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鬼覇ノ王眼  作者: 袖山静鹿
 Ⅱ 吸血鬼の性
11/17

Ⅱ-Ⅴ


ひどい頭痛がして、目が覚めた。目の前には生成色をした天井が広がっている。

顔を上げると、柔らかくいい香りがした。掛け布団がかけられ、深緑色のベッドに寝ていた。それも空人一人を寝かすには大きすぎた。どういう状況なのか皆目見当もつかない。


「ここは……」確認のためにあえて声に出した。


上体を起こし、空人は辺りを見渡した。空人にとって全く見覚えのない場所だ。部屋は茶色が基調とさえており、趣向の凝らされたアンティーク調の家具や骨董品が置かれている。端々に置かれた過敏には、白い百合の花が数本刺さっていて甘い香りが部屋を満たしていた。


空人は息を呑んだ。花瓶も家具もきっと高価なものばかりで、場違いな自分がいることに緊張した。


どこかの高級ホテルだろうか。そう思った。


ひどく頭が痛んで、額を抑えた。記憶が断片的に思い出された。自分の醜い姿と、海月の涙だ。

いったい何があったのか。なぜここに自分がいるのかわからない。頭の中に靄がかかったようにスッキリしない気分だった。


掌がぬるりとした。空人は掌を検めた。掌には鮮血が握られていた。空人の瞳が揺れ動いた。


海月を殺したのか? 背中がびっしょりと濡れた。


息を呑んで瞬きをする。目を開くと手に握られていた鮮血は跡形もなく消えていた。

ふっと息を吐いた、だが湧き上がる嫌な予感は消えず、不安と嫌悪感が胸の中に募った。胃がキリキリと痛み、吐き気がした。


真相を確かめないと。そう思い空人はベッドから抜け出した。自分の着ていた服が制服ではなく、灰色の寝巻になっていることに気がついた。サイズは大きく空人の体系には全く合わない。手で持っていないと、ズボンは脱げてしまいそうだった。


「服が違う」

そう疑問に思った時、開放感を感じた。下半身を縛るものは何もなく、爽快感がズボンの裾から吹き抜けた。空人の顔は紅潮した。

「まさか。誰かが。パンツを」空人は自身の局部を抑えた。


恥ずかしいけど、ここから出ないと。下半身はぶらぶらと揺れた。

空人は部屋を見渡した。部屋には三つの扉があり、それが空人を困惑させた。


「どれが外へつながるんだ」


空人は、部屋をもう一度検め、一番近くにある木製の扉を少しだけ開いて覗き込んだ。

扉の先は真っ暗だ。誰もいなさそうだ、と思い扉を全開にした。よく見ると、扉の向こうは闇ではなく壁だった。真っ黒な壁だ。その壁は奇妙な凹凸が起伏していた。触ってみると少し柔らかかった。


空人は強烈なプレッシャーを感じた。ゆっくりと上を見上げる。そこに二メートルを優に超えているであろう巌のような男いた。男は恐ろしい剣幕をして空人を見降ろす。眉間には深い皺が刻まれ、エメラルド色の瞳は陰って眼光の鋭さが際立っている。下顎は非常に発達し、ピラニアのように突き出ている。そこから猪のように長い牙が突き出している。

鬼だ、赤鬼だ。空人は思った。男の頭髪は、赤く短く刈り上げられていた。


空人は男の姿に身がすくんだ。

男は何も言わず微動だにしない。ただ無言で空人の前に立ち、空人を睨みつけた。空人も男から視線を離せずにいた。

空人の体感にして十分。空人は固い唾を飲むこともできず、ただ背中に冷たい汗をかいていた。実際の時間にして六秒程が経過した。


「目が覚めたみたいだね」品のよさそうな若い男の声がした。「身体は何ともないかい?」その声は大男のほうから聞こえた。


大男の口は一ミリたりとも動いてはいない。当然腹話術ではないだろうし、使うような風貌でもない。

まさかこの男ではないだろう。

空人は大男から目を逸らし声の主を探した。すると大男の後ろから、モデルのように手足の長い男が現れた。

空人は男の色気に息を呑んだ。男は極めて端正な顔立ちだ。顔のパーツすべてが黄金比率に収まり、それでいてフランス人形のようにまつげが長い。身長も隣の山男ほど高くはないが、スラリと高く、ベストとシャツ越しでもわかるほど、身体は引き締まっている。少し長めの髪は黒く、綺麗に整っている。その完璧な容姿は、さながら少女漫画の王子様だ。


