5.革命篇(前)
――俺は今、ここで一体何をやっているのだろうか……。
王都に送還されたタイタスは、即座に王の前に引き出されるのかと思いきや、何故か王宮の一角に押し込められて丸二日放置という予想だにしない事態を迎えていた。
何故こんなことになっているのかと言えば、「タイタスの罪を暴き、西ストランドに突き付けてやりましょう」と意気込むマティアスに対し、マリポルト王が「まあ……もう少し様子を見よう」と、明らかに及び腰だったからである。
「既に捕えていますし、証人もいます。この状況で今更何の様子を見るのです?」
「こういうことは慎重に、慎重の上にも慎重に対処するものなのだ」
――ええい、煮え切らないッ。こんなことだから我が国は周辺諸国から舐められるのだッ!
マティアスの歯ぎしりなど知らず、タイタスはあてがわれた一室で優雅に腰を下ろして「マリポルトは相変わらずのんびりしているな」と思っていた。
大方、マリポルト王の悪い癖でも出たのだろう。
かの王は即断即決を好まず、何事も先延ばしにする傾向がある。
タイタスにとっては大いに当てが外れた恰好となった。
――まいったな。さてどうするか……。
実のところ、王の前に引き出されるのを誰より待ち望んでいたのは、外ならぬタイタス本人であった。
無論、大人しく断罪される為ではない。マリポルト王を始め、多くの有力者が出揃うこの機会を利用し、自らの潔白を堂々、主張する為である。
マティアスのやや強引な主張にはやんわりと疑念を差し挟み、故意ではないが国境線を越えてしまったことについては真摯に詫び、両国の友誼に免じて穏便な解決をと訴える。
幸いなことに、マリポルト宮廷は王を始め、皆大人しい草食動物のように諍いを好まず、何事もなあなあで済ませたがる傾向があった。怒らせてしまえばその限りではないが、タイタスが下手に出ていれば、彼らもそう意固地になることはない。
だが、それもすべて、審問の場が設けられてからの話だった。
父王の救出という使命があるタイタスには、マリポルトの悠長なスピード感に付き合っていられる時間はあまりなかった。
タイタスはうつむき、顔を覆った。
見切るべきか。ぎりぎりまで待つべきか。トゥー・ビー・オア・ノット・トゥー・ビー。それが問題だった。
タイタスがいる部屋の前には常に見張りが立っていたが、さすがに手枷足枷の類はつけられていない。逃げようと思えばいつでも逃げられる状況である。
更に言えば、タイタスが行方をくらましたところで、グウェンドリンの身の安全と名誉が脅かされる心配はなかった。
グウェンドリンに聖女の力が発現した以上、マティアスはどうあっても彼女を取り込みたいはずで、妻として迎えるグウェンドリンに一切の瑕疵がないことにしたいのは、タイタスよりもむしろマティアスの方だった。
タイタスを従わせる材料としつつ、実際はマティアスの為にグウェンドリンの名誉を守らせた彼は、今頃さぞかし悦に入っていることだろう。
それが分かっていながら従った理由は――男でなければ分からない。
タイタスはため息を吐き、後三日だけ待つと決めた。
そこまで待って、まだ審問の場が設けられなければ、マリポルトを密かに抜け出し、ハンブルひいては父王が囚われている自国の王宮に向かう。
裁きを待つ身でありながら、人知れずマリポルトを出る以上、グウェンドリンを連れていくことは出来ないと分かっていた。
――ホイップ、ずっと一緒にいてね。約束よ!
――ニャア!
