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ミダスの抱擁

作者: 信田エフ

※異種間恋愛のお話です

※ヒロインとヒーローは死にませんが報われません

※人外の台詞は「スマホで台詞を全てひらがなで打つ→英字にキーボードを切り替える→そのひらがなを打った同じ位置にあるキーを、そのひらがなを打った回数と同じ回数の英字にして台詞を打ち直す」という方法で打っています。頑張れば解読できるかも?

 黄金の樹木が自生する森、黄金の水が流れる河、黄金の石や土でできた廃墟の並ぶ街、そして黄金の廃城……砂や塵一粒ですらこの場所では全て黄金になっている。廃城内の土や床を踏みしめる度、ブーツやマントに金色の粉が舞い付着する様を見、シルヴィアはため息を吐いた。欲に正直な人間であれば、この場所はまさに宝の山に映るのかもしれない。だが、彼女からしてみれば、この磨かれたように目映い床や壁、星屑のように煌めく砂や塵もおぞましいものにしか思えなかった。西に傾き始め、この黄金をより際立たせている陽光ですら忌々しく感じた。この場所全てが、嫌悪と恐怖の集合体でしかない。

 シルヴィアは、あるギルドに雇われて一時滞在している傭兵だ。そして、この地……黄金郷ゴルトオールに足を踏み入れたのもそのギルドの依頼のためである。大半のこの地への任務では、黄金を持てるだけ持ち帰ることを依頼される場合が多い。確かに、美味しい話ではある。元の報酬も含め、自分もおこぼれに授かれるからだ。だが、彼女は絶対にそれは引き受けなかった。何故なら、この美味しい話には裏が存在するためである。……このゴルトオールには、怪物が住みついているのだ。金塊を積み上げて造られたゴーレムのような怪物が。


 見た目そのものはさほど恐ろしくはない。ゴーレムはありふれた存在であるし、多様な種族が暮らすこの世界では尚更だ。たが、厄介なのはその怪物の能力である。……この怪物は、触れたもの、触れてきたものを全て黄金に変えてしまうのだ。端から聞いただけであれば、無尽蔵に宝物をつくりだし富を生み出すとても素晴らしい存在かもしれない。だが、言ってしまえばこいつに少しでも掠められたが最期、物言わぬ黄金像になってしまうのだ。しかも、食べ物や衣類まで硬い金塊に、飲み水は液体の金属になってしまうため、それらに手を出されないようにも注意を払わなければならない。恐らく、これだけの規模の街や城が存在しながら人っ子一人いない廃墟であるのはそのためだろう。実際、何名もの盗賊やトレジャーハンター、傭兵たちがこの怪物を生け捕りにするためか、そこらにある金塊を持ち帰るため、黄金郷へ挑んでいるが、生きて帰ってきた者はほんの僅かだ。生き残った者は、仲間が怪物に金塊にされた様に戦き逃げ出したか、やはり目の前の宝より明日の食料と自分の命の方が惜しくなり挫折したかである。噂では、元々賑わっていた小国に悪魔が怪物を放ち、一日も待たずして全てを黄金に変え滅ぼしたのだとまで囁かれている。虚偽にせよ、真実にせよ、欲に目が眩み手を伸ばしたが最期、死の淵へと陥れられるまるで食人花のようなこの土地には相応な話であるとはシルヴィアも思っていた。事実、この土地に誘われた者は、この土地に呑み込まれているのだから。あちこちにある、人や動物の像はいわば死体なのだ。

