第十節 終結の喫茶店へ
社長の指示通り、軍用パワードスーツと大江戸さんのアーマーをコンテナに収め、すぐに飛行機で僕たちは日本へ返された。
社長と財団とタイ王国軍のやり取りでタイから輸送された装備だったらしいが、タイからヘリが飛んできたわけではないそうな……よくわからなかった。
しかし法の裏側で進められたやり取りに違いはないだろう。
日本では工場の人たちが手作業でパワードスーツを取り付けてくれたのに対し、ガチの軍用は自動装備なのは凄まじい。
しかし、もう少し早く到着させられなかったのだろうか? あそこで大江戸さんが死んでいてもおかしくはなかった。僕だってどうなっていたか……。
あの時は彼が生きていた安堵で文句を口にしなかったが、今度会ったら問い詰めるべきだろうか。
その後帰りの機内でグースカと眠り、エクソテックス社から出してもらった車に揺られまた眠り。
家に到着しまた眠り。
体の調子がすっかり戻った後日、僕は大江戸さんに呼び出された喫茶店で暖かいコーヒーを啜っている。
内装は古そうな黒い木材を使用していて、暖色に包まされた店内はまさにレトロな喫茶店といったところだろう。
客は女性客が一人いるだけで他におらず、懐かしい漫画が並ぶ本棚へ手を伸ばしていた。
「改めまして、ご無事でなによりでした」
大江戸さんに挨拶しながら気づく。
目のクマはそれが原因だろうか、ろくすっぽ眠れていなさそうだ。機内でもずっと起きていたようだし。
「あァ、マジで死んだと思ったし死ぬほど痛かったがなァ」
「そりゃあ、あんなんされたらそうですよね……」
「まァいい、ちょっと見てくれ」
その言葉に僕は視線を戻す。
そう言って彼は懐から短いナイフを持ち出し、突然手の甲に滑らせる。
当たり前に彼の手からは赤く細い線が浮き上がり、血の玉がポツポツと現れた。
すると彼はティッシュでそれをふき取る、傷跡すらもうない。
それがどうしたというのだろう、胸から上を薄皮一枚繋がっていただけの状態で切断されて回復したり、蛇頭の大男は爆風で吹っ飛んだ顔が回復するんだからそのくらい当たり前だろう。
「最近考える時間があんまりなかったが、昨日帰って勉強しながら考えたんだよォ」
器用だな。
日帰りで外国行ってボロボロになって帰って勉強して、そして考えごとまでこなしたというのか?
それはゲノム強化剤で出来るようになったのか、元々出来たのか知りたいところだ。
僕にもそんな能力があれば、ゲームしながら崩術学びつつ窓から女の子を観察しちゃうね。
そしてなんと言ってもこの地方の冬はずっと雪が降る。僕はモコモコの衣装を身にまとった女の子が大好きだ。
「ゲノム強化剤がウイルス由来だってのはウイルスベクターで当たり前だからわかるんだが、筋肉だの身長だの身体機能だのはそれぞれ別なンだよ」
「肉体が強化されたら普通じゃないんですか?」
「じゃあオメェは崩術が使えるからって、口から火を吹けるンかよ」
そういう話か?
そもそもそういった肉体の機能は別々である、ということなのだろうか。
「普通に考えりゃ、こんな効果があったら全身が癌になっちまう。そして単一のウイルスはあらゆる細胞に関与できるわけじゃねぇ……ハッキリ言って、現代科学で言うとこんなウイルスは存在し得ねぇ」
専門的な内容にコーヒーを啜る手が止まる、うーんと、まずウイルスベクターってなんだ?
