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鬼覇ノ王眼  作者: 袖山静鹿
 Ⅲ 冨樫透哉
14/17

Ⅲ-Ⅲ


透哉は苛立っていた。頬の血は未だに流れている。それほどシャーペットの蹴りは鋭かった。それを思い出せば思い出すほど、透哉の憤りは募った。今この瞬間、何かを壊してしまいたい。そんな衝動に駆り立てられた。


怒り原因はそれだけではなく先日殺したはずの相手が生きていることだ。早急に始末したいのだが、先刻始末しようとしたところ妙な女から襲撃を受けた。


 自分の姿を目撃した者が二人もいる現状に焦燥感を抱き、それが苛立ちを増長させる。目撃者が学校にいるため下手に動くことはできない。それでも性急に対処する必要があった。

透哉は屋上扉前の踊り場で一人、感情のうねりを諫めていた。眉を顰め、掌で血を拭いそれを舐める。瞳は深紅に染まったままだった。


「あの女。あの女。あの女。あの女。あの女さえいなければ。殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロス」

 心の声は、呪文のように声として発せられた。


 透哉の頭は、シャーペットと空人への怒りで埋め尽くされた。その怒りの矛先をどこへ向けることもできず、自らの首の皮膚を抉り取るように掻き毟った。ひとしきり掻き毟ると、怒りは緩やかに鎮静していく。首から流れる血液は止まり傷も消えた。頬の傷もいつの間にか跡形もなく消え去っていた。


 自分が不利で、自由に振舞えない現状に我慢ならなかった。透哉の思想は弱肉強食。力、富、権力どれでも秀でたものが一番強く、弱いものはそれに従わなければならい。つい先日までは、力で思いのままだった。それが空人を手に掛けたことにより崩れた。あの日の自分を悔やんだ。

 ――力こそ全てで、力のないものはカーペット。

その思想は育つ家庭で芽生えたものだった。




                  ———✵———




 透哉の生まれは決して貧乏ではない。寧ろお金には困らない裕福な家庭だ。幼い頃から欲しいものは大抵手に入った。父は大手企業の役員。そのため仕事の忙しさに家に帰ることは少なかった。家にあまり帰らずとも父を尊敬していた。しかし透哉が成長するにつれ、彼は父が何をしているのか察していった。そうして母もそれを黙認していることを感じていた。

 自分はそうはならない、誇り高くあろう、と外ではそう振舞っていた。またそうあるべきだと思っていた。

 透哉が中学生になる頃、父は母や透哉自身に強く当たることが増えた。怒鳴り散らし、時には部屋を荒らすこともあった。そんなことが度々増え、父が家にいる日は家に帰らなくなった。それからどんどん家庭から遠のいていくことになった。




                  ———✵———




 ある日の夜。学校終わりに友人達と町へ繰り出していた。いつも通り友人達の前では気品があり、誇り高い紳士的な男を演じていた。友人達もそんな透哉に一目置いていた。そんな彼にも演じきれなかった出来事が起きた。


 金額が安いからという理由で訪れた、駅から離れたカラオケ店から出た時だ。片側三車線の広い車道を走る車の中に見覚えのある車が走っていた。普段は車道の車など気にすることはなかったが、偶然目に留まった車が父親の車だった。その車が目の前を通る。路地に左折し、透哉の目の前を過ぎ去ろうとした時、運転席に座る父親と目が合った。一瞬父親の表情が強張ったように見えた。父親は透哉から目を逸らすと助手席に座った若い女に視線を注いだ。


 車が過ぎ去り、気がつくと車道に飛び出していた。瞳が揺れ、こめかみがどくどくと脈打っていた。揺れた視線が捉えていたのは過ぎ去る車のテールランプだ。テールランプは赤く薄い線を描いていた。ウインカーが左に出ると車は高級ホテルの中へ消えていった。

 透哉はただ、呆然と道の真ん中で立ち尽くしていた。


 あれは間違いなく父だった。その思いと反対に見間違いだ、と自分に言い聞かせようとしていた。だが薄々勘づいていたことが確信に変わっただけだった。父のあの表情がなければ確信しなかったかもしれない。否定したい自分を肯定するために、苦し紛れにそう思った。

 突然、後ろからクラクションの音がした。透哉の肩が竦んだ。振り返ると車が真後ろまで来ていた。車のヘッドライトがやけに眩しく、それが自分を睨んでいるように感じた。

 周りの友人たちも冷ややか表情をしていた。透哉に憧れの眼差しを向けていた女子さえ、声には出さないが、きも、と言っている気がした。そこで我に返った。


「ごめん。帰るわ」

 

