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「大変、申し上げにくいのですが……貴女の寿命はあと半年ほどです」
白いシーツが眩しい、病室と言うには豪華な部屋のベッドの上で。
メランは医者から余命宣告を受けた。
「……そっか。あと半年」
落ち着き払っているメランとは対象的に、メランの主人であるオリビアは酷く取り乱し、どうにかならないのかと医者に掴みかかっていた。
そんな自分の主人にメランがに静かに話し掛ける。
「ね、お嬢。医者に掴みかかっても仕方ないよ。あたしの寿命はもう覆らないだろうし」
「っメラン! 貴女、何でそんなに落ち着いているの!? もう長くないって、言われたのに!!」
「何でって言われても。あたしがここまで生きてこられたのって、殆ど奇跡みたいなもんだ」
メランの容姿は黒髪黒目で、〝忌み子〟と呼ばれる存在だった。そのせいで実の親から日常的に様々な暴力を受けていた。
食事を抜かれ、殴り蹴られ、灼熱や極寒の外に身の着だけで放り出される。〝忌み子〟故に名前も無い。
このままでは殺されると逃げ出したが、6つの子どもが一人で治安の悪い貧民街の、それも路地裏で生き残れるはずも無く。
餓死しかけていたところをオリビアが見つけ、家に連れて帰ったのだ。
食事を与えられ、名も与えられ。痩せっぽちの少女はその恩を返すため、オリビアの父親であるゲオルグ・スミェールチ公爵が裏で築いていた〈暗殺者ギルド〉で腕を磨いた。10年経った今では〈暗殺者ギルド〉のナンバーワンである。
「本当なら10年前に死んでいるはずだった。けど、お嬢と旦那サマのおかげで今まで行きてこられた。これ以上望むのは欲張りだろ?」
「……メラン」
「あと半年もあるんだ。そうだなぁ……やりたいことをすべてやってみようかな? まずは――」
〈やりたいこと〉を指折り数えるメランの姿に、徐々にオリビアに平静が戻ってきた。
「……そう。メランがそう言うのなら、わたくしは止めないわ。……心配だけれど」
ふわりとメランの黒髪をオリビアは撫でる。
「でも、黙っていなくならないでちょうだいね。貴女がいなくなったら、わたくし、心配で死んでしまうわ」
「了解しました、オリビアお嬢様」
数日後、彼女は全身を覆い隠す外套に身を包み、市で買ったクッキーでパンパンに膨れた紙袋を両腕に抱え、朝の通りを歩いていた。
(最近顔出せてなかったからなぁ。お詫びに、美味しいクッキーくらい持って行かないと拗ねられちまう)
メランが向かおうとしているのは、スミェールチ家が支援している救済院だ。訳あって親元に居られなくなった子供達が引き取られ、暮らしている。
子どもが好きなメランは、時間が空けば子供達とよく遊んでいた。
「…………」
しかし、ふと不穏な気配が背を撫でた。自分を執拗に睨つけるような視線。
その視線の主を炙り出すため、わざとメランは薄暗い路地に入った。一瞬視線が途切れたうちにさっと物陰に隠れる。
「っ、あいつ、どこ行きやがった……」
釣れたのはまだ若い、人相が悪目の男。その腕に彫られた入れ墨を見、メランはすうっと目を細めた。
「くそ、あいつさえ、来なけりゃ……」
「あたしが来なきゃ、何だ?」
「なっ!?」
「あ、騒ぐなよ。今すぐ首と胴体がおさらばしたくなけりゃな」
背後から当てられた刃のヒンヤリとした感触に男がギリと歯を噛んだ。
「お前がアジトを襲撃したせいで! お前が、ウチのカシラも、仲間も、殺したせいでっ……!」
「あっそ。何。逆恨み? それならアタシに言うのはお門違いってやつだよ。あたしはただ、任務を遂行しただけ。恨むんなら、依頼者を恨めよ。でも、おかしいなぁ。あたしはアジトに居た奴、全員殺したと思うんだけど。アンタ何で生きてんの?」
「っ俺はタバコを吸いに行ってたんだ。戻ってきたらっ……皆死んでた!!」
「へぇ」
メランの語尾が冷えた。
「行きてたんなら、そのままあたしに関わらず生きてけばよかったのに。わざわざ死にに来たんだ? バカだなぁ」
「なっ!?」
「どーせ敵でも取りに来たんだろうけど。お前みたいな三下にくれてやる命はないし。とんだ無駄死にだな」
「クソ、クソ!! 〝闇鴉〟!! お前がいなけりゃ!!」
男が隠し持っていたナイフをメランに突き立て―――
「その名で呼ぶなよ。クズが」
「っ!?!?」
