第十一節 神の名の元に
青空の下、深い足跡がいくつもある。
前を歩くお婆さんはスノーボートを引きながら歩いていた。
白い眩しさに目を傷めながら、それでも進む。
昔は家に閉じこもっていたから、よく雪目になっていた。
家での崩術修行と筋トレの息抜きに僕は散歩をしていた。
ただジッとしているのが嫌なだけで特になにも考えていなかったようにも思える。
ともかく僕は、昼間に一人で歩いていた。宛てもなくフラフラと。
大江戸もう二時間は歩いただろうか、随分僕も体力がついた。
PCゲームやりたい……が、どうしてもやる気が起きない。今までこんなことはなかったのに。
いや、やる気自体はあるのだ。
ただどうしても怖い、一秒遊びに費やすか崩術に費やすかで生死を分けてしまうのではないかと。
だから出来る息抜きもとにかく体を動かすことだ。
引きこもっていた時に溜まっていたストレスとは違う、フラストレーションが溜まる。
「ふう……」
白い息が漏れ、すぐに霧散して消える。タバコを吸っていたらこんな感じだろうか。
ポケットの中からスマホの通知音がした、初期設定から変えていない音だ。
僕の体温で曇ったメガネのレンズを拭って、スマホを取り出す。
大江戸さんから、メッセージだ。
あれから三日間、音沙汰がなくて心配していた。
すぐに内容を確認すると、緊急時以外は外に出れねぇわ。とだけ書いてあった。
一応は、無事か。ひとまずは良かった。
だけど僕は彼のお父さんの考えも少しわかってしまう。激高した瞬間は母親の話の時だ。
息子が行方不明になって、もう一人の残った息子も外をふらつき歩いているように見える。
母親としては心労だろう、母親はいたことないからこっちはわからんが、彼のお父さんは奥さんを安心させる為に大江戸さんを叱責したんだと思う。
それならわからなくもない。
そして、そのことを言えなかったであろう大江戸さんの気持ちもわかる。
口に出してしまえば、なにをバカな言い訳を、と言われてもおかしくないくらい荒唐無稽な話だ。
逆に信じられれば、お兄さんが行方不明なのに大江戸さんの命も危ないとなれば両親共に泡を食うだろう。
警察に駆け込んでしまうかもしれない、海外と財団と軍事という警察ですら抱えきれない悪事の告発を警察はまともに受け取るだろうか、保護して守り切れるだろうか。
されるとして保護されるまでの間、両親の安全を大江戸さんが守り切れるだろうか。
大江戸家の溝は深い、奥底も覗き込めない程に。
きっと実際に家にいる大江戸さんは僕の想像よりも、もっと色んな事情を抱えていて考えた結果がなにも言わないという選択肢だったのだろう。
自然と足は帰路を辿っていた。
結局どこに目をやっても、僕たちが生き残らなければ解決しないということに帰結する。
帰って崩術修行に戻ろう。
武器に崩力を纏わせる、崩注。
肉体のリミッターを外す、崩除。
どちらに力を注ぐべきか。
崩注はパワードスーツがある時の戦闘で役立つはずだ。
しかし纏わせる方法がよく理解できず、対象を壊してしまう。
ただの崩衝を物に撃ち込んでいる形になり、グニャグニャに曲がっちゃう。
かっこよくて買った模造刀で練習したら、ひん曲がってしまって絶望した。
崩除はパワードスーツがない時の戦闘で必ず必要になる。
しかし脳のリミッターを一時的に崩すという術の為、危険性がめちゃくちゃ高い。
肉体に崩衝を撃ち込んでいるようなものだから、一歩間違えば死ぬ。
怖くて練習すらまともにできない。
リ・コクエンさんの通信教育メールは日本語が変だから、翻訳作業も挟まっていて難航している。
公認崩術師に弟子入りすべきだろうか。
こんなことになるなら、お父さんが生きている内に崩術を学んでおけばよかった。
うんうんと頭を唸らせて空を見上げる。
その途中、動物病院の屋根が目に入った。
ハートと犬の模様があってかわいくてつい目に入ってしまう、ふふ。
この戦いが終わったらペットでも飼おうか、いっぱい勉強してペットを飼おう。
一回勝てば一千万なら、戦い終わる頃には億万長者だぜ。象さんだって飼えるはずさ。
いやでも象さんは動物病院じゃ診てくれないから病気になったら大変だし、そもそも法律で。
「へぶぅ!」
和みながら歩いていると、なにかに躓いて転んでしまった。
氷か? にしては感触が柔らかかった気がする。というか、なにか柔らかいものが僕の下敷きになっている。
ま、まずい、動物病院から逃げ出した大型犬にでも当たってしまったか!?