「ちょっと意味がわからないので、僕相手じゃないほうがいいですねその話」
「そこは理解しなくていいンだよ。要するにあり得ねぇ話だから、あの一回戦目の軍人……与野つったかァ? あいつか吸血鬼の話どっちかが嘘か、本当だったとして与野がよく理解してねぇンだか、どれだと思う?」
ふんふん。
まず与野さんが嘘をついたというケースを考えてみよう。
吸血鬼の魅了に掛けられ喋ったとのことだったから、まず嘘はあり得ないのではないだろうか。
魅了が掛けられていないのなら喋る必要もないし、喋る喋らないで助かる命でもない。ということは嘘をつく必要もない。
命の危機に混乱して出鱈目で逃れようとした、というのも戦闘後の諦めようからは想像がつかない。
冥さんが嘘をついていた、というのもあまり理屈が通らない気がする。
ゲノムがなんたるかなんて僕は知らないし、隕石が降ってきて付着していたウイルスが云々なんて知識もなく思いつく話なのだろうか。
石は粘膜ないのにウイルス付着するのかも僕にはわからないが、大江戸さんがそこに突っ込まない辺り正しいのだろう。
そんな知識を吸血鬼が知っていて、話をでっちあげる必要性もわからない。
「俺ァ、与野が大して理解してなかったんだと思うぜ。ウイルスじゃなくて生体寄生共生体……あー、オメェにわかりやすく言うとウイルスに似てる宇宙生物だった、とかな」
「僕もそう思います」
「ま、そうだよなァ……」
なんだ、答えは出ていて確認がしたかっただけか。
専門家に聞けばいいのに、僕なんかに聞いても信憑性は一ミリも上がらないぞ。
上がるのはテンションだけだ、宇宙生物って響きがもうワクワクする。
「ハッキリ言って、俺の肉体は生物学上もう人間じゃねぇと思う」
人間ではないみたい、とは僕も思っていた。
それは超人染みてるとか、能力的な話だ。
生物学上人間じゃない……それは、僕にとっては他人事ではなかった。
黄昏世界に赤ん坊のまま置き去りにされた僕。
妖怪は成長や老化をしない、しかし僕はする。
だからきっと人間だと思うが、崩術師が赤ん坊を黄昏世界に置いていくなんて考えづらい話だ。
黄昏世界は決して安全ではない、人間を殺したり食ったりする妖怪なんて山ほどいる。
そんなところに崩術師が赤ん坊を置き去りにすれば、日本妖怪対策局が血縁を調べるだろう。
非公認崩術師だったとしても悪目立ちしすぎる行動だ。
つまり、こっちの世界で置き去りにしたほうがよっぽど安全なのだ。
だから僕は、自分が人間かどうかに確証が持てない。
それでどれだけ苦悩したか、思い出すだけで体が重くなる。
なにをしても、誰と喋っても、常に自分は異物かもしれないと感じ続けるあの重圧。
それと同じ苦しみを、今大江戸さんは抱えている。
「それは、簡単にはなんとも言えませんね……」
「問題は、こんな代物を……人間じゃなくなっちまうようなモノを、俺にぶち込んだのが……」
彼は苦虫を噛み潰したかのような顔になり、言い淀む。
瞳を閉じて、息を吐き出しながら頭を落とす。
テーブルに置かれた手はきつく握られ、真っ白になっていた。
そして諦めたように顔を上げるも、彼は目を伏せたまま口を開いた。
「──兄貴の可能性が高いってことだ」
なぜだか、言葉は放たれているのに時間が止まったような錯覚に陥る。
たしかに、そうなのかもしれない。
そう考えればそう、なのか。
ゲノム強化剤はエレインコーポレーションが作っていた、そして彼のお兄さんもそこに勤務していた。
大江戸さんもお兄さんも実家暮らしで、いくらでも投与できる隙はあった。
普通に考えれば、お兄さんがやったと思う。むしろそれ以外には難しいとすら感じる。
