってたんだがなァ、なんで家族にそれを隠してどこで働いてたのかもわかりゃしねぇ。だが二年前つーと出張は多くなった時期ではあらァ」


 大和さんはテーブルに料理を並べてそう言った。

 今この場に留まっているということは、居場所までは判明していないのだろう。

 知ったら僕の家などに留まらずに駆け出しているはずだ。


 進展はしている気はする。

 謎は深まるばかりだが、謎すら認識できていないよりはマシのはずだ。


 しかしなんだろうこの、赤いスープに浸されたロールキャベツは……初めて見た。

 中華だろうか、辛いのだろうか。

 テンスさんはこういうの食べたことあるのかな。


「あれ? そういえばテンスさんは?」

「あァ、あいつァお前ン家に入る資格がねぇつってよォ。いくら説得しても聞きやしなかったんだ、ホレ」


 大和さんは追加の料理を取りに行く途中で、ベランダのガラスを指差していった。

 見るとたしかに庭にテンスさんが突っ立っていた。

 降り積もった雪に膝まで埋まりながら……なにしてるんだよ!


 僕は慌ててベランダを開ける。


「なにしてるんですか!?」

「わたくしはオサナイ様を裏切ってしまいましたので、家に入る資格がないかと思ったのです」

「風邪引いちゃいますよ! はやく入ってください!」


 僕は手を伸ばして、半ば説教のように言うが彼は微動だにしなかった。


「神誓衣は防暑防寒に優れているので問題ありません」


 なにを子供みたいな御託並べてるんだこの人は。


「僕も寒いので、はやく入ってくださいよ」

「わたくしを、許してくれるのですか?」


 さっきの印象に引っ張れているのか、これも子供のように思える。

 それとも、小さな体躯のせいかもしれない。


「許すっていうか……とりあえず来てください」


 僕は手を差し伸べたままに、口ごもる。

 自分の頭でもまだ纏まっていないんだ。


 彼はゆっくりと雪に穴を開けながら、冷気に紛れて歩いてきた。

 僕の手を取ると、氷でも握ったかと思うほどに冷たい手なのだった。

 一体何時間そうしていたんだ。

 テンスさんを引き上げ、すぐにベランダを閉める。


「罰さないのですか?」

「……感謝、してますよ。あんなに寄り添われて、守られて、僕が生きてるのは全部テンスさんのお陰じゃないですか。今はなんだか、生きていてよかったと思ってるんですよ」


 口から言葉がすらすらと滑り出る。

 本心かどうかすら自分ではわからないのに、なぜだか嘘をついている感覚はなかった。

 あんなに苦しくて、もう耐えられなかったのに。

 一日すら経っているかわからないのにもう遠い過去のように感じる。


 死ななかった、生き延びた、そのどちらも僕は受け入れられない。

 逆にどちらも受け入れてしまっている。

 死ぬべきではあったし、生きていてよかった。どちらも嘘じゃない。


 彼の手を引いてソファーに座らせるが、もうなに一つ彼は喋ってくれない。

 僕もその隣に座って考える。

 テンスさんもテンスさんで、どうしたらいいのかがわからないのかもしれない。


 少し、そっとしておこうか。


「大和さんはどうしてここに?」

「オメェがエクソテックスに電話したンだろ? 学校前で急に車に乗らされて、あーでもねぇこーでもねぇって話されて状況がわからねぇからお前ン家来たんだよ」

「あー、まあ緊急事態でしたし」

「そうだったらしいが、テンスは外で地蔵こくし、お前呑気に寝てたしよォ」


 料理を運び終わったのか、彼は僕の隣に腰掛ける。

 テンスさんと大和さんに囲まれた、三人も座ればギュウギュウ詰めだ。

 対面が空いてるのに、とは思うがそこには曲夜さんが仏間に進む。おそらくあっちは曲夜さんと冥さんも座るであろうから、居心地が悪いのだろうか。


 男女別れた形か、といってもテンスさんの性別はわからないが。


「吸血鬼どもからの連絡が途絶えたからおかしいとは思ってたんだが、まさか日妖とかいう機関に捕まったとはなァ」

「お父さんが日妖の公認崩術師だったので、僕は元々知ってたんですよ。こうなる可能性も考えられたはずなんですが、うかつでした」


 大和さんはほォーっと息を零し、流れ星に願いごとでもするかの如く天井へ顔を向けた。


「で、オメェ視点の話聞かせてくれや」

「お父さんの事でめちゃくちゃ説教されて、取調室で煽られまくって、拷問された後に暴れまわっただけですよ」

「拷問? オメェなにされたンだよ……?」


 拷問のことは知らない。

 ということは、冥さんと曲夜さんから話は聞いていないのか。


「指をこう、ミチミチィっとプレス……」


 思い出すと、鳥肌がぞわぞわと皮膚を駆け巡る。

 出来事自体は現実感がないのに、あの拷問の感触だけは鮮明に思い出せる。


 僕は感覚を忘れるために、詳細の説明をした。

 大和さんの顔が、どんどん戦慄していくのが見て取れる。


「オメェそれで、溝口って野郎を殴りもせずに帰ってきたのか!?」

「はい、そんな雰囲気じゃなくて」


 そこなのだろうか。

 エクソテックス社と関わっていた財団の正体のほうが重要なのではないだろうか。

 でも溝口、あいつのことはやっぱり許せない。それでも今は殺したいほどかと言われるとそうではない。


「信じらンねぇ、俺だったら半殺しにするぜ……ていうか、オメェがそれされたってだけでも俺は今すぐぶっ飛ばしてぇよ」

