第一章 事故の朝
薄いカーテンの隙間から差し込む朝日。
佐藤翔太は、まだ眠る妻と娘を横目に、目を覚ました。
「……もう起きるか」
小さな布団にくるまる娘・結菜の寝顔を見て、思わず口元が緩む。
夢の中で何か食べているのか、唇をもぐもぐと動かしている。
リビングに降りると、炊き立てのご飯の匂いが漂ってきた。
台所では、美沙が味噌汁をかき混ぜている。
「おはよ。今日は早いのね」
「なんか、目が覚めちゃってさ」
「ふふ、珍しい」
ほどなくして結菜が現れ、眠たげに言った。
「……パンがいい」
美沙は苦笑した。
「せっかくご飯炊いたのに……」
「いいじゃん。休みの日はパン、平日はご飯で」
翔太がフォローすると、娘は嬉しそうに笑った。
食卓に広がる笑い声。
その瞬間、翔太は心の中で強く思った。
――この日常を、何があっても守りたい。
その想いを胸に、出勤の準備を整える。
玄関先で「パパ、がんばってー!」と小さな手を振る結菜を見届け、翔太は家を出た。
冷たい秋風が頬を撫でた。
背中に感じる温もりを胸に刻みながら、彼は交差点へと歩き出した。
秋の朝の空気は澄んでいて、吐く息が白く溶けた。
翔太は家を出て駅へと続く並木道を歩く。
ポケットからスマホを取り出し、待受画面に目を落とした。
そこには、美沙と結菜が並んで笑う写真。
休日に遊園地で撮った一枚だった。
「……今日も頑張るか」
小さく呟き、胸の奥に写真を刻むように画面をスリープに戻した。
駅に近づくにつれて、人々の足取りは早まる。
改札口の近くに貼られたポスターが視界の端をかすめた。
けれど、その言葉を読み取る前に
流れ込む人の波に押され、思考はすぐに流されていった。
電車に乗り込むと、窓際に立ち、イヤホンを耳に差し込む。
スマホのニュースアプリを開くと、
「海外での感染症拡大」
「異常気象による農作物不作」
不穏な見出しが並んでいる。
「……なんか、嫌なニュースばっかだな」
呟きは雑踏に吸い込まれ、誰にも届かなかった。
会社まであと二駅。
ふと窓に映る自分の顔を見つめる。
額に刻まれ始めた皺。
頭の中には、今朝の結菜の「パンがいい」という声が蘇っていた。
電車を降り、駅前の交差点に差し掛かる。
いつも通りの朝。いつも通りの信号。
――耳を劈くブレーキ音。
トラックが制御を失い、横断歩道へ迫る。
荷台から金属片が飛び散り、陽光を反射して閃いた。
「――っ!」
衝撃。轟音。
視界が傾き、鉄と焦げたゴムの匂いが鼻を突く。
世界が白に染まり、感覚が遠のいていく。