四つん這いのまま、後ろに目を向けると黒い物体が転がっていた。
一瞬、黒い大型動物に見えたが違う。
なんか、黒いテルテル坊主……いや、黒い服を着させたカカシ……?
なんだこれ、人か?
立ち上がって見下ろし、観察すると手足は生えている。
黒いローブには上品そうな金色の模様が入っていて、素肌が一切見えない。
顔には仮面がついている、エックスの文字のような意匠が施された仮面が。
これが人間なら不審者すぎる、黒魔術でもやっていそうな風貌だ。
「あの? 大丈夫ですか?」
だがそれでも、黒魔術師コスプレだろうと法的には保護されている。
その人に躓いたわけで怪我でも負わせていたら一大事だし、行き倒れているならなんとかしなくてはいけない。
「ぅ、うぅ……」
声にもならぬ声でその人は呻いた。
人間だ、やばいな……警察か? 救急車か?
「お、お腹が……」
「僕が躓いたところが痛むんですか!? 救急車呼びましょうか!?」
「空いちゃって……」
「すいて……空腹ってことですか?」
「はい……」
空腹で行き倒れ……そうか、ホームレスか。
きっとこの衣装も防寒なんだ、きっと黒魔術師じゃなくて裏起毛なだけだ、やっちまった。
躓いてしまったお詫びに、一度くらいご飯を振舞おうか。
「う、うちでご飯食べます?」
「お願い……できますか?」
しかしこの声。
男の声か女の声かもわからないというか、人間の声ではない。
仮面に変声機でもついているのか? 変だ。
見捨てるわけにもいかないので、手を貸すと仮面さんは弱々しく立ち上がった。
肩を貸して彼? を支えながら帰路を辿る。ここからならそう遠くはない。
そうして、家についた。
暖房をつけ、リビングのソファーに座らせる。
「……申し訳ございません、ここまでして頂いて」
「い、いえ。今簡単な料理を作りますので」
僕は背を向け、すぐにキッチンに立つ。
献立が思いつかない、チャーハンとかのほうがいいだろうか。
簡易的なチャーハンを作っていると炒める音がやけに響いた。
そうしてレンゲと共に彼の目の前に湯気ゆらめくチャーハンを置いた、まるで匂いが可視化されているようでおいしそうだ。
僕は対面に腰かける。
こうして見ると、意外にも小柄だな。
彼はレンゲを手に取ってチャーハンを掬い、口元に運んだ。
仮面をつけたまんま。おっちょこちょいだ。
と思ってみていると、仮面を貫通してレンゲが入り込む。
ど、どういうこと?
なんだ、今の、仮面を透き通ってレンゲが内部に入り込んだぞ? 穴一つない仮面なのに、ていうかあの仮面息できねぇだろ。
なんだこいつ? 見間違えか?