 シルヴィア自身、この卑しい輝きを放つ土地に足を踏み入れることは初め不本意だった。だが、顔馴染みのギルドの長からの依頼で事情は変わった。……彼女は、この黄金郷の怪物の討伐を依頼されたのだ。一度は断ろうと考えた。だが、お得意先であり親しい部類に入るギルドが、自分と同じくあの怪物の死を望んだこと、自らの手であの恐怖を終わらせられること、武器や食料などの負担も全てこちらが引き受け、もししくじったとしてもそれなりの報酬は払うという条件に魅力を感じてしまい、引き受けてしまった。……引き受けてしまったのだ。正直、怪物の根城であろう廃城を探索している現在でも恐怖を堪えることが大変だというのに。黄金を融解させる魔術式が込められた魔弾が詰められているとはいえ、マスケットを握る手は汗が滲んでいる。心臓は破裂しそうなほど鼓動し、脊椎には冷ややかな感覚が絶えない。これなら、まだこの間家畜を襲っていた怪猫退治のときのほうがマシであるとさえシルヴィアは思えた。あれも巨大で凶暴だったし、痛手もたくさん負ったが、少なくとも少し掠めただけで死ぬだなんてことはなかったからだ。それに、あからさまに凶悪だったり醜悪だったりするのであればまだしも、一見すると美しく魅力的だなんてなおのことたちが悪いし、不気味なことこの上ない。更に言えば、あの化け物はこれまでに先輩や友人、知り合いを何名か葬っているのだ。ここに来るまでの道程に見つけた黄金像の中には、間違いなく見知った顔も存在した。即ち、これはシルヴィアにとっての敵討ちでもある。虎穴に入らずんば虎児を得ずというが、そのため彼女は恐怖を何とか克服して、あの怪物に対しての殺意を滾らせなければならないのである。


「うう……さっさとぶっ殺して帰ろう。ここ、いるだけで気持ち悪くて仕方ないし」


 とはいえ、怖いものは怖い。恐ろしいものは恐ろしい。へっぴり腰とまではいかないが、シルヴィアは無意識に息を殺しそろりそろりと金色の廊下を進む。一階の部屋は全て確認したが、どこにもターゲットの姿はない。玄関のある大広間に戻り、一息ついた。ここにもヤツの姿はなかった。……安心したような、残念なような。シルヴィアは、広間の中央から二階へと伸びる巨大な階段の最も下段に腰掛けた。


「……ったく、なーにが"黄金郷の怪物殺しに行くなら、ついでにヤツの一部持ち帰ってきて"だ。パットめ、私がどんな気持ちでここにいるかも知らずに!」


 シルヴィアは、今はここにいない友人の悪態を吐いた。無理もない、ただでさえここを歩き回るだけでも気が滅入りそうなのに「出かけるなら、ついでに帰りに買い物行ってきて!」とでも言うような軽さで彼女はシルヴィアを送り出したのだから。パット……もといパトリシアは依頼元のギルドに所属している魔術師だ。シルヴィアとは長い付き合いであり、一番親しくもある。今回もアイテムを揃えてくれたり、協力してくれた。なので、感謝はしている。しているのだが……彼女は良くも悪くも軽く、しかもその場の空気を読んでいながらあえて破壊して回る悪癖があるのだ。その性格に救われることも多いが、今回ばかりはこれが恨めしかった。


***


 ぶつぶつと恨み言を言っていると、不意に上から物音が聞こえてきた。金属に金属がコツコツと当たるような音……恐らく、いや、間違いない。ヤツの足音だ。シルヴィアは弾かれたように立ち上がると、階段の影にサッと身を隠した。先程よりも、より呼吸が目立たないように息を潜める。口をキュッと結び、音は一切立てないように。正直見たくはないが、ここからヤツの姿を確認しなければならない。でなければ、狙えるものも狙えないのだ。