その時は、ずっと一緒だと約束したあの人に、別れも告げず去ることになる。
裁かれる側のタイタスがこれほど待ち焦がれていることも知らず、王が側近たちと「どうする……?」という結論の出ない会議を何度か重ねた後、タイタスはようやく公の場に引き出された。
軟禁されてから実に五日目、後三日だけ待つと決めてからちょうど三日目のことだった。
タイタスにとってはぎりぎりだったが、マリポルトにしては異例のスピード開催だった。
広間の最奥には玉座に座った王、左右を王太子アレクサンダー・ライオネルと第二王子マティアス・バイロンが固め、マリポルト貴族たちも両脇にずらりと整列している。
白薔薇のようなグウェンドリンの姿もあった。
マティアスの斜め前、彼に監視されているかのような位置である。
表情にも佇まいにも何ひとつ綻びを見せず、静かに前を向いているグウェンドリンは、かつて王太子の婚約者であり、「表情があまり動かない、安定感のある令嬢」と評されていた頃の彼女を思い起こさせた。ペハヴィーンにいた頃のような、無防備な柔らかさはどこにもない。
グウェンドリンがここにいるのは、マティアスからタイタスへのご丁寧な牽制だった。彼女自身に何かを喋らせる気はないだろう。事前に何を言い含めていようと、聡明な彼女に口を開く機会を与えてしまえば、何をどう覆されるか分かったものではない。
神聖なる審問は、形式に則って粛々と行われるものとされ、何人たりとも許可なく発言することは許されていなかった。
マティアスの許可がない限りグウェンドリンは一言も発しないだろう。
ルッツ侯爵は序列通りの位置にいた。となると、グウェンドリンの父としてではなく、あくまでマリポルト宮廷に名を連ねる者としての出席である。こちらも娘同様、完璧に表情を消していて腹の内が読めなかった。グウェンドリンほど顔色が悪くないのは年の功であろうか。
「友好国の王子、タイタス・アルカディウスをこのような形で迎えることを非常に残念に思う」
マティアスが悲痛な表情で口火を切った。
彼は滔々と語った。
西ストランド王国第三王子、タイタス・アルカディウスが秘密裏にマリポルトに入国し、マリポルト側は何故か、その事実を一切知らされていなかったこと。
彼が潜伏していたペハヴィーンにて、マリポルトの敬虔な修道女、グウェンドリン・ルッツが聖女として覚醒したこと。
タイタスが恥知らずにも聖女を拐し、自国へ連れ帰ろうとしていたこと。
「ここにいるエイナルが証人だ。ペハヴィーン商会会頭の子息で、身元の確かな者である」
マティアスに紹介されたエイナルが進み出る。それなりに様になっている仕草で礼をとり、マティアスの斜め後ろにさっと侍った。
「さて、タイタス・アルカディウス。こうなった以上、あなたも見苦しい言い訳などせず――」
「――マティアス・バイロンは、真にマリポルトを思う愛国の王子」
とろけるように滑らかな声が、審問の場に朗々と響いた。
マティアスが呆気に取られたようにタイタスを見る。
それはまるで――玉座でくつろぐ優美な黒猫が、唐突に語り始めたかのような。
「軽率にも、彼に誤解を与えてしまったことを遺憾に思う」
広間の中心にいる美しい男は、そう言って恭しく礼をとった。
――なっ、なっ、何故タイタスが喋っ……。
マリポルト宮廷の審問の場においては、何人たりとも許可なく発言することは許されていない。タイタスは勿論、知識としてそのことを知っている。悠長でお行儀のよい、愛すべきマリポルト。
だが、西ストランドの流儀では――その限りではない。
「我が行いに何ら疚しきことはなく、それ故に俺は自らもまた、誠意の証として名を明かすことを躊躇わぬ。我、タイタス・アルカディウス、古ストランド帝国の末裔にして、昏黄の西を護る者――とまあ、大仰な名乗りはこれくらいにして」
整った顔立ちのタイタスがふっと翳りのある笑みを見せた。
「我が家のちょっとしたゴタゴタは、諸兄もよく知るところと思う。俺は王弟にも第一王子にも与せず、そのせいでどちらからも命を狙われる羽目になった」