 友人たちに別れを告げると一切取り繕うことなく、全力で車が入っていったホテルに走った。

おい、と友人の声が背中に投げかけられたが、それを無視した。追ってくる友人はいなかった。

百メートルほど走って、ホテルの前にたどり着くと膝に両手をついた。興奮も相まって、いつもよりも呼吸が乱れて胸が熱かった。息を吸っても胸が苦しかった。

 顔を上げると、ホテルの豪華絢爛な装飾が、ガラス張りの外観から透けて見えた。高い天井にはシャンデリアがぶら下がり、暖色系のライトが白い壁と大理石の床を照らす。そこに赤いカーペットが敷かれていた。


 透哉は息を呑んで中に入る。中には上質に仕立てられたスーツに身を包んだ男が多かった。その男に連れられてか、若い女の姿もちらほら見受けられた。中に父親らしき人物の姿はない。

 辺りを見渡した。ホテルのフロントを見つけ、フロントに並んでいた人たちを押しのけた。押しのけられた人たちは不服そうな顔をしたが、透哉の制服姿を見て、やれやれといった顔をした。

「すみません。富樫宗志って人チェックインしてませんか。――俺息子なんです」

 勢いのままに言った。

 ホテルマンは驚いた表情をした。そうしてすぐに怪訝な面持ちになった。

「すみませんが、お客様のことはお答えすることができません」ホテルマンは勝ち誇ったように続けた。「それにマナーに気をつけなさい」

 子供を叱るような口調に苛立ちを覚えたが、諦めてホテルを後にした。




                  ———✵———




 むしゃくしゃした。失望と苛立ち、それに伴うように首が痒かった。家に着くまでの間、苛立ちは止まることはなく、首を無意識に搔いていた。

 自宅に着くと靴を乱雑に脱ぎ捨てた。足早にリビングに向かう。足音は大きく一挙手一投足全て乱暴だ。扉を開ける音に母の明子は驚いたように透哉を見ていた。

「どうしたのそんなに急いで」

「母さん。父さんが別の女といるところを見た」

「何言って――」

「母さんもわかっているくせに」

透哉は明子の言葉を遮った。

「はっきり見たわけじゃないでしょ?」

「はっきり見たさ」

 明子は呆然と透哉を見ていた。

「ホテルに入っていったよ。俺も母さんも連れて行ってもらったことがないような、高級ホテルに……」

 明子は目を細めた。不快感、そういった類の表情だ。

「透哉。父さんがいなかったら、今みたいな暮らしはできないでしょ。私とあなただけじゃとてもこんな暮らしは無理よ。……だから今夜のことはなかった。そうしましょ」

 言葉を失った。雷撃に貫かれたような感覚が全身に走った。その衝撃は苛立ちを萎えさせるのには十分で、透哉を失意の底へ落とした。

 眩暈がした。呆然ととしながら透哉はリビングを後にした。明子はただ透哉の背中を見つめていた。

 ショックを受けた。明子は宗志がしていることを受け入れ、それを見て見ぬふりをしていた。同時に明子も自分も無力で何もできないのだと痛感した。宗志の手の中で踊らされているマリオネットそう思えた。それは権限のない所有物ともいえた。


 絶望して透哉はある考えに至る。

 

 ――世の中は力のあるものだけが弱者を支配し、踏み台にすることができる。

 俺が支配する側になる。そう決意した。

 しかし、決意の意思は態度には表れなかった。気品があり、矜持が高く、女子にとにかくモテる。支配欲など微塵も感じさせなかった。変わったところといえば、学校の友人と遊ぶ機会が減ったところだ。


 透哉の中で確かに何かに壊れていた。


 放課後はいつも友人と帰宅する透哉だった。しかしこの頃から一人で帰宅することが増えた。

 放課後は町へ繰り出し、喧嘩、恐喝を繰り返すようになっていた。本来の素質か喧嘩は強く、恐喝の手口は巧妙だった。恐喝相手も喧嘩の相手も徹底的に追い詰め、その後に心に寄り添い心の隙間にぬるりと忍び込む。そうすることで相手の精神をコントロールできることを本能レベルで知っていた。そのため相手が通報することも噂になることもなかった。それどころか、皆畏怖の念を抱いて透哉の回りに集まった。

