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2−3 人嫌い

 ずずず、ずずず、と引き摺るような音を立てながら、ソレらが這い寄ってくるのを感じるが、目に涙が溜まってぼやけてそれらをはっきり見ることができない。

 やらなきゃ。

 手で拭えなかったので、目をしばたたかせて、もう一度それらを見ようとして、


「見ちゃダメだよ」


 後ろから片手のひらで目の前を覆われた。


「アイツらの目を見ないで萌奈。戻れなくなるから」

「……お姉ちゃんの、声と匂いがする」


 懐かしい声と共に、病院特有の消毒の匂いと洗濯用洗剤と、少し甘い温かさを帯びた匂いが入り混じっている。

 萌奈の目から、大量に涙が零れる。

 濡れただろうに、萌奈の目を覆う若菜の手は、頑として動かない。


「ええ? 声はともかくとして、匂いで判別できるんだ?」


 萌奈の後ろに立つ若菜が笑う。


「私って、そんなに臭い?」

「ううん、良い匂い。大好きな匂いだよ」

「大きくなったよね、萌奈。身長、同じくらいだ」


 萌奈は、いつの間にか自由になった手を若菜の手にそっと重ねた。


「あの時は、全然触ってくれなかったのに……」

「触れなかったんだよ、あの時は。いまは萌奈がこっちの存在に近くなってるから、触れられる」


 ふと、萌奈は遠くからどんどん、と壁が叩かれるような音が聞こえてくることに気づいた。


「お姉ちゃん、あの音って……」


 なんの音、と聞く前に、音が大きくなった。


「そこをどけぇ、三谷藤若菜!! 邪魔をするなぁ!!」


 先ほどの化け物が叫んでいるのが聞こえる。


「ああ、完全に魑魅魍魎を使いこなしてる……いや、取り込まれて使役されてるのか、もしくは外側だけ使われてるのか」

「ねえ、お姉ちゃん」

「大丈夫だよ、安心して萌奈。音は聞こえるようにしたけれど、こちらに手出しはできないから」

「違う、そうじゃなくて! どうしてあの時見えなくなったの、どうして私のことひとりぼっちにしたの!?」


 萌奈は振り返ろうとしたが、目を塞いでいないもう一方の手で、腕を掴まれた。


「ダメ、萌奈。お姉ちゃんとも目を合わせたらダメなんだ。ごめんね」


 お姉ちゃん、と呟く萌奈の声は、完全に泣いていた。


「私、いつもお姉ちゃんの部屋で色んなこと話すのが大好きだったのに、お姉ちゃんがいなくなってからは、辛くて苦しいことしか話すことが無くなって。このままだとお姉ちゃんへの恨み言しか出てこなくなりそうで、怖くて何も言えなくなった。

 ……私、お姉ちゃんに見捨てられたと思ったの。

 私にはお姉ちゃん以外誰も味方はいなかったし、お姉ちゃんだけが大好きだったのに、もう二度とお姉ちゃんは私の前に姿を現してくれないんじゃないかって思い始めたら、すごく、ものすごく悲しくて、辛くて。

 誰も信じてくれなくても、ひどい目に遭わされても、お姉ちゃんに見捨てられたんだって思うことより悲しいことはなかった。

 ねえ、お姉ちゃん。どこかへ行くなら、私のことも連れて行って欲しかったの。

 お姉ちゃんと一緒なら、どうなっても良かった。生き続ける方が、私にはしんどくて……ずっと、寂しかった」


 萌奈の腕を掴んでいた手は身体にまわされ、萌奈は後ろから抱きしめられた。背中が暖かくて、萌奈の目から更に涙が溢れる。


「お姉ちゃん、これからは一緒にいさせて。お願いだから、お姉ちゃんと同じところに連れていって」


 萌奈、と若菜が耳元で囁く。


「萌奈。ずっと、ずーっと大好きだったよ。萌奈が可愛くて可愛くて仕方なかった。私だって、ずっと一緒にいたい気持ちで堪らなくて、あの時の私は弱かったから、萌奈をこっちの世界に引っ張ってしまいそうになった。だからあの時は、姿を消すしなかった」

