参:膨れ上がるそれは悪意に似ている
「うっ、光速環状線、酔った……」
春辰はサルファ星から鉄道に乗り、目的地であるカオリン星へとやってきた。
サルファ星を含む、ケイ素を基礎構成元素とする種族が暮らす惑星を繋ぐ光速環状線は、いくつものワープホールを通るため、乗り物酔いしやすいひとにとっては地獄のような鉄道なのだ。
春辰は「自転車と魔術飛行以外は全部酔うから乗り物なんて大嫌い」と豪語するほど、乗り物酔いが激しい。
通勤客の多い環状線では座ることすらできないため、眠って身体をごまかすことも不可能だ。
「くっそう。ケイ素人間たちは三半規管が強いからって……。もっと丁寧に運転してほしいね。こっちは長鎖炭素分子人間なんだぞ」
高校生の時に習った知識で的外れな非難を呟きながら、春辰は依頼主がいる場所を地図で確認した。
(※ちなみに、地球人が分類に使う〈ホモサピエンス型〉種族の約八割は、長鎖炭素分子で出来ている)
カオリン星は地球の倍の大きさがある惑星だが、生き物が生息できる地域が限られている。
恒星との位置が地球と月のような関係にあり、潮汐ロックにより、月が常に同じ面を地球に向けているのと同じで、常に同じ面だけが照らされている状態なのだ。
そのため、人々は気温が一定のトワイライトゾーンから極寒の暗夜地帯に住んでいる。
日照り地域は他星の技術者と協力しつつ工業用地として開発が進んでおり、科学技術においては地球をはるかに上回る成果を出している。
シリコン人間は身体も丈夫で記憶力も良く、平均寿命が三百歳という長命な種族なので、研究にかけられる時間が多いのも科学の発展という点で有利と言えるだろう。
「ふぅ。ゆっくり飛びながら風にあたろう。寒いから黄昏区につくまで何か羽織んなきゃ」
春辰はマチ針を大きくして跨り、ゴシェナイトのランプをひっかけると、黒い厚手のポンチョを羽織り、星々が瞬く闇の中へと飛び立っていった。
カオリン星に暮らす種族は夜目が効くため、街頭や建物から漏れる光の量はあまり多くない。
その明るさは、本編上映直前の映画館に似ている。
淡く発光する地図とにらめっこしながら向かうのは、『星立気象研究所』。
日照り地域では、暗夜地域の冷たい風が上空に流れ込むことによって起きる上昇気流のせいで、大きな滝のような積乱雲が良く発生するため、土地の開発に支障が出ている。
雨自体は地表に届く前に蒸発してしまうのだが、それよりも、雷による被害が多発しているのだ。
「今回の任務は積乱雲、または雷をどうにかすること……。アバウトな依頼だなあ」
科学の進んだ星からの依頼はいつもアバウトなものが多い。
「いずれ機械で制御するし自動化もするけど、まだできていないから魔法でちゃちゃっとお願いね!」といった感じだ。
「そこまで万能なものでもないんだけどな……」
魔法を使えばそれに比例して疲れるし、ちゃんと眠くなる。
医療魔術だって、新陳代謝を活性化したり薬の効果を高めるだけで、瞬時に傷がふさがったり骨がくっついたりするわけではない。
怪我をすれば痛いし、病に罹患すれば辛い。
水中で呼吸を可能にしたり、気温や気圧、重力などの外的要因関係なく行動出来たりと、多少便利なだけで、何でも一瞬で出来るというわけでもない。
「錬金術や科学と違って、魔法で出した物質は消えるしね」
春辰は誰に言うでもなく、魔法の切ない面を呟きながら冷たい風の中を進んで行った。
三十分は飛んでいただろうか。
ようやく空がオレンジ色に染まる黄昏区が見えてきた。
気温もマイナス十度から、十五度まで上がり、心なしか大気に潤いも感じられる。
「ううう、寒かった。鼻と耳が痛い……」
地区を繋ぐ電車に乗ればこんな思いもせずに済むのだが、すでに乗り物酔いしていた春辰には、その選択肢は思い浮かびもしなかった。
「時間も遅いし、研究所には明日着くって連絡しとこ」
ワープホールで歪んだ時間を合わせると、サルファ星を出発してから五時間経っていた。
地球時間ではもう夜の八時過ぎ。
研究所を訪ねるには元気が足りなかった。
