陸:隠されているのはそれが不都合だから
「つ、着いた……」
車両から出た瞬間、大きく息を吸い込む。
三回の乗り換えを経てたどり着いた惑星、イネス。
ここは地球によく似ているが、二つの衛星がある。
〈パゴメンノス〉と〈エリュシオン〉だ。
エリュシオンは年間を通して温暖な安定した気候のため、上流階級の別荘地として人気を博しているのに対し、パゴメンノスは常にイネスの陰に隠れ光の届かない極寒の星。
その過酷な環境と、ある程度の資源がとれる経緯から、全体が星際刑務所となっている。
刑場の近くには引き取りを拒否された犯罪者たちの墓地があり、その風景は実に寒々しく、物悲しい。
不気味さを感じることすらない。
ただただ、誰からも必要とされなくなったものが眠る場所。
相反する衛星が、このイネスという惑星を特別たらしめていると言っても過言ではないだろう。
もう一つ、この星が特別なのは、パンドラ星と同じく、原住民が魔法族だということだ。
『星読み』と呼ばれる彼らは、春に咲く桃の花のような夕嵐色の髪を持ち、産まれてすぐに一生付き合うことになる短剣を家長から赤子へと贈る伝統がある。
ペットとして一番人気があるのは蛇。
蛇は星読みにとって自然の力を象徴する大切な動物なのだ。
「……相変わらず、居心地の悪いところだな。魔法のにおいがきつすぎるし、それに……」
一見すると、自然も豊かで花々の香りもとても素晴らしく、吹いている風も清廉で心地いい。
建物は赤、緑、紫などの極彩色で塗られた大理石と黄金の装飾で彩られ、首都の中心に聳え立つ城山の頂上で輝く宝物庫、ヘカトンペドスも荘厳で美しい。
観光客も途切れることがないほど盛況だ。
同じ魔法族の目から見て不自然だと感じるのは、年間雨量の少ないやせた土地の惑星であるがゆえに魔法によって無理やり〈自然豊か〉にしていることと、観光客の中に、〈地球人〉がただの一人もいないこと。
いや、正確に言うと、〈地球出身のホモサピエンス型長鎖炭素分子人間〉が一人もいないのである。
地球出身でも、姿かたちや能力、構成分子が違えば入星することは可能だ。
そのくらい、〈地球人〉に対する入星制限を徹底しているのだろう。
これは星際連合の会議で「差別に当たるのではないか」と、ここ数十年議論され続けてはいるものの、解決には至っていない根深い問題だ。
春辰は銀髪からリボンを引き抜くと、少し風に泳がせた。
ずっと結ったままだと頭痛がするのだ。
ホームを出て駅構内へ向かうと、手製の紙看板を持ったスーツの男性が立っていた。
「あ! こちらです!」
目が合うと嬉しそうに手を振ってきた男性の方へ、小走りで向かって行く。
枇杷飴のおかげで、吐き気はおさまっている。
「ようこそ! 私はイネス星埋蔵文化財センターのジ ワトエマです。さっそく現場へご案内いたします」
ワトエマは微笑んだまま、少し速足な程度で春辰を反重力自動車までエスコートした。
春辰は心の中で、彼の悪意ある違和感に溜息をついた。
(閉じ込められているのは、いわゆる地球人なんだな)
もしこれが他の人種だったなら、笑顔で出迎えるなんてことはしなかっただろう。
発掘の分野においては、考古学と真摯に向き合ってきた歴史のある地球人の技術が重宝されている。
そのため、地球人にあまりいい感情を持っていない惑星でも、地球人へ依頼してくることは多い。
イネス星もその一つ。
観光目的では入星させないのに、技術欲しさに招くことはする。
実に清々しいほどの差別だ。
「どうぞ、隣へ」
助手席を勧められたが、どういうわけか春辰は運転席が目に入ると酔いやすいので、「すみません。現場まで身体を休ませたいので、後ろに乗ります」と丁重に断った。
車が発進する。
揺れの少ない、最新の高級車。
埋蔵文化財センターのものなのだろうか。
それにしても、購入できるとは思えないが。
「ゆっくりなさってください。お耳だけ拝借して、閉じ込め事故について説明させていただきますね」
ワトエマは少し態度を改め、緊張感が見え隠れする声で話し始めた。
「事故が起こったのは、昨日の作業終了間際です。ミューオンラジオグラフィってご存知ですか?」
「いえ。初めて聞きました」
「ミューオンラジオグラフィは、簡単に言えば最新のアナログレントゲン……、だと思ってください。宇宙から降り注ぐミューオンという電荷を帯びた素粒子を使って、原子核乾板に遺跡の内部を写し出すんです」
「へぇ。なんかすごそうですね」
「地球人は本当に賢いですよ。ただ、どういうわけかその原子核乾板を陵墓と思われる場所に運び込んだとたん、いくつもの光の筋が岩壁を走り、入口が閉まってしまったんです」
「……失礼なことを聞きますが」