もう一度じっくりと見ると、同じ動作で仮面を貫通してチャーハンを食べていた。貫通後はレンゲになにも残っていない。
いつも通りの日常を象徴するような我が家で、その光景はただただ奇異だった。
言葉を失ってみていると、パクパクと湯気立つチャーハンが消えていく。
「ひぃっ……」
僕は仰け反って小さな悲鳴を上げていた。
会紡機戦に巻き込まれてから変なことばかり起こる。
うん……待て、よく考えてみろ。あんなところで生き倒れていて誰も目撃していないなんてありえるか? 人通りは少なくはない。
僕には見えて、他人には見えなかったとしたら。
名前こそわからないが、彼は妖怪だきっと。妖怪は誰にでも見えるものではない。
「あの、妖怪ですか?」
「ヨーカイ? 違います」
「では吸血鬼ですか?」
「違います」
……じゃあなんなんだよ、少なくとも普通の人間ではないよ。
「わたくしは雷神様に身を捧げし第十神託者、せケプッ……失礼」
途中でゲップしていた。
雷神? 神託?
「なんですかその、雷神様って」
あの電電太鼓の雷神か?
日本神話の伊邪那岐命が黄泉の国云々の。
「やはりご存知ないのですね、雷神様は最初の世界を創りし偉大な主です」
う、うーん? 日本神話ではそうではなかったと思うが。
やばい奴を引き込んでしまったな、怖すぎる。
圧倒的な力を持つ会紡機戦の相手も怖いが、こういう話が通じなさそうな奴は別の意味で怖い。
日本神話では世界を作ったのはイザナギとナザナミの国生みだろう?
「そ、そうですか。あ、チャーハンはどうでしたか?」
「これはチャーハンと言うのですね、とても美味しかったです。施しに感謝いたします」
「ならよかったです」
礼儀は知っているようだ、しかしどこが地雷原かわからない。とにかく宗教の話はタブーだろう。
けどチャーハン知らない人なんているんだ、あんまり突っつくと逆上されるかもしれない。
はやく帰ってほしいな、怖い。
「優しいお人なのですね、戦っていた時の印象と今とは印象が異なりました」
戦っていた時。はて、戦っていた時?
会紡機戦の戦闘じゃないだろうな? ちょっと待て。
会紡機戦のきっかけになったパワードスーツとの戦い、大江戸さんと出会った戦い。あれなら見られていてもおかしくはない。普通の田舎道だった。
会紡機戦初戦はありえない、ペナント店舗の地下密室だ。
二回目はありえるが、あんな人が寄り付かなそうな倉庫で見られていることはありえないだろう。
三回目はインドネシアだ、これもまたありえないだろう。
「もしかして、パワードスーツと戦っているところを見ましたか?」
「パワードスーツで戦っているところを見ました、二度ほど」
パワードスーツで……で。
ということは、僕が装着している状態ということか。
あの倉庫とインドネシア? ないない。
「場所は言えますか?」
「大きな倉庫と強い雨が降る村近くの森でしたね」
その言葉に僕の体は力み、さながら狩り直前の肉食動物のように前傾する。
脳が集中していくのを感じる。目の前のこいつは、敵かもしれない。
驚愕と警戒に頭部から一筋の汗が流れる。
「警戒なさらないでください、施しをくださった恩人と戦う意思はありません」
戦う意思はない、か。あの異世界の騎士のようなことを言う。
そうか異世界人か? あの仮面も現代科学では説明がつかない。あんなものを作る意味もわからない。異世界由来の技術だったらあるかもしれない。
「あなたは異世界人ですか?」
「はい、そうです」
何事もなかったかのように、当たり前かのように彼は言う。
礼儀正しく、手を重ねて背筋を伸ばしたまま。
素肌を見せない怪しい黒ローブと奇抜な仮面には似合わない所作、見慣れた光景の中でより一層際立つ異常。
よく見れば、腰には金細工が施された煌びやかな大振りのダガーが刺さっていた。
会紡機戦でこの世界に来た異世界人、まだビジョンは見えていないから対戦相手とは確定していないが。
警戒を解けるわけがない、武器まで持って潜在的に敵じゃないか。
「驚かせてしまい申し訳ございません、どうかわたくしを信じてください」
第十神託者はそう言って、深々と頭を下げた。
信じろつったって、証拠を見せろ証拠を。
「あなたは会紡機戦の参加者ですね? いつか僕と戦うことになるかもしれない、参加者のはずです」
「仰せの通りです」
「あの騎士さんの友達とかですか? 復讐ですか?」
「騎士の方とは面識はございませんし、何度も言うように恩人に危害を加えるつもりはありません」
頭を下げたままそう言うが……この状況、非常にまずい。
異世界の騎士と戦ってわかる、一人で生身ではまず勝てない。あの水準に追いついている異世界人なら今戦っても勝てない。
そもそも、こんな形で僕を騙さなくてもいつでも殺せたはずだ。
肩を貸したあの時に僕を刺せただろうし、信じないにしても話は合わせるしかない。
「そうですか、わかりました。けど申し訳ないです、敵かもしれない人は家に置いておけません」
「恩返しをさせてはくれないのですか?」
じりじりと嫌な汗が流れる、逆上しないよう礼儀正しく言ってるのに状況が進展しない。
帰ることが恩返し、とでも言ってみるか? 失礼か?