 コツコツと、金属音がこちらに段々近づいてきた。シルヴィアの頭上から音が下へと降りてきている。シルヴィアは、ヤツの視界に入らないよう注意しながら広間の方を窺った。

……いた。扉の前に。金色の甲冑を纏ったような体、胸部にあるルビーのような装飾、黄金の兜状の頭部から覗く御影石のような白い顔、サファイアのような二つの目……間違いない、この世のものとは思えぬきらびやかさだが、この金色のヒトガタが音に聞きし怪物だ。体格から察するに、成人男性くらいの大きさだろうか。その見た目麗しさ、目映さに思わずシルヴィアも感嘆しそうになったが、それはすぐに成りを潜めた。怪物が、ふと足元を見下ろす。シルヴィアも視線を辿ると、一枚の薄桃色の花の花弁が床に落ちていた。まずい、きっと気づかぬうちに自分の衣類に付着していたのだろう、ヤツに侵入を感づかれてしまうか?……そう思うより前に、怪物がその花弁に手を伸ばしていた。すると……指先が触れるや否や怪物が拾い上げる前に、薄桃が黄金に変わった。怪物は、黄金になった花弁を暫し憂うように見た後、そっと床に戻した。そして、今度はゆっくりと辺りを見回し始める。シルヴィアは身が凍りそうな心地がしていた。自分は、このヒトガタが怪物であるという証拠を目の前で見せつけられた上に、ここに立ち入ったことが相手に悟られたと知ってしまったからだ。心臓が早鐘を打ち、額や首を冷や汗が流れる。鼓動の音だけで、ヤツに居場所がバレやしないかと気が気でない。だが、焦りは禁物。何とか冷静にこの場を切り抜ける方法を考えねば……。シルヴィアは、暫し思案しふと足元を見た。黄金の小石が少し散らばっている。元はもっと別のものの欠片ではないかとも考えたが、この状況ではもう何でもよかった。なりふり構っていられない。シルヴィアは小石を一つ拾い上げると、広間の廊下付近に向かって投げた。からんころんと、軽い金属音がこだまする。怪物はその音に気づくと、音がした方へと緩やかな歩みで向かっていった。……よし、今だ。シルヴィアは、怪物が背を向けている隙に、自分が見つからず魔弾の適切な間合いを取るため、静かに、だが速やかに階段へ移動し登っていく。そして階段二階の柵へ身を潜めると、マスケットを構えた。銃口は胸部内にある心臓部に狙いを定める。…噂通りなら、ヤツの弱点であり、壊されたらヤツは絶命するはず。魔弾は何発分か手元にあるが、いずれもヤツの硬い金塊の体躯を貫通するくらいは造作もない代物だ。……大丈夫、私ならできる。これさえヤツにぶちこめば、全てが終わって私はこの金色の地獄から解放される。照準は定まった。シルヴィアは、引き金に指を掛けた。

そして……鋭い銃声と共に魔弾が発射される。


「!」

「!?」


 ……が、弾は怪物の胴を貫くことなく目に見えぬ何かに弾かれた。そして、まるで蒸発するようにシュワリと消える。……信じられない、確かに弾はヤツに当たった。照準も狂いはなかったはずだ……なのに何故こいつはまだ立っている!?何が弾を遮った!?動揺し混乱するあまり、シルヴィアは一時撤退も忘れて呆然とその場に固まる。


「bqm……」

「!!」


 だが、それも永遠ではなかった。……ヤツが、あの化け物がこちらを見上げている。完全に見つかってしまった。シルヴィアは脊髄反射から、即座に二階の廊下へ駆け出した。


「piG!」


 先程よりもやや速い調子で、背後から金属音が聞こえ始める。怪物が、侵入者であるシルヴィアの跡を追っているのだ。まずい、これはまずい!


