第十九節 見えない残像
警備車と装甲車を合体させたような、重厚感溢れる車に僕は押し込まれた。
六人、スーツを着た人間がいる。
このうちの何人が日妖で崩術師なのかは想像もつかないが、全員しかめっ面をしているのだけはわかる。
荷台がなく、側面にいくつも椅子が取り付けられた向かいに溝口さんが腰を掛ける。
「礼司さんの息子にこんなことをするのは俺も胸が痛いよ」
「溝口さん……勘弁してくれませんか」
声を震わせながらそう懇願しても、帰ってくるのは鋭い視線のみ。
違法行為で暴れたお前が悪いんだろって睨みだ。
警察に逮捕された気分だ、しかし日妖は検察も弁護士も裁判所も挟まない。
崩術師や妖怪たちといった類の問題に対する独自権を持っている。
最悪、何年間も幽閉されたり、崩術を二度と使えないように両腕を切り落とされたり。
果てには裏で処刑されることも考えられる。
昔、お父さんから散々日妖の異様さを聞かされて育った。
その話が怖くて眠れなくなった幼少期の夜を思い出す。
悪さをすると、日妖が来ますよ、なんて脅されたこともある。
今は笑う気になれない話だ……。
「聴取は局についてからになるから、これは雑談だけどねえ。長内くんはどこで崩術を習ったんだ? 礼司さんは教えていないと言っていたが、あれは嘘だったのかねぇ」
なるほど、お父さんをダシに炙ろうって魂胆か。
しかも崩術が使える前提で話してきてる、さっきまで確定はしていなかったのに。
ここでシラを切っても、拷問されるんじゃないだろうか。
だったらいざという時の為にも、ピンピンしているうちに吐くのが身の為か。
「お父さんじゃありません……中国人のリ・コクエンという人に教えてもらいました」
「李国燕? あの李国燕……? にわかには信じがたいな。当局にすら顔を出さなかったあの男が、君に?」
くそ、李さん有名人なのかよ。
しかもその言い方だと、かなりの凄腕崩術師みたいだ。
誰だそれ? となったほうがよかったんじゃないかと思える。
いや逆に、李さんの責任になるからセーフとかあるか?
車の振動につらつらと汗が流れ、拳を握る力が強まる。
久しぶりに、かなり切羽詰まってしまっている。
ここは生き延びるために、柔軟な思考をすべきだと諭しても感情が反発する。
「高校の修学旅行の時にたまたま会いましてね……彼は父を探していたんです」
「それでなんで君に崩術を教えることに?」
「お小遣い全て取られて、帰りの飛行機代の足しにされたんです」
修学旅行に持参した五万円を全て取られた。
そもそもお父さんがいたこの土地とは遠く離れた場所で、何日間も父のことを訪ねながら各所を放浪していて金がない、って言っていた記憶だ。
その見返りとして崩術の概要を怪しい日本語のメールで教えてもらった。
嘘はない、だというのに彼はおでこに皺を寄せて疑う。
他の乗務員も少し怒ったような視線を向けてくる。
大和さん、会紡機戦はもうだめかもしれない……ごめんなさい。
テンスさん、家で待ちぼうけをさせてしまってごめんなさい。
お父さん、お世話になった溝口さんの手を汚してしまうかもしれない、ごめんなさい。
僕はもうお終いだ、このまま嘘をついてるとされて拷問されるんだ。
「僕は、この後拷問でもされるのでしょうか……?」
「楽観視はしていないようで助かったよ」
そっか。
やる気か。
「長内くん、そうだとしてもなぜ人に崩術を使った」
「……それは、やむを得なく」
「礼司さんに顔向けできるのか?」
そう言われた瞬間、僕はもう喋れなくなった。
父はいつも正しくて、かっこよくて、優しかった。
お父さんが人間相手に崩術を使ったなんて話は聞いたこともない。
人間を害した妖怪たちに使っていただけだ。
だというのに僕は、自己の安定と恐怖と目先の利益がきっかけで戦いに身を投じた。
そんな僕が喋れる言葉など、弁明する言葉などどこにある。
「崩術は人を簡単に殺せる術だ。君がやったのは足に撃つならいいだろうと、人に銃を向けて撃ったようなものだ!」
喋っている途中に、怒りが抑えられなくなったように溝口さんは激怒した。
その言葉が深く胸に刺さる。
例えが例えになっていない、僕は銃を人向けて撃ったんだ。
まったく同じことを考えて、最初の一発は異世界の騎士の脇腹に向けて。
「ヤクザが相手ならやってもいいとでも思ったのか!」
……調子に乗っていたのも否めない、反社ハンターだ、とか考えて。
