恋する乙女のバレンタイン〜問題用務員、バレンタイン騒動事件?〜
事件はある日唐突に起きた。
「ゆ、ユフィーリアさん!!」
「うおおッ!?」
うつらうつらと船を漕ぎながら魔導書の頁を捲っていた銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは、用務員室に響き渡った絶叫で意識が覚醒する。
ヴァラール魔法学院を創立当初から騒がせる問題児の巣窟、用務員室に飛び込める人物など限られてくる。生徒はわざわざ自分から「玩具にしてください」と自殺行為とも呼べる真似には及ばない。大半はユフィーリアが悪戯をしてバレた時に学院長が飛び込んでくるぐらいだが、今回の呼び方から判断してそうではないと気づく。
扉にもたれかかって今にも倒れそうになっていたのは、ヴァラール魔法学院の1学年であるリタ・アロットだった。廊下を走ってきたのか呼吸は荒々しく、三つ編みにされた赤い髪はボサボサに乱れている。かろうじて片腕で抱えていたのは紙袋で、袋に包まれた消し炭の山が垣間見えていた。
寝起きの目を擦るユフィーリアは、
「ど、どうしたリタ嬢。何かあったか?」
「質問を、よ、よろしいですか……」
「は?」
訳も分からず質問を求められたユフィーリアは、とりあえず「ど、どうぞ……?」とだけ告げる。
「ユフィーリアさんは、お菓子作りの腕前に覚えはありますか?」
「ええ? まあ、料理全般は自信あるけど……」
怪訝な表情でリタの質問に答えるユフィーリア。
自慢ではないが、料理の腕前なら多少の覚えがある。一時期は料理研究にハマっており、魔法を使った時短料理から魔法を使わず時間をかけて作る創作料理などそれはそれはもう凝りに凝ったものだ。
当然ながらお菓子作りも極める時間もあったので、火の魔法を使わずに出来るお菓子からウエディングケーキを作るぐらいまで幅広く習得してしまった。むしろ通常の料理の工程よりもお菓子作りの方が無心で出来るので好きだ。
ユフィーリアは首を傾げ、
「それがどうした? もしかしてお菓子作りを教えてほしいとか?」
「…………」
「あれ?」
意外にも黙ってしまったリタに、ユフィーリアは「おいおい……」と表情を引き攣らせる。
いやいや、だって相談する先がおかしくないか。ヴァラール魔法学院にはユフィーリア並みの料理技術を持つ魔女や魔法使いなどごまんといる。
今の時期なら生活魔法で料理を担当している魔女が、女子生徒向けにお菓子作りの講座を特別に開いていたりするのだ。頼るならまずはそちらの方がいいのではないか。
それでもなお問題児筆頭のユフィーリアに相談したいということは、この少女にとって真剣な悩みなのだろう。
「…………」
リタは用務員室をキョロキョロと見渡し、
「あの、皆さんは?」
「アイゼの買い物で麓の街まで出てるよ。野郎どもは荷物持ちだってさ」
「そ、そうですか……」
どこか安堵したような表情を見せたリタは、
「ユフィーリアさん、お願いです。私にお菓子作りを教えてください!!」
「ああ、やっぱり……」
予想していた台詞が飛んできて、ユフィーリアは苦笑する。
盛大に「お菓子作りは出来るか」などの前振りをしていたから何となく予想していたが、本当に問題児筆頭からお菓子作りを学びたいと思うだろうか。本当に相談先が間違っていないか。
いや別に、リタを相手にどうこうしてやろうとは思わない。リタにはいくらか借りがあるし、最愛の嫁であるショウと信頼できる部下のハルアと友達なのだ。さすがに無碍な真似はしない。
ユフィーリアは少し考えてから、
「じゃあ一緒に作るか?」
「え?」
「ちょうど野郎どもは出掛けてるし、今日はバレンタインだしな。アタシに助けを求めてくるってことは、それなりに気合を入れて渡したい相手がいるんだろ?」
ほんの少し頬を赤らめるリタに、ユフィーリアはニッコリと笑いながら言う。
「恋する乙女に協力できるなんて、とっても魔女らしいじゃねえか」
☆
さて、今年のバレンタインは特別である。
「簡単だし、キューブチョコにするかな」
「キューブチョコ?」
「箱みたいな立方体のチョコレートだよ。色々な種類を詰め合わせたり、ドライフルーツとかを混ぜたりして個性を出すんだ。複数の種類があると喜ばれるぞ」
