第十四節 ベタ踏みで疾走
表通りからは離れ、入り組んだ住宅街。
その中の一つである、緑色の家がある。
本当に、なに変哲のない家だ。
こういう事態でもなければ、足を一歩も踏み入れないような、縁もゆかりもない家。
耳障りなエアコンから温風が流れる車内で、僕と大江戸さんはその家を見ていた。
「ここが大翔の家だァ」
「こんな時間に行って、大丈夫ですかね?」
時計を見ると、二十時四十四分を回っていた。
ほぼ二十一時だ、ギリギリ非常識のレベルだろう。
「しょうがねぇだろ、命に関わる話だからな」
「そうですね、最悪陽葵さんだけではなく、人類の九割が死ぬ、んですもんね」
正直自分で言っていて、現実味はない。
だけど、ただ連れていってどうにかしてもらうだけの話だ。
僕たちが集中するべきか、どう連れ出すかだけだ。
「どうやって連れ出すんです?」
僕は車のライトだけを消して問う。
大江戸さんは目を閉じて、ヘッドレストに頭を押し付ける。
たったの二十秒、それだけの時間で彼は頭を起こして腕を組む。
「ほンっとに呼び出す理由がねぇんだよ、もう真正面から頼むしかねぇわ」
そう言いながらドアを開いて彼は車を降りる。
冷たい空気が重々しく入ってきて、押し出されるように僕も車を降りた。
大丈夫だろうか、もっと緻密に計画を立てたほうがいいんじゃないだろうか。
少しずつ和久さんたちと交流を持って、隙を狙って、とか。
その考えを破り割くように大江戸さんはインターホンを鳴らした。
門はなかったから、玄関に繋がるドアの前で。
一秒、二秒、三秒……少し間を置いて、もう一度鳴らした瞬間にプツッという音が鳴った。
「……大和? どうした?」
マイク越しで音質が悪かったが、恐らくは陽翔さんだろう。
「ちょっと用事があってなァ、出てきてくれねぇか?」
「オッケ、ちょっと待ってなー」
すぐにドアが開いた、はんてんを羽織った優しげな少年が顔を覗く。
僕はしばらく黙っていたほうがいいだろう。
「おっす大和?」
「急に押しかけてわりぃな」
「いやいいけどさ。後ろの人はええーと、おさ、長永さんでしたっけ」
「長内王雅です、ご無沙汰しております」
「あっ、すみません! 長内さんでした長内さん!」
陽翔さんは後頭部をさするように掻きながら、頭を下げる。
申し訳なさそうに笑いながらも、呑気な雰囲気が漂う。
「てかお二人寒いでしょ? 入って入って、てか俺が寒い」
促された通りに僕たちは玄関に入った。
果物と少量の薬品を混ぜたような匂いが鼻を撫でた、他人の家の匂いだ。
この雰囲気も、匂いも、全部壊れてしまうかもしれない。
そう思うとなぜだか罪悪感に似たなにかが湧いた。僕たちはそうさせない為に来たのに。
「あー、あの、よォ……陽葵いるか?」
「ん? 面識あったっけ?」
ここからどう連れていくというのだろう。
流れが不自然すぎる。頭のいい大江戸さんだから、上手くやれるのだろうが。
「いると思うけど、陽葵になんの用よ? 長内さんも陽葵に用があるんですか?」
「えっと、僕は大江戸さんの送り迎えです」
「陽葵が来たらワケを話す、陽翔にも聞いてほしい話だからよォ」
「そう? 告白じゃないよな、許さんぞ?」
陽翔さんは軽口を挟みながら振り返った。
入口からも見える二階に向かって、彼はその名を二度ほど大きな声で呼んだ。
軽い音が階段奥から聞こえる、すぐに人影が見えた。
長い金髪が羊毛のようなカチューシャでかき上げられ、ボーダー柄の柔らかそうなルームウェアに身を包まれた、中学生か高校生くらいのギャルだ。
あれが、伝送爆弾の能力者なのか。
陽葵さんは僕たちを見つけた途端、驚いたように肩を震わせた。
いやあの目は少し違うような気もする……動揺、恐怖?
「陽葵ー、前に話した大和が用があるんだって」
「なんの用……ですか?」
彼女は歩みを止めたまま、近づこうともしない。
そりゃ、いきなり知らん奴が訪ねてきたら怖いだろう。女の子からしたら尚更だ。
「ちょっと話があンだァ、わりぃけどこっち来てくれるか?」
大江戸さんはいつもよりトーンを上げ、陽葵さんを呼び寄せた。
ゆっくりと彼女は階段を降り、陽翔さんの後ろに隠れるように立った。
僕たちを品定めするように視線を泳がせ、怯えた表情を浮かべている。
細い足も小刻みに震えている、普通ここまで怖がるだろうか……?
