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鬼覇ノ王眼  作者: 袖山静鹿
 Ⅱ 吸血鬼の性
9/18

Ⅱ-Ⅲ



逃げ込むように自宅へ駆け込んだ。すぐに扉を閉めステンレスの扉に身を預けた。気が抜けて一気に足の力が抜けた。ステンレスの扉はひんやりと汗をかいた背中を冷やす。

外の喧騒に耳を傾ける。救急車のサイレンが家の前を通る。外の喧騒はさらに増す一方だ。扉を数センチ開けて外の様子を覗いた。赤いランプが見える。交通整備する警察や野次馬でごった返している。

空人はそっと扉を閉ざし鍵を閉めた。


扉にもたれ人形のようにへにゃりと玄関の三和土に座り込んだ。どうやら少女を撒くことに成功したらしかった。さすがにこれだけ人気があっては吸血鬼であろう少女も迂闊には動けない。空人も家に着くまでどれだけ肝を冷やしただろうか。

警察のも危惧しなければならないが、当面危惧すべきはあの少女だ。


ふっ、と息を吐いた。途端に再び空人の胸中に不安が渦巻いた。吸血鬼になってしまった。逃げることで頭がいっぱいで何も考えられていなかった。


自分の膝を抱き寄せた。そうすると目から涙が滲んだ。必死に堪えるが、瞼がそれを受け止めきれなかった。一滴玄関の三和土に落ちると次から次へと涙は零れ落ちた。恐怖で身体が震えた。


――どうしよう。

この言葉を頭の中でこだました。この言葉以外思い浮かばなかった。


吸血鬼になった自分はもう死以外の道はない。そう思えた。ざぜなら噂では吸血鬼が自首した場合。その行く末は処刑だと聞いたことがあるからだ。仮にこのまま生きるということは、空人にとって極めて難しいと思えた。


――なんて理不尽だ。


思えば理不尽は今に始まったことではなかった。

イジメ。個人が個人の能力を否定して人間同士で行われる醜い行い。支配欲、征服欲、自分が優位に立っていると勘違いさせる醜い行為。

能力の格差。生まれながらにして生まれる理不尽。足掻いても埋まることのない絶対的な理不尽。

親の離婚。何かが掛けた子供。

育て親の死。最愛の決別。永遠の別れ。

孤独。孤独。孤独。


――自分は何もしていないのに、世の中のパワーバランスはいったいどうなってる。


悔しさが込み上げた。だがどうしようもない。空人はひたすらに涙を流した。

数分経つと、空人の心は幾分か楽になっていた。涙を流すとスッキリするというのは本当らしかった。

重い腰を持ち上げた。歩いたまま靴を脱いで脱衣所へ向かった。気分転換にシャワーを浴びたい気分だった。


腹に穴の開いたシャツを脱ぎ、丸めてゴミ箱の底へ押し込んだ。空人は首を傾げた。制服のズボンを脱いで、身体とズボンを検める。不思議なことに血痕はどこにもない。

疑問を引きずりつつバスルームへ入る。蛇口を捻ると暖かい湯が噴き出した。湯気で室内が白く靄がかかった。それが風呂場のガラスを曇らせた。


曇ったガラスに湯をかけた。身体を検める。全くと言っていいほど傷はない。ただ白く所々青井血管の見える肌だ。

やはり夢だったのか。そう思った。


空人は鏡を覗き込んだ。

えっ、と小さく声を漏らし、言葉を失った。


 ――なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ

頭の中でこの一言が散らかった。


息を呑んで、もう一度鏡を覗き込んだ。鏡に映る空人の顔が絶望に歪む。空人の左眼が黄金色だった。瞳は微かに微光し、瞳孔は一本の線を引いたように細い。まるで蛇の目のように鋭かった。

取ってつけたかのような違和感だ。自分自身の眼光を見て、空人の顔は青ざめた。

ハッとした。少女が見つめていた理由はこれだった。

自分が吸血鬼になったことが八割真実を帯び、心臓にナイフを突きつけられている気がした。


――どうやって生きていけばいい。

こんな目では外出することは難しかった。少し考えこんだ。当然答えは出ない。反ってますますマイナスな方向へ思考は向かっていった。


シャワーが噴出する音と水が滴る音だけがバスルームに響いた。時間と水だけが流れ、水は溢れ出すが名案が出ることはない。どうするべきなのか、一つだけ考えが浮かぶ。だがその考えを実行するには、あまりにも恐ろしく、勇気はなかった。