 恐喝した金は学校の友人と遊ぶ時や、恐喝、喧嘩を繰り返すうちにできた仲間と遊ぶために使っていた。


 ある夜。

 不良の仲間たち数人と町へ繰り出した。酒を煽り、クラブのVIP席を予約した。セキュリティは透哉達を訝しむ目で睨めつける。しかし、全く問題はなかった。IDチェックでさえも金を握らせば怖くはない。


 席に着くと仲間たちと再び酒を煽った。仲間たちはフロアを眺め、目に留まった女を席へ呼んだ。そして人数分のテキーラのショットを用意し乾杯をする。大音量のダンスミュージックと、乾杯の声が、入り混じる。


 ショットを流し込む。喉を焼くような感覚がする。息を吹けば生暖かいアルコールの味がした。それを消すように、ふ、と息を吐いた。吐いたと同時に風で飛びそうなほどノリの軽い男がすり寄って来た。

 この男は、友也。喧嘩や恐喝を繰り返すうちに透哉の強さに引かれて寄ってきた取り巻きだ。この男曰く、金は俺が稼ぐから力はお前に任せたい、とのことだった。

 友也は信頼のおける人間ではなかった。誰にでもごまをすり、誰の悪口でもいう。しかし、頭はよくキレる男だとは思っていた。


 その友也が、透哉の耳元で叫んだ。

「最近金遣いやばいな」


 透哉は微笑んだ。

「おかげさまでね」


「それだけじゃ、こんなに派手には無理だろ?」


「ま、いろいろやってるからね」


「いいなあ。俺にも稼ぎ方教えてくれよ」


「それはお前の仕事だろ?」

 透哉は不敵な笑みを浮かべた。


「まあそうだけど」


「まあ、遊んでいる暇がないほど大変だからさ。お前には向いてないよ」


「そんなに面倒なら、いいか」


「その代わりさ。俺がみんなに楽しいこと提供するからさ」

 透哉は友也にウィンクした。


「さすが透哉。期待してるぜ」


 友也に微笑んで、フロアに視線を移す。吟味するような視線でフロアを見渡した。そして視線を留める。フロアを見たまま言った。

「俺ちょっと行ってくる」

 透目に一人の女が飛び込んだ。氷のように青い綺麗な髪、彼女の品性まで現れているようなすらりと伸びた脚。その身体はシャンパングラスのように美しい曲線を描いている。ぴったりと身体に張り付いた衣服は胸元が空いていて、その隙間から大きく盛り上がった乳房をのぞかせていた。その色気に息を呑んだ。


 透哉はフロアの人込みをかき分け、その女の元まで駆け寄った。

「ねぇ」

 レーザーが飛び交う薄暗いフロア、透哉は目当ての女に声をかけた。

 この一言だけで女は振り返った。女の目は、凍てつくように青い、その瞳の奥に業火が見えた気がした。その目が細くアーチを描いた。

 そして、彼女は透哉の手を取った。


「踊りましょう」


 女はしっとりとした、色気のある声で耳打ちをした。

 透哉は手を引かれるがままに踊った。最初は驚き、リードされていたが彼女の手ほどきが巧みだったのか、うまく踊れているような気がした。同時に彼女の掌で転がされているような感じがした。しかし心地は悪くなかい。


「ねぇ、名前なんてうの?」透哉が訊いた。

「フローゼよ。あなたは?」

「俺、透哉」

「そう透哉」女は一度縦に首を振って続けた。「……いいわね。透哉……気に入った」

 そう言われて透哉の心は舞い上がった。

「ねぇ透哉。あなたまだ若いでしょう?」

 透哉の表情が強張った。

「ここにいるんだから、それなりの年齢だよ」

 フローゼは自らの鼻を指で指した。

「私の鼻はごまかせないわ」

「何それ。からかってんの?」

「だってあなた、実際子供でしょう」フローゼは嘲笑のような笑みを浮かべて続けた。「そうね。年齢は十七、十八といったところかしら」

 透哉はぎくりとして、苦笑いを浮かべた。

「なんでもお見通しなんだね。それじゃあダメかな?」

「そうね……私はあなたが好きよ」

 そう言ってフローゼは指で透哉の胸の間をつついた。

 弓で胸を貫かれたような感覚がした。その後に続く絶頂感に全身が痺れた。

「あなた欲求不満でしょう」

 透哉は息を呑んだ。

「私と楽しいことしましょう」


 そう言うとフローゼは、透哉の首に腕を絡めた。透哉の心臓が早鐘を打ち始める。フローゼの顔が迫り、目を見張った。フローゼの瞳が潤んでいた。透哉はその瞳に吸い寄せられるような、奇妙な感覚がした。透哉がフローゼに顔を寄せると、後ろから頭をさらに引き寄せられた。フローゼの顔が数ミリの距離だ。フローゼの吐息が唇に当たる。