「ちょっとよォ……四人で今から出かけねぇか? 三十分もかからねぇから」
「なんだよそれ? 大和、ちょっと様子変だぞ?」
「そっ……そうかァ?」
逆に好奇心で惹く作戦か?
「わかりました、着替えてきます」
流れをぶった切るように、陽葵さんは言葉を落とした。
そして逃げるように二階へ駆け上っていった。
「俺も着替えたほうがいい、よな? ちょっと待っててや」
陽翔さんも二階へ上っていった。
僕はちらりと、大江戸さんの顔を見た。
顔色があまりよくない、ようにも見える。
目が据わっていてどこを見ているかもわからない。
大丈夫なのか、これ?
なんだかよくない気がする。
例えば大江戸さんは好きな人がいて、明日デートだから服を買いに行こうとしていた。
男だけでは良し悪しがわからないから、女の子の目線もほしかった。
そういったファッションチェックという名目とかでもよかったかもしれない。
今更こっちに修正できるだろうか?
「大江戸さん、大丈夫ですか?」
「あァ……」
それ以上、彼はなにも言わない。
しばらく待っていると、まず陽翔さんが現れた。暖かそうなファーつきのジャンパーだ。
「まじでさ、どこ行くん?」
「……もうすぐクリスマスだろ? 事前にどのケーキが一番うめぇか知りてぇんだけど、買いすぎちまってよォ」
言い訳が変だ。
答えになっていない、ケーキがどこにあるのかそれじゃわからないだろう。
それならここに持ってこいという話になる。
なにか策があるんだよな、続く二の矢が。
「うーん? 長内さん家にあるんですか?」
「あ、はい、そうですそうです。さすがに多すぎて持ってこれなくて」
「ケキパか、いきなりだなあ……?」
陽翔さんは怪訝そうな表情を浮かべていると、またさっきと同じような軽い足音が聞こえる。
ミルク色のセーターワンピースに暖かそうなパーカー姿だ。
玄関に寄ってくるかと思うと、奥に見えるリビングのドアに向かっている。
くるりとこちらを振り返った。
「リビングにスマホ忘れたから……」
「ケキパらしいよ陽葵」
「うん……」
なんだかぎこちなく彼女はリビングに向かった。
ドアを開くと、テレビらしき大勢の笑い声が漏れる。
奥で出かけるの? という女性の声が聞こえた、母親だろうか。
訳もなく、嫌な予感がしている。
なにか上手く事が運んでいない気がする。
そこから誰しもが無言のまま、五分ほどが過ぎた。
「遅いな陽葵、ちょっと見てくるわ」
そう言って陽翔さんもリビングへと向かっていく。
僕はなにかを口にするのが嫌なほど張りつめていた。
とにかく二人揃って出てくるところを想像して、現実になれと願う。
居心地が悪い、早く終わらないだろうか。
そういえば、テンスさんに引き合わせた後の言い訳も考えなくてはならない。
ケーキもなく全身黒ローブの人に会わせるわけだから、逃げられるかもしれない。
行き当たりばったりすぎたのではないだろうか。今言ってもしょうがないことばかりが頭に浮かぶ。
リビングのドアが開いた。
陽翔さんだけが顔を見せる。
焦った表情を浮かべながら、小走りでこちらに来る。
嫌だ、今から嫌なことを言われる。そんな気しかしない。
「陽葵が……居ない」
僕も大江戸さんも、なにも言えない。
なにを言っていいのかもわからない。
居ないってなんだ、消えたというのか。
可能性は逃げた、預言者さんに攫われた、他になにがある。
いや状況を絞らなくては。
そうは考えるがどうしていいか、検討のつけようがない。
落ち着け、落ち着いて考えよう、そう考えていると陽翔さんが一歩前に出て大江戸さんの胸倉を掴もうとした。
すんでのところで、止まった。
「大和、陽葵になんかしたか?」
「いや……ほんとに面識はねぇんだ」
「正直に言えよ、陽葵最近様子がおかしかったんだよ」
「……」
僕は唖然としてしまっていた。
うまく状況が呑み込めない。
でも、確かなのはこんな口論をしている場合ではないということか。
「外に出た可能性はありますか?」
「裏玄関から、出たかも……」
「わかりました、僕たちは外を探しますので和久さんは中をもう一度探してください。居たら大江戸さんにメッセージください!」
逃げるように僕は振り返ってドアを開けた。
大江戸さんも共に外へ出る。
「俺ァ、裏玄関のほう探すから! そっちはちょっと車で見てまわってくれッ!」
慌てて僕は車に乗り込み、エンジンを掛ける。
彼女がリビングに消えてから、何分間くらい喋っていた、外に出ていたとしてどのくらいの距離に行ける?