ズプリ。ナイフの刃先がメランの指先に僅かに沈み込み、止まる。指が切れたわけではない。よく見れば、指先の黒い闇がナイフの切っ先を呑み込んでいた。
「や、闇魔法……」
「何? あたしが〝闇鴉〟だって知ってたんだったら、闇魔法使う事も当然知ってるはずだけど。そんな簡単な情報収集もしてこなかったってわけ? これだから行き当たりばったりのクズどもは嫌なんだよ」
心底嫌そうな顔でメランは手刀に闇を纏わせた。
「じゃあな、おバカさん」
「待っ――」
男の首から鮮血が舞う。噴き出す血を被らないようにサッと離れたメランは頬に付いた血を拭った。
しかし、路地の入口に人の気配を感じ、そちらを見ると、別の男が立っている。
差し込んでくる光が男の着ている白い服の輪郭をぼやけさせ、白い髪に光の輪を作っていた。
「貴女、今―――」
「……ふっ」
固まったのは一瞬だけ。即座に状況を理解したメランが、男の顔に薬を染み込ませた布をあてがえば、男はその場に崩れ落ちた。彼女が男に嗅がせた薬は特別製で、少量の使用であれば対象を昏倒させると同時に、直前の記憶を消すという効果がある。使用量を誤れば、永遠の眠りへと誘う薬にもなるが。
男の身体を受け止めたメランは、まじまじとその顔を眺める。
身に纏うは白い神官服。うなじの辺りで一つにまとめられた長髪の白さは闇に慣れた目には少々明る過ぎて、痛い。
何より目が行くのはその整った顔だ。白磁の陶器のように白く滑らかな肌。そこにバランスよく配置されたパーツ。鼻筋が通っており、まつげは長い。
(なんというか。彫刻が命を持ったら、こんな感じなのかな? 近寄りがたいというか。そりゃ、街の女たちがキャッキャ騒ぐわけだ)
最近巷では神殿にこの世のものとは思えない美しさを持った、光魔法使いの青年神官がいると噂になっている。この男がその神官だろうと理解したメランはよいせっとその身体を肩に担ぎ上げた。
メランの身長は160センチほど。対する神官の身長は180センチほどであり、その差約20センチ。
(さすがに自分よりデカい男を担ぐのは重いな……)
若干傾きながらも何とか路地の外に連れ出し、丁度あった木箱の上に座らせた。
(じゃあな、神官サマ。手荒なことして悪かったよ)
物陰に隠しておいたクッキーを回収した後、フードを深く被り直し去る。頭上では一羽の鴉がくるくるとその場で旋回していた。
✟
「――い、お〜い、神官様」
「……う、うぅ……」
うめき声を上げながら、神官――レウコンは目を覚ました。何やらクラクラする頭を押さえ、周囲を見渡す。
「あれ、私は……」
「神官様、大丈夫ですかい?」
「……ええ、大丈夫です。ご心配、ありがとうございます」
ぺこりと丁寧な所作でお辞儀をした彼に、起こした男性がたじろいだ。
「あいや、大丈夫ならいいですがね。びっくりしましたよ。店の外を見たら神官様が木箱に気を失った状態で座り込んでいらっしゃるんですから」
「そう、だったんですね……すみません、気が付けばここに……それに直前の記憶がなくて。どうしてこんなところで気を失っていたのか、わからないんです」
その言葉に男性は「それは不思議ですなぁ」と相槌を打ちながら、キョロキョロと何かを探していた。
「……あの、どうかされましたか……?」
「うーん、おかしいなぁ。いやね、俺はそこにあるパン屋のものなんですが。店内で作業していたら、外からコンコンと扉を叩いたような音がしたんですよ。でも、扉を開けても誰もいなくて、おかしいなと首を傾げていたら、もう一度低めのところを叩いたような音がしまして。それで下を見たら神官様を見つけたんです」
「そう、でしたか」
不思議ですね、と続けようとした矢先、近くの店から女性二人が喋りながら出てきた。レウコンが反射的に身体を竦めると、それに気づいた男性がポンと手を打った。
「そうだ神官様。朝食はお食べになりましたか?」
「? いえ。まだ……」
「なら、うちのパンはいかがです? ここらで美味しいと評判なんですよ」
助け舟を出された、と理解し、レウコンは感謝の意味を込めて柔らかく笑った。
「ええ、ぜひ。丁度孤児院に持って行く差し入れを買う予定だったのですが、貴方の店のパンを買っていってもいいですか?」
「もちろん。さ、こちらへどうぞ」
カランカランとドアベルが鳴る中、レウコンは微かな違和感を覚えていた。
(なぜ、こんなところで気を失っていたのかも気になりますが。その前に、何かを見た気がするんですよね。何でしたっけ……?)
