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鬼覇ノ王眼  作者: 袖山静鹿
 Ⅱ 吸血鬼の性
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Ⅱ-Ⅰ


 悲鳴が聞こえた。


 朦朧とした意識の中、虚ろな目で辺りを見渡した。広い砂地に立っていた。奥には高いコンクリートの壁がある。後ろを振り返ると白く巨大な建造物が建っていた。三階建てのその建造物は自分が通う学校だ。


「なんでここにいるんだろう」思わず口から零れた。


 死んだはずの自分が、学校にいることが不思議だった。ふと思い出すのは腹に空いた風穴だった。咄嗟に身体を検める。腹の傷は無くなっていた。もちろん痛みもない。


「幽霊になってしまったのか」可笑しくて笑った。


 一歩足を前に出すと、何か柔らかいものに足が取られた。その感覚に身体が強張る。恐る恐る視線を落とした。そこに人の腕が落ちていた。声を上げそになったが、それを堪えた。息を呑んで顔を上げる。いつの間にかグラウンド一面、血の海に変貌していた。

 怖気が全身に駆ける。虫が体中を這いずり回るような感覚だ。後ずさりした時、握りこぶしの中に暖かくぬるりとした感覚があった。嫌な予感を感じつつ、握った左手を開き検める。掌に握っていたのは、深紅の液体だった。


「なんだこれ」声が震えた。


 そう言わなくともわかっていた。明らかに血液だった。わざわざ口に出したのは、少しでも自分を冷静に保つためだ。

 一拍おいて深紅の液体は、掌に浸透していくように消えた。その直後、掌に激痛が走る。掌の皮膚がタイルのように罅割れ、剥がれ落ちる。剥がれ落ちた皮膚の隙間から毛足の長い真っ黒の毛皮が覗いた。まるで獣のようだ。罅は更に左腕を駆けあがっていく。


「これは、これはなんだ」


 驚いて上げた声は聞き馴染のない音だった。低く獣の呻きのような音だ。驚いて後退った。目の切れ端で毛皮が見えた。

 腕を検める。手首から先の皮膚はすべて剥がれ落ち、元の姿は見る影もない。猿の腕のようにだ。尖った爪は鋭く指一本分ほど長い。


「空人」背後から女の声がした。


 振り返ると、そこに海月が心配そうな顔をして佇んでいた。


「海月……」


 咄嗟に腕を身体の後ろへ隠す。

 喉が上下したことが自分でもわかった。


 海月は黙ったまま、鷹揚とした足取りでこちらへ歩みを進める。海月は素足だった。血の海の上へ波紋を作りながら、一歩、また一歩と歩み寄る。踏みしめた地面は足の形に窪んで、また赤い液体が飲み込む。

 空人は狼狽えた。海月の一歩に合わせるように後退した。


「きちゃダメだ」叫び声はグラウンドに響いた。


「どうして?」

 

 海月は歩みを止めず、無機質な表情で訊いた。彼女の足取りが早くなり、二人の距離は縮まっていく。

 背中に堅牢で冷たいものが当たった。背後を検める。グラウンドを囲む壁だ。海月は歩みを止めなかった。二人の距離が詰まる。もう手が届きそうな距離だ。


「来るな」目を閉じて、怒鳴るように叫んだ。


 変化のない右腕を前に突き出した。腕に怖気のする感覚がした。生暖かい液体が右腕を伝い、水滴が落ちる音がした。ゆっくりと目を開く。変化していないと思い込んでいた右腕は、既に黒い毛皮で覆われ、黒く鋭い爪が伸びていた。その爪の先端が海月の胸の中心を貫いていた。


 え、っと吐息交じりの声が漏れた。思いがけない出来事に、ただ慄然とした。

 咄嗟に腕を引く。鋭い爪はトマトをスライスするように海月の胴と脚を切り離した。


「嫌だ」


 目に赤い液体が溢れた。血の涙だ。

 海月の胴は血の海に落ち、脚は血の海へ倒れた。彼女の遺体は底のない沼に沈むように、ゆっくりと血の海に飲み込まれていく。彼女の顔が半分飲み込まれた時、目だけがぎょろりと動き、空人を捉えた。そして哄笑した。グラウンドいっぱいに響く高い声だ。


 涙が止まり顔から表情が消えた。

 海月の笑いに追従するように、微かに別の笑い声が聞こえた。その笑い声は次第に大きくなり、四方八方から聞こえた。

 辺りを見渡すと、数百を超える骸の頭骨が血の海に浮かんで笑っていた。さながら大合唱だ。地響きがするほどの笑いが轟いた。

 頭が割れそうなほどの大合唱に耐え兼ね耳を塞いだ。だが耳を塞いでも大合唱は塞いだ手を通り抜けた。


 その場で蹲った。血の海には青い空が写り込んでいた。当然自身もそこに映っているはずだった。だがそこに映っていたのは、三メートルはあろう真っ黒な化け物だった。顔中が黒い体毛に覆われ、頭部からは羊のように弧を描いた角が生えている。口は大きく引き裂け、獅子のように突き出ている。鋭い眼光は赤く微光して己を睨んでいた。


 その悍ましい獣を見て絶句した。

 大勢の嘲笑の合唱は止んでいた。

 水面に映った獣に見入っていると、赤い水面が盛り上がった。盛り上がった部分から、血液がどろどろと流れ落ち、海月の顔面が露になった。海月は目を剥いて真一文字に口を結んでいた。


 驚いて仰け反った。海月の目は空人追ってぎょろりと動いた。口角が三日月型に歪んで、口が大きく開かれた。海月は嘲るように哄笑した。

 それに追従するように、どっと嘲笑の大合唱が始まった。


 耳を塞いでも、何をしても消えない声は苛立ちと恐怖を与えた。


「うるさい、黙れ」


 かき消すように叫んだ声は、グラウンドに響いた。だがそれは人の声ではなく、獅子のような咆哮だった。



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