リタを用務員の居住区画に招き入れると、ユフィーリアは食料保管庫の扉を開く。
用意してあったのは業務用のチョコレートが数種類である。定番のミルクやビター、ホワイトは元より変わり種として苺味やミント味なども取り揃えられている。板の状態となって袋に詰められたそれらをリタの前で広げれば、彼女は緑色の瞳をキラキラと輝かせた。
次いで食料保管庫から取り出したものは、鉄製のボウルに詰め込まれた様々な果物である。苺やオレンジ、バナナ、メロンなど多岐に渡る果物がすでに皮が剥かれた処理済みの状態でリタの目の前に置かれた。もちろんチョコレートの材料に使う為の代物である。
ユフィーリアは調理器具を並べてやりながら、
「リタ嬢は溶解魔法とか使えるか?」
「固形物を溶かす魔法ですよね。一応使えるには使えるんですけど、自信があまりないです……」
「じゃあ基本的に魔法は使わない方針で行こうか。キューブチョコは魔法を使わないでも作れるから」
大きめのボウルに魔法で水を出し、温度を魔法で調整してから小さめのボウルをお湯の中に浸ける。小さめのボウルにミルクチョコレートの板を手で割りながら投入して、お湯の温度でじっくりと溶けていくのを待つ。
木ベラで溶け具合を確認しつつ、ユフィーリアは慎重な手つきで湯煎をしていく。チョコレート菓子を作りたいのであれば、湯煎は大切な作業だ。
チョコレートを溶かしながら、ユフィーリアは「で?」とリタに問いかける。
「リタ嬢がチョコを渡したい相手ってのは本命か?」
「ふえッ!?」
湯煎にかけるチョコレートを選んでいる途中だったリタの口から、甲高い悲鳴が漏れた。頬を赤く染めて「な、にゃにを!?」と声をひっくり返す反応を窺うあたり、図星と言ったところだろう。
なかなか隅には置けない少女である。本命に愛情をたっぷりと込めたチョコレートを手渡すなど甘酸っぱい青春の一面ではないか。正直に言えば他人事なのでめちゃくちゃ面白い。
ユフィーリアはニヤニヤと意地の悪い笑みを見せ、
「恋する乙女って奴かァ、なかなかやるな」
「か、揶揄わないでください!!」
「揶揄ってねえよ、真剣に悩むリタ嬢に協力してやってるじゃねえか」
ユフィーリアは「ほら」とリタに用意されたチョコレートを指差し、
「どのチョコレートで作るんだ?」
「え、えと、たくさんの種類を作りたいです」
「それなら全部使っちまうか。種類が多けりゃ多いほど楽しいからな」
「私は何をすれば……」
「果物を細かく切ってくれ。チョコレートに混ぜ込んで使うからな。指を切らないように気をつけろよ」
「は、はい」
不安げな表情で包丁を取り出すリタの姿を眺め、ユフィーリアは「若いねえ」などと感慨深げに呟くのだった。
☆
「で、出来たぁ……!!」
リタは箱の中に詰め込まれたチョコレートを眺め、感動の涙を浮かべていた。
小さな立方体の箱には隙間なく色とりどりのチョコレートが詰め込まれており、様々な味が楽しめるようになっていた。細かく砕いた果物を載せていたり、ドライフルーツを混ぜ込んでいたり、中には食感を重視する為に砕いた飴玉を混ぜてみたり色々な工夫をしてみた。
これならチョコレートを渡す本命も喜ぶことだろう。彼女の恋を後押しできるようでよかった。
慎重な手つきで箱に蓋をするリタは、
「ありがとうございます、ユフィーリアさん。おかげで美味しいチョコレートが作れました!!」
「リタ嬢の恋路を応援してるぜ」
ユフィーリアも同じように箱へ作ったばかりのキューブチョコを詰め込みながら、リタへ応援の言葉を送る。
彼女がどんな男を好きになったのか踏み込むのは野暮なことだが、ちゃんと渡せた暁には話を聞いてもいいだろう。真面目なリタのことだ、問題児のようにとんでもねーことをやらかす馬鹿野郎みたいな男を好きになる訳がない。
すると、
「ただいまぁ」
「ただいま!!」
「ただいまヨ♪」
「ただいま、ユフィーリア」
買い物に出掛けていたエドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウの4人が帰ってきた。