これは僕より深刻かもしれない。
「俺ァ、実験体にされたのかァ? あの、兄貴に……それとも、会紡機戦に出させる為なのかァ?」
本当の本題はこれだろう。
これをずっと悩んでいたのか、一言も口に出さず一人でずっと。
ようやく相談してくれる相手になれたのは嬉しい、信頼の証のようで。
ただ、どうしてもなんて声を掛けたらいいかわからない。
静かに音を立てず、目の前にケーキが置かれた。
「お待たせ致しました、チーズケーキです……」
さっき僕が頼んでいたものだ、視線を動かせば横に店員さんがいた。
入ってきた時から凄まじくカワイイと思っていた店員さんだったが、今は彼女に見惚れる気すら起きない。
「あの、大丈夫、ですか?」
彼女は大きな瞳で大江戸さんを心配そうに見つめながら、そう声を掛けた。
「あァ、辛気臭い客でわりぃな……」
「いえ、そんな、ただその……顔色が悪かったので」
小動物のような動きでペコペコと頭を下げ、彼女は立ち去った。
一見してわかる程、彼は思い詰めていた。
お兄さんじゃないですよ、なんて適当には言えない。
なにか理由があったんですよ、なんて慰めで彼が落ち着くとは思えない。
なんて言えば、落ち着けるだろうか。
自分のことを思い出す。
一度だけ、僕は人間じゃないのかお父さんに聞いたことがある。
その時、お父さんはいつも通りの優しげな表情のまま僕に言った。
人間だろうとなかろうと、あなたは王雅さんで僕の息子です、と。
そして、みんなにとってもあなたにとっても、人間かどうかではなくあなたは王雅さんです、と。
あの言葉で、今の今までなんとか持ち堪えてきた。
だが、大江戸さんの状況には噛み合っていない。
ふと、大江戸さんが面を上げて僕を見た。
そして苦笑いを浮かべる。
「オメェまでそんな面すンじゃねぇや、割とお人好しだなオイ」
「そんな面って、生まれつきブサイクですよ」
「ハッ! ちげぇねぇや!」
彼はようやく、笑顔になった。
なんの解決にもならないジョークで。
こんなことしか言えない自分が嫌になりそうだ。
「まァ、兄貴をとっ掴まえて吐かせるのが一番はえーだろうなァ」
「そうです、ね。いざとなったら会紡機で叶えられますし」
「渡さずに使っちまったら、社長と財団に殺されらァ。精々あの吸血鬼どもに期待しとくぜ」
結局、状況を進めるしかないんだ。
今頭をうんうんと悩ませても、お兄さんは現れないし解決はしない。
気の利いた言葉で彼の悩みを低減させることは僕の能力じゃ無理だった。
チーズケーキを頬張りながら、僕は決意を新たにした。
僕はただ、戦おう。
彼が生きてお兄さんに再会できるように。
「あの、どうぞ!」
また横には店員さんが立っていて、グラスに細かい水滴がついた水を二つ差し出していた。
いや、水ではない。ほんのりと白い湯気が立ちぼっている。
「白湯です、よかったら……」
「あンがとよ」
「ありがとうございます」
彼女はセミロングの少し明るい黒髪を揺らして、顔を真っ赤にしていた。
僕の分まで用意してくれるなんて、なんて心優しいんだ。
また細かく頭を下げ、ぎこちない小走りでカウンターへ戻っていく。
かわいい……。
「きもちワリ」
「え?」
「オメェの顔だよ、ほんっとわかりやすい奴だなァ!」
僕はぺたぺたと自分の顔を触りながら確認する。
いやいや、ポーカーフェイスだし。寡黙でミステリアスだし。
鼻の下伸ばしてへんわ!
「彼女できたことねぇの?」
な、なぜバレた?
ゲノム強化で五感まで強化されているのか?
どこからどう見ても、いたようにしか見えないはずだが?