男は空人を見るなり、豪快に大口を開いて笑った。

「ウルヴェルト。君の顔が怖いせいで怯えているじゃないか。かわいそうに」


「俺の顔?」ウルヴェルトは見た目に反して、ぼそりと小さな声で呟いた。


「そうだよ。ウルヴェルト。君のその鬼瓦のような顔だよ。そんな顔してると、その大きな口で喰われるんじゃないかと思っちゃうよ」爽やかな男は空人に顔を向けて続けた。「ね、空人君」


空人は苦笑いをして、渋々頷いた。


「ほらね。だから笑って」


「こうか」

ウルヴェルトは、ひしゃげるように口角を湾曲させ、眉間の皺を伸ばし目元を細めた。しかし次の瞬間には、顔面にひびが入り、そのひびが広がるように皺が元に戻った。その顔は笑顔とはほど遠く般若のようだ。


空人の身体に悪寒が走る。


爽やかな男は、ウルヴェルトの顔を見て噴き出した。


「それは泣く子も黙るな」男は哄笑して、ウルヴェルトの肩を叩いた。


ウルヴェルトは、心なしか口を尖らせて、不満げな顔をした。意外と繊細な人なのかもしれない、と空人は思った。


男はひとしきり笑って目に浮かんだ涙を拭った。背広を整えた。


「いや、失礼。名乗り遅れました。僕はギルバート」男は胸に手を当て、慇懃な態度で一礼した。「それと、このでかくて鬼瓦みたいなのがウルヴェルトだ。不愛想だけど悪い奴じゃないから身構えないでくれ。こう見えて繊細だからな」


ギルバートは空人に微笑んだ。


空人は小さな声で、どうも、といって会釈した。


「シャイボーイだね。ま、うちのウルヴェルトには負けるか」ギルバートは空人の顔を覗き込んだ。


「うん。思ったより元気そうで何よりだ。シャーペットが運んできた時は、死んでるんじゃないかと思ったからね」


「シャーペット?」


「あれ、知らない?」ギルバートは意外そうに眉を曲げ、空人の後ろにある一人掛けソファを指差した。


その先にあるのソファの背凭れから、金髪の少女が顔を覗かせていた。少女は空人と目が合うと立ち上がった。


「君は――」


その少女は、吸血鬼に転生した日、目の前にいた少女だった。その少女、シャーペットの姿を見て、空人は思い出した。海月のことを失念していた。

あの後どうなったのか。聞きだしたい気持ちと、もし最悪の事態に至っていたら、そう考えると、恐怖で手が震えた。喉の奥から苦い味が口内に広がった。


「安心しなさい。あなたが牙にかけ、殺しそうになった鯱波海月こなみみつきは無事よ」空人の心中を察したように、シャーペットは無機質な表情で言った。


ほっとして身体から力が抜けた。力なく床に座り込むと涙がこぼれた。


「彼女が眠っている間に家へ送り届けたわ。襲われた証拠も全て消しておいたわ」


 空人の記憶に、薄っすらあの夜助けてくれたシャーペットの姿が残っていた。


「ありがとうございます。本当に」空人は涙をのみながら、床に頭をつけた。


「よかった。本当によかった。僕は本当に、僕は、取り返しのつかないことを……」


 空人の目からは大粒の涙が次から次へと溢れては流れた。その涙は、悔しさと悲しさが混じり、塩辛かった。自分の無力さを痛感した。


シャーペットは空人を見降ろして、憤りを含んだ深い溜息をついた。


「ぐずぐず泣くだけなら、誰だってできるわ」

シャーペットは空人の前に立った。空人は流れた涙をそのままにシャーペットを見上げた。

「いいこと。あの場に私が現れなければ、きっとあなたは彼女を殺していた。あの日の惨劇のようにね。あなたはどうして無責任に出歩いたりしたの? あなたはどうしてあの日逃げたの? あなたはどうしてすぐに彼女から放れなかった」シャーペットは空人を詰問した。