 透哉は冷静を装っていたが、内心かなりの興奮状態に陥っていた。下半身は既に準備万端だ。

 今夜は楽しくなりそうだ、と思っていた。


「受け入れなさい」


 フローゼが言ったの直後に、フローゼの唇と透哉の唇が重なった。それを受け入れる。唇が重なった瞬間、全身に電撃が走って痺れた。そして、身体が支配されている感覚がした。それが心地よく幸福に感じた。その絶頂はすぐに訪れた。

 フローゼの舌が口内に滑り込んだ。ねっとりとした感覚が透哉を欲情させた。フローゼの舌に自らの舌を絡めた。

 その瞬間、内側から溶けるような、多幸感、陶酔感が弾けだした。口の中に何かが広がっていく。甘味料のように甘く、ねっとりとしている。

 音がぼやけたような、籠ったような音に変わった。視界がぼやけ、光が彗星のように天井を駆けた。


 透哉の身体は痙攣しフロアに崩れ落ちた。無限に続く幸福感と陶酔感の中、どこまでも続く絶頂間に中に、意識は飲み込まれた。





                  ———✵———




 この世の至福。えも言えぬ幸福感が口の中に広がっていた。たまらなく甘美な味わい。まるで神が作り出した禁断の果実。芳醇な香りが口の中にほんのりと漂っている。それらが混ざり合い、口の中でねっとりと甘く弾けた。


 透哉はゆっくりと目を開いた。レーザーの光が往来する天井が見えた。いつの間にか酔い潰れていたのか、と思った。しかし、そこまで飲んだ覚えはない。最後の記憶を辿る。フローゼを思い出すことにそこまでの時間は要しなかった。


 薄暗いフロアに近くにフローゼの姿はない。ふと気がつく、やけに静かだ。音楽が流れていない。それどころか人がいる気配スあ感じられなかった。水滴が水面を打つような澄んだ音だけが聞こえる。

 狐に化かされたような気がした。幻だったのだろうか? 

 地面に着いた背中が生暖かい。地面に重く転がした腕を床に滑らせると、ぬめり気のある液体が腕にへばりついた。片方の掌に、いつの間にか何かを握っていた。暖かくて弾力がある。掌を検める、太い管が握られていた。それが何なのかわからず少しの間、掌でそれを弄んだ。


 身体を起こそうと腕を地面に着く、床に広がった液体で滑り顔から地面に突っ伏した。べちゃりと顔が液体が浸った。顔を上げる。とても良い香りがする、それは鼻腔を刺激した。顔面に付着した何かを舐めた。ああ、口に広がっているのはこの味だ。

 辺りを見渡す。強い光が降り注ぐ。暗闇の向こうに腰をかけた人影が一つ見えた。姿は逆光でよく見えない。


「えっと……」

 状況が飲み込めず言葉が出てこなかった。

「あら、やっと気がついたの。楽しいパーティーだったわね」妖艶で落ち着いた女の声だ。

 黙って人影を見つめていた。天井のライトが自動的に動き、女を照らし出した。その姿を見て背筋が凍りついた。女の目が微かに紅く光っているように見えたからだ。――吸血鬼それが脳裏に過り死を予感させた。更に透哉を絶望させたのは女の正体が、フローゼだったこと、そしてその姿が、夥しいほどの血に塗れていたこと。それが透哉を芯から震え上がらせた。


 透哉は尻もちをついて後退った。脚や腕に弾力のある管が絡みつく。

「なんで怯えるの? 一緒に楽しんでいたじゃない?」

「何を……」恐怖で声が震えた。

「ちゃんと見なさいよ」

 透哉はそう言われて周囲を検めた。薄暗い部屋の中、不思議と目はよく見えた。そこは地獄絵図だった。地獄があるなら、きっとこんなところかもしれない。そう思えるような陰惨な光景だった。床は一面血の海。そこに沈むのは臓物と人の残骸。

 足元には、人の頭部が転がっていた。後頭部は陥没し、そこから血か脳髄かそれとも両方なのか、とろみのついた液体が流れ出ている。

 それを拾い上げた。思っていたよりも人の頭部は軽かった。顔は損傷は少ないが、血で汚れていて誰かは判別がつかない。その血を手で拭った。現した顔は恐怖で歪んだままだ。その顔には見覚えがあった。それは友也だった。それに気がつくと錯乱して叫んだ。悲しい、そういう感情は湧きあがらなかった。涙も当然でない。あまりにも現実離れしていて、頭のキャパをオーバーしただけだった。