ちらりと直ぐ側の路地を覗いてみるが、そこにはただ薄闇だけがあった。
✟
「あ、おねーちゃん! 久しぶり!」
「メランねぇ、おはよう!」
「お土産ある!?」
「あ〜、はいはい。おはよう、久しぶり、差し入れにクッキー持ってきたから」
「やったーー!!」
朝から元気にキャアキャアと騒ぐ子供たちを宥めながらメランは孤児院の中に入った。
「おはよー、リルー? 居るー? クッキー持ってきたんだけど……冷たっ!?」
奥に向かって声をかけた瞬間、彼女の首筋に冷たいものが落ちてきたせいで、ぞわりと鳥肌が立つ。
「も、何……水滴……?」
「いらっしゃい、メランちゃん。ごめんね、先日の嵐のせいで、天井にヒビが入ったみたいで。昨日雨が降ったこともあって、夜中あたりから雨漏りし始めちゃってるみたいなの」
「リル。それ、早く言ってくれない? 見事に当たったんだけど」
奥の部屋から現れた女性に向けてジト目を向けたメランはクッキーを守りながら建物の奥へ進む。その後ろからは雨漏りしている場所を避けながら子供達がぞろぞろと続く。
「はい、差し入れ。日持ちして美味しいって評判の店のを買ったから。みんなで食べて。あと、最近来れなかったから、多めに買ってある」
「毎回ありがとう。助かるわ」
「いーのいーの。ボロボロだったあたしの面倒を見てくれたリルへの恩返しだし? あ、それと工具借りるよ。天井、応急処置しとかないと。また誰かが罠にかかりかねない」
「いいの? やってくれるなら助かるけれど。それと、恩返しはもういいわよ。さすがに貰いすぎてるもの」
「あたしがしたいからしてるの。だからリルは気にしなくていーの。あでも、雨漏りのことはちゃんと旦那サマに届けておいてよ? この孤児院は旦那サマの力を示すものの一つでもあるんだから」
「今朝気づいたのよ。この後書くつもりよ」
院の奥、天井近くの壁に彫られた何かの鳥の紋章が光を受け陰影を作っている。バサリと外套を脱ぎ椅子の背にかけ、メランは伸びをした。
動きやすさを重視した、身体にピッタリフィットした、少々露出箇所の多い服。そこから覗く身体に刻まれた傷痕にリルが顔を顰める。既に塞がっている古傷の数もさながら、未だ瘡蓋のままの傷も多い。
「ちょっと、メラン? 前に見た時より痕が増えてるじゃない。暫く間が空いてるとしても、多すぎよ」
「あー、ちょっと無茶をせざるを得なくって。あ、木の板ってある?」
「庭の物置にあるわ。それで? 危険な仕事をしているのは知っているけど、一体何をしているの? 冒険者?」
「まあそんなところ。じゃ、ちゃちゃっと応急処置してくる」
「あ、逃げないの!!」
「やーだよ」
リルが渡されたクッキーの袋に群がる子供達のおかげで動けずにいる隙に、メランは工具箱を持って外へ出た。
そのまま板を拾い、まるで猫か何かのように屋根へと登る。
まだわずかに濡れている場所を踏まぬよう気をつけながら、メランは亀裂が入っている場所を探す。途中何度か足をとられかけながらも目的の場所にたどり着いた彼女はテキパキと板で亀裂を覆い、釘を打ち付け始めた。
コーン、コーンと高い音が青い空の下に響く。
リルは、メランがまだ親のもとにいたときからの付き合いだ。よく外に放り出されていたメランを気にかけてくれていた。もっとも、リル自身もあまり余裕があったわけではない為、口癖のように『ごめんね、こんなことしかできなくて。ごめんね』と言っていた。他にも親に酷い扱いをされていたり、孤児だったりした子供達の面倒を空き家で一人、見ていたからだ。
(リルはいつも『大したことはしてない。恩を大きく感じすぎ』って言うけど。リルがいなきゃ、あたしは旦那サマとオリビアに助けられる前に、確実に死んでいた)
だから、メランが〈暗殺者ギルド〉で力をつけ、実績を立て、褒賞として最初に公爵に願ったことはリルの保護だった。それを公爵は受け入れ、彼女が面倒を見ていた子供達ごと孤児院に迎え入れた。
受けた恩は十倍に。それが治安の悪い、弱肉強食の路地裏で生きていたメランの信条である。
ひたすら金槌を振るっていたメランのもとに一羽の鴉が降り立った。カァと一声鳴いたあと、トテトテと歩いてメランの影に座り込んだ。
「オプス、どした。暑い?」
そうだというかのように鴉はまた鳴く。
この鴉の本名はオプスクーリタース。スミェールチ公爵から渡された、仕事の伝達係である。公爵がつけた本名は長いため、メランはオプスと愛称で呼んでいる。
「今日は休みだったのになー。ごめんね。よぉしよし。伝達ご苦労さまー」
わしゃわしゃと身体を撫でてやれば嬉しげにオプスはメランの手に頭を擦り付けた。
「真っ黒なオプスに日向は暑いもんな。今影作るから」
ついと指を動かせばドーム状の闇がオプスを覆った。満足気にオプスが落ち着いたのを見て、メランも作業を再開する。
ヒビをしっかり覆い終わり、メランはふうと額の汗を拭った。
「これで終わりっと。雨漏りも一旦止まるだろ」
手早く工具をまとめた彼女が降りようとした時、急に子供たちの声が大きくなった。パン、神官様、と断片的に聞こえてくる会話の方をみると、全身真っ白な神官がいた。なぜかうなじをさすっているが。
(げっ……あれ、さっき路地で眠らせた神官じゃん……! そりゃ神官だから孤児院に来てもおかしくないけどさぁ。なんでよりにもよって今、ここに来るかなぁ?)
薬によって直前の記憶を消したとはいえ、何かのはずみで思い出しかねない。会わないほうがいいだろうと判断したメランはそろりと相棒に頼む。
「ごめんオプス。中にある私の外套を取ってきてくれない?」
任されたと一声鳴いたオプスが建物の中へ入っていくのを見届け、メランはため息をついた。
メランは暗殺者であり、神官たちが仕える神殿とはどうあっても相容れない存在。そして黒髪黒目の〝忌み子〟を異端とし廃する方針の彼らを、公私ともに良くは思っていない。神殿が〝忌み子〟を嫌うせいで、彼女は親に虐げられられたのだから。
(神殿なんてクソ食らえだ。『〝忌み子〟は禍を生み出す存在』? 『生きていてはならない』? ふざけるな。忌み子が一体何をしたっていうんだ?)