「nchbqkjkPegxej@aw!N-H-G!Gbwkaj@g!」


 名状しがたい声でヤツが何かを叫んでいる。咆哮しているのか、それとも何かをシルヴィアに語っているのか。だが、シルヴィアには関係なかった。いずれにせよ、近づけば黄金の像にされてしまうのは変わりないのだから。兎に角、早くどこかに逃げなければ。この地を後にするにせよ、反撃するにせよ体制を立て直す必要があるのだから。肺が悲鳴を上げ始め、足の筋肉が疲労から硬直を始める……だが止まるわけには絶対にいかない。シルヴィアは早急に、腰の鞄を探る。そして、正方形で魔方陣が描かれた紙を出した。風の術式が刻まれた、簡易な瞬間転移が使用できる特殊なカードだ。これで彼女は、少し今の逃走劇を楽にしようと考えていた。だが…魔術を発動させた時に一時発生した風が、シルヴィアの一本の尾のようなおさげ髪を煽った。更にあろうことか、もたついている間に間近まで迫っていた怪物が、その髪を掴もうと手を伸ばしているのだ。シルヴィアは、顔面蒼白になりながらも必死で髪の根本を掴んで自分の手元へ引き戻した。そして、彼女は腰の鞘から短刀を素早く抜くと、己のおさげを切り離し、怪物に向かって投げつけた。自分に向かってくる彼女の一部に、面食らったように怪物は目を見開く。その隙にシルヴィアは、先ほどの魔術の完全な発動で怪物の前から目を眩ました。そして、髪束を受け止めた怪物が視線を戻したときには、既に彼女の姿はなかった。廊下中を響いていた金属音の喧騒が、瞬く間に消えていき再び静寂が戻る。


「……」


 シルヴィアの髪束を両手のひらに収めたまま、彼女の消えた方角をヒトガタは暫し呆然と見つめていた。だが、ふと手の結びを開いてみる。……彼女の艶やかな髪だ。まだ彼女の一部としてあったままの姿で、銀の生糸を束ねたような美しいそれがそのまま残っていた。彼は、それに顔を綻ばせると愛しそうに彼女の髪に頬擦りする。そして、自分の手の中で柔らかいままのそれに、彼は笑顔のまま一筋の涙を溢していた。


***


 深く静かに、ゆっくりと呼吸を繰り返す。ここに駆け込んだばかりのときは、暴走していた心臓も大分落ち着いただろうか。シルヴィアは額の汗を指の甲で大雑把に一拭いすると、床に座り込み壁に凭れるしかなかった体を漸く起こした。身を動かすと、短くなった銀髪から金の粉が舞い落ちる。……自分が金塊化しないための咄嗟の行動とはいえ、我ながら蜥蜴の尻尾切りのようだったなとシルヴィアは苦笑いした。体のあちこちに降りかかっている、やたらキラキラした埃を手で軽く払うと、立ち上がりこの部屋を見回す。ヤツを撒けるならばとなりふり構わず飛び込んだため、全く確認していなかったがここはどうやら元々書斎だったようだ。無論、全て黄金と化しているが、周囲の金塊は棚や積み上げられた本のかたちを残している。散らばった金箔のようなものは、元は紙だったものだろう。よく見ると文字が書かれている。……幸い、こちらに何かが潜んでいたり、接近している気配はない。シルヴィアは、あまり物音を立てぬよう注意を払いながらこの書斎を探り始めた。……ひょっとしたら、あの怪物について何か情報を得られるかもしれない。これだけの規模の範囲を黄金化し、人がいない地にしてしまったようなヤツだ。城の人間が何も調べなかったとは考えにくい。火のないところに煙は立たないというし、黄金と化していても読める本もあるようだ。きっと何かしらは得るものがある……と、シルヴィアは考えたのだ。現に、あの怪物には魔弾が効かないかもしれないと悟った以上、シルヴィアにとっては藁をもすがる思いだった。

 本は、薄い紙のものは慎重に引き抜けば何とか読める場合が多い。だが、厚い紙の場合そもそも本を捲ることができない。それでも読めるものは手当たり次第に調べていく。…すると、書斎の窓の前に並べられた机の一つに、本が一冊置かれていたのを見つけた。それを見て、シルヴィアはひゅっと息を呑み目を丸くした。……何と、黄金化していないのだ、この本だけは。


「何これ……」


 目が眩むほどの金色の世界にある異物……だが、シルヴィアからしてみれば、この異常な世界にある唯一の希望に思えていた。……この本こそ、絶対に何かあるに違いない。シルヴィアは、ごくりと唾を嚥下すると、本を手に取った。そして、自分を奮い立たせるように勢いよく表紙を捲る。