「あなたが殺ったんじゃない」フローゼは嘲るような笑みを浮かべた。

「俺が……?」

 透哉は真っ赤に染まった自分の掌を眺めた。

「そうよ。つまらないつまらない、俺が支配してやる。そう言ってたじゃない」

 透哉は友也の顔をもう一度検めた。信用はできなかったが殺したいほど憎い相手ではなかった。全員支配する。それは殺しや、暴力でという意味ではなかった。


 ――俺の人生終わった……。


 そう思った時、記憶がフラッシュバックした。自分が行った非道とかつて感じたことのない幸福感。そして生命、みなぎる力、全てを思い出した瞬間、腹の底から笑いが込み上げた。

 ひとしきり声を上げて笑うと、フローゼが言った。

「あなたは選ばれたのよ」

「選ばれた?」

「そうよ。あなたはヴァンパイアになったの。世界を支配するものよ」

「世界を支配。俺が?」

「そうよ。最高でしょ。こんなクズどもを蹂躙してやるのよ」

 透哉は顔をぐしゃぐしゃにして笑みを浮かべた。その表情は純然たる悪そのものだ。

「最高だ。ありがとうフローゼ」気分は高揚していた。

「いいのよ、そんなの。――その代わり、金色の目をした吸血鬼を見つけたら、始末してくれないかしら?」

「金色の目?」

「そう。金色の目の吸血鬼。龍の目を持つ吸血鬼。その吸血鬼はね、私の敵なのよ。だから見つけたら消してほしいの。もちろん消してくれたら、お礼もちゃんとするわ」

 フローゼは舌なめずりをした。

「お礼なんて、とんでもない。こんな力を手に入れたのに」

「そう。いい子ね」

 フローゼは透哉に近づくと彼を抱きしめた。そして不敵な笑みを浮かべた。

 透哉はフローゼの胸の中で幸福を感じた。薔薇の香りがした。まるでバラの庭園にいるようだ、と思った。


 

「そうだ」フローゼは透哉を離した。「これだけは言わないとね。ヴァンパイアハンターだけには気をつけてね」

「ヴァンパイアハンター? 話には聞くけど強いの?」

「強い奴もいる。基本的に二人一組のバディだから見つかると厄介ね。もし見つかったのなら、逃げるべきよ」

「こんなにすごい力なのに?」透哉は嘲るように言った

「目覚めたばかりのヴァンパイアなんて簡単にやられるわ」

 フローゼも馬鹿にするような笑みを浮かべた。

 透哉は気圧された。

「そうか、ごめん。気をつける」

 フローゼは微笑んで頷いた。

 

「これ、どうするんだ?」死体を見渡して言った。

「任せてちょうだい」

 フローゼはそう言うと、指を鳴らした。その瞬間、部屋一面が青い炎に包まれた。その炎に熱気はなく驚くほどの冷気を放っていた。まるで彼女の瞳の奥に宿るもののようだった。再びフローゼが指を鳴らすと燃え盛っていた炎は一瞬にして消え去り、凄惨な光景も、置かれていた機材も見る影もなかった。ただただ殺風景なだけの空間がそこに広がっていた。

「じゃあね。また会いましょう」


 フローゼは腰を持ち上げると出口に向かって歩みを進めた。出口に差し掛かると、フローゼは立ち止り透哉を振り返った。


「あなたも早くここから逃げなさいよ。殺されちゃうから」

「殺されるって、誰に?」

「決まってるじゃない。ハンターよ」

「ハンターが来るのか?」

「多分、数分後には来るわ。だって私、モテるんだもの」

フローゼはふっくらとした唇で指先を咥えた。透哉は息を呑んだ。

「それじゃあまたね」

 フローゼは嬌笑を浮かべた。そしてフローゼの身体が透け始めた。ガラス細工のように輝いて一瞬にして霧散した。それは花弁のように舞い散った。


 フローゼがいなくなり室内は返り血でドロドロに染まった透哉が一人。室内は静まり返っていた。高揚感と同時に心の底から笑いが込み上げた。雄叫びのような愉悦の笑いが響いた。今まで吸血鬼に対して、嫌悪、恐怖の感情を抱いていた。しかしいざ自分が吸血鬼になるとこれほど最高の気分はない。透哉は全知全能になった気分だった。