家に居れば親に殴り蹴られ、表通りに行けば石を投げられる。容姿のせいでつけられた〝忌み子〟というレッテルはどこに行くにもメランを苦しめた。
当時は隠していたが、闇魔法まで使えることを知られれば、火炙りにかけられてもおかしくはなかった。
忌まわしい記憶が甦り、ギリと奥歯を噛んだ瞬間、バサリと頭に何かが掛けられた。
「! ……これ、あたしの外套……オプス?」
黒い体を抱き上げればペシリと頬を叩かれた。柔らかい羽の感触に、まるで『落ち着け』と言われたようで。
「――『感情を揺らすのは未熟者のすること』。うん、そうだな。あたしはもう一人前だ。こんな事で動揺なんかしちゃダメ」
オプスを抱き上げたまま、神官と彼に群がる子供たちの姿を視界から外す。再び外套を纏い、そろりと孤児院を去ろうとした。
(ごめんリル。埋め合わせはまた今度するから。神官と関わり合いになるのは避けたい)
リルはメランが暗殺者をしていることを知らない以上、神官と引き合わせかねない。それにリルはメランが〝忌み子〟であることをほとんど意識していない。もちろん子供たちも。よってメランが気まずいなどと思うことも予想しないだろう。
通りに面している方とは反対側へ移動し、一番近くの建物の屋根に飛び移ろうとした瞬間、「おねーちゃんみっけ!!」という声がした。
まさか、と下を見れば、一人の男の子がメランの方を指さしていた。
「……えぇと。何してるのかな?」
「リルねぇにメランねぇをよんできてっていわれたから、さがしにきたの!!」
ふんす、と胸を張る男の子。対するメランは必死に逃亡プランを模索する。
子供たちを心底大切にする彼女は彼らを無下にはできないから。
(うん。ちゃんとリルの言いつけを守ったのは偉いよ? 偉いけどね? なんで今日に限って言う事聞くの? いつもは全然聞かないだろう)
「みんなー! メランねぇみつけたー!」
(あーヤメテ。呼ばないで増援を。どうする。別の方から逃げる? でも多分見つかる気がするんだよなぁ。魔法使う? イヤでも闇魔法をここで使ったりして神官が追っかけてきてもやだしな――)
「え〜? あ、ほんとだ! メランねぇ!!」
「降りてきてー!」
(あーオワッタ。諦めるしかないな……)
放って置くと屋根までよじ登ってきそうな子供たちを見、特大のため息をついた。
「今降りるからまて。オプスはどうする? 一緒に来るか?」
「カァッ!!」
ふるふると首を振り、オプスはメランの腕の中から飛び降りた。羽毛が若干逆立っているのは気の所為ではない。
一度、子供たちの前に出た時、好奇心旺盛な幼児たちによって羽を十数本抜かれた事があるため、数年が経った今でもあまり子供たちには近づかない。あの時はちょっと、いやかなり可哀想な状態だった。
「メランねぇ〜、はーやーくー!」
「はいはい。今降りるから」
工具を抱え、スタンと着地すれば、すぐに手を取られ、引っ張られた。グイグイと半ば引きずられるようになりながら連れて行かれる。
「こっちこっち!」
「神官のおにーちゃん来てくれた!」
「パンもらったよ!」
「パン?」
「うん! まだちょっと温かかった!」
裏口から中には入れば、話していた二人が振り返った。そばのテーブルに紙袋が置かれ、神官の周りには輪が出来ている。
「メラン! 良かった、呼んでもいないから、帰っちゃったのかなって」
「屋根にいただけ。それで? 何で呼んだんだ?」
「あ、それはね。この神官様、レウコン様というのだけれど。今町で噂の方でね。ここらへんで一番光魔法が上手らしいの。だから、あなたの怪我を治してくれないかって、話していたの」
ペコリと頭を下げた、白髪に白の神官服のレウコンにちらりと目をやる。
「……………そう。でも、大丈夫だよ。かすり傷だから。すぐ治る」
「それでも心配なのよ。何してるか一向に教えてくれないし。せめて傷くらい……」
「だから大丈夫だって」
早くこの場から去りたいというのに。神官などに関わりたくないというのに。そう思い、苛立ちが募るのを止められない。
トドメとばかりに、笑顔のリルの手がメランのフードに伸びる。
「ああ、そうだわ。顔を見せたらどうかしら。隠したままだと失礼じゃない―――」
「やめろ!!」
「えっ?」
強い拒絶にリルがビクと体を震わせた。伸ばされた手が行き場を失い揺れる。
レウコンも、その周りの子供たちも驚いた目でメランを見つめた。普段大きな声を出さない彼女が珍しく声を荒げた。その理由が分からず、静まり返った場にリルの困惑の声が響いた。
「メラン……? どうしたの? 私、なにか気に障るようなことをして……?」
「なぁリル。リルの心配性と、意見を押し通そうとするのは、たしかに美点だと思うよ。それで救われるやつだっていただろうし」
俯き、フードに隠された表情を読み取ることはできない。しかし、メランの声は聞いたことがないほどに冷え切っていた。
「え、何言って……」
「でもさ。有難迷惑って知ってる? どんなお節介も度が過ぎれば迷惑なんだよ」
「めい、わく……?」
大きく見開かれた目がメランの姿を映す。
「リル。普段意識せずに接してくれるのは嬉しいけどさ。知ってるよな? あたしの事情」
「あ……! ご、ごめん……」
フードに隠された奥から、黒の目がリルを見る。底なしの穴のようなそれは数秒後、逸らされた。
「今日はもう帰る。また来れそうだったら顔出すから」
「え、待っ」
伸ばされた手をするりと躱し、院から出る。直後、バサバサと羽音がし、メランの上から影が落ちた。
「おいで、オプス」
呼ばれるやいなや、彼女の肩に鴉が舞い降りる。紅い眼がちらりと立ち尽くす人間たちを写すが、すぐに興味を失ったのか逸らされた。
コツコツと離れていく足音に、その場の者たちは立ち尽くしていた。
✟
レウコンは、訪問した先で起こった出来事を呆然と見ていた。
