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鬼覇ノ王眼  作者: 袖山静鹿
 Ⅲ 冨樫透哉
13/17

Ⅲ-Ⅱ



 教室に戻ると、すでに担任の山内が教卓に立っていた。空人の顔を一瞥して、深く刻まれた眉間の皺が伸びた。空人の表情が青白く死人のようだったからだ。


「大丈夫か?」


 空人は首を縦に振った。不安は募り、腹の中で不安が轟々と激しく渦巻いている気がした。そのせいか吐き気までする。


「本当に大丈夫か? 顔色が悪いぞ」


 大丈夫です。空人がそう答えると、山内は訝しむような視線で空人を見て、鼻で短く息を吐いた。


「じゃあ席に着け。体調が悪くなったら保健室に行くんだぞ」


 空人はわかりました。と答え自分の席に向かう。教卓の前を通り自分の席がある列に差し掛かった時、ギラリと何かが光った。最前列の席からだった。光った方向に視線を投げた。シャーペットの眼鏡が光を反射していた。その奥の目と目が合った。その目の眼光は冷たく、軽蔑の色が含まれていた。


 空人は顔を引きつらせてそのまま素通りした。

 海月が心配そうに上目遣いで空人を見ていた。

「大丈夫? 顔色悪いよ?」

「大丈夫だよ」

「本当?」

「うん。病み上がりだからかな」


 空人は乾いた笑いを浮かべた。

 海月は、そっか、と一言言って、前に向き直った。それからこちらを振り返ることはなかった。


 空人は上の空だった。授業の内容は一切入ってこない。富樫透哉が気になって仕方がなかった。朝の光景を空人は思い返していた。透哉の反応は、空人が生きているということを知らない様子だった。どういうことだろうか。もし透哉が自分を吸血鬼にした相手ではないのであればいったい誰が。

そして生きていると知った彼は、いったいどのような行動に出るのか。

もしかすると、殺しに来るのではないか。そう考えると、怖気が全身を包み込んでいた。




                ———✵———




 気がつくと、お昼のチャイムが鳴っていた。

空人はあらかじめ、そう動くように決められた、機械のように屋上へ向かった。屋上ではいつものように斎藤たちがたむろしていた。しかし、それはいつもと様子が違っていた。

 斎藤は空人を怪訝そうに見た。それは伊藤と田中も同様だった。


「なんで来たんだ。もう来なくていいんだよ」斎藤が言った。

 空人は呆然と地面を見つめていた。その様子を斎藤達は気味が悪そうに見ていた。

「なんだよ。気味が悪いな」

 斎藤たちは立ち上がり空人に向かっていく。だがその足は空人の前で止まることはなく、空人を素通りした。そうしてそのまま出口から出て行ってしまった。

 空人はそのまま、その場に座り空を見上げた。


 ――僕はどうして、こんなにも意気地なしなのだろう。

 ――また失うかもしれないのに。


 失いたくない。その気持ちを強烈に胸に抱いている。だがそれ以上にあの日のトラウマが鮮烈に脳裏に刻まれている。やらなければならない。わかっていても行動に移せないでいる。行動しようとすれば何かが空人の一挙一動を憚る。

呆然としているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。掃除の時間だった。

空人は受動的に立ち上がり、掃除場所へ向かった。




                ———✵———




今日のごみ捨て当番は空人だった。ゴミ袋二袋持つと、一階に降り、裏手にある出口から駐輪場へ向かう。駐輪場は日差しが悪く日ごろからあまり人がいない。しかし何かがいるような、そんな嫌な気配を感じていた。鼻に脂汗が浮き始めた。駐輪場は校舎と車道に挟まれている。車道側には、木立が並んでいて、こちらを見る者はいない。


校舎裏にある校舎の窪みの前に差し掛かった時だ。空人の体が窪みの中へ吹き飛んだ。強い力に突き飛ばされるような感覚を感じた。そのまま足がつく間もなく壁に押さえつけられた。

何者かが首を掴んでいる感覚がした。そこにひと肌のような生暖かく柔らかい感触があった。その首を掴む感覚は徐々に強まり首に食い込んだ。首が締まっていく、空人は咄嗟に絡む何かを掴む。そこに明らかに人の手があった。


肺いっぱいに息を吸おうと口を開いた。だが吸うことが困難なほど喉が絞まっていた。喉の奥からは枯れた音がするだけだった。


首を締めつける力は一層強まり、空人を高く持ち上げた。

「なんで生きてるんだ」焦燥と苛立ちを感じさせる男の声がした。


目の前の光景が屈折し、陽炎のようにようにゆらゆらと揺れた。それが徐々に人の形を成した。それは透哉だった。


空人は精一杯の力で開けた目で透哉を見下ろした。透哉の目は血走り、深紅に染まっていた。今朝見た表情とは全くかけ離れ、別人のように殺意で歪んでいた。はっきりと空人を殺そうという意思が宿った目だ。