 本には、こう書かれていた。


***


むかしむかし、あるとても小さな国に、王様とお妃様と王子様がお城に住んでいました


けっして強くもない、お金もちでもない国でしたが、王様もお妃様もとてもやさしく、王子さまも国の人たちもみんなが幸せでした


ところがあるときから、国のようすがおかしくなりました


寒さがつづいて野菜が育たなくなったり、動物や国の人たちが病気でつぎつぎに死んでしまったり、お洋服のための糸や布をたくさんの虫が食べてしまったり…さらに、国中がたいへんなのに家に火をつけたり、物をぬすんだり、人をナイフで切ったりする人がたくさん現れました


お城に「王様、助けて!」とにげてくる人が毎日いました


王様もお城の人たちみんなもやさしかったので、みんなを助けたいと思っていました


でも、王様は国中の人たち"みんな"を助けられるだけの力とお金はもっていませんでした


……だれかを必ず見捨てなければいけないのかと、王様はとてもなやんで苦しみました


お母さんであるお妃様から話を聞いた王子様は、お金さえあればみんなを助けられる…そう考えていました


でも、お金を集める方法をおさない王子様は知りません


どうしたらいいのかと王子様がこまっていると、王子様の前に"カミサマ"が現れました


"カミサマ"はこまっている王子様の話を聞くと、王子様の力になってくれると言いました


すると、"カミサマ"は王子様が「"手に入れたもの"を黄金に変えることができる」ようにしてくれました


王子様は、これでみんなを助けられるととてもよろこびました


さっそく王子様は、まわりのいろんなものを黄金に変えました


石や木の枝、お皿にいす……これを見た王様たちはとてもよろこびました


王子様はうれしくなりました


するとそのあと、"カミサマ"は食べ物や水、動物や国の人たちも黄金に変えてはどうかと王子様にいいました


みんな黄金になれば、もう誰も食べ物や服に困らないし、誰もけんかをしない、誰も苦しまなくなるからです


王子様はよろこんで"カミサマ"の言うとおりにしました


国はみんな金色にかがやいて、みんな幸せになりました


王様もお妃様もみんな笑っています


……でも、王子様はどこかまだ心がからっぽのような、なんともいえない悲しみがありました


みんな幸せなはずなのに、どうしてでしょう……


病気かもしれないと思い、王子様は"カミサマ"にたずねました


すると、"カミサマ"は言いました


それは、王子様に"運命の相手"が見つかれば、その病気はなおるはずだと


それを聞いて、王子様は今度は運命の相手はどんな人なのかをたずねました


"カミサマ"は答えました


王子様の運命の相手は、"王子様の力で幸せになれない人"だと……


***


「qiAg」

「!!」


 拙い物語の結末を知る直前に、虫酸が走る声がした。肩を戦慄かせ、反射的に振り返る。……ああ、何故自分は忘れていたのだろう。そうだ、資料は確かに必要でも、今の自分は追い追われる身ではないか。注意を怠っていた自身を、シルヴィアは酷く恨んだし、この本を手に取ったことを後悔した。


「hBk@IGgK?e-m@egv?」


 目前……ではあるが、少し離れたところから金色の鬼はこちらに薄ら笑いを向けていた。先ほどとは違い、早急に迫る様子はないが、シルヴィアは内心穏やかではなかった。本を捨て、威嚇にマスケットを構え直す。だが、ヤツはそんなシルヴィアの様子に構うことなく、恍惚の表情を浮かべてじりじりと歩み寄る……。


「..……tImxbqmncAozGPG@EY-Ij-GJ。hzGABKHb0phKe-Ga……!」


 ヤツは相変わらず、得もいえぬ声を発している。シルヴィアは引き金に指を掛けた。…だが、何故かこれ以上指が動かない。黄金にはなっていないはずなのに。怪物は獲物の自分を前に興奮している…でも、どこかそれに悲痛さがあるようにも感じられるのだ。…どうしたのだろうか、自分は。早くこの場を打破しなければ命に関わるのに、友人たちを殺めたこの化け物に同情の余地などありはしないのに。だが、シルヴィアはそれでもこの美しい金色のヒトガタを傷つけることを躊躇っていた。脳裏に、あの不器用な字で書かれた物語が頭を過る…