全身を覆い隠した人物と、孤児院の女性との会話。子供たちに手をひかれ連れてこられた時既に機嫌があまり良くなさそうではあったが、それに気付かなかったのか、女性は会話を続け、連れてこられた人物が声を荒げていた。
内容はあまり理解できなかったものの、その人物の機嫌の悪さに自分が関係しているのだろうと察したレウコンの心に波が立った。
レウコンの生まれは貴族とは名ばかりの男爵家である。浮気性の父親に、浪費癖のある義母と義妹。実母はレウコンが5つのときに流行り病にかかり亡くなった。
父親が義母と再婚してからはほとんど外に出されることはなく、10のとき、人買いに売られかけていたところを神殿関係者に助けてもらい、神官となった。
レウコン自身はあまり知らなかったが、自分の顔は女性ウケがいいらしい。真っ白すぎて気味が悪いと思うのだが。
ちなみに、女性はあまり好きではない。別に何かされたというわけではない。ただ、自分を見てキャアキャア騒ぐときなどの、高い声が苦手なだけ。
(さっきの人……女性のようでしたが。あの人は私にあまり友好的ではありませんでした。知らないうちに何かしてしまったのでしょうか……)
一度だけ目が合った時、フードの奥に見えた鋭い目は、自分を嫌っているように見えた。それが本当ならば、理由を知りたい。
「――神官様? どうかしました―――」
「申し訳ありません、今日はここで失礼します。また来ます」
それだけ言い残して、レウコンは孤児院から飛び出した。キョロキョロと辺りを見回せば、探していた後ろ姿は簡単に見つかった。
「あの!」
「…………」
「あの! そこの方!!」
「!?」
声を張り上げると、ギョッとしたように振り向かれる。数度周囲を確認したあと、「あたし?」と自分を指さした。
「はい。すみません、引き止めてしまって……」
「え、あ、うん……? え、何?」
「その。先程から、私のことを嫌っているように見えまして。何か理由があるのか、と……」
「え」
フードから覗く目が、パチパチと瞬きをした。
✟
「その。先程から、私のことを嫌っているように見えまして。何か理由があるのか、と……」
「え」
神官――レウコンが追ってきて放った言葉にフリーズする。
そんなに顔に出ていただろうか? 少なくともフードで隠れているおかげで、表情は見えないはずである。それにメランは暗殺者。普段からポーカーフェイスを心掛けているのだが。
どうして思ったのか、と問おうとした瞬間、背後で声が上がった。
「きゃあ! ひ、引ったくりよ!! 私のカバンを返して頂戴!!」
「え、引ったくり!?」
「ッチ」
真っ昼間から盗人が出たことに思わず舌打ちする。捕まえようと動こうとするが、目の前の神官が駆け出してゆくほうが早かった。
「そこの、方! お待ちなさい!」
……待てと言われて待つ泥棒が居るだろうか。答えは否である。「誰が待つかよ!」という実に小物臭い台詞とともに引ったくりは遠ざかってゆく。
また一つ、舌打ちをしたメランはふらりと近くにあった売り物の林檎を手に取った。
「あぁ、逃げられちまうな……」
「おやじ。この林檎もらうぞ」
「えっ?」
店主に小銭を放り、メランは林檎を振りかぶり――投げた。
「お持ちなさいと……へっ?」
「真っ昼間から、盗みなんて、してんじゃねぇぞ!!」
裾を乱して走るレウコンの横を通り過ぎ、真っ赤な林檎は見事泥棒の後頭部にヒットした。ゴスッというおおよそ林檎とは思えない音の後、一拍置いて泥棒の体が傾き、倒れた。
唖然とする野次馬の中を悠悠と歩き、いとも簡単に泥棒の下へと辿り着いた。少し凹んだりんごの表面を外套の裾で軽く拭き、齧る。うん、美味い。
目を回している泥棒から最初に声を上げた女性のものらしき女物の鞄を引っ剥がし、少し後ろで尻餅をついている神官に放り投げた。
「え、あの……?」
「鞄、返しといて」
「それは、取り返した貴女がするべきなのでは……?」
「めんどくさいから嫌だね」
林檎をシャリシャリと齧りながら手を振った。彼が、えぇ、と困惑顔で鞄とメランを交互に見るが、気にせず林檎を齧る。
面倒臭い以外にもいくつか理由はあるが、それを告げてやるつもりは無い。
「じゃあ、バイバイ」
「え、ちょ、待っ!?」
今日はよく引き止められる日だ。
腰が抜けたのか動かないレウコンをその場に残して、野次馬を突っ切って、半分ほど齧った林檎を口に咥えたまま、大通りから細い路地に入る。たかが泥棒に林檎をぶつけただけで騷ぎの中心になるなど御免である。こういうときはそそくさとその場を去るに限る。
その途中で肩をつつかれ、オプスに林檎をオレにも寄こせと催促された。
「はいはい。お前はホントに果物が好きだよな」
「カァッ!」
「分かってるならもっと寄こせって? ハイハイ」
影でオプスの前に林檎を固定してやれば、器用に果肉を啄み始める。メランがペロリと唇に付いた果汁を舐め取っていると、不意にオプスが鳴いた。
「カァー」
「ん? 『あの神官とまた会いそうだ』? それは嫌なんだけどな……」
一気に渋い顔になったメランを面白がるように、鴉は羽をばたつかせた。
「! 見つけました!!」
「うわ。なんでいるんだよ」
翌日。木の上で寝そべっていたメランが下を見てため息を漏らした。対するレウコンは若干嬉しげに見える。
「昨日はありがとうございました」
「それだけを言いに来たのか? わざわざ探して?」
「いえ、それもあるんですが。質問の答えを聞いてなかったので」
「…………」
更にメランの顔にシワが寄る。
「でも、どこにいらっしゃるか分からなかったので、色々な場所をしらみ潰しに探していました」
「……神官服で?」
「服をこれしか持っていなくて」
「ここがどこだかわかってんのか? 貧困街だぞ?」
「? そうですね」
「……………」
キョトンとした顔で返され、メランは思わず頭を抱えた。
(こんの神官サマ、何が問題かわかってねぇなっ! 頭ん中お花畑か? 馬鹿なのか!?)