 何だこれ、と言う驚いた男のがした。

 透哉の笑いはピタリとやんだ。

 声がした方を振り返ると筋骨逞しい大柄な男が立っていた。黒い地のTシャツの胸に、SECURITY、という文字が白色でプリントされている。このクラブのセキュリティだ。

「そこのお前。みんなどこ行った?」

 男は怪訝そうに透哉に問う。

「みんな、青いバラの花園へ消えていったよ」

 透哉はそう言って男の横を素通りしようとした。

 男は血塗れの透哉を怪しんでいた。

「ちょっと待て」

 男は凄んで、透哉の二の腕を掴んだ。その瞬間透哉の中で苛立ちと強い殺人欲求が沸き起こった。理性を挟む間もなく衝動的に動いた。

 男が透哉の腕を掴んだ刹那。男の腕が吹き飛んだ。男は自らの腕が飛んだことを認識することに時間を要した。自らの腕が宙を舞い、血を撒き床を汚した。男の顔を汚してゴミのように腕が床に落ちた。そうして男はようやく自らの腕が吹き飛んだことに気がつく。


 男は絶叫し欠損した腕を抑え蹲る。

 透哉は不敵な笑みを浮かべた。感じたことのない、快感が電撃のように体中を駆けた。

――ああ、この陶酔感だ。もっと叫べ、嘆いてくれ。

 男を見降ろした。男は痛みに悶えながら透哉を見上げた。男の目には涙が滲み出していた。痛みと得体のしれないものを前にした恐怖で立ち向かう気力も失くしていた。

「頼む。助けてくれ」叫んで男は懇願した

「どうしようかなあ。お前が悪いんだよ。俺を引き留めるから。思わず殺したくなっちゃったじゃん」優越感に浸っていた。

「なんでもする」

「なんでも――する?」

「すいません。なんでもします」

「そっか、じゃあまず土下座してみようか」

 男は、わかりました、と言うと自らの血溜まりの上で、土下座をして見せた。

「もっと、おでこを床に擦り付けないと」

 はい、と男は震えた声で返事をして、自らの血だまりに顔を沈めた。


 男を見下ろしているとむらむらとした。我慢できず男の頭を踏みつけた。足を通じて男の息遣いと生命を感じた。今すぐにでも踏み潰してしまいたい、という衝動ともう少し遊びたいという衝動の間で揺れ動いていた。

 心を制して男の頭から足を下ろした。

「もういいよ立って」

 男はゆっくり立ち上がろうとした。床に建てた膝を持ち上げた。そうして身体を起こそうとした瞬間、なぜか男は床に突っ伏していた。男は小さく呻き声を上げた。自らに何が起こったのか理解ができなかった。


「知ってるか。達磨さんって九年も修行したせいで手足が無くなったらしいよ」

 男はそう言われ、表情を強張らせた。次第に熱を帯び始めた脚に違和感を覚える。男の顔が脂汗で光って絶望の表情に染まった。それを確認すると透哉は笑った。

「よかったねぇ。数分。いや、数秒で崇高な姿になれて」

 男の喉が大きく動いた。大きく硬いものを飲み込むようだった。脚の付け根が熱かった。立ち上がろうにも、脚には熱以外の感覚はなかった。恐る恐る上体を起こそうと、腕を着こうとした。だが腕が地面に着く感覚がない。男の背筋が凍った。恐怖で硬くなった首をゆっくり捻り、自らの身体を検める。視界がぼやけて揺れた。目を細める。手足が根元から無くなっていた。

 

男は嘆き、叫んだ。

「もういいよ。おやすみ」

 透哉は男の頭に足を乗せた。そうして、ゆっくり足に力を込めた。

 男は叫んだ。骨が軋む音が頭の中で響いた。

 男の絶叫が室内に響いた。そこに透哉の哄笑の声がデュエットした。

 大きな石を水面に投げたような音がした。男の頭蓋骨が砕けた。男の頭は熟れた柿のように潰れ、男の絶叫は止んだ。


 男の頭が潰れた瞬間、透哉の頭の中に脳漿が噴き出す感覚がした。脳内が冷たくそれでいて興奮するという感覚だ。


 感謝した。自分に素晴らしい能力を授けたフローゼに対して、そして生まれてきたことに。

 出口を出ると階段があり、その下から人の声がした。何やら騒がしかった。

 引き返すと部屋の奥にあるスタッフルームへ入った。奥には窓があり、その窓を開け放った。五メートルほど離れた向かいにはビルがある。なぜかいけると確信できた。窓から飛び上がると向かいのビルの壁を駆け上がった。