タイタスの声はベルベットの舌持つ黒猫のように、聞く者の耳を甘くくすぐる。
皆は魔法にかけられたように、うっとりと彼の言葉の続きを待った。
彼はこれまでのことを語った。
叔父と兄、どちらが差し向けたとも知れぬ刺客を振り切り、辛くも王都を脱出したこと。
その後は父王の盟友、アーサー・ハンブル辺境伯がいるハンブル領を目指したこと。
まるっきり嘘という訳でもなかった。
刺客は多分どちらからも差し向けられたことがあるだろうし、ハンブル(の先にあるマリポルト)を目指して王都を脱出し、身分を偽ってマリポルト王立学園に通っていたのは事実である。後半部分については決して明かすことは出来ないが。
伏せるべき情報は伏せ、だが決して害意はないことを改めて示し、必要とあらば何らかの譲歩もする。
それが外交というものだった。
今は特に、罪人として引き出され、何らかの刑が宣告されるかどうかという瀬戸際だった。マティアスに圧倒的に有利なルールで、このまま事を進められては堪らない。
発言が咎められないのをいいことに、タイタスはなおも語り続けた。
「密かに放たれた刺客から逃げるうち、俺は迂闊にも国境を越えてしまっていたのだろう……。あの時は必死だったし、森の中は入り組んでいて、国境線など引かれている訳ではないから」
一同は妖しい黒猫に魅了されたように、タイタスの話に引き込まれている。
タイタスは悔しげに眉を寄せた。
「だが、そこにいるマティアス・バイロンが指摘する通り、故意ではなかったとはいえ、国境線を越えてしまったことは事実。決して故意ではなかったが、その点は弁明の余地もない」
「くっ……」
――ほら、焦って罪人扱いしていれば、大ごとになったかもしれぬだろう? これで丸く収まりそうだ。
隣にいる父王から小声でほくほくと言われたマティアスが、ではグウェンドリンを連れ帰ろうとしたことはどうなのだ――と言いかけた時だった。
「やけに外が騒がしいな……?」
末席にいる幾人かが扉の外の騒めきに気づき、訝しげに扉を見つめている。
――私たちを中に入れなさい。
――し、しかし、マザー……。
――これが目に入らないの。
――ああッ、それは……ッ!
何だろう、と広間全体の注意が扉の外に向いた時、凛とした声が響き渡った。
――魔獣や外敵から何度もペハヴィーンを守った我が修道院には、その褒賞として望めばいつでも王に謁見する権利が与えられている。さあ、扉を開けなさい!
――はッ。
衛兵が平伏する気配があり、扉が大きく開け放たれた。
次の瞬間、ペハヴィーン住民たちが広間にどっとなだれ込んできた。先頭はペハヴィーン女子修道院長、マザー・セシリアである。自警団員と思しき屈強な男たちを従え、修道女ばかりか、えくぼの可愛い娘や大人びた赤毛の少年などもぞろぞろと引き連れていた。住民の半数以上が来ているのかと言いたくなるような大所帯である。
マティアスが父に尋ねた。
「何故そんな権利をお与えに?」
「辺境だし、そうそう謁見に来ることもないと思って……」
マティアスは不敬にも舌打ちしそうになった。
「良かったわ、間に合ったようね」
マザー・セシリアがほっとしたような笑みを浮かべる。マティアスは悔しげに歯ぎしりした。
はるばるペハヴィーンから女子供を引きつれての旅である。あの後すぐに出立したとしても、まあ五、六日はかかるだろう。タイタスの王都到着から今日で丸五日。これではまるで、彼らを参加させる為に審問を先延ばしにしてやっていたようなものである。
――まあいい。頭数を揃えたところで、所詮は辺境の、学もない烏合の衆。
そもそも野蛮なストランド人とは違い、マリポルト国民ならば審問の場で許可なく発言することはないはずだった。たとえ何か言ってきたとしても、得意の弁論で抑え込んでやればいい。こちらが不利になることなどそうそうない。
マティアスが眼鏡の縁をくいと押し上げ、心を落ち着かせた時、ペハヴィーンの男たちが目ざとくエイナルを見つけてわめき始めた。
「エイナル! てめえッ、許さねえぞ!」
