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鬼覇ノ王眼  作者: 袖山静鹿
 Ⅰ 始まりの死
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Ⅰ-Ⅰ


 人という生き物はこの世で一番醜い生き物だろう。





 ゴムを擦り合わせた高い音が響く。

 分厚い黒縁メガネ以外に特段特徴のない男子生徒、飛鳥空人が誰もいない白く長い廊下を駆ける。窓からは陽光が射し、空人の影が床を滑っていく。空人は吐息を漏らし、額に浮いた汗は顎を伝った。

 教室の前にたどり着くと空人は額の汗を袖で拭った。大きく深呼吸して乱れた呼吸を整える。遅刻の言い訳はない。嘘は苦手だった。せめて精一杯謝ろう、と意気込んで教室の扉を開いた。それとほぼ同時に空人は深々と頭を下げた。


「すみません。遅刻してしまいました」


 そういった瞬間、視線が空人に注がれた。自分を含めた全ての時間が停止した。引き戸になっている扉はレールを一気に駆け抜けた。力みすぎたせいか開いた扉は落雷したような音を教室に響かせた。そのうえ上ずった彼の声は教室中どころか隣の教室まで響いた。


 一瞬静まり返った教室が、引いた潮が押し寄せるように湧き上がった。空人は顔を紅潮させて俯く。一拍おいて、教卓に立つ強面の教師が咳払いをした。その咳払いで教室から笑いが消えた。教室は静まり返り、しんとした。

 担任の山内はメガネの奥で鋭い眼光を光らせた。浅黒く焼けた肌は眼光を更に強調するが、その顔はすぐに崩れた。呆れたように目を閉じて吐息を吐き、白髪混じりの頭を掻いた。


「二年になって、まだ一週間だっていうのに、もう三回目の遅刻か」


 空人に言えることはなく黙り込む。ただ吹けば消えそうな愛想笑いを浮かべて軽く頭を下げた。

 そんな。空人を見て、山内は大きくため息をついた。


「今日は多めに見ておいてやるから、早く席に着け」

 山内は空人を追い払うように、手をひらひらとさせた。


 空人は言われた通りに机の間を抜け、後ろから二列目の窓際の席に着席した。そこに座ると山内は再び出席を取り始めた。

 席に着くと鞄を机の横に掛ける。木製の座板に腰を落ち着かせると、前に座る女子生徒の後ろ姿を見ていた。華奢な背中を覆うように長い髪は伸び、漆塗りのような黒い髪は綺麗に切りそろえられている。その髪が大きく揺れた。気がつけばウサギのようにぱっちりと大きい目と空人の目が合っていた。空人は驚いてのけぞった。女子生徒の目がキッと尖った。


「今日も家に迎えに行ったんだからね。いい加減頑張って起きてよ。私保護者じゃないんだから」と言った女子生徒の唇は小さく、吐いた言葉は口うるさい母親のようだ。


「誰も迎えに来てなんて言ってないよ」


「ダメダメ。おばさんに頼まれてるんだから」

 そう言って女子生徒の視線が目から逸れた。

「てか、その顔。転んだの?」


 女子生徒は空人の顔にできた擦り傷を見て苦い顔をした。

 今朝の出来事だ。空人は朝起きるためにアラームを三回セットしている。だが寝起きが悪く、よく寝過ごしてしまう。今日も例外ではなく、そのせいで時間に余裕がなくなり大急ぎで学校へ行くハメになった。いつもはこの女子生徒鯱波海月(こなみみつき)と一緒に徒歩で登校しているが、遅刻しそうだったので後から自転車登校した。

 そんな日に限って、自転車のタイヤがバーストする。その挙句転倒した。


 このような小さな不幸は彼にとって日常茶飯事だ。その証拠に肘や膝には、たくさんの古傷がある。貧乏神に憑かれているんじゃないか、とクラスメイトの間で話題になるほどだ。


 海月はぶつぶつと独り言を言いながら鞄の中を探り始めた。中からアンゴラウサギのような白いポーチを取り出すた。その中から絆創膏を取り出した。絆創膏を少し剥がすと、手早く空人の額に貼り付けた。


「ちょ、やめろよ。海月みつき、僕は子供じゃないんだ」

 咄嗟に海月の手を振り払った。 

 

 教室中の視線が集まった。空人が動揺して大声を出したからだ。その声は教室中に簡単届いた。クラス中が、わっ、沸いた。冷やかしの声が飛び交った。


 空人は頭を抱えて机に顔を埋めた。穴があったら入りたいと本気で思った。頭を覆った腕の隙間から助け舟を求めて、海月に視線を送った。海月は、ごめんね。と口パクして最後に舌を出して前を向いた。楽しんでいる様子だった。


 そんな空人を救ったのは、大きな咳払いだった。山内の咳払いが教室の空気を切り裂いた。もちろんこれは空人を含んで向けられたものでもあるが、空人にとっては渡りに船だった。


「お前ら、授業始まってるのわかってるか?」


 山内はそう言って口を真一文字に閉じた。その様子を見て反抗する生徒は誰一人としていなかった。

 騒々しかった教室は嘘だったように静まりかえり、教科書を開く音がそこかしこでした。空人も皆に倣って教科書とノートを開いた。


 空人にとって、授業は退屈だった。山内のグダグダと話が続く。もちろん授業中であるからには、話しているる内容はそれについてだった。ただ空人の耳には何を話しているのか入ってこなかった。

 窓の外へ視線を移した。ただ何も考えず外を眺めていた。窓の外には、校庭とグラウンドが見える。校舎は丘の上に建設されていて、校舎の回りはものものしい壁が囲んでいる。高さは凡そ十メートル。その向こうには住宅地が広がり、さらに奥には街が見える。ファッションビルやオフィスビルなどの様々なビルが乱立している。その中でもひと際目を引く建物が街の中心に屹立している黒く厳格な塔。吸血鬼対策局総本部だ。


 空人は視線で対策局の搭を上になぞる。ビルの先端に銀色の大きな十字架が掲げられている。それを更に上に抜けて空を仰いだ。

 青い空に薄く張った雲が形を変えながら流れていくところをただ呆然と眺めていた。

 

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