「ヒーローごっこのつもりか! 顔向けできるのか!?」
身を乗り出して、怒りを剥き出しにした瞳でそう問われる。
怒りに顔が震えていて、その眼力から目をそらしてしまう。
下を俯いて、ただ黙ることしかできない。
「溝口部長、相手は子供です。その辺にしてあげても……」
周りにいた誰かがそう言った。
「いいや駄目だ! 力がなければ警察に頼るべきだし、力があったとしても振るうべきではない力もあるんだ! 長内くんはそれがわかっていない!」
言っていることはもっともだ。
言い訳のしようもない。
だけど、僕が社長の提案に乗っていなかったら無事で済んだか。
財団とやらが関与し始めて、断って無事で済んだか。
陽葵さんを救わなかったら、世界や陽葵さんは無事で済んだか。
それはわからない。
でも僕は、自分の持つ力の責任なんて考えたことがなかった。
ただ生き残ろう、ただ大和さんの力になろう、それだけだ。
「なんとか言ったらどうなんだ。立派だったお父さんが亡くなったのをいいことに、君は礼司さんの墓に泥を塗ったんだッ!」
もう……やめてくれよ……。
十分、わかったよ。
崩術をまったく使わずには生き残れなかった。
例えそうだろうが、使うことの意味は考えなければならなかった。
答えを持って戦わなければいけなかった。
でも、僕の頭じゃ答えが出ない。
出せないんだ。
ただ崩術を学んで、お父さんの背中も追いかけてた。
生きるために使って、高めて。
その結果僕はなにもかもから、逃げていた。
それじゃいけないのはわかってる。
逃げるしかない人間がいたとすれば、僕はどうすればいいんだよ。
もっと考えられれば、もっと向き合えば、考えることも向き合うことも出来る。
過去、出来たはずだ。
やってなかった。
だけど……僕は一杯一杯だったんだ。
僕は自分を守ろうとしているのだろうか。
この期に及んでまだ逃げようとしているのだろうか。
罪を受け入れ、罰を受けるべきなのだろうか。
拷問されれば許されるのか。
死ねば許されるのか。
消えれば許されるのか。
誰が許してくれるというのだろう、お父さんは許してくれるのか。
こんな時に寝ぼけ眼は眠りこけたままだ。
消してほしいと、消えてしまいたいと思った時に限って。
逃げたい。
もう全部から逃げたい。
僕は望んでこうなったんじゃない。
「あなたが僕なら、どうしてたんですか」
僕は半ば八つ当たりのように口走る。
どうかこのまま裁いてくれ。
僕の逃げ道を全て潰して、もう終わりにしてくれ。
「なんっだとぉ!?」
俯いた視線の先に靴が見えた。
すぐに胸倉を掴まれ、頭が振られる。
破裂音と鈍い金属音が混ざったような音と共に、頬を殴られた。
車内の冷たい地面にぶつかり、鮮烈な痛みだけが僕を支配する。
「俺にそれを言うのか!? この俺に!? お前、礼司さんの背中からなにを学んだ!」
目頭が熱くなり、涙がどうしようもなく滴り落ちた。
ただただ、どうしようもなく悔しかった。
お父さんの息子である僕が、あまりにもふがいなくて悔しかった。
大事に育ててもらったのに、こんな情けない男になってしまって。
もう、いいか。
もう遅いか。
僕はもう、お父さんの息子である資格はない。
今の僕を見たらお父さんはなんて言うんだろうか。
車が止まり、僕は引っ張り上げられ立たされる。
両脇から腕を掴まれた時、前にいる日妖の人間が観音開き式のリアドアを開いた。
強引に引っ張れ、半端な明るさの地下駐車場に降り立つ。
死刑囚の気分だ。
どう転んでも無傷で帰されることはないだろう。
これでもう、戦わなくていいんだ。
解放された気持ちの後に残るのは、罪悪感だけだった。
「何者だ!?」
後ろから降りた後続の人たちから声が上がった。
冷たい色をしたコンクリから、力なく視線を引き上げるとそこにはなにも居ない。
しかしどうやら、車の側面に向けて声を発している。
もういいから連れていってくれよ、そう思いながらも僕も目を向けた。
金色の意匠が走った全身を纏う黒いローブ、エックス字の仮面。
腰には煌びやかな短剣。
テンスさん、か。
黒いスーツの男が一人が腕を捻るように崩放を飛び放つがテンスさんは何事なく避け、もう一人の男の崩衝もするりと躱していた。
僕はただ、ぼーっとそれを眺めていた。
「わたくしは戦いに来たのではございません、オサナイ様の監視を仰せつかっておりますので」