 空人は黙りこんで床を眺めた。床には答えはない。ただ呆然として、自分の無力さを痛感していた。

シャーペットは蔑んだ目で空人を見降ろした。


「何も答えられないようね」


「何も言えませんよ。僕が無力なのはわかっていますから」


「無力ならなぜ助けを――」


空人はシャーペットの言葉を遮った。「誰を頼ればいいか、そんなのわからないですよ……だって君だって僕を襲うかもしれないのに」


シャーペットは開いた口を閉じた。

「言いすぎたわ」シャーペットは、空人に背を向け続けた。「あともう一つ、あなたには悪いけど、眠っている間に血液を経口摂取させたわ」


え、と空人は声を漏らした。「血液って。まさか――」

「そうでもしないと、また彼女――、いいえ、彼女だけじゃない。多くの人を襲って殺すわ」


空人の顔が青ざめた。身体が急に冷たく感じた。耳の奥から潮が引いていく音がした。

口内を意識すると、ねっとりと粘着質な感触が舌に絡みついた。それに気がつくと、ほんのりと甘く酸味のある味が口内に広がっていた。

この後味を少しでも、おいしいものを食べた後だ、と思った自分に嫌悪した。

空人は手で口を覆った。


「まさか……。嘘だ」


「仕方ないでしょ。吸血鬼を満たせるのは血液しかないのだから」


空人は意気消沈した。


――人間の血液を飲んでしまった。その血液はどこから? まさか人間を襲って? でも、それなら海月は? まさかこの血は。


空人の口内で鉄の匂いがした。そう感じた途端胃が痙攣し始め、吐き気がした。痙攣は大きくなり波打ち、胃の中にあるものが食堂まで逆流した。空人は口を覆った。掌に生暖かく、ぬめり気のある少量の液体が吐き出された。

空人は掌を検め、目を剥いた。深紅の液体で掌が染まっていた。


「これは……血?」

疑う余地もなく血液だった。言葉に発したのは、現実を受け入れられないからだった。


ギルバートは、空人の隣に膝をついた。

「大丈夫かい?」優しい声でいって、空人の背中を擦る。


「意地悪だなー。シャルは……、素直じゃないというか、不器用というか――」ギルバートは吐息を吐いて、囁くような優しい声で続けた。「安心してくれ、空人君。たぶん君はこれを人間の血液だと勘違いしただろ?」