「陛下、この者は魔獣に立ち向かおうとしたシスター・グウェンドリンを盾にして、自分だけ助かろうとした卑怯者にございます」
「そうだそうだ、見てたぞ! エイナル!」
「まずは自分の罪を告白しろ!」
――えッ、ちょッ。
予想だにしなかった方角からの攻撃を受け、マティアスは早速不利になる。
「陛下、エイナルのせいで防御が遅れたシスター・グウェンドリンを、命を賭して守ったのがそこにいる――」
それどころか一気に形勢逆転されそうになったので、マティアスはさっと手を振り上げて叫んだ。
「何ということだ! 失望したぞエイナル! お前がそんな男だとは思わなかった! 誰か、この者をつまみ出せ!」
「そ、そんな。聞いてください、違うんです、あの時の俺はどうかして……」
「さっさと連れていけえーーーー!」
泡を食ったエイナルが、自らの恥ずべき行為を認めたも同然のことを口走りかける。マティアスは彼を睨みつけ、声を被せて彼の発言を掻き消した。
――危なかった……。
問答無用でエイナルを部屋から追い出した後、マティアスは冷や汗をハンカチで拭った。
君子は豹変す。
エイナルを切り捨てることに躊躇はなかった。
エイナルを速やかにこの場から退場させつつ、マザー・セシリアに最後まで言わせず話の腰を折ったマティアスだったが、辺りは未だ騒然としていた。
そこを収めようとして、前に進み出たのが金髪碧眼の見目麗しい王太子、アレクサンダー・ライオネルだった。
彼は寛大な笑みを浮かべて言った。
「ペハヴィーンの民よ。よく参った。我が名はアレクサンダー・ライオネル。お前たちを歓迎しよう。最後まで傍聴するといい。だが、審問は形式に則って行われなければなら――」
「王太子だ! 王太子だぞ!」
「つまり、グウェンドリン様を婚約破棄してペハヴィーンに追放した元凶だ!」
「人でなし! よくもそんな真似が出来たな!」
ちょっとでもきつい言い方をされると弱いアレクサンダーが、びくっと肩を震わせる。
名さえ出せば周囲が勝手にひれ伏すことに慣れていた彼にとって、ペハヴィーン住民たちからの反応は予想だにしないものだった。
「ちっ、ちがっ、逆ゥ……」
「ああ⁉ 聞こえねえよ! ネズミでももっとでかい声出るわ! いいか、グウェンドリン様は何も言わねえが、俺たちだって馬鹿じゃねえんだよ!」
「そうだそうだ! 『グウェンドリン・ルッツ、お前との婚約を破棄する!』とか何とか、別の女の腰でも抱きながら言ったんだろう! 姉ちゃんが読んでたペラッペラな本で見たわ!」
「この恥知らず! 王太子だからって何やってもいいとでも思ってんのかよ!」
――何という口の利き方かッ。
これだから辺境の地に住む賤民は、とマティアスはうんざりした顔でこめかみを押さえた。
大人しくしていればいいものを、したり顔でしゃしゃり出てきた兄が憎かったが、仮にも王太子であり、兄である人をエイナルのようにつまみ出させる訳にもいかない。
「王太子殿下はお前たちの傍聴を許すと言った。だが、この場はあくまで、我が国へ許可なく入国し、聖女を連れ出そうとした者を裁く為に開かれた場である。他ごとを持ち出し、神聖なる審問を邪魔立てするなら出ていってもらおう!」
マティアスは正論を吐いて彼らを黙らせ、山師のような隣国の王子と、粗野な田舎者たちのせいでグダグダになりかけた審問を本来の道筋に戻した。
「仕切り直させていただきましょう――タイタス・アルカディウス。聖女の力が発現したマリポルト貴族女性を、自国に連れ帰ろうとしたことについては?」
タイタスはふっと退廃的に微笑んだ。
「それは、俺が――」
「あああああッ! それはッ――!」
「グウェンドリン⁉ あなたまでどうした⁉」
グウェンドリンが普段の彼女らしくもなく、声を張り上げたのでマティアスも驚いた。
まさか優等生のグウェンドリンが許可なく発言するとは思わず、マティアスは信じ難いと言った表情でグウェンドリンを二度見する。
グウェンドリンはそれどころではなかった。このままだとタイタスが言ってしまう。臆面もなく「俺が彼女を愛したからだ」とか何とかを……!