春辰はちょうどよさそうな路地を探すと、霊絹糸と輪廻硬針でドアを編んだ。
編み終わった扉を開け、中へ入ると、そこは立派な一軒家の内装になっていた。
現在でも、科学では再現不可能とされている、質量を無視した空間建築魔法。
宿泊費をかけずにあらゆる場所で普段通りの生活が営めるので、春辰が魔法使いでよかったと思う一番の理由がこの魔法だ。
「ただいま。誰もいないけど」
二畳ほどの玄関で靴を脱ぎ、廊下を進む。
廊下の右には手前からトイレがあり、隣の扉は独立洗面所、脱衣所兼洗濯機置き場、そしてお風呂がある。
左側は大型のクローゼットが二つ並び、ジャケットから行袍、長衫馬褂まで、防寒具や丈の長い服、礼服が収められている。
廊下の先にある扉を開けると吹き抜けのリビングダイニングキッチンが右側にあり、左の壁沿いにある階段を上ると手摺で区切られた廊下があり、一つだけある扉を開けると春辰の寝室兼書斎がある。
とても広いというわけではないが、一人で過ごすには十分すぎるほどだ。
春辰は洗面所で手を洗い、うがいをしてからリビングへと入って行った。
「あ、救助用アパルトマンの資材チェック忘れてた」
救助用アパルトマンは、同じように空間建築魔法で作る被災者用仮設住宅のようなもので、六人ずつ収容可能なワンルームが十二戸収められた造りになっている。
様々な企業の協賛により、保護された人々が安心して過ごせるよう、下着や簡単な衣服、シャンプーなどのアメニティやインスタント食品が各部屋に積み込まれている。
最寄りの避難所まで数日かかる場所で救助した場合などに使用するため、普段はあまり出番が無い。
会社に提出すればスタッフが資材チェックをしてくれるのだが、それすらも春辰は忘れていた。
「まぁ、ここ数か月使ってないし。大丈夫か」
こうしていつも忘れてしまうのだった。
「まずはごはんごはん」
パンドラ星の主食は大豆のような高タンパクの豆を蒸したものなのだが、それよりも春辰には好きなものがあった。
それは地球に来てから知った、『マッシュポテト』『豆腐』『うどん』『餅』『水餃子』『柑橘果汁入り調味酢』。
水餃子に関しては似たようなものがパンドラ星にもあるが、春辰は地球の生姜が入っているものが特に好きなのである。
別に白い色の食べ物が好きなのではなく、色が統一されてしまっているのは偶然だ。
「今日は冷凍の水餃子とお豆腐を茹でて食べよう」
春辰は鍋に水を入れコンロで火にかけた。
もちろん、母親や父親が作ってくれていた故郷の料理が恋しくなることもある。
しかし、地球は外来植物に厳しいため、どの野菜なら持ち込んでいいのかなど一々調べるのが面倒な春辰は、はなから諦めている。
「何個茹でようかなあ」
袋に入っている餃子を大まかに数え、半分ほどを沸騰したお湯に放り込んだ。
豆腐は一丁を縦に一回、横に四回包丁を入れ、少し小さくしてから鍋に落とした。
「……白いなぁ」
普段から彩りなどあまり気にはしないが、鍋の白さも相まってすこし殺風景だったので、冷凍しておいた刻み葱も投入し、鮮やかな緑を添えた。
良い香りが立ち込める。
四角いダイニングテーブルに鍋敷きを置き、大きめの黒い陶器の器に赤い漆塗りの箸を乗せ、横に柑橘果汁入りの調味酢の瓶を用意。
「そろそろかな」
鍋掴みを手にはめ、落とさないよう注意しながら持ち上げると、熱々の鍋を鍋敷きの上にそっとおろした。
ふたを開けるとさらに良い香りが漂う。
柔らかな橙色に少し朱が混じったような、朱顔酡色をした美味しいにおい。
十五歳を過ぎたころから、やっと食べ物のにおいの〈色〉を気にせず食事を楽しめるようになった。
それでも、一瞬目に入る色はどうしようもない。
「さ、食べよう」
器によそい、調味酢をたらして完成した美味しい食事を、春辰は表情を緩めながら楽しんだ。
気付けば二十二時。
春辰は食べ終わった食器類を片付け、入浴を済ませると、自室へ向かい、布団に入った。
鴉雛が誘拐されたあの日から、寝つきはあまりよくはない。
今日もまた、眠るために一錠、化学の力を借りる。
身体が水底へと落ちていくように、深い眠りが始まった。