「答えろ。返答によっては生かしてやってもいい」

 空人の首を掴む力が少し緩んだ。辛うじて話せるほどの少しの力だ。

「なぜ生きている。なぜ傷もない」

 空人は何とか吸った息を絞り出すように、声を押し出した。

「吸血鬼……」

「ああ?」

ドスの効いた声で言って透哉の顔が迫った。

「……吸血鬼にしたのはあんたじゃないのか?」


突然透哉の手が離れた。彼の瞳は大きく揺れた。

「……まさかお前、転生したのか」

透哉は恐ろしいものを見るかのように後退った。

空人はその場に膝をついて咳き込んだ。息を大きく吸い呼吸を整えることに全力を尽くした。

「俺はお前を確かに殺した。俺はお前を吸血鬼にはしていない」

「じゃあ誰が……」


「どっちにしろお前を殺さなきゃ、俺の学園生活が終わってしまう」

透哉の瞳に動揺の色が消えた。再びはっきりとした殺意がその目に宿る。

 堅牢な壁のひんやりとした感覚が背中を伝う。背中は湿り、こめかみに伝う汗は顎先に流れた。空人の瞳に光が灯った。壁を背に覚悟を決めた。


「お前、そうか。お前がそうなのか。お前が龍の眼か」

 透哉は空人の黄金に輝く瞳を見て、不敵に笑みを浮かべた。いつの間にかコンタクトレンズがとれてしまっていた。

「龍の眼?」

「それにしても気持ちわりい。なんで片目だけなんだよ」

透哉は右目を隠して言った。


空人は咄嗟に黄金色をした左目を隠した。その瞬間脳裏に左目を覆い隠す自分の姿が映った。ひどく眩暈がした。脳裏に映る自分の映像と視界からの情報が錯綜して、うまく処理できないでいた。空人は目を閉じ、地面に蹲った。


「何だよ。龍の眼っていうのはこんなものなのかよ。こんな腑抜けとはな」透哉は鼻を鳴らして続けた。「お前は殺せって言われてるからな」


 透哉は空人に迫り頸部に手を掛けた。空人は呻き声をあげるだけで抵抗はしない。

「まあ、どちみち殺すんだけどな」

 透哉は空人をひょいと上空に投げた。

「昇竜拳」

 透哉は声を上げて飛び上がると空人の腹に拳を突き立てた。拳は腹めり込で、身体がへの字に曲がった。衝撃で一メートルほど宙へ跳ね上がると、自由落下し地面に転がった。


「そんなに遊んでる暇もないか。残念」

透哉は両手を広げ肩を竦めた。肩を下ろすと不気味な笑みを浮かべた。その笑みには人間のものとは思えないほど冷たく残忍性が滲んでいた。

その表情を見上げて、今度こそ最後だと思った。逃げだそうと思い立ち上がるが脳裏に映る映像に邪魔され、うまく平衡感覚、方向感覚を掴めず壁に激突した。

 地面に横臥する空人を見て、透哉の表情は更に冷ややかなものになった。

「何やってんの」


 透哉の瞳が赤い輝きに満ちた。拳を振り上げた瞬間、透哉の背後から物音がした。透哉は咄嗟に拳を収め、背後から飛んできた蹴りを目の切れ端に捉えた。そうして紙一重で躱す。顔面を狙った蹴りは透哉の頬を掠め、極めの細かい陶器のような肌を切り裂いていた。そこから赤い血がぷっくりと溢れ出し、たらりと流れ出る。その瞬間周りの色に溶け込むように彼は姿を消した。残ったのは地面に落ちた透哉の血痕だけだった。


「逃げたようね」

シャーペットは落ち着いた声で辺りを見回した。

そうして、地面に転がった空人を睨むように見た。

「情けないわね」

 空人はシャーペットから目を背けた。だがそれは、自分の情けなさを悔やんだからではなかい。不可抗力でスカートの中が見えそうになったからだ。


 空人は目を伏せたまま、地面から身体を起こした。

「シャーペット。スカート」

「大丈夫よ。中にスポーツウェアを履いているから」

シャーペットは落ち着いた口調で答えた。


「それよりあなた。死のうとしていたでしょ」

 空人は、え、っと小さく声を漏らした。

「あなた死のうとしたでしょ?」

「死のうとは――」

 シャーペットは空人の言葉を遮った。「死を受け入れるのは、死のうとしているのと同じ。自ら命を絶つことと、命を諦めることは同意なのよ」

シャーペットの表情は依然として無機質に見えたが、空人には彼女の感情がわかるような気がした。


「ごめんなさい」

「次死のうとしたときは私があなたを殺す。――だから私の手を汚させないで」

「わかった」

 空人は子供のように俯いた。シャーペットは呆れたように、ふっ、と短い息を吐いた。

「まあいいわ。――それで何か収穫はあった?」

「違うらしい……」

「何が?」

「あいつじゃないらしい……僕を吸血鬼にしたのは」

「……じゃあ誰が?」

「わからない。あの時、目が覚めた時には、君が目の前にいたし」

「私じゃないわ。安心して」

 空人は苦笑いした。

「そこは心配していないけど」

「なにであれ、あなたを吸血鬼にした相手も調査もしないといけないわね」

 空人は首を縦に振った。

「それより……学校であなたを狙ったってことは焦っているのね。またあなたを狙うに違いない。もしかするとあなたの周りにも被害が及ぶかもしれない。だから――」

「協力する」

シャーペットの言葉を遮った。彼女はきょとんとした。

「ええ。私もサポートする」

シャーペットは空人の目をじっと見つめた。


「学校が終わったら事務所に必ず来なさい」

「え、なんで」

「そう決まっていたでしょ」

 そう言うとシャーペットは正門のほうへ踵を返した。

「ホームルームが始まっちゃうわ」

負っていた傷は既に治っていた。痛みもどこかへ消えていた。空人は焼却炉まで走った。ごみを焼却炉へ投げ込むと、先を行くシャーペットを追った。



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