「違うんですか」咳き込みながら言った。


「違う。僕たちは人間を殺さない。動物の血液を少し分けてもらっているだけだ。その動物も殺さないしね」


「動物の血……」空人は掌に吐き出したものを検めた。


「そう。動物の血。これは牛の血」


空人はホッとして吐息が漏れた。


「僕たち吸血鬼は、動物の血液でも生きることができるんだ」


「そうなんですか?」


「うん。デメリットもあるけどね。でも生きるだけなら関係ないけれど」


「デメリット?」


「そうだなー。一番大きいのは身体能力の低下かな。人の血を吸う吸血鬼とは大きな力の差が生まれるらしい」


「僕にはあまり関係ないかもしれませんね」


 ギルバートは苦笑いを浮かべた。

「……あとは味かな。人間の血を吸う吸血鬼からすると淡泊すぎるらしい」


「人間の血の味を知らなければ問題ないってことですね」


「そうだね。ほかにデメリットと言えば、吸血鬼至上主義の吸血鬼からは迫害されてしまうことかな。ベジタリアンって言われて揶揄されるらしい」


「吸血鬼至上主義って多いんですか?」空人は怯えた表情で訊いた。


「吸血鬼協会みたいなものもあるね。数はわからないけど、吸血鬼は自分の力に過信するものが多いから、そういうやつも多いだろうね」


「でも、普通に生きることには、問題はなさそうですね」空人はホッと胸をなでおろした。


シャーペットがソファに腰を下ろした。自然に彼女へ視線がいった、シャーペットは一人掛けの椅子に深々と腰をかけ脚を組んだ。

空人はハッと目を開いた。心が落ち着いたからか、あることに気がついた。


「あの、その」動揺で口ごもる「君の制服……」


「あら、気がついていなかったの?」シャーペットの片眉が心なしか上がった。


シャーペットは、胸ポケットから、黒く分厚いフレームの丸い眼鏡を取り出した。眼鏡を掛けると、髪を掻き上げて腕に通した髪留めで素早く髪を括った。彼女は空人の見覚えのある人物に姿を変えた。初めて見た時から何かが引っかかっていた。これがその引っ掛かりの正体だったのか。空人の中ではまらなかったピースがはまった気がした。

絶世の美少女と言っても過言ではないほど、綺麗な少女。そこからは想像が及ばない、学校での地味で目立たない姿。少女はクラスメイトの白氷冷華だった。


「もしかして白氷さん?」空人は驚きの声を上げた。


「それは偽名よ。学校だけにして」


ピシャンと扉を絞められたような気がした。


「私の名前はシャーペット・フォン・スノウ吸血鬼の中でも、人間の中でも随一の名門貴族よ。苗字くらい聞いたことくらいはあるでしょ?」


空人は、曖昧に数回首を縦に振った。


「あまり知らないようね。少し説明してあげるわ」

シャーペットの表情は、相変わらず無機質だったが、そこはかとなく自慢げだ。そこには自慢にできるほどの理由があった。


「スノウ家っていうのは、吸血鬼の中では、かなり古い血族で、幾つもの時代でいつでも吸血鬼の世を支えてきた貴族よ」


「吸血鬼にも貴族がるの?」

「まあ一応ね。古い血族だから人間の世界にも深い繋がりがあるのよ」


空人はあまりよくわからず、眉を曲げた。


「まあ、遥か昔から、政治界でも名を馳せていた血族ね」


空人は思い出したようにハッとした。

「思い出した。数年前にニュースで見たことがある。吸血鬼と人間の共存を訴えていたけど、実は破滅に導いていた――」


「違うわ」シャーペットは深く吐息を吐いた。「私の父は、そんなこと考えていなかった。私の父フリーズは純粋に人間と吸血鬼の共存と平和を祈っていたわ」


「ごめん。何も知らないで」


「私も少しムキになってしまったわ」シャーペットは自分を落ち着けるように、深呼吸して続けた。「私の父フリーズの訴えには、確かに吸血鬼にも、人間にも反対派が多かったわ。でもメディアで祝えるような性格ではなかった」


空人は話を聞きながら、当時のことを思い出していた。当時、一般市民もこの意見にかなり影響を受け、デモや、ネットでの論争も多かった。それは過激化し、一般市民の反対派と賛成派が揉めに揉めて、暴動にまで発展してた。