「わっ……私が、自らの意思で……!」
「グウェンドリン! ――成程そうですか! どこまでも優しい貴女は、自らの咎ということにして、哀れな罪人を守ってやろうというのですね!」
「殿下、グウェンドリンが自らの意思で出国しようとしたことが、何故彼女の咎になるのです?」
「――マザー・セシリアッ!」
エイナルが押し殺した声で唸った。
――ええい、誰か一人でいいからルールを守れッ!
「あなたまで何を言っているのですかッ。聖女となった者がその力を母国の為に使うのは当然のことでは⁉」
「そんな決まりはありません。国の為に使うか、自らここと定めた地で人々を救うか、名乗り出ず一生を終えるか、それは聖女自身が決めることです」
マティアスがぐっと言葉に詰まる。言われてみれば、確かにそんな決まりはなかったような気がする。そうするのが当然だと思っていただけで。
「だが、いやしくも聖女たる者――」
「国家に身を捧げた聖女たちの末路は、大抵悲惨でした。時の王の思惑ひとつで一夜にして魔女とされ、処刑された者。体を壊すほど力を酷使させられ、ボロボロになった挙句に捨てられた者。私は私の可愛い娘をそのような目に遭わせたくはありません」
マザー・セシリアが天井に向かって大きく手を広げた。
「どうかグウェンドリンを手放してやってください。あの子は婚約を結んでいたお方にないがしろにされ、二度と王都には戻らぬ覚悟でペハヴィーンにきた娘。王家との縁など、とっくに切れておりますでしょうに」
マザー・セシリアの背後で「そうだそうだ!」と大合唱が起こる。今日の為に特訓でもしてきたのかと思うほど、ペハヴィーン住民たちの息はぴったりだった。この場の空気を支配しているのはもはや彼らの方だと言っても過言ではない。
――ええい、忌々しい……ッ。
この場には王家とズブズブの仲の貴族たちも雁首を揃えているというのに、アレクサンダーを擁護する者も、マティアスに続いて声を上げる者もいないのとは対照的だった。腰抜けどもめ。
「ちなみに言わせていただきますが、グウェンドリンに聖女の力が発現したのは、そこにいるタイタス王子がグウェンドリンを守って致命傷を負ったことに起因しております」
「くっ……」
マティアスは何も言い返すことが出来ず、悔しげに顔を歪めた。
これは悪い冗談か何かだろうか。このマティアス・バイロンが、たかが辺境の女子修道院長ごときに押されている。
マザー・セシリアは一同に生温かい目を向けた。
「余計なお世話かもしれませんが、あなたたちは悠長にこんなことをしている場合ではないのでは? 久々に王都に参りましたが、行きかう人々の顔つきの暗さに驚きました。皆、明らかに前より貧しくなって――」
「口を慎めッ。昨日今日王都に来た部外者に、一体何が分かる!」
確かに、マリポルトは出口のない不況にあえいではいるが、王家とてただ手をこまねいていた訳ではなかった。ここ数年、子供がいる世帯に向けて、何度か大規模にパンの施しを行っている。初回のパン配りにはマティアスも参加したが、王家からの大盤振る舞いに民も大喜びだった。あの時の民の笑顔と熱狂も知らず、辺境の女子修道院長ごときが何を言う。
「私は見たままをお伝えしただけです。――ねえ、シスター・マデリーン、あなたもそう思わなかった?」
「シスター・マデリーン⁉」
聞き捨てならない名前が出て、周囲は一気に色めき立った。
シスター・マデリーン――ペハヴィーンの良心とも呼ばれ、王都にまでその名を轟かせる高潔な修道女。
彼女は決して嘘を吐かず、真実以外を口にするくらいなら、沈黙を選ぶという。
ほう、この人が……。
マティアスを始め、皆は固唾を飲んでシスター・マデリーンの返答を待ったが、彼女は慎ましやかに目を伏せるだけで何も答えようとしない。
――これは、本物だ。
マティアスはそう確信し、こくりと喉を上下させた。