 建物の間を縦横無尽に駆け回る。目的地は高級ホテルだ。もちろん目的は父親だ。今夜もそこにいるに違いなかった。


 ――この力さえあれば何も怖くない。

 透哉は狂喜を抑えきれず大声で笑った。その声は街中に響き渡った。町の人々は上空を見上げる。しかし誰がどこで大声を上げているのかわからず、すぐに興味を失くした。


 ビルとビルの間を飛び、ガラス張りの高層タワーの壁を駆け上がる。人間の身体能力では壁を蹴って上ることは不可能である。しかし吸血鬼であれば坂道を駆け上がるよりも容易かった。


 屋上まで駆け上がった。人は誰一人もいなかった。普段夜景を見るスポットとして入場可能なこの場所も深夜2時を超えていては営業は終了している。


 街を見下ろした。街の灯りは自分の行く先を示しているように思えた。行く先を見据えると、ビルの反対側まで駆けた。大きく助走をつけるとそのまま宙に向かって飛んだ。

 身体いっぱいに風を感じた。風が身体の横を通り抜けていく。ビルの間を通り抜ける度に風が高い音を立てた。街を歩く人も道路を走る車もありのように小さかった。


 目的地に近づいてきた。着地地点は屋上の室外プール。

 着水の瞬間クジラが撥ねるたような大きな水飛沫と重いものが水面を打つ爆発音がした。プールの水は半分以上が外に流れ出し、プールに残った水は僅かだった。水を浴びたおかげで付着していた血液の大半が洗い流された。


 プールが浅かったため身体の骨が軋み、砕けた。


「いってぇ」

くの字に折れた足で立ち上がる。


プールから這い上がると、バルコニーの扉が開いた。

「なんだなんだ」

 音に驚いた宿泊者の男が中から現れた。その男を目で捉えると透哉の目の色が変わった。中肉中背、小ぎれいに整えられた身だしなみ、白髪交じりの灰色の髪、父親の宗志だった。

 宗志の肩越しから若い女が覗き込んでいた。二人とも全裸にローブ姿だ。


 心臓が早鐘を打ち始める。顔が熱くなり荒れる呼吸が荒くなることを自分でも感じた。

 興奮で震える声を制止しながら言った。

「見つけたぜ。親父」

 宗志の表情は強張っていた。

「透哉。お前どうやって」

 透哉は空を指した。

「飛んできたさ」

「そんなバカな」

「確かめてみようか?」

 透哉の目の色が文字通り変わった。血のように深紅の瞳だ。その瞳が微光した。同時にくの字に折れ曲がった足がうねり、瞬時に回復した。


 宗志の喉が上下した。

「お前、まさか」

「そのまさかだよ。親父。今度は俺が支配する番だ」

「何を言ってるんだ。落ち着け」

「黙れ。金の奴隷」


 鷹揚な足取りで宗志との距離を詰める。

 宗志の後ろにいた女が悲鳴を上げ、薄暗い室内に走り出した。

 宗志は女の悲鳴に驚いて振り向いた。だがそこに女の姿はなく代わりに透哉が立っていた。宗志の顔が強張った。咄嗟にプールを振り返る。透哉の姿はなく視線を戻す。

 宗志は瞠目した。透哉の手には鮮血がねっとりと絡み、指先から血が滴っていた。宗志は震駭した。血液の雫が落ちる先に視線を落とした。

 床には首が切り離された女の体躯が転がっていた。

 宗志は後退った。踵に何かが当たった。蛇が身体を這いずり回るような嫌な予感がした。喉を通ることを拒む固唾を呑み、踵に当たったものの正体を見た。そこに女の首が転がっていた。その表情は恐怖で歪んだままだ。

 宗志は絶句した。身体から骨が抜けたようにその場に座り込んだ。何も言わず女の首を抱き上げると掌で目を覆った。そして大切なもののように抱きしめた。


 その父の姿が火に油を注いだ。

「そんなにその女が大事かよ」

 宗志は何も言わず、ただ泣きじゃくっていた。

 透哉は舌打ちをして腕を振り上げた。

「拍子抜けだ。くそが」

 振り上げた腕を振り下ろす。父親の首は刀を振り抜いたかのように簡単に落ちた。足元に父親の首が転がった。死んでもなお、父は涙を流し続けていた。

 透哉の鬱憤は晴れることはなかった。足を振り上げると感情のままに父親の頭を踏み潰した。父親の頭はトマトのように簡単に潰れた。透哉は高笑いした。しかし、ただ虚しさを埋めるためのから笑いだった。