木の上で器用に転げ回った後、特大のため息をつきながらそこから飛び降りた。
「ここじゃ危ないから、移動する。ついてこい」
「え、どこへです?」
「っああもういいから、黙ってついてこい!」
移動した先は、スラム街の中にある、小さな建物。一見すると今にも崩れそうなそれは、中に入ると意外にもしっかりした造りになっている。椅子が2つと、テーブルだけが置かれているがらんとした部屋に入り、メランはテーブルを指さした。
「適当なとこに掛けて待ってろ」
「え、あの……」
レウコンが声を掛ける前にメランは奥の部屋に入った。引き出しや棚の中から幾つか瓶と菓子を取り出す。先の部屋に戻ると、キョロキョロしながらレウコンが椅子に座っていた。
「あの、ここは……」
「あたしの隠れ家の一つ。はい、果実水と菓子。安モンだから、口に合わないかもだけどな」
言いながら、瓶のひとつの栓を開け、直接口をつける。それにレウコンは驚いていた。
「コップに注いだりは、しないんですか?」
「んな上品なことしない。ここコップ無いしな」
「え」
またポカンとしたレウコンをそのままに、クッキーを口に放り込む。
「それで。質問だっけ? それに答えれば気が済むのか?」
「……まあ、そうですね」
「なんか煮えきらない返事だな……まあいい。ええと、何だったか……あたしがあんたを嫌ってる理由だったか?」
「はい」
ピシリと姿勢を正したレウコンを横目に、もう一枚クッキーを食べる。
「神殿が嫌いだから」
「……え?」
「だから、神殿に所属してる神官も嫌い。それだけ」
「神殿が、嫌いだから、神官も、嫌い……?」
なぜ、と呟くレウコンの視線が、メランが室内でも被っている外套へと向けられた。
「外套が、関係しているんですか?」
「…………」
(鋭い。この神官、ただの脳内お花畑かと思えば。ちゃんと勘は働くんだな)
どう答えるのが正解か。しばらく黙り込んでいると、ドアが乱暴に叩かれた。二人してギョッとしドアを見つめて固まる。
「誰……」
ドンドンドンッ
「どなたです……」
ドンドンドンドンドンドンッ!
「ああもう、壊れるから! そんな乱暴に叩くなっ!!」
様子見をしていれば壊されかねないとメランがドアを開けた。そこに立っていたのは。
「メラン! お願いだ、助けてくれ!!」
ボロボロになり、切羽詰まった表情をした、2人の少年と、1人の少女だった。
「はい。ちょっとは落ち着いたか?」
「うん……ありがと……」
奥からさらに2脚椅子を持ってきて、少年たちを座らせる。
メランとは顔見知りである彼らは酷く取り乱し、「あいつらが」「金が必要」などと要領の得ない、支離滅裂なことを口走っていたため、水で濡らしたタオルを渡した。そして、喉を潤したことで幾分か落ち着いたようで、再度メランを見つめた。
「ほら、落ち着いたなら話してみろ。何があった」
「それが……」
少年が言ったことはこうだった。
少年が妹と住んでいるのは裏路地に面する小さな家なのだが、どういうことか不法侵入していることになっていた。
今日突然それを知らされ、警吏に突き出すのをやめる代わりに、金を払えと言ってきたそうだ。しかもそれがとてつもなく膨大な額と、期限だと。そしてあろうことか、払えなければ妹を売り飛ばすと言われ、一緒にいた友人と反抗したが、相手は大人。やり返され、必死の思いでメランへ頼ってきた。
「うわぁ、最悪だな。家って貸家だったんだろ?」
「うん。大家のおばちゃんが、『可哀想だから』って、子供の僕達でも払えるような家賃にしてくれてた」
「その大家って、いくつだ?」
「えっと、70は過ぎてたと思う」
「…………」
十中八九、その大家が死んで、あとをマフィアやら何やらが乗っ取ったパターンだろう。
「相手の組織の名前って聞いたか?」
「……たしか、獅子の牙って」
「!」
「獅子の牙って、ここらへんに最近台頭してきた、マフィアだったはず……神殿でも注意喚起されていました」
よりにもよって、獅子の牙とは……
ここらでは比較的新顔の部類に入るが、組織の経歴としては長い。噂では、別の地域での抗争に負けて、このへんまで逃げてきたとか。規模もかなり大きく、ギルド長も扱いに手を焼いていた。どうやら、背後に権力者がいるらしい。それがかなり上の方の地位を持っているらしく、迂闊に手を出せない状態だとか。
(ッチ。何してくれやがんだ、ホントに)
悪態をついたメランが、ドアノブを握る。くるりと半身だけ振り返り、ビシッと少年たちを指さした。
「お前ら。ちょっとの間ここにいろ。いいか、あたしが帰ってくるまで動くなよ!?」
「え、メランはどこ行くの?」
「あたしの雇い主のところ! お前らを保護してもらえないか聞いてくる!」
「私も行っていいですか?」
「あ!?」
「えっ?」