とにかく、移動するにしても結局は大通りに出るはずだ。
僕は二十キロくらいで周囲を見渡していると、大きな白いファミリーカーに人が乗っているのが見えた。
運転席には男、後部座席はスモークでわからないが、ここに乗り込んではいないだろう。
やけに運転席の男がこちらを見てくるが、僕が焦った顔をしてキョロキョロしているからだろうか。
結局見つからず大通りに出た。
まずい、そうだった、まったく見えない。
冬は道路や歩道の雪を歩道端に寄せる。雪山になっていてそれが続いていて、道路からじゃ歩道がわからない。
どこか脇に停めて、歩道で張り込みをしよう。
僕は車を走らせ、脇道に滑りこませてハザードランプをつける。
すぐに車を降りると、雪がざくりと音を立てた。
人っ子一人いやしない。
息を吸うたびに、肺の奥が冷えていく。
だというのに、焦りに思考は熱されていく。
どうする、どうする?
そう考えていると、走っている人影が見えた。
あれか?
そう思うのもつかの間、物凄いスピードでこちらに駆け寄ってくる。
全身が雪で真っ白になった大江戸さんだった……見つけられなかったか。
「いたか!?」
「いえ、見つかりません……」
大江戸さんは後ろを振り返るが、人は見当たらない。
最悪だ、こうも上手くいかないものか。
「俺ァ、もう一回見てくる!」
「大江戸さんちょっと待ってください!」
呼び止める僕に彼の動きは止まる。
このままじゃダメだ、とそう思う。
結局のところ、僕たちは無計画に突っ込みすぎてこうなった。
このままスタンスを変えずにバカ正直に突っ込んでどうにかなるとは思えない。
相手は逃げている、見つけたとして攫うとでも言うのだろうか。
陽葵さんの命や人類の命運がある。手段は選んでられないが、だからこそだ。
強引に進めて、能力を発動しそうになったら陽葵さんは殺されてしまうんだぞ?
「一旦落ち着いてください、焦りすぎです」
「わァってる! だが探さなきゃ始まらねぇだろ!?」
「探すにしても、頭を使って探さなきゃだめです!」
始めて大江戸さんに強く言った。
少し落ち着いてくれ、いつもの頼れる大江戸さんに戻ってくれ。
「……俺のせいだ、焦りすぎた」
「とにかく車に戻りましょう、車の中からも歩道は見える位置なので」
トボトボと車に乗り込み、深呼吸をする。
状況を整理しよう。
「和久さんからメッセージは?」
「あ、あァ」
彼はスマホを見て確認するが、この表情から言って状況はよくないだろう。
黙ってスマホを差し出される、画面には居なかった、その文字だけが映し出されていた。
外に出たのは確実か
「落ち着いて考えましょう。まず逃げるとして、この時期に野宿は無理です」
「あァ……」
「普通なら友達の家か、後で自宅に戻るはずです」
「……」
ちょっと、まじで落ち着けよ。
落ち込んだり焦ったり、今はそんな場合じゃないんだ。
「しっかりしてください!」
「……わァった、切り替える」
そう言って彼は黙り込んだ。
自分で言った叱咤で、自分が驚いてしまった。
なぜだか今、はっきりわかった。
悪いのは彼じゃない。
僕は大江戸さんを信じていたんじゃない。
任せていただけだ。
無責任に、彼なら大丈夫って。
僕はどこか他人事だった。
焦る彼に反して、僕はどこか心が反応していなかった。
「預言者は監視してンだから、行先を見てたんじゃねぇか?」
僕の反省を押しのけるように彼は唐突に身を乗り出して、ひらめいたかのように零す。
預言者さんが連れ去ったわけじゃないなら、その可能性はある。
「見てないよ?」
その声を最初は声として認識できず、体に触れた冷気かと思った。
後部座席からの声。
びっくりした、いつから居たんだ。
「その様子だとしくじったみたいだね、なにしてんのさ」
ちょっと黙っててくれないか。
今煽られてもなにも言えないし、良い方向には行かないよ。
僕は無視して思案する。
明日も平日だ、友達か自宅に行ったとしても学校には行くんじゃないだろうか。
学校前で張り込みはどうだろう。
「陽葵さんの学校ってどこか知ってます?」
「……たしか、陽翔が前に言ってた記憶があらァ」
「明日、張り込みませんか? いやでも、見つけても声のかけようがないですかね」
「また逃げられるのがオチ、だよなァ」
まずいな、話が進まない。
ほかの案はなにがあるだろう。
吸血鬼に頼むか? でも大江戸さんの兄を探してもらっている最中だろうしなぁ。
警察……は、僕たちが捜索届を出すことはできないか。
視界の端、窓の外に人影が見えた。
陽葵さんかと思い視線を向けると、チャラそうな男だった。
こちらをジロジロと見ながら歩いている、目が合うとすぐに目を背けた。
なんなんだ……?