「人間にとっては脅威に思ったかもしえない。でも、吸血鬼にとっても人間は脅威なのよ」


「人間が脅威?」


「そうよ。飛鳥君、どうして人間より運動能力が高いうえに、噛みついて毒を流し込むだけで繁殖できる私たちが、今の世を支配できていないかわかる?」


空人は渋い顔をした。一拍置いてから口を開いた。


「人間の方が強いから?」


「そうよ。吸血鬼っていうのはいつの時代も、人間に虐げられて生きている。陰で生きているの。だから穏健派の吸血鬼にとっては、父の訴えは希望だった」


空人は興奮気味に、声を上げた。

「でもじゃあ、どうして吸血鬼が君の一族を――」


「空人くん。この話はまた今度にしないかい?」ギルバートが空人の言葉を遮った。


空人は辺りを見渡した。シャーペットの表情に影が差しているように見えた。


「ごめんなさい。白氷さん。辛いことを話させて」


「いいの。私が話したのだから。でも、さっきも言ったように、学校の外で白氷はやめてくれる? 私はシャーペット」


「わかった。シャーペットさん」


「さんは要らないわ。シャーペットで良い」


空人は首を振って、周りを見た。もじもじとして口をまごつかせる。「えっと――。シャーペット……」空人の顔が紅潮した。


「それでいいわ」

シャーペットは虚空を見つめる。その表情は、仄かに哀愁の色が滲んでいた。


当時、暴動は日夜収まることを知らなかった。終息したのはスノウ家が崩壊したからだ。一家の住んでいた家は焼け朽ちて、父のフリーズ、妻のクーラは何者かに殺害され、幼い娘二人は行方不明となった。


スノウ家の訃報後、吸血鬼の中で、スノウ家を虐殺したのは、人間だという噂が広まり、吸血鬼による人間への襲撃は激化した。数ヶ月ほど人間と吸血鬼の戦いは続き、一時期は人間と吸血鬼の全面戦争が起こるのではないかと危惧されていた。

今は吸血鬼ハンターによって鎮圧されたが、人間と吸血鬼の確執は今でも拭えない。

事件後、人間はますます吸血鬼を野蛮なものと認識を深めた。吸血鬼も人間を裏切りものだという認識が強い。

 


「それじゃあ、本題なんだけど」ギルバートが、タイミングを見計らったように言った。


空人は首を縦に振った。


「君にいくつか訊きたいことがあるんだ。そこにかけてくれ」ギルバートは、苔色の一人掛けのソファへ座るように促した。


空人は遠慮がちに、シャーペットの隣へ浅く腰をかけた。正面には同じ色の長椅子があり、間には木製のローテーブルが置かれている。幕板には、木彫りで細かい装飾が施されている。そこへギルバートは、空人の正面にある長椅子に腰を掛けた。表情から柔らかいものが消えた。さきほどとは打って変わって、神妙な面持ちだった。自然と空人の表情も強張った。


ウルヴェルトは変わらず、険しい表情のまま、ギルバートの傍らに腕を組み仁王立ちしている。


「君にとって、思い出したくないことかもしれない。けれど聞き出さなければならない。いいかな?」


空人は、はい。と言って唾を飲み込んだ。

ギルバートもそれを確認すると頷いた。


「聞きたいことは、君を襲った吸血鬼について」


解っていた質問とはいえ身体が硬直した。空人の身体をあの惨劇が支配した。紅い眼と鮮血に沈む肉塊。少年の声。痛みと苦痛。その先にある死。どれも記憶に新しく鮮烈な記憶だ。

空人は叫んだ。まるで今起こったできごとのように感じられた。


「落ち着いて飛鳥君」


シャーペットが空人の肩を揺すった。その手を空人は払いのけた。


シャーペットは、空人の顔を両掌で挟み、無理やり振り向かせた。空人の目は、パニックと恐怖で揺れ動いていた。焦点は定まっていなかった。


「大丈夫よ。大丈夫。私を見なさい」


空人の目にシャーペットは映っていなかった。だが声だけはどこかから聞こえ、徐々に心が落ち着いた。陰惨な景色は徐々にブラックアウトし、人形のようにきれいな顔立ちをした少女の顔面が眼前に広がっていた。空人はその人物を認識できず、シャーペットと数秒目を見かわした。


「正気に戻ったようね」


 空人は、ぎょっ、とした表情をして、シャーペットの手を振り払った。シャーペットを横目で見て、ギルバートに視線を戻す。

一拍置いて、冷静さを取り戻すと、口を開いた。


「できれば話したくも、思い出したくもないです」空人の顔は蒼白だった。


ギルバートは諭すように、柔らかな表情を作った。


「僕は君を襲った吸血鬼を、一刻も早く止めたい。だから教えてほしいんだ」


「嫌です」


あら。っとギルバートは肩を透かしたというような気の抜けた声で言った。


「どうしてだい?」


「怖いんですよ。どうしても怖いです。助けてもらったことは感謝しています。でも、どうしても怖いです。話そうとすると、克明にその時の記憶がフラッシュバックして、身体が震えるんです」