「FIHdqeaIg-G。J_、bqmhBkP@aj@vJ?FIHncH@IeVk@GczyvJ?GIGbqmncN--s@K……」


 動けぬシルヴィアに、手を伸ばせば安易に触れられる距離までヒトガタが踏み込んでくる。…が、それが目に入るなり、シルヴィアは胸中の恐怖が再び膨れ上がるのを感じた。枷が外れたように、咄嗟にマスケットで怪物の手を振り払うと、それを捨て素早く窓へ跳ぶ。そして、そのまま窓の緣づたいに城の壁に手足を慎重に使い移動し始めた。…なりふり構わず飛び込んだのは自分とはいえ、初めに逃走劇を繰り広げた場所よりかなり高層な位置の部屋であることに、少し冷や汗が流れたが構わず確実に地上を目指す。


「@tG……@aj@g!」


 唐突なシルヴィアの行動に怯んだヒトガタだが、何かを叫ぶと彼女が出ていった窓へ駆け寄った。そして、城を見下ろすと壁を降りていくシルヴィアの姿を確認した。それを見るや、また何かを叫ぶ。シルヴィアもヤツがこちらに気づいたことに焦り始めた。だが、やはりどこか悲愴な声と表情に、胸の奥に微かに針を刺したような痛みを感じた。いったい何故……。そして、またあの本のことが頭に引っ掛かってしまった。すると、焦りと動揺でシルヴィアの手足は、微かに壁との間に隙間を作り始めた……


「.Oj@!」


ヒトガタが必死の形相で何かを叫ぶも束の間、シルヴィアの体は重力に逆らえず宙に投げ出された。落下していく最中、シルヴィアは城を見上げる。窓からあの金色が、絶望的な表情でこちらに手を伸ばしたまま見ていた。まるで、大切なものを失ったかのような……。シルヴィアは、刹那目を見開いた。そして、何故、どうしてと考える間もなく彼女の意識はそこで途絶えた。


***


 瞼に柔らかな光を感じる。視界を染める目映さに促されるまま、シルヴィアは目を開けた。やや痛む頭を押さえながら、ゆるゆると身を起こすと、どうやら自分はいつの間にかどこかのベッドに寝かされていたのだと気づく。少し古びた木材や石、そして日に干された布の匂いに包まれたこの空間を見回した。数台並べられた仕切りつきのベッドに、色んな薬品や医療器具が並べられた机や棚……この部屋、見覚えがあるような。


「おー、起きた起きた。よかった。大丈夫?この指何本に見える?」

「? パット?」


 木製の床を踏みしめる音がする方へ向くと、見知った顔が現れた。ギルドからシルヴィアを送り出したはずの友人、パットだ。猫の獣人族特有の肉球がついた指をこちらに見せながら、パットはシルヴィアが寝ているベッドの側まで来た。焦げ茶色のポインテッド柄の毛並みと、青いビー玉みたいな瞳は間違いなく彼女だ。……ということは、ここはギルドの医務室だろうか。


「うん、そーだよ。君の親友のパットさんだ。……ところで指は何本に見える?」

「いや、そんなことより何故私はここに?確か黄金郷にいたはずだし、それに……」

「お、おん、無視されたことはともかく、大丈夫そうで何よりだ。そうだな、その疑問はもっともだ」


 パット曰く、シルヴィアは黄金郷からかなり離れた川の下流の川原に倒れていたらしい。念のためシルヴィアの鞄に忍ばせていた、消息を感知する魔術式からの魔力が一瞬途絶えたため、もしやと思いパットの所属ギルドで手分けして捜索してくれたとのことだった。まだ生きていることに安堵はしたものの、何故このような場所にいるのか、出発前は長かった髪が何故短くなってしまったのか、色々と驚かされたが、迅速に対処できてよかったとパットたちは思っているらしい。パットたちは尽力してシルヴィアを助けてくれたようだ。……シルヴィアは、後でギルドのメンバー全員に感謝を伝えなければならないと心から思った。