「だったら……っ!」

「聞いて、萌奈。姿は消してたけど私、ずっと側にいたんだよ。萌奈のことを見守ってた。いざという時、萌奈を守れるように」


 若菜は萌奈の左側の頭に、自分の頭をこつんと当てた。


「なにより、萌奈がずっと私のことを大好きでいてくれたからこそ、私は私のままで、見守ることができた。本当にありがとね。

 だからこそ、連れて行ってあげられない。萌奈はひとりでこの校舎を出て、あっちの世界に戻って」

「どうして!? ひとりでなんて、行けるわけない!」

「萌奈はまだこっちにくる時じゃないから。

 それにお姉ちゃんにはやらなきゃならないことがある。コイツをこんなお化けにしたのは私の責任なんだ。そのままにはしておけない」

「アイツ、お姉ちゃんにハメられたって……」

「うん、そう。言ったでしょ、あの時の私は弱かったって。

 巻き込んでごめんね。大丈夫、萌奈には絶対手出しさせない。ここで終わらせるから」

「嫌、ひとりにしないで! もうこれからどうやって生きていけばいいか分からないのに! あんなの放っといて、一緒にいてよ」


 若菜は萌奈の身体に回した手を解き、頭を優しく撫でた。


「大丈夫。思ってるよりも、萌奈はちゃんとあっちでやっていけるから。ひとりぼっちじゃないしね」

「うそだ!」

「うそじゃないよ、本当。信じて。見守ってたから、全部知ってる」


 若菜は「目を閉じててね、絶対、私の目も、アイツらの目も見ないように」と言いながら萌奈の目を覆っていた手を外した。

 萌奈は薄目を開いた。萌奈と同じ制服姿の若菜が、萌奈と魑魅魍魎の間に、両手を広げて立っていた。


「じゃあね萌奈、さよならだ」

「嫌だ、一緒にいる!」


 萌奈は若菜の制服の裾を掴んだ。すぐさま若菜が萌奈の手を掴み、制服から手を引き剥がす。


「もう離れたくないの!」

「行って、萌奈。大丈夫だよ、また萌奈を見守れる場所まで戻るから」

「必ず? 絶対?」

「必ず、絶対だよ、約束する。萌奈を守れるのは、お姉ちゃんだけだから。だから早く行って!」


 萌奈は目を完全に開け、若菜だけを見た。若菜はこちらを見ず、真っ直ぐに相手の方向を睨みつけていた。


「お姉ちゃん……」

「行って、萌奈!」


 身体を思い切り押される感覚があり、その勢いのまま、萌奈は先の見えない暗い廊下を、泣きながら無我夢中で走った。






「萌奈!」

「母さん!?」


 いつの間にか校庭に出て走っていた萌奈は、その真ん中辺りに母親が立っていることに気づいた。そのまま母のところまで走り、腕を広げた母に、思い切り抱きしめられた。


「どうしてこんなところに……」

「萌奈、ごめんなさい! あなたをいつもひとりにしてしまって。何も言わないから、問題無いのだと勘違いしてしまったの。違うよね、母さんが、言わせないようにしてた」


 母は、震えながら泣いていた。


「甘えていてごめんなさい。これからはちゃんと向き合うから、お願い、置いていかないで……怖かった」


 萌奈は身震いした。

 私は、置いていかれる辛さや悲しみを人一倍分かっていたはずだったのに。同じことを、母さんにしようとしていた。


「私の方が、ごめんなさい」

「三谷藤さん!」


 はっとして顔を上げると、クラスメイトが三人、こちらへ歩いてきた。母がそっと萌奈の身体を離した。


「私達がお母さんに連絡したの。連絡先を知るために、先生にも話しちゃったけど」

「車を置いてくるって、いま駐車場の方にいるけどもうすぐ来るから」


 校庭の境目にある防球ネットの向こう側を歩いている人影の方向を三人が見るのにつられて、萌奈もそちらの方を見た。確かに、担任と思しき人物が歩いている。


「……大ごとにしてごめんね。でも、こうした方が良いって三人で話し合って決めたんだ」

「事情も知らずに出しゃばってごめんなさい、三谷藤さん。だって全然話してくれないし、どんどん私達から離れて行っちゃったから……」

「噂話ばかりで、何を信じていいのか、どうしたら良いのか分からなかった。本当のことが何なのか分からなくて、俺らだけじゃすぐに判断できなかったんだよ」

「だから話して、三谷藤さん。あなたの口から直接聞きたいの。噂話なんかどうだっていい。私達、ちゃんと聞くから」

「それで、これからどうすれば良いのか一緒に考えよう。ひとりで抱え込む必要なんて全然ないんだから」


 三人の方に向き直ると、三人とも、真っ直ぐに萌奈を見つめていた。


「……全然、当たり障りなくなかったな」

「え?」


 突然、ぱぁん、と弾ける音とともに、眩しい光が辺り全体を照らした。


「わっ……!」

「え、いまのなに!?」


 周りが目を閉じたり手で目を覆う中、萌奈だけは光の発生源である第三講義棟の方向を見ていた。


「お姉ちゃん……」






「おお、無事に会えたか三谷藤! みんな心配してたんだぞ」


 先ほどの光のことで萌奈とクラスメイト達が話している中、担任が手を振りながらのんびりと歩いてきた。


「よかったよかった。さ、遅いしみんな帰ろうか。詳しい事情は改めて明日聞くから。車で送る」

「先生、いまの見ました!?」

「いまの?」


 担任が首を傾げる。


「なんだ? 特に何もなかっただろ、逆に何かあったか?」

「え、何も、なかった!?」

「嘘でしょ先生」

「あれが、見えてない……?」

「別に何も起こってないだろ。三谷藤も、三谷藤のお母さんも、お前らだって無事なんだし」


 萌奈と母、クラスメイト三人は、それぞれ互いに目を見合わせる。すると誰からともなく、小さな笑いが起きた。


「そうですね……」


 笑いながら第三講義棟を見た萌奈の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。萌奈はさっと手の甲で拭う。

 その手を隣に立つ母が握り、両肩には、三人の手が置かれた。


「はい、何もありませんでした」






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