拾:望まぬ祝祭
「で、どんな感じなんですか?」
屋台で買った揚げパンをほおばりながら、春辰は桃夭にたずねた。
「賊どもは古アールヴの遺産が皇宮にある、というか居ると思っているようだ。昨夜も五人捕まえたぞ」
「馬鹿ですね」
「まったくだ。各星各国の要人警護でいつもよりも警備は厳しいと、少し考えればわかるだろうに」
二人は温かく甘い豆乳を飲みながら、近くのベンチに腰掛け、ほっと白い息を吐きだした。
「まあ、明日からはそういうこともなくなるでしょうから」
「本当に大丈夫なのか?」
「二か月間、監徳様からみっちり指導を受けましたからね」
季節は初冬。
春辰たちがパンドラへ帰郷してから三か月弱経っていた。
その間、様々な打ち合わせでおよそ一ヶ月を費やし、残りはすべて春辰の力のコントロール修業にあてられた。
始めこそ躓いたものの、二週間経つ頃には手足のように力を使えるようになっていた。
そこから極小規模な超新星爆発を会得するまで修業は続き、つい先日、監徳からお墨付きをもらったばかりだ。
「いや、そうではなく。本当に仕事を続けるつもりなのか? 魔法技術支援隊の」
「もちろんです。お金稼がないと一人暮らし出来ませんし」
「いやいや、ここで暮らせば……」
「地球に戻ります。でなきゃ、的になる意味がありませんから」
自分は上等な餌だ。
少しでも他星人の目を煌珠族から逸らすためには、敵の懐に入っていた方が良い。
春辰の決心は固い。
「お前、本当に頑固だな」
「いえいえ。姉に比べたらマシですよ」
「それにはノーコメントだ」
「臆病者め」
生意気だが、桃夭にとっては、あと数か月で可愛い義弟になる。
可能なら、地球になど行かせたくはない。
「護衛を巻くなよ」
「無理ですよ。さすがに古アールヴの力で気配は察知できますが、どこにいるのかまではよくわからないですもん」
桃夭が用意した『双剣』は、その名の通りの武器ではなく、双子の護衛のこと。
名を赤璋と青圭と言う。
年の頃は春辰よりも二歳年上。
鉱石の力を使う煌珠族の中でも、彼らはオパールの力が強く、蜃気楼や陽炎の魔法を得意としている。
そのため、常人では彼らを視認することはおろか、感知することすら難しいのである。
「でも、一度顔合わせはしたんだろう?」
「ええ、しましたよ。かなり、その……」
「言いたいことはわかる。あいつらは陽気で能天気で暢気だよな。仕事が出来るから許されている部分は大いにある」
「陰気な人よりは一緒にいて楽しいですけど……。話が長い長い。それも、全く同じ背格好で交互に話すから、途中、どちらが話しているのかわからなくなります」
「たしかに。ゆっくり仲良くなってやってくれ」
「そうします」
今も気配はしている。
おそらく、近くにある木の上あたりにいるのだろうとは思うが、それがどの木なのかはわからない。
木の葉が揺れる音もたてず移動する彼らは、本当に優秀なのだろう。
「さ、そろそろ家に帰れ」
「まだ昼すぎなんですけど」
「おやつ奢ってやっただろう。明日は式典だ。お前が主役のな。さっさと帰って寝とけ」
「わたし、幼児じゃないのでそんな簡単には眠れませんし、こんな時間に寝たら深夜に起きちゃいますよ」
「まったく、困ったやつだな」
「殿下が大雑把過ぎるんですよ」
パンドラ星も完璧な一枚岩というわけではない。
皇太后の息子で宗室と呼ばれる地位にある監徳と桃夭、そして貴太妃の子供たちは仲が良いものの、淑太妃、賢太妃、徳太妃やその他太妃嬪の子供たちとはあまり仲が良くない。
先帝は女遊びが激しく、誰にでも好待遇を約束して床に入るような色情魔だった。
それなのに、子供たちに対するあれこれをうやむやにしたままさっさと崩御したせいで、家族間でかなりの軋轢を生んでいるのである。
監徳はその尻ぬぐいに即位から丸二年を使う羽目になったのだ。
皇位を巡る争いこそないものの、長公主たちの嫁入りや、パンドラ星への貢献著しい皇子の親王への冊封など、それはそれは大変だったのである。
「気楽でいないとやっていけないこともあるんだ。お前もそのうち気付くよ」
「はぁ……。だから爵位はいらないとあれほど言ったのに」
「仕方ないだろう。特異な力を持つ者が平民では他星に示しがつかないからな。それに、どうせお前は私の義弟になるのだ。その時点で自動的に平民ではなくなる」
「そうですけど……」
豆乳から立ち昇る湯気が風で流されていく。
まだ何も始まってすらいないのに、どこか重たい疲労感。
それでも、後悔は何一つない。
(わたしが自分自身を護り続ける限り、煌珠族は安全だ)
春辰は豆乳を一気に飲み干すと、大きく白い息を吐きだした。
まるで天まで昇れと、祈るように。
翌日、雲一つない見事な快晴に恵まれ、陽の光もあたたかく、小春日和となった。
星中に祝福の音が溢れている。
見に来られない地域には、特別に設置された巨大なスクリーンが、式典の様子を写し出す。
さらに、各星からライセンスを取って訪れた報道陣による中継も行われている。
まさに祝祭。
極彩色の布が空を舞い、魔法で表現された瑞獣たちが駆けている。
皇宮の楽人たちの優雅な演奏が風に乗って豊かに音が膨らんでいく。