レウコンの一言にメランがガラの悪い声を上げると同時に、開けたドアの前にガラの悪い男が立っていた。
3人ほどのそれを見、メランは反射的に戸を閉める。
「団体サマァ、ゴ到着ゥ」
「え、知り合いですか?」
「んなワケ無いだろ。一切面識ねぇよ――ッ!?」
「メランっ!?」
バゴンと音とともにメランが吹っ飛んでいく。扉を蹴破り、男が入ってきた。
「閉めんじゃねぇよ、ガキ」
「おお、綺麗に吹っ飛びやしたねぇ」
「何だあ、このボロ家はあ」
入ってきた男たちが少年を見つけると、にやりと笑う。
「お、いたいた。てめぇ、逃げんじゃねぇよ。おら、さっさと行くぞ」
「っ、やめて、離してっ!」
「っ妹を離せ!」
兄が男に飛びかかるが、いとも簡単に振り払われた。その際背中を強打したのか、うめき声を上げて動かかなくなった少年に慌ててレウコンが駆け寄り、光魔法で治療を施す。
「……ん? おい、光魔法使いがいるじゃねぇか。コイツも連れてったらいい金になるんじゃねぇか?」
「でもそいつ神官ですぜ。流石にまずいんじゃ……」
「大丈夫だろお。たかがあ、神官一人のためにい、神殿が俺らに何かするわけえ、無いだろお」
「……それもそうだ」
好き勝手言ったあと、男の手がケイオスへと伸びる。
「お前もお、こい――」
「――――勝手に入ってきて、お前ら何様だ?」
男の動きが止まり、代わりに口からうめき声が漏れ始めた。少年らがメランの方をバッと見る。
気だるげに立ち上がり、伸びをすればパキパキと体の骨が小気味よくなった。
「っコイツ、闇魔法使いか!!」
「え!? 聞いてないですぜ、それは!」
動かなくなった男。その体の表面には暗い影が這っている。メランが手を振れば、ゴキンッという音と同時にうめき声が止み、男の体が崩れ落ちた。
白目をむいて倒れたそれからは、もう何の音もしない。
「し、死んでやがる……!」
「先に仕掛けてきたのはそっちなんだ、恨むなら自分の不用心さを恨むんだな」
「っ!?」
残りの男たちの体にも影が這う。少女の腕をつかんでいた男は腕まで締め上げられている。
恐怖に満ちた目で、男らはメランを見た。
「じゃあな」
再び音が鳴り、物言わぬ体が床に倒れ伏す。
はぁ、とため息をついたメランから外套が滑り落ちた。
現れた黒髪に、レウコンが息を呑む。それらに全く気を払わず、メランは少女に駆け寄った。
怪我はないかを確認し、大丈夫だとわかると少女をぎゅっと抱きしめた。
「ごめん、怖い目に合わせたな。守れなくてすまない」
「っっ〜、怖、かった……」
ポンポンと少女の背中を撫で擦る。
「……神官サマ、その子の怪我は?」
「え、ああ、もう直しました」
「そう。じゃあ、二人と手繋いでついてきて」
「? わかりました。でも、どこへ?」
「……さっき言った場所。いいから、早く手を繋げ」
言われた通りにレウコンは手を繋ぐ。メランは少女を抱き上げ、自分の外套を被せた。
「予定変更だ。全員で移動する。あたしの傍を離れるなよ」
着いた先にあったのは、何の変哲もない、薄暗い路地に面している建物。迷路のように入り組んでいるそこを迷いなく進み、地下への階段を降りた先のドアをノックする。
「……『光の先に』」
「『切れぬ影と境界線』」
「入れ」
ドアを開けると、その場にいた者の視線が一斉にメランたちに向いた。性別や年齢は様々だが、皆共通していることは、暗殺者であるということ。
そこは、〈暗殺者ギルド〉の拠点だった。
突如現れたメランへの反応は色々あったが、そのほとんどが怖れだ。一部、普段外套で隠されているメランの素顔にポカンと口を開けているやつもいるが。
それ以外の数少ない、メランに気圧されていない奴らの中で、壮年の男性が近づいてきた。
「――おい、メラン。どうかしたのか?」
「師匠、来てたのか。いや、ちょっとトラブルがあって。旦那サマはいるか? 相談したいことがあるんだ」
「奥の部屋にいるぜ。オリビア様と一緒に。……相談事ってのは後ろに連れてる神官が関係してるのか?」
壮年の男性はずいと顔を寄せ、声を潜める。
彼は、彼こそが、メランに暗殺術と闇魔法の使い方を教えた人物だ。今は白髪になっているが、メランが彼に師事していた頃は綺麗な黒髪だった。
数年前、年を理由に暗殺者を引退したが、前No.1は紛れもなく彼だった。
やっぱりそこが気になるか、とメランは視線を下げる。
「いや……そうだといえばそうだし、そうじゃないといえばそうじゃない」
「なんだそりゃ。まあいい。別に個室を用意しとくから、ガキ共置いてくんだったら預かるぞ」
「! 助かる」
何も言わずとも、察した彼の勘の鋭さにいつもながら感嘆する。
引退したはずの彼がギルドに来ていることについて気にはなるが、ギルド長に相談するのが先である。
一度彼と別れ、奥の部屋へ向かう。ノックをし、「旦那サマ、メランです。少し、ご相談が」と声を掛けると、数拍置いて「入りなさい」と返ってきた。