思わず釘付けになって男の様子を見ていると、なぜだか慌てて踵を返した。
僕の車の横を通り抜け、歩道へ消えていった。
ギリギリ、車に乗り込んでいるのが見える。
さっきの、白いファミリーカーだ。
「長内! あれじゃねぇか!?」
その言葉に引っ張られるように、僕は真っ直ぐ向いた。
脇道の先に、小走りの女性がいる。
恰好はたしかに似ている、そうかもしれない。
するとすぐに白いファミリーカーに視界を塞がれた、物凄い勢いで前を走っていく。
雪埃に全てが染まる。
怪しい、おかしい。
僕はすぐにレバーを引いて、アクセルを踏み抜いた。
「あの車、さっきも近くにいたんです、なにかおかしいです!」
「ンだと!?」
距離はそう遠くない。
すぐにファミリーカーは真っ赤なブレーキランプで僕らを照らし、陽葵さんらしき人物の横に停まる。
中からぞろぞろと男たちが降りてきた。
僕もブレーキをして、勢いよく二人で飛び出す。
「ちょ、離してっ!」
降りた瞬間に声が聞こえた、陽葵さんの声に似ている。
五人のうち、二人の男に引っ張られる陽葵さんが見えた。
残り三人が僕たちに気づき、一人が近寄ってくる。
「見てんじゃねえぞコラァ!」
静かな住宅街に怒声を響かせるチンピラに、大江戸さんが突っ込む。
僕も慌てて駆け出した。
凄まじい速度で、大江戸さんは拳を顔面に叩き込み陽葵さんの元に走る。
しかし男たちはそれを見て、慌てた様子で陽葵さんを車へ放り投げた。
それに続くように車に乗り込む。
まずい、逃げられる!
磨かれた地面にタイヤが空転しながら、車が発進する。
当然僕は追いつけないながらも走っている。
前を走る大江戸さんと車がどんどん小さくなっていく。
遠くで、車の上へ飛び乗った大江戸さんが見えた。
僕じゃ追いつけない、やばい、車に戻ろう。
全力で車に駆け寄り、乗り込む。
その瞬間、あのファミリーカーが右折するのが見えた。
アクセルを踏み抜き、ウィンカーも出さずに横道に突っ込む。
また突き当りを右へと曲がるブレーキランプの光しか見えない。
遅れて僕も突き当りに差し掛かったその時、重機が降ってきたような音が響いた。
音を伝うように追いかけると、粉雪が弾け舞っていた。
街灯に照らされ、キラキラと輝く雪の結晶。その奥には右へ左へ尻を振るファミリーカーが見えた。
どっかにぶつかったのか、滑ってんのか。
どちらにせよ、追いつけそうだ。
よっしゃ、とガッツポーズをしかけたその時。
倒れそうなほど傾いている電信柱の元に大江戸さんが倒れていた。
さっきの音、電信柱にぶつかって大江戸さんを振り落としたのか!?
立ち上がろうとする大江戸さんの姿に、僕は思わずブレーキを踏んでしまう。
ガリガリガリと、なにかを削るようなキックバックが足を揺らしている。
グリップを失っていく感覚に全身が襲われていると、助手席のドアが開いた。
大江戸さんが滑り込む。
突っ込みたくなる思考を抑えて、僕はハンドルを細かく操作しながら再び加速させた。
「いッてぇ、あいつらぜってー許さねぇ」
「よ、よく無事でしたね!?」
「いいから運転に集中しろッ!」
言われなくてもわかってる。
ファミリカーは持ち直して、左折した。ぐるっと回って元の道に戻ったようだ。
雪道を疾走する恐怖に抗いながら、僕の足は鉛のようにペダルを踏み続けた。