体がどんどん硬直していく、まるで岩に固まられているかのように。
胃には絞めつけられたような痛みが走り、僕を焦らせる。
「わかりました、ご迷惑なようなので今日のところは失礼致します」
第十神託者はそう言って、立ち上がった。
少しの安堵が漏れるがまだ警戒は緩められない。
家を知られているというのもまずい、困った。手元に置いておくべきだったか? いや、寝首をかかれたら、でもさっき殺されなかった。
様々な思案が脳裏に走る。
とにかく、僕は立ち上がって距離を取りながら玄関に向かった彼を見届けようとする。
鏡映しのような恰好の人物が玄関先に立っているのが目に入る。
仮面の模様がアイの字になっただけの人物だ。
やられた! 増援か! 時間稼ぎされた、逃げるか!?
うちの玄関フードは三重だ、開きドアの向こうに靴置き場と不透明な引き戸、その向こうにガラスの透明な引き戸がある。
不透明な引き戸を開けた先に見えるガラスの引き戸の向こうにそいつはいる。
これは光明だ、家の構造がこの一瞬を与えてくれた、逃げる隙を。
「ああ、預言者様。申し訳ありません、接触してしまいました」
第十神託者がそう言った瞬間、僕は踵を返して走った。
体当たりするようにリビングのドアを開き、裏玄関へ向かって本気で走る。
乱雑に置いてある長靴に足を滑りこませ、分厚い裏玄関のドアを開く。
凄まじい寒気に全身が震える。涙が口元まで滴り落ち、その口も忙しなく震え歯がガチガチと当たっていた。
「やあ、長内王雅くん」
扉を開けた瞬間、白銀の雪景色を塗りつぶすような黒が立っていた。
黒ローブ仮面の、預言者と呼ばれたほうが。
思わず尻もちをついて、後ずさる。
「そんなに怯えないでよ、傷ついちゃうなぁ」
「うわぁぁぁああああっ!」
死ぬ、殺される、いきなりこんな形で。こんなの嫌だ、会紡機絡みだけど大江戸さんの言った死に方ですらない!
僕は惨めに泣き叫びながら、ただただ後ずさる。
ディスクが高速回転したかのような耳鳴りに脳が焼かれる。
だというのに、体の芯では寝ぼけ眼の残滓が凄まじい速度で漏れ出してきて暖かい。
恐怖と善意が奇妙に混ざり込み、感じたことのない感覚に理解することを拒絶してしまう。
バツンとブレーカーが落ちたように、なにも見えなくなった。視界も思考に真っ黒に。
………………。
…………。
……。
暗闇、だけど暖かい。感覚ではなく全身を撫でるような暖かさ。
微かに照らす暖かな光に、いつも見ているリビングのテーブルが見えた。
光に目をやれば家の暖房機が目に入った。
リビングのソファーで眠っていた。あれ、夢?
そう思って辺りを見渡した途端、対面のソファーに黒ローブの二人が座っていた。
微光に妖しく佇む、まるでお化けのように。
僕は笛を吹いたような高音が喉から洩れ。
虫の死後硬直のように体が丸まり、固まった。