 透哉はすぐに笑うことを止めた。しばらく呆然としていた。 

 突然ドアを叩く音と同時に中を心配するような男の声がした。女の悲鳴で人が駆けつけたのだろう。

「大丈夫ですか」

 透哉は狼狽し、同時に苛立った。女と宗志の亡骸に目を向けて睨んだ。こいつらのせいだ。ドアの外から複数の人の気配がした。中を怪しむ声が聞こえる。迷っている間はなかった。

 どうすることもできないうちにドアが勢いよく開いた。空気が揺れた。ドアは壁に打ち付けられ部屋中に衝突音が響いた。

 透哉の心臓が縮み上がった。


 ドアから入ってきたのは、未成年に見えるほど若い青年と中年くらいの男だ。青年は浅黒い肌をしていて目つきが鋭い。中年の男は無精ひげを生やし、目に精気がなかった。男たちはこの季節に似合わず喪服のように黒々とした厚手のコートに身を包んでいる。

 ハンターだと思い身構えた。しかし武器になりうる様なものは携帯している様子もなかった。むしろ手ぶらだ。


「逃げらたか」中年の男が言った。

「耄碌したかおっさん。気配感じるだろ」

「少しはできるようになったな。若獅子」

「まあな」

「軽口はいい。それより御遺体さんがひどいありさまだ」

 男たちは透哉の前を素通りし、床に転がる死体を伺っていた。


 透哉は何が何だかわからなかった。なぜ自分を素通りしたのか。そこに何もないといった様子だった。男達と身体が接触しそうになり、透哉の方が避けたほどだ。


 ――陽動作戦か? 何の意味があって? 透哉は疑心暗鬼になっていた。

 今が危機的状況であり、逃げなければならいということは理解している。この目の前にいる男達がハンターでなくとも、警察などの組織であることは間違いなかった。しかし何が起こっているのかわからないため、その場から動くわけにもいかなかった。唾を飲むことも我慢して男たちの動向を見守るしかなかった。


「クソ。間に合わなかった」

 青年が悔しそうに奥歯を食いしばった。

「あいつらは、神出鬼没だからしかたねぇよ」

 そう言って男は死体に手を合わせる。

「すみませんでした」

 青年も男に倣って死体に手を合わせた。二人の中指が光りを反射した。シルバーのリングだ。デザインは別だが、よく似ている。吸血鬼対策だろうか?


「これは快楽殺人……いや、怨恨だな」

「なんでそう思うんだよ。吸血鬼ならこれくらいは普通だろ」

「いいや、よく見ろ。男の顔は潰れているのに対して女の顔は綺麗だ。おそらく男に対しての恨みによる殺害だな」男はバルコニーに続く開いたままの扉を一瞥して続けた。「プールの水の飛散量。床に付着した水。侵入ルートはここだな。これは防犯カメラにも映ってないかもな」

男は顎をこすった。

「さすがおっさんだな」

「まあな。お前も数年後にはこれくらいわかるようになる」

 透哉は男の完璧な推察に動揺した。自分に気がついていない今のうちに逃げ出そう、と足を踏み出した。何か固いものを踏んだ。それはプラスチックが割れるような音を立てた。宗志の頭蓋骨の欠片だった。

 その瞬間、鎖が擦れる音と共に棒状の何かが透哉に向かって飛んだ。彼は目の切れ端でそれを捉えた。しかし躱しきれずそれが脛を掠めた。


「掠ったか」中年の男は言った。

 男はいつの間にか、双節棍を手にしていた。双節棍は重厚な黒い鋼のような素材でできていて黒光りしていた。

「いるな」

 青年が呟くと同時に青年の掌の中に刀が現れた。刀の刀身は赤く柄は黒かった。

「やっぱりまだまだだな、若造、近くにいるぞ」

「おっさんに言われたくねぇよ」


 透哉は背中を濡らしていた。今自分の目の前にいるのはヴァンパイハンターで間違いないと確信したからだ。足の傷は浅かったにも拘らず流血が止まらない。

 息を殺し足を忍ばせる。一歩、もう一歩と部屋の出入り口へと向かう。

 部屋の出入り口に来た時、透哉は驚いた。出入り口すぐ横に掛けられた鏡の中に自分の姿がなかった。視線を自分の腕に移す。あるはずの腕がそこにはなく床が見えた。腕が欠損したわけではなかった。身体が透明になっていた。透哉の胸中に再び喜びが沸き起こった。思わず声をあげそうになったが押し殺した。


 開け放たれたままのドアを出て、そのまま悠々とホテルの正門から出た。


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