忽然と消えた。
「マリアベル、僕との婚約を解消してくれないか。」
その言葉に、公爵令嬢マリアベルは眉を吊り上げる。
マリアベルの前で悲しそうに眉を下げ、そう言うのは彼女の婚約者である第二王子リカルドであった。
「……それは、そちらの方と関係していますか?」
リカルドの隣には、ピンクブロンドの髪をハーフアップにし、リボンで纏めている女性が座っていた。
「そうなんだ。紹介しよう、彼女はフローラというんだ。」
フローラという女性が恐る恐るといった顔でマリアベルを伺い、小さく頭を下げる。
「申し訳ないが、僕は彼女に運命を感じてしまった。君を正妃にし、彼女を側妃にすることも考えたが、それでは君に不誠実だと思ってね。」
口ではそうは言っているが、マリアベルが不要になったからだと実際は言っているに他ならない。第二王子である彼は、別に身分の高い妻である必要はないからだ。
マリアベルはその言葉に思わず安堵する。
というのも、マリアベルのリカルドへの情は皆無だから、である。
いつ頃だったか。リカルドが、婚約者マリアベルではない女性と仲睦まじくしていたという噂が流れたのは。
マリアベルは当然それを小耳に挟んでいた。マリアベルの不安に伴い、次第にそれを目撃する者も増え、実際にマリアベルも城内でその現場を目撃することが増えた。
城のメイド曰く。
城下に出かけたときに、殿下が可愛らしい女性に一目惚れしたのだとか。
侍従曰く。
平民である彼女は、最初は普通の町娘と変わらぬシンプルな装いだった。しかし殿下が、フリルなどのあしらわれた素敵なドレスをお贈りになったとか。可愛らしいリボンも、殿下の贈り物なのだとか。
執事曰く。
いつしか彼女との逢瀬は、城下に会いに行くのではなく殿下が彼女を城に招くようになったのだとか。
そんなことを聞いた。
二人が幸せそうにケーキを食べさせ合い、笑い声に溢れるのが頻繁に見られるようになり。
マリアベルは、他の公爵令嬢から厭味ったらしくこんなことを言われたりもした。
「殿下を解放して差し上げたら?」
なーんて。
マリアベルはリカルドに進言した。城内に連れ込むのは如何なものかと。
返ってきたのはこんな言葉だった。
「まだ君と結婚する前なんだ。少しくらい、僕に幸せな思いをさせてくれないか。僕は、彼女といる時が最も幸せなんだ。」
なので、マリアベルはすぐさま婚約解消に応じた。
婚約解消がされると、リカルドはフローラと一緒になるために、即座に彼女を城に住まわせて婚姻を結ぶ準備をはじめた。
そうして、フローラが城に住んでから二週間程経った頃だろうか。
フローラが、忽然と城から姿を消した。
城の財宝の間の全てと共に。
リカルドは、こう考えた。財宝とともにフローラが誘拐されてしまった。フローラを今最も妬んでいるのは誰か?
…………元婚約者のマリアベルだ。
そう思った彼は、すぐさまマリアベルのいるラグロット公爵家へ向かった。
入口では公爵家の執事にしつこく止められたが、"第二王子たる僕の邪魔をするな"と言えば渋々通された。
マリアベルの部屋まで案内されると、そこには彼女の両親や兄妹がいた。
皆、涙をこぼして。
入ってきたリカルドを見るなり、マリアベルの母親であるラグロット公爵夫人は金切り声で叫んだ。
「殿下、いきなり何のご用ですの!?今更マリアベルの見舞いなんてさせませんわ!早く出ていってくださいませ!」
意味がわからず部屋の中を見回すと、マリアベルが寝台に横たわっていた。
目を閉じ、顔は紅くうなされているようだ。
「マリアベルに一体何が……」
「殿下、娘はもう殿下の婚約者ではないのだ。名前で呼ぶのは控えてもらえませぬか。」
目が笑っていない公爵。
わけもわからず狼狽えていると、マリアベルの妹に腕を引かれて外に連れ出された。
「姉さまは、突然の病で一週間前から寝込み、意識朦朧としておりますの。姉に何か御用でしょうか?」
「な、い、一週間前から?」
「はい。それが如何いたしました?」
「い、いやそれは知らなかった。申し訳ない、後日改めて見舞いに……」
「いえ、慎んでお断りさせて頂きます。いち公爵令嬢が殿下から直接お見舞いしていただくわけにもいきませんので。」
ラグロット公爵家を後にしたリカルドは、途方に暮れていた。マリアベルには一週間公爵邸で寝込んでいたというアリバイがある。
では、一体誰がフローラを連れ去ったのか。
もしや、フローラが財宝を丸ごと持ち去ったのか‥‥?
そんな疑念が一瞬生まれるが、すぐさま取り払う。あんなか弱い少女が一人で、あれだけある王家の財宝を全て盗むことなんてできるはずもない。
リカルドは、そう自分に言い聞かせるとフローラを疑った自分を恥じることにした。
真実は、至って簡単。
フローラは盗賊の一味であった。王家の財宝を盗み出すことだけが目的で、王子リカルドに近付いたのだ。
元々は、可憐な装いをして街にいて、誰か貴族の一人でも引っかけられたらいいなぁ、くらいに思っていた。それが第二王子が釣れてしまったのだから、これほど幸運なことはない。
あらかじめ用意していた逃走ルートで国外へ脱出しながら、フローラ‥‥だった女性はにたりと微笑み、きらきらと輝くティアラや絵画を眺めて呟いた。
「くく、王家の財宝がこんな簡単に盗めるなんて。あの騙されやすい王子サマには感謝しなきゃねぇ。」
最終的に、結局王家もフローラが財宝を盗んだという判断を出した。
そして第二王子リカルドは、当然国王や王妃、また兄である王太子に激怒されていた。当然だろう、自らの女遊びで調査もせずに連れ込んだ女性が、大盗人であったのだから。その結果、財宝の間の宝物全てを失ってしまった。損失だけでなく、他国からの贈り物なども財宝の間には置かれている。”盗まれました“というだけでは取り返しのつかないようなことなのだ。
リカルドは、己のしでかしたことがいかに問題であったのかに今更気が付いた。
フローラとは深い関係になっていなかったから良かったものの、少なくとも彼は王族という責務を果たすのは無理だと判断され、早々に断種措置が決まってしまった。そして、社交には関わらないよう騎士団に入れられ、根性から叩き直されることになったらしい。
本当は、フローラの正体を見抜いていた王太子によって財宝が偽物にすり替えられていたことも、フローラは偽物を持って国外逃亡したことも、リカルドは知らない。これからも知ることはないだろう。
リカルドが去ったあと、むくりと起き上がったマリアベルは、顔にはたいた赤い粉を落としながらため息を吐く。
「やはり、殿下は騙されやすすぎるのですわ。」