空人は肩を抱いて、蹲った。

 

ギルバートの顔から表情が消えた。彼の瞳には一転の曇りもなかった。エメラルドのように輝いていた。


「空人君の恐怖はわかるよ」


空人は蹲ったまま顔を上げた。ギルバートの眼差しにドキリとした。だが次の瞬間には、嫌悪の表情を浮かべていた。わかったように言うなと思った。そう思うとふつふつと怒りが湧いた。


「わかるはずない」空人は叫んだ。


「わかるよ。僕も人間だったから」


空人は声を漏らした。


「僕とウルヴェルトは元々人間だった。だから吸血鬼に対しての恐怖もわかる」


「やめてください。そういうの」空人は目を逸らした。


「空人君。君は守りたいものってある?」


「守りたいもの?」


「そう、例えば友人。家族。恋人。どれも大切じゃないかな?」


空人は少しの間黙って答えた。「大切ですよ。失いたくない人です」


「君は運よく命がある」


「運よく? 吸血鬼になるなんて最悪ですよ。人の天敵ですよ?それもかなり野蛮だ。運よくだなんて」空人はまくしたてるように言った。


「ずいぶんないいようね。元人間」シャーペットが淡々と言った。「人間だって、吸血鬼の天敵よ。それもかなりたちが悪い。私たち吸血鬼からすると人間の方がよっぽど野蛮よ」


「人間の方が野蛮?」空人の額に微かに皺が寄った。


「そうよ。私たち吸血鬼が殺す人間の数より、人間が殺す人間の数の方が、よっぽど多いのよ。私たち吸血鬼を殺すだけで飽き足らず、侵略、戦争、殺人。人間っていうのはそんなにきれいな生き物なのかしら? ほかの生物を気遣うふりして、一番野蛮なのは人間じゃないかしら? あなたにも覚えがあるんじゃないの?」

 

空人は黙って俯いた。日ごろ自身も人間について思うことがあったからだ。

それを見てシャーペットは、ふっ、と息を吐いた。


「ま、それだけ死のリスクがある人間なのだから、生きているだけ運がいいと思うことね」シャーペットの口調は皮肉めいていた。

ギルバートは苦笑いした。


「僕も元人間だから、ちょっと傷つくなー」


「へらへらと気持ち悪いわね」


「傷つくなー」ギルバートは笑いながら言って、空人に視線を戻す。


「僕の言い方が悪かったね。僕が言いたかったことは、君は今生きている。同じように君を襲った犯人も生きている。この犯人を捕らえることは、局の方でも難航している。つまり目撃者は君だけで、キーマンは君なんだ。このまま野放しにしていることで、誰かの大切な人、もしかしたら君の大切な人が命を失うかもしれない。だからどうか――」ギルバートは、両膝に、掌をつき、深々と頭を下げ続けた。「頼む」


空人は驚いた。「やめてくださいよ」


空人は狼狽してシャーペットとギルバートの表情を交互に何度も見た。二人とも何食わぬ顔で、空人の表情を見ていた。それが彼には重かった。


「どうしてそこまで」


「僕が元ハンター対策局所属のハンターだから」


空人は意外そうに、声を漏らした。

「元ハンター?そんな人がどうして吸血鬼に?」


「ちょっとしくじってね」


空人は怪訝そうな顔をした。


「まあ元ハンターだから、悪い吸血鬼を退治してるってわけ」

ギルバートは両手を広げて肩を竦めた。


「でも、一般人が吸血鬼を退治するのは犯罪じゃ」


「君もだけど、僕たち一般人じゃないからね」


空人はハッとした。口元に手を添えて言った。「吸血鬼……」


「そう。僕たちは吸血鬼」


「それじゃあ聴取聴取。諦めて話してくれないかな?話すまで返さないよ」冗談ぽく微笑んではいるが目の奥に笑みはなかった。


空人は首を縦に振った。話そうと思ったのは、海月や陸人が、もし被害に合ったら嫌だったからだ。だが実際に話そうとすると、やっぱり唇や手が震えた。

空人はぽつりぽつりと、事の成り行きを話した。容姿、能力、垣間見えた性格。

ギルバートたちは、急かすことなく、すべてを聞いた。


空人が話し終えると、そうか。とギルバートが小声で言った。考えるように口元で手を組んだ。一拍置いて口を開く。


「ありがとう。おかげで謎が解けたよ。間違いなく連日ニュースになっている吸血鬼だ」


「まさかうちの学校の生徒だなんてね。私としたことが、不甲斐ないわ。ごめんなさいね」 シャーペットは空人に言った。

 