風呂を出ると、タオルで拭き取るだけで髪を乾かさずに洗面所を出た。そうして外界を遮断するように部屋に駆け込んだ。携帯の電源も落とした。これで誰とも触れ合わずに済む。


空人は殻に閉じこもるように布団に包まって、膝を抱いた。濡れた髪が枕を濡らし、耳まで冷たかった。布団は優しく空人を抱きしめるが、空人は不安を抱きしめていた。

真っ暗な部屋の中、また明日のこと、その先を考え始めた。まずこの状態では学校へは行けない。それでは母親に不信感を与えてしまう。では、母親に相談するのか。否、母親にも知られるわけにはいかない。


吸血鬼であることは誰にも知られてはいけないのだ。なぜなら家庭内で吸血鬼への転生者が現れた時、それを知ってハンター対策局へ届けなかった場合、吸血鬼を匿ったとして、ひどい罰が下されるという。そのうえ家族や親戚は、村八分のような扱いを受ける。そう空人は聞いたことがあった。

実際、ニュースでも取り上げられていたことがあった。


家に帰らず働いて女で一つで育てくれている母親に心配も迷惑もかけたくなかった。

不幸中の幸いか、母親は仕事で三日ほど家を空ける。よくあることだ。その間に直す方法、もしくは隠す方法を考えなければならない。


あの少女ならばわかるかもしれない。そう思ったが少女の名前も、住んでいる場所もわからない。そして少女が味方とは限らなかった。探そうと思ったが、外の状態と己の目を隠す術を持たない空人には出歩くことも自殺行為だった。


まず最初の問題は、明日の学校はどうすかだった。数日であれば、眼帯で隠すことが可能だ。だが長期になると違和感を感じる人も出てくるだろう。


――どこにも行けやしない。

思考はネガティブに加速して落ちていく。


様々な考えが頭の中を過ぎていっては積もっていった。自分自身を追い詰めた空人は、最初の考えを真剣に検討し始めた。


――やはり目を潰すしかない。


幸い片方は普通の目だ。それに吸血鬼の不死身の力で何とかなるかもしれない。それに賭けるしかないと思えた。だが空人の身体が小刻みに震えた。

奥歯を噛み締めた。空人は心に決意を刻み込んだ。心臓が高鳴り息が荒れた。心音が妙に大きく耳元で聞こえた。


布団から飛び出ると、部屋の隅に置かれた勉強机の引き出しを開ける。中には先が鋭く尖った鉛筆が綺麗に揃えられていた。

鉛筆の一本を手に取るとその場に膝をついた。鉛筆を構える。両手で握り祈るように額に当てた。


――どうか僕に勇気をください。


鉛筆を逆向きに握り直した。腹の前で構える。手は力んで恐怖で震えていた。顔面にびっしょりとかいた汗が首を伝う。呼吸は興奮で自然と早くなる。身体は熱があるように熱かった。

臆病風をかき消すように雄たけびを上げると同時に、一気に左目に向かって鉛筆を振り上げた。


カラカラと乾いた音を立てて、鉛筆が床へ転がった。

ぽつぽつ、と目から落ちたのは、血液ではなく大粒の涙だ。


「できるわけないだろ」空人は嘆いた。

零れる涙は、流れるがまま鼻先を伝い、床に落ちた。涙は左目からもとめどなく流れた。

絶望にひしがれ一晩中止むことのない涙を流し続けた。


やがて朝を迎えた。暗いグレーのカーテンの隙間からは陽の光が少し漏れていた。その光は少し目にしただけで眼球が痛んだ。全身が鉛のように重い。それは寝不足のせいなのかもしれないが、陽の光が原因だと空人の本能が告げていた。


泣きつかれて、ようやく眠気が訪れた。指一本動かすことですら億劫だ。

フローリングでうつらうつらとし始めた時だ。階下で玄関のドアを叩く音がした。驚いて肩が竦む。神経が過敏になっているせいか、わずかな物音でも電撃のような怖気が身体を貫いた。空人の眠気は一気に冷めた

一拍置いて、誰が来たのか理解した。


「おーい。また寝坊かな」ドアを叩く音と同時に、海月の声が聞こえた。

 