エドワードとハルアの両手には洋服屋の紙袋がたんまりとぶら下がっており、ショウの手には化粧品の有名ブランドの紙袋がいくつか握られている。紙袋の数は両手の指では収まり切らないほど存在し、アイゼルネの給金がすっからかんになるほど購入したと言ってもいいだろう。
本日も可愛い古風なメイド服を着た女装少年――最愛の嫁であるショウは、
「ユフィーリア、何か甘いものでも作っていたのか?」
「ショウ坊宛の本命チョコ」
「え」
赤い瞳を輝かせるショウに、ユフィーリアは「はい」と箱に詰めたチョコレート菓子を手渡す。
本命チョコと言うだけあって、ショウの好みに合わせた完璧なチョコレート菓子を作ったつもりだ。甘党である最愛の嫁の味覚に合うように、とびきり甘めのチョコレートを選んで詰め込んだ。ユフィーリアの愛情もしっかり入れてある。
それからついでと言わんばかりに、ユフィーリアはハルアにも箱に詰めたチョコレート菓子を渡してやる。ハルアも大切な問題児仲間で部下なので、手を抜いたつもりはない。
「ありがたく食せよ」
「拝みながら食べるね!!」
「冗談を間に受けんじゃねえよ、お前は」
チョコレート菓子をもらったショウとハルアは「美味しそうだ」「ちょっと味見しちゃおうか」などと会話を交わしていた。チョコレート菓子が苦手なエドワードは分からないように顔を顰めており、ジリジリと距離を取っていく。チョコレートが苦手な彼にチョコレート菓子を渡すほど、ユフィーリアの性格は悪くない。
問題児のバレンタインは、何とも味気ないものである。基本的にユフィーリアも身内にあげて終わりだ。リタのように青春のせの字もない。
使った調理器具を片付けようとするユフィーリアだが、
「あ、あの!!」
リタの声が居住区画に響き渡る。
振り返ると、顔を真っ赤にしたリタがチョコレート菓子を詰め込んだ箱を抱えてハルアと向き合っていた。ちょうどユフィーリアが渡したばかりのキューブチョコを口に運んでいた当の本人は、キョトンとした表情で首を傾げる。
リタはモジモジとした様子で視線を彷徨わせるが、勢いよくハルアの鼻先にキューブチョコが詰め込まれた箱を突き出す。本命の為に用意したと言っていたチョコレートだ。
「こ、これ、受け取ってください!!」
「いいの!?」
ハルアは「やった!!」と嬉しそうに笑い、リタが突き出してきた箱を受け取る。
「大事に食べるね!!」
「――――ッ!!」
ぶわわわ、と茹で蛸のように顔を真っ赤にしたリタは、声にならない絶叫を上げながら居住区画を飛び出してしまった。
何か、色々と理解してしまった。恋バナとかそういう諸々の感情は捨て去り、ただただ興味しかない。「どこが好きなのか?」という質問をしてみたい衝動に駆られる。
確かにハルアは誠実だ。嘘を吐かないし面倒見もいい。ただ手加減が出来ずに物を壊しまくるし問題行動は日常茶飯事だし、彼氏にするのは止めておいた方がいいのでないかという物件である。
ユフィーリアはとりあえず、
「ハル、それは大切に食えよ」
「分かってるよ!!」
ハルアはリタから貰った箱を開けると、中身に詰め込まれたキューブチョコを口に運んだ。
「美味え!!」
月並みな感想だが、その表情はとても嬉しそうだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】お菓子作りの腕前は一級品。簡単に作れるお菓子から凝ったお菓子までレパートリーは幅広い。リタの恋路を応援したところ、まさかの展開でビックリした。
【リタ】恋する乙女。自力で渡したくてクッキー作りに挑戦したが、加減を間違えて炭ばかり量産してしまうので誰よりも頼れる大先輩の魔女であるユフィーリアに頼った。
【エドワード】この時期はチョコ菓子が溢れるのであまり好きではない。このあとユフィーリアから肉巻きおにぎりをバレンタインとして貰う。
【ハルア】今年の戦果はユフィーリア、アイゼルネ、リタの3つ! 過去最高を更新してご満悦。
【アイゼルネ】ちゃんと男子組のチョコレート(約1名は別)を用意していた。割って食べられるチョコレートを事前に購入済み。
【ショウ】本命であるユフィーリアから貰えれば他には何もいらない。