「ま、俺もねぇけどよ。なんでそんな必死なんだよ」
「寂しいから、ですかね?」
「そういえば、オメェって拾われ子で親父さんも亡くなってンだったか……」
覚えていたか。
中学生の頃。
お父さんが出先で倒れ、急死してしまったと面識のある日妖の局員に言われた。
そして、選択を迫られた。
ここに一人で住むか、どこか引き取ってくれるところを探してもらうか。
僕は突然のことで動揺して、信じられなかった。
父が帰ってくる気がして、家に残った。
お父さんの奥さんはかなりの若さで亡くなって、子供もいなかった。父は僕を拾った時点で高齢だったからお祖父ちゃんやお祖母ちゃんもとっくに旅立っている。
「お父さんが亡くなってからはずっと一人ですね」
「……オメェにも重い話があンだな」
「そうですか? お父さんはかなりの年齢でしたし、結構な遺産を残してくれましたし。今はもうそんなに引きずってません」
寂しいは寂しい、お父さんに会えるものなら会いたい。
あの日々がもう訪れない、そう考えると泣きそうにすらなる。
でも、僕なりにケリはつけたはずだ。
いや、長い時間をかけて色々考えたが……結局は慣れただけか。
「ところで大江戸さん、会紡機戦の話に戻りますけど」
大江戸さんはいつも僕が見ていた、幼さを残す真剣な顔へと引き締まる。
「もうお天道様には顔向けできない連中に絡めとられているのは間違いないですよね」
「あァ……そうだなァ」
白湯を飲み込んで、僕は言う。
「そこについては、もう諦めるしかない気がしてるんですけど」
どう考えても、これは僕たちにはどうしようもない。
いまさら手を切ってくださいは通らない、やめたいですも通らない。
だから決められるのは、あくまでスタンスだけだ。
「俺たちゃ、対抗できるカードを探すしかねぇよ。その内の一つが、あの騎士野郎の会紡機に関する情報だァ」
大江戸さんは、決めていたことを既に話すかのようにスムーズに語り始める。
「あー、あれですか。あの話の時、AI翻訳イヤホンつけっぱなしだったんですけど……」
「社長や財団に盗聴されてた可能性はあるが、ンなもんどうやったってどうしようもねぇよ。車に置いていっても、運転手があの場に待ってただろ? 録画もされてただろうよ」
「それじゃ、カードにならないんじゃ?」
「相手と同じくらい物事を知るってのは、交渉においては大事じゃねぇ? 財団が本気で会紡機を欲してりゃ、戦いが続く間には俺たちの命にゃ価値がある」
つまり、命に価値がある間は交渉が可能だということだろうか。
なにも知らない相手を丸め込むのは簡単だが、物事を精通しているということはそれだけ騙されにくい。
少なくとも言いなりになる可能性を少しでも下げられる、か。
「ほかにカードになりそうなのはあります?」
「これはリスクとトレードオフだが、違法事案の生き証人なことか。あとァ、勝ち抜いた後の話になるが会紡機の譲渡の時が最大のチャンスであり最大のピンチだ」
本当によく考えているし、彼の言葉には現実味がある。
「ただなァ、長内。はっきり言うぜ?」
そう言った彼は震えていた。
悲観げな瞳の奥に、決意がブレンドされている。
先ほどのお兄さんの話の時とは、受ける印象が違う。
「俺ァ、ある日突然スーツを着た連中に連れ去られ、殺されてミンチにされて海の底に沈められる。そんな結末は嫌なんだよ。そんなもんで死ぬよか、会紡機戦の相手に殺されたほうがマシだ」
「……それは同意見です」
「最悪の場合の話だがな」
果たしてこれは、理屈で語れるのだろうか。
どちらも、死ぬことには変わりない。死んだらその後にも変わりもない。
ただ、そんな……利己的な動機で殺されるよりは、戦って死んだほうがマシだ。
だが会紡機戦の相手に殺されるのも利己的な動機で殺されることになる、その差は言語化できない。
いつの間にか、舌が乾いていた。
僕はゆっくりとコーヒーを手に取り、喉に流す。
冷たいコーヒーの酸みと苦みが舌を刺した。
「だから俺は降りようとは思わねぇし、企業や財団に本気で楯突こうとは考えちゃいねぇ」
僕と彼は似ている点のほうが少ない。