ギルバートがフォローするように口を開いた。

「透過の能力なんだから。見つける方が難しいさ。たぶん同じ学校の人間は襲わないようにしていると思う。少々狡猾な奴だと思う」


「でも今まで人を殺しても、吸血鬼に返ることはなかったのにね」


「どうして君だけを吸血鬼へ変えたのか。それが謎だ。捜査官の調査結果では、犯人のDNAすらないという話を噂で聞いた」


「――ということは、直接噛みついてはいない」空人が言った。


「そういうこと」


「情報はどこから出ているのかしらね」シャーペットがギルバートを睨む。


「僕の情報網は広いからね。」ギルバートは微笑んではぐらかした。


シャーペットは、呆れたように吐息をついた。


「犯人は最後にお腹いっぱいだったけど、見られたから仕方ないと言ってました」空人はその場にいる人の顔色を窺い言った。


「口封じか、愉快犯かな。全部ゲーム感覚なのかもしれない」


「全くひどいものね。神様にでもなった気かしら」シャーペットの声色は、心なしか憤りを感じさせた。


「ところで気になっていたんですけど、能力って?」


「ああ、そうか――。多くの吸血鬼は人が俗に言う、異能、超能力、魔法といった特殊な能を有するんだ。君を襲った吸血鬼はおそらく透過。シャルは絶対零度。僕とウルヴェルトは残念ながら能力には恵まれなかった。けれど君は能力に目覚めると思うよ」


空人は口を真一文字に結んで、首を傾げた。あまりピンとこなかった。


――アニメやゲームで出てくるものなのか? それならどう発動するのか?


「目覚めたらわかるわ」


シャーペットは、空人の心中を悟ったように言って、掌を空人に見せた。一瞬空人の鼻先に冷気が掠めた。その瞬間には、シャーペットの掌に、三角形の氷の塊転がっていた。その氷塊は濁りがなく透き透き通り、ガラス細工のように美しかった。

すごい。空人が言葉をこぼした。


「これであなたを貫いたわ」


空人の身体に怖気に似た寒気が走った。


「シャルの能力はかなり強力だ。それに今回のターゲットは君たちの学校だから、空人君とシャルのペアで捜査を頼むよ」

ギルバートは丘の見える湖で吹く風のような、爽やか笑みを浮かべた。


空人は目を剥き、口を真一文字に結ぶ。頭の中は疑問符で埋め尽くされた。


「簡単ね」


「そういうと思ったよ」ギルバートはにっこり笑った。


「二つだけルールを作る。これは絶対順守だ」ギルバートは二人の顔を見て続けた。「緊急時でない限り、学校でアクションを起こさないこと。これは目撃者も増えるし、被害は最小に抑えたいからだ。二つシャーペットは空人君を守ること。空人君はシャーペットに協力すること」

ギルバートは指を二本立て説明した。


「ちょっとちょっとちょっと待ってください。ペアって何ですか。捜査って。なんで僕が数に含――」


「うるさいわね。覚悟決めなさい。」シャーペットは、不快そうに眉を寄せた。


「じゃなくて、どうして僕も数に含まれてるんですか。確かに当事者ですけど。被害者は捜査までは協力しないでしょ」


「ま、うち非公式だし。闇営業だから」ギルバートはにっこりと笑みを浮かべた。「それに君はこの事件解決のキーマンだからね」


「非公式」空人は息を呑んだ「そんなこと法律で許されていないでしょ」


ギルバートは唸って、顎先を掻いた。


「許されないけど、闇営業だから」ギルバートは笑みを絶やすことなく続けた。「それに元来ヴァンパイアハンターっていうのは、怪異のスペシャリストなんだよね。陰陽師だったり、エクソシストだったりね。そのほとんどがペテンだったんだけど……話がそれたね。本当は今みたいに統率の取れた組織じゃなかったし、家系や流派みたいなものがある。この国以外では、今でも協会に入らずにやっている人間もいる。世界的に見れば珍しくないんだ。だから世界基準っていうわけさ」