「長内くんとルームシェアしてるだかって子だったか? どうやってここまで……」
「車の上に乗せさせていただきました」
「な、にぃ……?」
「わたくしは、オサナイ様の身に降りかかることには干渉致しません。それでもわたくしと戦闘を望みますか?」
僕は止めようと思ったが、喉がカラカラで声もろくに出やしない。
「悪いが帰ってもらえないか?」
「なりません、わたくしはオサナイ様の監視をしなくてはなりません。お伝えした通り戦闘の意思もございません……が」
彼はゆっくりと歩み出し、時間を刻むように溝口さんに迫った。
「あなたには言わなければならないことがございます」
「……なんだ?」
「あなた様の平和ボケした戯言は聞くに堪えません」
説教でもするように、テンスは言葉を飛ばした。
「オサナイ様は戦う度に迷っておりました、そんなことを考えていては命を落とすかもしれないというのに」
僕はこれを、どう感じていいかもわからない。
「生きるために戦う、人を救うために戦う、なにがおかしいのですか? 命を守るのに理由や大義が必要ですか?」
「必要なんだよ、少なくとも日本ではそうなってる」
テンスさんの問いに、迷うことなく溝口さんは答えた。
「腕を切り落とされ、重傷を負った後もオサナイ様はひたむきに崩術を励んでおりました。あなた様にそれが出来るのですか?」
「なに……? 本当か? 長内くん」
「今、ここで腕を斬り落としてさしあげましょうか? 反撃もせず逃げもせず、ただ大義を語れますか? それでも同じことが言えたのなら、わたくしはもうなにも言いません」
「……ッ」
僕が答える前に、テンスさんが畳みかけた。
溝口さんはなにかを言いかけて止まる。
でも、テンスさんの言い分は異世界の理屈だ。
平和ボケした世界では、平和ボケした秩序が必要なんだと思う。
「ありがとうございます、テンスさん……僕のために、怒っていただいて」
「怒って……わたくしは怒っていたんでしょうか? なぜでしょう?」
「はは」
小さく僕は笑った。
もう、十分報われた気がした。
テンスさんの言い分は間違いかもしれない。
溝口さんの言い分が正しいと思う。
それでもテンスさんは、僕に共感して怒ってくれた。
本当にもう、それで十分だ。
答えが出せなくていい。
僕は間違っていてもいい。
それでも罪だけは受け入れよう、ならば罰も受け入れよう。
それが、僕が長内王雅であった証拠だ。
それでも大和さんだけは巻き込めない。
「連れていってください、どこへでも」
「わたくしもお供いたします」
「許されると思っているのか、無関係だろう!」
溝口さんが怒声を荒げるが、テンスさんはそれじゃ引かないよたぶん。
こっちの都合はあんまり考えてくれる人ではないから。
「邪魔しないっていうんだから、いいじゃないですか……僕も抗いませんし」
「いいわけがあるかっ!」
喝破するような強い語気。
当たり前のことを理解してくれないという苛立ちにも似た言葉を受けるも、テンスさんはさらに一歩踏み出す。
「オサナイ様の監視は預言者様に頼まれたこと、わたくしにとっては天命と同義です。それを阻害すると仰るのであれば、この場で全員を無力化しオサナイ様を連れ帰ります」
異常な殺気が漂う。
冷たいコンクリの上だというのに、まるで火炙りにされているかのような苦しさ。
息も出来ず、消すこともできない炎の中を思わせる殺気に時間が遠のく。
細胞が恐ろしいと感じて、体中が引き攣る。
「……お願いします、溝口さん」
ここでテンスさんがみんなを殺すのは間違っている。
そんな姿を見たくはない。
「わかった……認めるが不審な動きをすればただではおかない」
ふっと、現実に帰ってきたかのように殺気が沈んだ。
立ち竦んでいた日妖の人たちも持ち直し、僕は引っ張られる。
エレベーターに乗せられ、二階に辿り着く。
通路のど真ん中に現れた鉄格子を抜けて連れてこられたのは、警察ドラマで見たのとは様子の違う広い取調室だ。
無機質な白い壁は薄暗さで灰色を帯びていて、長く白い机と比例したような漆黒の長いソファー。
さながら会議室のようにも見えるが、監視カメラがいくつも並んでいて不穏な空気を醸し出している。
そこに吸血鬼の二人が座っていた。
前に見た姿のままの冥さんと曲夜さんが。
その隣に僕は座らされ、後ろにテンスさんが立つ。
対面に溝口さんがただ一人座った。
吸血鬼の件は大和さんも絡む。
ここだけは、正念場だ。




