消える
足元が覚束ないまま、翔太は交差点を見渡した。
――人がいない。
朝の通勤時間帯だというのに、誰一人として姿が見えない。
「……まだ夢なんじゃないか……?」
自分に言い聞かせるように呟きながら、歩道に足を踏み出した。
そこには、転がったままのビニール傘。骨組みが折れ、地面に広がっている。
少し先には、紙袋が風に煽られ、カサカサと乾いた音を立てていた。
まるで誰かがついさっきまで持っていた物を、そのまま落としていったかのように。
コンビニの自動ドアは開きっぱなしになっていた。
中に足を踏み入れると、棚には商品が乱雑に残っている。
おにぎりは乾ききり、飲料のペットボトルにはうっすらと白い沈殿物が浮いている。
「……腐ってる……」
匂いが鼻を刺し、翔太は顔をしかめた。
しかし冷蔵ケースのガラスには、まだ子どもの小さな手の跡が残っている。
まるで「つい昨日までここで人が暮らしていた」ような、そんな錯覚を与えた。
外に出ると、風に揺れる音が耳に届いた。
近くの公園。錆びついたブランコが、カラカラと軋みながら揺れている。
けれど、そこに遊ぶ子どもの姿はない。
「どうなってるんだ……」
胸の奥で不安が膨らむ。
スマホの時刻表示は「三年後」を示したまま、電波は圏外。
画面に浮かぶ家族の待受写真が、今や別世界のもののように思えた。
「……あれ?」
気づけば、あの激しい衝撃を受けたはずの身体に、傷一つ残っていなかった。
服も破れていない。皮膚に擦り傷すらない。
痛みは幻だったのか――そう思うほどに、身体は異様なまでに“無傷”だった。
だが、その違和感が逆に恐怖を募らせた。
あれほどの事故を受けた人間が、こうして立って歩けるはずがない。
翔太はふらつく足を引きずりながら、さらに街の奥へと進んだ。
最初に目に入ったのは、バス停だった。
時刻表が風にめくれ、かすれた紙片がひらひらと舞う。
ベンチの上には、ランドセルがひとつ置かれたままだ。
蓋が開いて、中から折れた鉛筆や色あせたノートがはみ出している。
「……子どもが……」
声が震えた。
さらに進むと、踏切があった。
警報機は故障したのか、赤いランプが点滅したまま、乾いた機械音を繰り返している。
線路には電車の姿がなく、遮断機は半分壊れて垂れ下がっていた。
その下に転がるのは、片方だけのハイヒール。
――誰かが、突然消えたかのように。
翔太は思わず立ち止まった。
視界の端に、“人影”が揺れたのだ。
遠くの交差点。背の高い人物が、ゆっくりと歩いている。
「おい!」翔太は声を張った。
しかし、振り向くことはなく、その影は建物の角に吸い込まれるように消えた。
走ろうとして――足が止まった。
学校の前を通りかかったからだ。
校門は錆びて半ば倒れ、校庭には風で飛ばされたノートや給食の器が散乱している。
黒板の文字は雨に流されてかすれていたが、かろうじて読める。
――「また明日」
震えが背筋を駆け上がる。
まるで昨日まで、普通に授業が行われていたかのようだった。
翔太は額の汗をぬぐい、深く息を吸った。
無傷の体と、無人の街。
そして確かに存在する“人影”。
「……ここで、一体……何があったんだ……」