「でも、戦えない人にまで暴力を振るったんです……」

「……そォか、俺も経験あっから……でも、俺とオメェじゃ状況が違げぇ。拷問なんぞされたら狂っちまってもおかしくねぇ」


 ……僕は、いつの間に。

 こんなに感謝されたり、共感してくれる人たちに囲まれていたのだろうか。

 今までこんな経験がなかったからか、それとも僕は罪悪感を捨てたくないのか。

 それをどう捉えていいのかもわからない。


 これに、答えを出せる人はいるのだろうか。

 生きたい、消えたくない。そう思って自分の身を守り暴力を振るう。

 すると、それは間違っていると罪を認識させられる。

 だったら償うべきか。そうすると自分は死ぬ。


 きっと答えを出すんじゃない、なにか一つを、間違っているであろう一つを選ぶんだ。

 戦争だったら母国の為、暗殺だったら金の為、反社だったら生き方の為。


 僕は、なにを指標にそれを選べばいいのだろう。


「そういえば、テンスはなんで一緒にいたんだよォ?」

「わたくしは、オサナイ様の家に住まわせて頂いているので」

「ンだそりゃ、聞いてねぇぞ」


 考えごとをする僕を挟んで彼らは話を始めた。

 仏間からは老婆にようにトボトボ歩く冥さんを曲夜さんが手を引いていた。


「あぁ……長内だっけ、助けてくれてありがとぅ……」

「いえ……」


 寝ぼけたまま、冥さんはゆっくりと頭を下げた。


 全員がテーブルに揃う。

 統一感のない食事の挨拶が発せられ、僕は赤いスープのロールキャベツに手をつける。

 辛くない、が不思議な味わいだ。

 日本料理感がまるでない。


「誰が作ったんです? 美味しいですね」

「私だよー! 凄いでしょ!」


 首元の白いファーを外そうとしていた、満面の笑みを浮かべて曲夜さんが答えた。


「サルマーレだろこれ、お前ら元々ルーマニアにいたのかァ?」

「どうだっけ、冥」

「元々、ルーマニアにいたよ……美味しいよ曲夜」


 ルーマニアにいたのに、名前は冥と曲夜なのか。

 なぜ日本語なのだろう。


「ふふんっ、寝起きに沁みるでしょ?」


 一口食べ始めると、急激にお腹が空いた。

 この味と暖かさに、ようやく肉体が再起動されるのを感じた。

 そうとしか、例えようのない感覚だった。


 曲夜さんの言う通り、本当に沁みる味が舌に溶ける。

 でも、心が反応してくれなかった。


 皿洗いまでやってくれた吸血鬼(ヴァンパイア)の二人は、今一度お礼を言って寒空の下に帰っていった。

 残ったのは大江戸さんとテンスさんと僕だけ。


「大和さんも、崩術学んでみませんか?」


 僕は唐突にそう申し出た。


「藪から棒になんだァ?」

「獣術っていうの使えるになって、僕も身体強化が出来るようになったんですよ。だから大和さんも崩術を学んだらバランスいいかなって」


 本当は、僕が居なくなっても戦えるようにだ。


「誰でも出来るもンなのかァ?」

「大和さんなら出来そうだと思いますけど」

「受験勉強に兄貴のことに会紡機戦に、崩術か……ちっとオーバーワークだな。だが命懸けだ、仕方ねぇ」


 僕の目指す先は彼なのかもしれない。

 現実的な日常と非現実的な戦いを、上手に両立している。

 たまに焦ったり、感情的になりすぎたりはするけど、それでも十七歳という年齢を考えればこれ以上はないだろう。


「ンじゃ王雅、崩術のやり方動画に字幕入れて作って送ってくれや」

「え、僕ですか?」

「他に誰がいンだよ」

「テンスさんも出来ますよ」


 その言葉を受け、テンスさんがおもむろに立ち上がる。


「崩術は世界色由来である崩色による開術です」

「今じゃねぇよ! 意味わかんねぇし!」


 そんな固有名詞だらけの説明でわかるはずもない。

 しかも理屈の説明ではなく、まず修行法からだろう。


「ていうか大和さん、帰らなくて大丈夫ですか?」

「学校から直で来たから帰ったらお袋になに言われるかわかったもんじゃなくてなァ……なんとか誤魔化してンだが、早ければ早いほどいいかァ」


 大和さんも立ち上がり、僕も二人に釣られて立ち上がった。


「送りましょうか?」

「最近体動かしてねぇからちょうどいい、走って帰らァ」


 玄関へ歩もうとした瞬間、リビングがうねった。

 空間が圧縮されるような視界に立ち眩む。

 ビジョンだ、会紡機戦の次の相手が決まる。


 ビジョンが進む、海を越えた。

 また海外かよ、あれ、でも、黒髪黒目の人々が見える。

 日本……? 雰囲気は似ているが、どこか違う。

 アジア圏のどこかか、なんか中国っぽい。


 対戦相手の顔、こちらを見る中年男性のその顔。

 その顔に、僕は息を呑んだ。


 まちがい、ない……胡散臭いヒゲに赤いチャイナ服。

 僕たちの視線に驚くその表情、大きな鼻。


 李国燕──崩術を教えてくれた、今や恩人とすら思っているその人で間違いなかった。


 視界が縮小され、リビング風景が戻ってくる。


「中国だなありゃ……時間はッ!?」


 大和さんはそう言って高い位置に掛けられた時計を見る。


「王雅いいか、今回は強制戦闘開始の四十日間が細かい時間も厳守されるか確認すンぞ」


 李さん、僕の人生を変えたといっても過言ではない人だ。


「オイ王雅、聞いてんのか!」


 畳みかけるように、現実が僕を襲った。

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