「ああ、イネス人が地球人を閉じ込めるために魔法を使ったか、ですよね。星際警察からも聞かれましたが、答えは『地球人を殺すのなら魔法ではなく銃を使う』です」
「そうですか……」
嘘をついているようには見えない。
それに、それもそうだと春辰は思った。
魔法で殺せば他の魔法族に見破られる危険がある。
煌珠族である春辰を呼んだりしないだろう。
でも、銃で殺せば容疑者は無限大だ。
「疑ってすみませんでした」
「いいんですよ。地球人を良く思っていないのは事実ですから。でも、遺跡の中に閉じ込められているのは、イネス星政府が招いた優秀な人材です。ここで失っては、星際社会から浴びる非難はすさまじいものになるでしょう。それだけは避けたいのです。なんとしてでも。だから、お願いします。必ず救ってください」
まだ出会って数十分だが、ワトエマが初めて見せた真剣な姿勢に、春辰は少し安堵した。
「では、続きを話しますね」
ワトエマが言うには、星読みの力では、陵墓の扉はビクともしなかったそうだ。
もっとも力が強まる夜に三十人の星読みが集まって魔法を使っても、まるで暖簾に腕押し状態で、どうにもならず途方に暮れたという。
「呪ではないのでしょうか……」
「ううん。まぁ、星読みの皆さんが得意とする魔法と、煌珠が得意とする魔法は違いますから。とにかく、現場につき次第あらゆることを試してみます」
「ああ……。本当に、感謝します……」
星読みが得意とするのはその名の通り、予言や予知といった占星術を用いた魔法だ。
一方、煌珠が使うのは鉱石や貴石を基にした創造魔法。
春辰の霊絹糸も、金鉱石や銀鉱石が元になっていることが多い。
厳密には種族が違うのだが、星際社会では特別な区別はされていない。
車で移動すること一時間。
発掘現場近くの野営地へと到着した。
数字の札がつけられた遺物が等間隔に綺麗に箱に収められ、テントの中に並んでいる。
すでにいくつかの研究機関へ配送予定の木箱も並んでおり、まさに仕分けの真っ最中と言った様子だ。
ただ、作業に従事している人々の顔は暗い。
発掘隊を飲み込んだ遺跡の遺物に触れるのが怖いのだろう。
怯えた表情を浮かべながら、ひとつひとつ丁寧に刷毛で砂などを掃いている。
時折、遺物がイネス人か春辰のかはわからないが、魔力に反応し、少し光っているのも恐怖を煽っているのかもしれない。
「遺跡はこちらです」
ワトエマに案内されながら砂岩の中を歩くこと十五分。
ところどころに色彩された跡が残る祭殿跡があらわれた。
「ここ、たしか数年前にも調査していましたよね?」
「ええ。地球人の技術に興味を持ったこのポリスの市長が『まだ何かあるかも知れない!』と、再度発掘することになったのです」
「ああ、そうだったんですね」
「実は、ここのポリスは私の出身地でもあるんです。だから、市長の決定は嬉しかったですね」
「へぇ……。それにしても、何かにおいが……」
「ああ、それは星読みが魔法を使った時の薫香のかおりですね。それで、ここにはたくさん思い出があって……」
ワトエマが子供地時代によくここへ来たとか、忍び込んで起こられたことがあるだとか、雑談を始めたので、それを片耳で聞き流しながら、春辰は注意深く遺跡入り口の穴の方へと歩いて行った。
「あ、じゃぁ、わたしはそろそろ作業を始めますね」
「わかりました。どうぞよろしくお願いいたします」
ワトエマは遺跡から少し下がると、「監督義務がありますので」と、どこからか椅子を取り出し、そこへ腰かけた。
春辰は霊絹糸で糸玉を作り、光らせると、暗い穴の中へと進んでいった。
壁面上部には簡易的な光源が設けられてはいるものの、電気やそれに順ずるエネルギーが通っていないようだ。
おそらく、陵墓の扉が閉じたときにショートでもしてしまったのだろう。
新しく開けられた穴の方へと歩いて行く。
するとおよそ百歩で陵墓入口だと思われる閉ざされた扉の前に着いた。
「あぁ……、すごい。ここまで巨大な黒玉、見たことない」
花崗岩で作られた扉には、赤ん坊の頭ほどの大きさの葬送の宝石、ジェットが二つはめ込まれていた。
「これは呪じゃない。愛情だ」
ジェットは愛する者の死を悼み、心から喪に服し、冥福の祈りをささげるための宝玉。
春辰がこの二つの宝玉から感じるのは、ただただあたたかな親の愛。
この陵墓は、子供のために作られたもののようだ。
「まいったな……」
愛情による呪いを解くのは非常に難しい。
邪悪な感情によるものではないため、塩も鉄も効かない。
呪いに定型も無いために、反対呪文すらない。
「……扉、もう一つ作らせていただきますね」
春辰は既存の扉を開けることを諦め、砂岩の壁に手で触れて丈夫な部分を探した。