 そして、やはりパットも自分に何があったのかを知りたがったため、シルヴィアは今まで黄金郷であったことを全て話した。全て、だ。


「うん。……結局、仕留め損なったまま戻ってしまったんだ…私は。」

「なるほどね……つまり君のミッションは失敗というわけだ。」

「……」

「まあ、化け物に金ぴか像にされて永遠にあそこの置物にされなかっただけマシだけどね。命あっての物種だよ。大丈夫、また次があるさ」

「……」


 パットはシルヴィアの話に納得してくれたようだし、仕方ないよと慰めてくれた。それはシルヴィアとしては嬉しかったし、感謝もしていた。だが、今のシルヴィアはもう"次"のことは考えられなかった。……あそこのことを考えると、どうしてもあの最後に見たヒトガタの顔とあの本のことが頭を過ってしまう。あの黄金郷とヒトガタ、本については思うこともあり、きちんと真相を確かめたい気持ちもある。だが、それと同時にそれは開けてはならない箱のような気もしている。好奇心は猫をも殺すというし、これは危険な好奇心だとどこかが叫んでいるのだ。一度踏み込んだら人として終わるような、もう後には二度と戻れなくなるような……そんな、漠然とした不安と恐怖がシルヴィアにはあった。


「……私、もう黄金郷の依頼は受けない。ギルドのみんなが付き添ってくれたとしても」

「おや、何でだい?行く前は殺る気満々だったのに。開拓くらいはいいんじゃない?」

「あそこには金輪際近づきたくない」

「あらま……確かに恐ろしいかもだけど、あの化け物の何がそこまでトラウマなのか……。じゃあ仕方ないね。別の依頼で頑張るこった」


パットはシルヴィアを元気付けるように、柔らかな肉球のある手でシルヴィアの頭を軽くポンポンと叩いた。これ以上、シルヴィアに深入りする様子もないこともまた救いだった。言葉は軽薄でも、行動はちゃんと友情を感じる…流石彼女だとシルヴィアは心底安心し、尊敬した。


「にしても、まさか髪切っちゃうとはなあ…まあ、私個人としてはショックだけど、親友の命には変えられないか。」

「…ごめん、パット。」

「いやいや、気にしなさんな。それより、色々あって疲れたでしょ。暫くは休んでいったら?リーダーも多分、シルヴィーになら二つ返事で許可してくれるだろうし。」

「…そうだね、そうする。ありがとう。」

「いいってことよ。」


 「じゃ、お茶いれてくるから」と言い残し、パットは医務室を去っていった。シルヴィアは彼女を見送ると、ため息を吐いた。正直、早く黄金郷のことは忘れてしまいたかった。でも……何故かあのヒトガタのことがどうも引っ掛かるというか、頭から離れてくれなかった。特に、最後に自分が転落したときの、あの絶望したような悲痛な表情が、今にも涙が溢れそうなサファイアの目が……。思い出す度、胸が締め付けられるような苦しみを感じる。迷子になっていた子どもを見つけた母親のように、今すぐにでも側に駆け寄って抱き締めてあげたいだなんて、馬鹿な考えが浮かび掛けては頭を振った。駄目だ、これでは駄目だ。シルヴィアは、思いを振り払うようきつくシーツを握りしめた。……パット言うとおり、今はしっかり休んでまた別の依頼をたくさんこなそう。長い旅になっても構わないから。そうすれば、いつかこの記憶も感情も薄れていくはずだ。そうだ、そうに決まってる。あの金色など、頭から早く追い出してしまおう。シルヴィアは、そう強く信じて決意した。

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