しかし人間とは、同じ境遇に置かれれば同じように考えるのだろうか。
僕の思考をなぞられているかのようだ。
「問題は兵器ですよね、僕はもう使っちゃいましたが」
しかし、これについては僕も考えた。敢えて僕に絞ってだが。
僕は元々崩術を大した理由もなく習得していた、妖怪を懲らしめる為の武術だが人は殺せる。
崩術もパワードスーツも銃も、本質的には同じだ。
なんのために作られたか、簡単か。それだけの差しかない。
崩術だって、痕跡なく殺せるわけではない。日妖は崩力の照会が出来ると父から聞いている、無暗に使えば銃を使った場合と同じような結果になる。
「非合法な戦いはするし、死ぬなら死に方は選びてぇ……だけどやっぱり、人殺しはできねぇ」
「殺人兵器は使いたくない、ということですか?」
だがそんなことを言って殺されたら元も子もない。
反対に人間の尊厳を守って死ぬ、それもありかもしれない。
どちらが正しいかではない。
どちらも間違っているから、判断のしようがない。
「殺さない使い方が出来る武器、と考えるしかねぇな」
「あの騎士さんはヘリから機銃掃射されても、ミサイルぶち込んでも生きてましたよ」
「あァ!? 冗談だろ!?」
そうか、大江戸さんはあの時重症で回復前、意識とかなかったのか。
「ああダメだ、今日は頭が限界だァ……話はまた今度にして、帰ろうぜ」
「わかりました、ではお会計は折半で」
「長内、オメェ一千万円入ったンだろうが!」
僕はチーズケーキを口へ詰め込み、落胆しながら会計へ向かう。
しかも残念ながら、会計はマスターらしき白い髭を生やした人物だった。
さっきの女の子じゃないのかよ。
「ごちそうさまでした」
そう言って外に出ると、外は真っ暗になっていた。冬は夕方にはもう暗くなる。
音もなく降り注ぐ雪は、ただ意思もなく積もっていく。
彼は歩いて来たみたいだが、帰りは送っていこうか。
そう考えながら僕の軽自動車に目をやると、遮るように高級車が停まっていた。
僕たちの顔を見るやいなや、鬼の形相で扉を開けて出てくるスーツ姿の中年。
エクソテックス社の人か? なにに怒っているんだ?
狭苦しそうに押しつぶされる雪の音が迫り、目の前で立ち止まった。
「親父……」
大江戸さんがぽつりと漏らした。
雪と一緒に溶けてしまいそうな声だ。
「大和! お前は毎日毎日、なにを考えているんだ!」
目の前で体を震わせながら、怒号が走った。
見開かれた目には、大江戸さんしか映っていない。
「これで何度目だ!? 無断で家を抜け出してほっつき歩くのは!」
「わりィとは思ってるよ……でも、お袋に言ったら止められるだろ」
「当たり前だろッ!」
その瞬間、大江戸さんのお父さんは拳を振り上げた。
しかし、それを受けることもなく大江戸さんはその拳を手で止めていた。
「武蔵が失踪したというのに、お前はそんなんでいいと思ってるのか!? お母さんが毎日どれだけ心配していると思っている!」
「……」
大江戸さんはなにも言わない、彼の父はその勢いのまま僕のほうへ視線を移した。
「君は大和の同級生か?」
「い、いえ……その、友人です」
「悪いが息子とは距離を置いてくれないか? これ以上増長させるわけにはいかないんだ」
言葉遣いこそ普通だが、有無を許さないほど語気が荒い。
弁明したい、彼だって好きでこうしているわけじゃないって。
巻き込まれて、後戻りできないんだって。
同時に、仄かな怒りも沸いた。
彼は本当は全て投げ出して、家族に泣きつく年齢だ。
ただ遊んでるわけじゃない、命懸けなんだ。
頼るべき存在に頼れず、ただ叱責されている。
だけど、彼の父に言ってもどうこう出来る問題ではないだろう。
「来い!」
そう言われ、大江戸さんは手を引かれ車に乗せられた。
抵抗することも、言い訳することもなく。
すぐに車は走り去る、また僕はなにも出来ずにそれを見ていた。
ただやるせなく、空を見上げた。
どんよりとした暗い雲に覆われ、架空のような空模様。
閉じ込められた世界が雪で満たされている。
一体どうするべきか、なにが正しいか。
誰もそれは教えてくれなかった。