身体は依然重かった。居留守を使おうと思ったが、海月は執拗に扉を叩く。


「一人で行ってくれよ……」ぼそりと独り言を溢した。


重苦しく吐息を吐いて、起き上がった。肩に二人ほど人が乗っているかのように重かった。緩慢な足取りで部屋のドアノブに手を掛けた。開けようか開けまいか逡巡すした。

一拍置いてようやく踏ん切りがついた。ドアノブに掛けた腕を下ろした。


扉を開いた瞬間、眩暈がするほどの白い光が、扉の隙間から漏れ出した。扉が開き切るそれは空人の身体を飲み込んで、薄暗い部屋に差し込んだ。気がつくと空人の身体から紅蓮の炎が噴き出していた。


廊下は吹き抜けになっており、正面に見えるバルコニー側はガラス張りだ。陽射しは空人へそそがれ、陽射しを遮るものは無かった。着用していた衣服は一瞬にして消し炭となり、全身の肉が焼た。筋肉が伸縮し、骨が軋む音が耳の奥から聞こえた。皮膚は焼け剥がれ、炭と化して崩れ落ちた。そのそばから皮膚が再生し、再び炭化が始まる。全身の皮膚がノコギリで引き裂かれ、それをプラスチック製のピーラーで引き剝がすような痛みが体中を駆けまわった。


炎は空人の脂でさらに激しく燃えた。空人は叫び、悶え、たたらを踏んで倒れた。空人の倒れたフローリングには何故か火は燃え移ることはなかった。炎は周囲の空気さえも奪った。必死に口を開いて息を吸い込んだ。だが吸い込んだものは、熱気と炎だった。熱気は喉を焼き、肺を焼いた。喉からは絞られたような音がして、呼吸もままならない。

炎は体内にまで燃え広がり臓器を焼いた。酷く吐き気がして、身体の内から鋭い凹凸のついた棍棒で殴りつけられているようだった。溶けだす臓器同士は癒着し、それを自然治癒力が強引に引き剥がす。緩急のついた痛みが空人を襲った。


内側と外側両方から、地獄のような痛みが続いた。内と外どちらが裏で、どちらが表なのか判別つかなくなった頃、痛みは不思議と和らいだ。ただ熱く苦しい。まるで沸騰した湯の中で溺れているようだ。


――死ぬ。


手足が炭化し崩れ落ちた。落ちた手足は黒い消し炭になって床に積もった。瞬時に手足が枝のように再生する。そうして灰になっては崩れ、炭になっては崩れた。何度も何度も何度も何度も繰り返した。


――部屋に戻らないと。


空人は手を伸ばした。床を引っ掻くように掴んでは身体を引き寄せる。爪はもはや形を成さず、指も、次から次へ粉灰となって散る。それでも少しずつ、じりじりと部屋の中へ進む。


なんとか部屋にたどり着く、炎は身体に纏わりついたままだが勢いは減少した。必死の思いで部屋の扉を閉めた。自分が部屋に戻ることでいっぱいだった。扉を閉める力は加減ができず、家が揺れるほどの音がした。

薄暗い部屋に戻ると身体から吹き上がる炎は鎮火した。身体からスッと痛みが引く。空人は身体を検めた。身体には欠損はない。焼けたはずの服も乱れただけで何の変りもなかった。

部屋の入口を見た。床にはひっかき傷が伸びていた。

あれだけ炎が上がっていたのだから、床に燃え移っていてもおかしくはなかった。だがその痕跡はない。焼けた臭いもしなかった。


空人の掌には汗が握られていた。空人の表情が強張る。


「幻覚……」


携帯が鳴った。空人の肩が竦む。携帯のスクリーンが点灯し、薄暗い部屋に光が灯った。

携帯は厚さ七ミリほどで、表面のほとんどがスクリーンになっており、スクリーンはプラスチック製の四角形に収まっている。

携帯のスクリーンには、メッセ―ジが表示されていて、『先に行きます』と海月のメッセージがあった。

空人はベットにすり寄りメッセージを開いた。海月に一言『今日は休む』と連絡を入れ、ベッドに横になる。


数秒で携帯が鳴った。到底開く気分にはなれず携帯を床に投げた。


ホッとすると全身が倦怠感に包まれた。心身ともに疲弊していた。昨日今日で色々なことが起こりすぎた。空人は数日経った気でいたが、実際は一日しかたっていないことに、空人は飽き飽きした。


ため息のようなあくびをすると、空人は息を引き取るように眠りについた。



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