「失礼します」
「いらっしゃいメラン! あら、あなたたちは……?」
「オリビア、邪魔をしてはいけないよ。それで、メラン。相談とは?」
公爵に今日起こったことをかいつまんで話す。みるみるうちに公爵の眉間にシワが寄り、全て話し終えると深いため息をついた。
「また獅子の牙か……」
「また、と言いますと、これまでも何か?」
聞けば、今週だけで既に10件以上、表裏関係なく報告が上がってきているらしい。メランに頼ってきた少年たちのように土地に関することも、多くあるそうだ。
「このままでは貴族としても、ギルド長としても、仕事に支障が出そうなんだ。どうにかしたいと思っているんだが、知っての通り後ろ盾が少々厄介でね。衝突しても問題ないように奔走してたところだよ」
「……それでは、奴らと揉めるのは待ったほうがよろしいですか?」
そう問えば、公爵は一瞬驚きの表情を浮かべた。すぐもとに戻ったが。
「……君が自発的に何かをしようとするのは珍しいね」
「そう、ですね……少し、怒っているのかもしれません」
「怒っている?」
「はい。奴らのおかげで隠れ家がめちゃくちゃになってしまったので」
そういえば、そうか、と静かに返された。
……バレているかもしれない。一番の理由。子どもたちを助けたいということを。
「……奴らと揉める件についてはもう問題ないよ。どうせ、すぐにでも乗り込むつもりなんだろう?」
「…………ええまぁ、そうですね……」
「でも、一人は危ないからね。もう一人くらい、補佐がいたほうが――」
「あの、すみません」
後ろからの声に、メランが怪訝下に振り返った。視線を受け少しいたたまれなさそうなレウコンだが、しっかりと公爵を見据えて言葉を続ける。
「私も一緒に行っても、構わないでしょうか」
「はあっ!?」
「…………」
何を言い出すんだお前は、とメランがレウコンに詰め寄ろうとするが、公爵がそれを手で制した。
「……一緒に行きたいとは。どこへ行くのかわかっていて、言っているんだろうね?」
「もちろんです。私は神官で、光魔法が使えます。治療ができるので、補佐になれるのではないでしょうか」
「……ふむ」
じっと公爵はレウコンを見据える。レウコンも臆することなく公爵を見つめ返した。ふと、視線の圧が和らいで、メランへと向けられる。
「メランはどうだい?」
「へっ?」
理解ができず、思わず間向けな声を漏らす。
「補佐に、光魔法使いの神官。どう思う?」
「――――何で、あたしに聞くっ!?」
「なぜって。実際に行くのはメラン、君だ。ならば、人員は君が決めるべきだろう」
「…………」
(たしかに、筋は通っている……)
レウコンを連れて行くメリットと、デメリットを考え、連れて行かなかった場合のことも考える。
この短時間で得た〝レウコン〟という人物のことを考えると……
(置いていっても、無理矢理についてきそうだ)
たっぷり数十秒考え込んだあと、メランはため息を漏らした。
「……連れていきましょう。無理やりついてこられて、足手まといになる可能性も否めません」
それこそ、人質にでも取られたら厄介極まりない。
当人のレウコンはぱあっと顔を輝かせていたので、ちょっとひっぱたきたくなった。
「ならば、メランと、その補佐に神官くん。暗殺者ギルドからは元No.1の彼を出そう」
「!? 師匠を? ……だから今日、いたのか……」
謎が繋がり、少しスッキリした。
「実行は、日の入りから2時間後だ。それまでに準備を済ませといで」
「わかりました。それでは失礼します……」
部屋から出、細い廊下を歩いていると走っていたオリビアに抱きつかれた。服を引っ張られ、反射的にしゃがむと、こそ、と耳打ちされる。
「ねぇメラン。貴女、大丈夫?」
「何が?」
「……」
オリビアはキョロキョロと辺りを見回したあと、さらに声を潜めた。
「余命の件よ。動いても大丈夫なの?」
「それなら問題ない。とても元気だからな。それに……これは、あたしの手でやりたい」
強い意志を込めれば、それを感じとったようで、それ以上オリビアは聞いてこなかった。代わりに、頬を包まれる。
「無事に戻ってきてちょうだいね」
「もちろんだ、お嬢」
オリビアと別れ、案内された個室でメランとレウコンは顔を突き合わせ、この後のことについて話し合っていた。
メランとしては、なぜ同行を申し出たのか聞きたかったが、何となく、かわされる気がして、聞かないことにした。
その代わりに、注意事項についてうるさく言うことにした。
何度目かもわからないそれらを聞いても、レウコンは一切嫌がる様子はない。
(神官は、同じことを何回も言われ慣れているのか……?)
少々気になるところである。メランであれば早々に「うるさい、もう何度も聞いた!」とキレているだろう。