「このへんなら扉をつけられそう」
春辰は輪廻硬針を壁に突き刺し、人一人が通れる穴を開けながら霊絹糸で扉を縫い付け始めた。
中から声が聞こえる。
扉が完成し、開けると、そこには沈んだ表情で座り込む十五人の発掘隊の姿があった。
「助けに来ましたよ」
「あ……」
表情で分かった。
これは、罠だったのだと。
「お疲れさまでした」
振り向くと、後ろにはワトエマを含め、何十人もの星読みが立っていた。
きつい薫香の香りで何も気づかなかった。
「さぁ、人間のみなさん。脱出なさってください。あなたがたの不幸を利用して誠に申し訳ありませんでした。良い取引をありがとうございます」
春辰の横を通るとき、発掘隊の一人が手を握ってきた。
拳の中に、紙を潜ませて。
「イネス星でも最高級の医療施設へご案内いたしますよ!」
ワトエマが嬉しそうに微笑んでいる。
「では、玄様は中へお入りください。入ったら扉を閉めますので、しばらくはここで大人しくしていてくださいね」
「一つだけ聞きます。彼らがここに閉じ込められたのは本当に事故なんですよね?」
「残念ながら、本当です。でもそれを利用して今回の作戦を考えたのは、何を隠そう、このワトエマでございます。ふふふ。私、優秀なんです」
ワトエマは嬉しそうに微笑むと、暗い室内で一人になった春辰の目の前にある扉に魔法をかけた。
試しに触れてみると、ひどく熱かった。
「閉じ込められちゃったけど、まぁ、だろうねって感じかな」
先ほど発掘隊の一人から受け取った紙を開けてみると、中には「指示通り、春辰君を差し出したけど、本当に大丈夫なの? 絶対無事で帰ってきてよ!」と書いてあった。
「うんうん。もし命を交渉材料に使われたら煌珠であるわたしを差し出す。護ってくれて嬉しい」
特別な戦闘訓練を受けていない人間は、他星人に対してあまりに無力だ。
だからこういった約束事を設けたのだ。
「命と引き換えに、煌珠を差し出す」と。
おおかた、イネス人たちは発掘隊を救い出す前に報奨金でもふっかけたのだろう。
しかし、大金が用意できるほど会社は儲かっていない。
そういうときの、「春辰」だのだ。
「みんな大反対してたけど、ほらね。こういうことがあるんだよ」
閉じ込められたというのに、春辰はどこか誇らしげだ。
「どこか別のところに扉を作ろう」
流石に、逃げ出さなければいけないということはわかっているようだ。
もし「保管場所はパゴメンノスにしよう」なんて言われてしまったら困るからだ。
あの極寒の地に耐えられるほど、煌珠の身体は強くない。
春辰が糸玉であたりを照らしながら壁を触っていると、外から悲鳴が聞こえてきた。
「……え? 何事?」
発掘隊が車で搬送されていく音はすでに聞き終えていたし、知り合いの声は聞こえないので焦ることはないが、それでも、悲鳴が続いている。
どうしたのかと、壁に耳を近づけようとすると、聞き覚えのある声がした。
「おい、春辰。助けに来てやったぞ! あはははは」
「……え。まさか……、水華朱王殿下⁉」
激しい魔法の応戦で破壊される砂岩の音。
せっかく春辰が敬意をこめて壊さずに開けた花崗岩の扉がマグマのように溶け、その先に立っていた人物に、春辰は目を丸くした。
名は煌 桃夭。
パンドラ星皇帝家宗室第三皇子にして親王。
艶やかな銀髪は夜半に月を浮かべて流れる清流のよう。
目は号である水華朱を思わせる鮮やかな赤。
服は漆黒の曳撒を着ている。
「お義兄様が来てやったぞ!」
「え、いや、まだ違うでしょう……」
「説明はあとでしてやるから、とりあえず来い。会わせたい者もいるしな」
春辰は相も変わらず強引な『姉の婚約者』に引きずられるように陵墓を脱出した。
マチ針に乗り、上空へ。
桃夭は巨大な盾に乗っている。
「なぜここが?」
遺跡周辺には新たに複数の鋭い岩が生えており、これらは全部煌珠の魔法によるものだとすぐに分かった。
あちこちにイネス人が倒れている。
息はしているようだが、中にはそうではない者も。
「お前のことなら何でも知っているぞ。義弟だからな」
「だから、あのですね……」
その時だった。
あの〈赤い〉においがしたのは。
春辰は桃夭から離れ、臨戦体制をとった。
鼓動が早くなっていく。
息が荒く浅い。
脳が普段の何倍もの速さで回転する。
「どうしたんだ、春辰」
においの出所は桃夭ではない。が、かすかに残り香がする。
それに、鴉雛のにおいも。
「どういうことですか」
春辰の敵意がこもった目に、すべてを察した桃夭は溜息をついた。
「もう、隠してはおけないな」
桃夭が短く三回指笛を拭いた。
すると、空を切り裂き、中から現れたのはあの喪服姿の大女。
それに、鴉雛本人だった。