煌珠族の表情は皆明るく、新たなる存在の出現に沸いている。
しかし、各星各国の首脳陣はその限りではなかった。
口にはしないものの、表情が好奇心と緊張、そして危機感に満ちている。
十年前に流出した〈古アールヴ〉に関する書類は、今やすべての研究者が読んだことがあると言っても過言ではないほど出回り、収集がつけられない事態となっている。
ある星では恐怖を語り、ある星では対応する兵器開発の促進が議題に上がるほど。
それほどに、脅威となっているのだ。
だからこそ、監徳はこの式典であえて宣言しようとしている。
『古アールヴの力は、兵器ではない。恐怖を理由に煌珠を傷つける者は許さない』と。
銅鑼の音が鳴り響く。
式典開始の合図だ。
皇宮の中庭に設けられた会場では、美しい湖を背にして人々が席に着き、舞台を見つめながら今か今かとその者の登場を待っていた。
いくつかの儀式を終え、監徳が席から立ち上がり、所定の位置に着くと、いよいよ、宰相によって告げられた。
「新たなるパンドラの守護者よ、陛下の御前へ参られたし」
針葉樹が風に揺れ、木々の歌がこだまする。
この日のために、何度も打合せして作られた織金錦の曳撒に翼善冠。
腰にはエメラルドに天翔ける龍を透かし彫りした帯銙を身に着け、足元は鶴頂紅の緞子の靴。
まごうことなき、親王の装束だ。
参列者は息をのんだ。
春辰の中の古アールヴの力までもが今日という日を祝福しているのか、初冬の冷たい風が細かな氷に変わり、局地的なダイヤモンドダストとなって太陽に煌めいた。
その中を、一歩一歩と歩く青年。
歩いた足跡に、目と同じ蚩尤旗色の蓮が伸びる。
清廉な香りが会場を満たし、張りつめていた空気を柔らかな祝福に変えた。
人々は感嘆し、うっとりとこの光景を目に焼き付けた。
春辰が内包する美しさと煌めき、そして、この場に出てきた勇気を。
それと同時に、心の奥底で畏れを抱いた。
パンドラ星皇帝監徳は、言葉にはせずとも、今目の前に繰り広げている光景でその意思を示したのだ。
――この者に危害を加えてみよ。皇帝家への攻撃とみなす。私自ら討って出るぞ。
緊張で身体が固まってしまいそうな春辰が監徳の前へ着くと、跪き、包拳礼をした。
名が呼ばれる。
監徳の声は澄み渡った清流のように甘く低い、よく通るものだった。
「玄氏次子、春辰。そなたのパンドラ星および皇帝家への献身に応じ、東の水紅を封地とし、これより、その号を水紅王とする」
皇宮の外から、大きな歓声がこだましてきた。
まさに、歴史的な瞬間。
だが、そんな周囲の浮かれ様とは裏腹に、春辰は、心の中で「やられた」と思っていた。
爵位、とだけ説明を受けていたはずなのに。
ふたを開けてみれば、これでは……。
「さらに、古アールヴの力が及ぼす人心への影響を鑑み、水紅王には親王に等しき権利と責務を与えることとする」
目眩がした。
しかし、言わなくてはならない。
「……謹んで、お受けいたします」
冷や汗が止まらない。
それなのに、目の前の監徳は「これが私のやり方だ」と言わんばかりに微笑んでいる。
割れんばかりの歓声と拍手が会場を包んだ。
春辰は聖旨と宝剣を受け取ると、ゆっくりと立ち上がり、報道陣が持つカメラに曝されながら舞台を降りて行った。
その後に受けた取材はほとんど覚えていない。
大部分は世話係についてくれた太監が受け答えしてくれていたように思う。
それほどに、今日のことは衝撃的だったのだ。
家族はもちろん喜んでいる。
「新居の建設に引っ越しの準備。あたらしい薬舗の準備と近所へのご挨拶……、忙しくなるね!」と暢気にもすでに計画を立て始めている。
たしかに、水紅は天然の要塞として護りやすく攻めがたい地形をしており、監徳がまだ親王だったときに治めていた地ということもあって風光明媚だ。
まさか、こうなるとはまるで思ってもいなかった春辰は、装束を脱ぎながら今日の出来事を思い出すたびにため息が出た。
「どうだ。兄上はとても困ったひとだろう」
「……着替えてるんですけど」
自慢気な顔をした桃夭が、皇宮に設けられた控室に遠慮も無しに入って来た。
もちろん、扉など一度もノックされていない。
入室可能かの確認など皆無だ。
「……もしかして、殿下も一枚噛んでいるんですか?」
「一枚どころか一緒に考えたんだ。驚いたか? ふふふふ」
春辰は近くに備え付けられている寝台に転げるように倒れ込んだ。
「そうかそうか。倒れるほど感動したんだな」
「もう嫌だこんな面倒な家族……」
春辰はめそめそと泣くふりをしながら枕を抱きしめた。
「これから一生よろしくな、春辰。あ、違った、水紅王」
桃夭はとても嬉しそうに、高らかに笑いながら控室から出ていった。
後に残されたのは、飾り文字が美しい聖旨と、豪華な装束。
そして、困り果てる春辰だった。
火鉢がパチパチと心地いい音をたてている。
次第に、どんどんと瞼が重くなっていった春辰は、気づくと眠ってしまっていた。
鴉雛が様子を見にやってくると、どうやら魘されていたらしい。
どんな夢を見たかは覚えていないが、おそらく、桃夭と監徳のせいであることに変わりはない。
春辰は溜息をつきながら黒い旗袍と同じ色のパンツに着替え、控室を後にした。




