伍:ただ腕の届く範囲だけ
「……え、イネス星の古代遺跡ですか?」
カオリン星から帰ってきて二日後。
珍しく「出社してもらっていい?」と社長から言われ、会社へ向かった春辰。
歴史マニアの社長が建てた莫高窟モチーフの社屋はこの街のランドマークのように聳え立っている。
朱色の漆が塗られた木製の飾り扉を開けて中へ入り、受付の自動ドアに身分証をかざして進み、檻のようなエレベーターに乗ること十階。
社長室へ向かうと、扉の前にその人は立っていた。
パンドラ星に本社がある傭兵派遣企業『螺子黛株式会社』の地球支社社長、劉 芰荷。
小太りで七三分け。身長が百九十センチもあるためにかなりの圧迫感がある人物だ。
その芰荷から開口一番に言われたのが、「イネス星の古代遺跡で何かあったらしくて……。うちの考古学部門の発掘師たちと連絡がとれなくなっちゃったんだ」と泣きつかれた。
「あの、とりあえず立ちましょう。救出部隊は向かわせたんですよね?」
春辰は芰荷の身体を支えながら立たせると、その大きさに少し後ずさった。
「うん……。でも、みんな魔法は使えないから……」
「あ、え? 複雑な呪でもかかってるとか……、ですか?」
「そうなんだよぉ。どうやら、遺跡の内部に誰かの陵墓があったらしくて……。それを守るための呪が作動しちゃったみたいなんだ」
「わかりました。でも、珍しいですね」
「残存エネルギーを感知する装置は持たせてあったのに……」
科学の発達によって、量子物理学でいうところの〈壊されることの無いエネルギー〉として幽霊や怨念といった類の感知が専用機器によってある程度可能になった昨今。
人々が呪で苦しむことはほとんどなくなっていると言っていい。
だからこそ、今回の事故は不測の事態と言えるのだ。
「早速行ってきます」
「ありがとう! 魔法技術支援隊、募集はかけているんだけど、希望者が全く来なくて……」
「いいんですよ。魔法を使える種族は……、みんなあまり表に出たがらないですから。それと、あの……、ちゃんとマニュアルに従うよう、訓練してありますよね?」
春辰の言葉に、芰荷は悲しそうな表情を浮かべ、頷いた。
「ああ、ちゃんとみんなに言い聞かせてあるよ。納得はしていない様子だったけれど……。でも、魔法に関しては玄くんの指示にしたがわないわけにはいかないからね」
春辰は困ったように微笑むと、芰荷に「では、イネス星についたら一度連絡入れますね」と言い、軽く頭を下げてからその場を後にした。
イネス星といえば、『星読み』と呼ばれる一種の魔法使いの一族が住まう星だ。
煌珠と同じで生体組織を狙われてきた歴史はあるが、彼らは〈戦争〉という手段で人々に抵抗し、その強さを示した。
ここ数百年、彼らは被害者側には立っていない。
イネス星までの道のりは少々複雑だ。
太陽系にある光速環状線は数学のベン図のように重なり合って作られている。
一番上から時計回りにα線、β線、γ線、Δ線、ε線と、まるで星型のように環状線が並んでおり、中心にそれらの円とすべて触れ合うように小さめのΖ線がある。
円なのには理由がある。
もし縦横など、〈果て〉があるように路線を作ってしまうと、何かの事故で宇宙空間に放り出された瞬間、光の速さで動く車両が、光の速さよりもはるかに速い速度で膨張を続ける宇宙をさまようことになってしまう。
一番近くの小惑星か準惑星にでも引っかかればいいが、そうならなければ、永遠の時間を凍結しながら宇宙のゴミとして過ごすことに。
だから〈環状線〉なのだ。
イネス星はΔ線にある。
一方、地球はα線。
乗り物酔いの激しい春辰からすれば、恐ろしい距離だ。
「枇杷の飴舐めとこ」
枇杷葉には鎮吐の効果がある。
春辰にとっては必需品だ。
缶から一粒取り出し、包紙をはがして口の中に放り込む。
爽やかな甘みが口に広がる。
「美味しい」
父と母の顔が浮かんだ。
春辰の両親はパンドラ星で薬術師をしている。
この飴も、二人が作ってくれたものだ。
(お父さんとお母さん、元気かな……)
時折、星間通信小型端末で連絡は取り合っているものの、実際に会っているわけではない。
両親は、鴉雛を失った時に、春辰のことも失ったのだ。
二人は「お願い。危ないことはしないで。せめて、あなただけでも穏やかに生きてほしいの……」と春辰に懇願した。
家を出ていく、最後の時まで。
しかし、その願いには答えられなかった。
「姉さんを、必ず連れて帰るから」と、こみ上げてくる苦しさや悲しみを抑えてそう言うのが精いっぱいだった。
両親と兄のことは心の底から胸が満たされるほどに愛している。
だからこそ、一人で行動するしかないのだ。
「生きていてほしいから」
つい、口から漏れ出た言葉。
鼻がつんと痛み、視界が歪んだ。
春辰は深呼吸をすると、マチ針に乗り、駅へと向かった。
銀色の髪に結んだロイヤルブルーのリボンが風に揺れる。
気付けば、桜は葉桜になっていた。
初夏が近い。
春辰の一番好きな季節だ。
飛行すること数分。
「混んでるなぁ」
上空から駅を見下ろすと、切符売り場に行列が出来ていた。
春辰は幸い、会社が購入してくれた高級な優先乗車券を持っている。
改札近くに降り立つと、優先乗車券で自動改札に触れ、開いたゲートから中へと入って行った。
「あぁ……、だから混んでいるのか」
ホームに規制線が張られていた。
地面に黒い煤のような焦げ跡。今まさに担架に乗せられ救護室へ連れていかれる〈人間〉。
近くには、警察に対して横柄な態度を取り続ける、美味しそうな桃を思わせる鮮やかな夕嵐色の髪をしたイネス人がいた。
目が合う。
すると、指を刺された。
警察の一人が近づいてくる。
「あの、本当に申し訳ありません。あの人が、あなたなら攻撃した理由がわかるだろう、と言うので……」
「あぁ……、いや、わかりません。わたしをこの銀髪から煌珠族だとわかったから、きっと味方してほしいんでしょうけど……。わたしは陰口を言われたり小突かれた程度で人間に危害を加えたりしませんよ」
「そ、そうですよね。すみません。ありがとうございました」
警察が再びイネス人の元へ戻ると、イネス人は警察から春辰の言葉を聞いたのだろう。
顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。
「お前! 同じ魔法族なのに、なぜ蛮族をかばう! 裏切り者! お前たち煌珠族のような軟弱な考え方の魔法族が人間なんかに良い顔をするから狩られるのだぞ!」
一瞬、ホームが静まり返った。
春辰は大きくため息をつき、投げつけられた暴言を聞かなかったことにして環状線へと乗り込んだ。
なおもイネス人は何か言いたそうに睨みつけてきているが、相手にしていては疲弊してしまう。
無視するのが一番なのだ。
ただ、周囲の〈人間〉はそうもいかなかったようで、春辰にチラチラと視線を向けては目を伏せるを繰り返している。
テレパシーすら使えない地球人にとって、魔法は、喉から手が出るほど欲しい能力だ。
科学力で他の星に遅れを取っているとなると、なおさらそうなのだろう。
留学先で、テレパシーを使って地球人には聞こえないように陰口を言われるなんてことも日常茶飯事らしい。
種族間差別をやめるよう、星際的に活発な活動は行われているが、そう簡単に人心は変わらない。
それに、地球には同物同治という考え方が古くからあり、木乃伊の粉末や処女の血液、妊婦の胎盤や屈強な男性の心臓を薬として摂取していたこともあるそうだ。
(だから煌珠や他の魔法族の生体組織を欲することに罪悪感を抱かないんだろうなぁ……)
複雑な気持ちが胸を覆う。
春辰が関わっている地球人のほとんどは、会社でも大学でも限りなく善良だからだ。
悪いことをすると言っても、休憩時間を少しオーバーしたり、試験中にカンニングしたりする程度。
ごく一部の破滅的な好奇心を抑えられない猟奇的な人々のせいで、未だに地球人は他の星の人々から「野蛮人」などと揶揄されているのだ。
(あ、席空いた。座っちゃお)
春辰は車内の一番端の席に座り、針山から取り出した本を読みだした。
集中を極めれば、酔わずに済む。
カラフルなにおいで満たされた光速環状線の中、春辰は物語に没入していった。