「世界基準って……都合のいいこと言わないでください」


「ダメかな?」


「ダメですよ。嫌ですよ。今日あったばかりですよね? それに女の子に守ってもらうなん――」


突然、空人は声とも咳とも取れない息を吐きだした。腹に鉛のように硬いものが打ち付けられ。腹の奥に、重く鈍い痛みが響いた。


「生意気言わないで、弱いくせに」


シャーペットの拳が、空人の鳩尾にめり込んでいた。

空人はたまらず膝をついて、むせ返った。満足に吸えない息を、懸命に吸った。

シャーペットは侮蔑を含んだ目つきで、空人を虫を見るかのように見降ろした。


「大丈夫?」そう言ったギルバートの言葉は笑っている。

 ギルバートが空人の隣へ膝をついた。彼は空人の背中を撫でた。

 

空人は首を縦に振って、息を吸った。数回咳き込むと、ようやく息が整った。


「僕はやりませんよ」

 

空人は頑とした態度で言った。腹を殴られたので少し意地になっていた。


「そんなこと言わずに、僕たちもう仲間でしょ?」


「今日あったばかりですよ」


「仲間になることに時間なんて関係ないさ」


「とにかく、僕はやりません。助けていた亜抱いたことは感謝しています。でも今後はあなたたちと関わり合いにもなりません」


「つべこべうるさいわね」舌打ちの聞こえそうな声でシャーペットが言った。「黙ってやればいいのよ」


「はい」空人は怯えて、承諾した。

こんなのパワハラだ。空人はそう思った。


「協力感謝します」ギルバートは言った。


シャーペットは鼻で笑うと突然立ち上がった。空人は怯えたような目でシャーペットの無表情な顔を見上げる。彼女は胸ポケットを探ってから、手を振りかぶった。空人はぎゅっと目を閉じた。


「どうしたの」


シャーペットの声がして、空人はゆっくりと片目を開いた。眼前には、コンタクトケースが差し出されていた。


「なに、これ」


「あなた、目のコントロールができないようだから、つけときなさい」

 空人は差し出されたコンタクトケースを受け取ると、ケースの片方を開けた。入っていたのは黒色のカラーコンタクトだった。空人はシャーペットの顔を再び見上げた。

「普通は、慣れると目のコントロールができるようになるみたいよ。慣れるまでは、つけときなさい。それじゃ日常生活もできないでしょ」


「ありがとう」

空人にとって意外に感じた。これまでシャーペットは冷たく、表情を変えない氷の女王のような印象だった。

――意外に優しいのかもしれない。そう空人は思いなおした。

 渡されたコンタクトレンズをつけるのに五分ほど苦戦していた。今までコンタクトレンズをつけたことがなかったからだ。


「遅い」

 シャーペットはつま先をトントンと鳴らした。

 彼女は空人の手からコンタクトを奪った。彼女は空人の目にコンタクトを押し付けた。


「痛い痛い」

空人の目に激痛が走る。彼女は遠慮なく、ぐりぐりとコンタクトを目に押し付けてくる。涙がこぼれた。ぐちょり、と音がした。

 目が潰れた、と思った。


「ほら、鏡見て見なさい」

潰れたと思っていた目は自然な黒になっていた。注視するとわかるかもしれないが、馴染んで見えた。


「それだと、吸血鬼に狙われないから安心だね。ということで……」

ギルバートは笑顔空人の背後を指差した。空人は指先が示す方向を振り返った。そこに古い木製の時計がかかっており、黒い針が五を指示していた。


「もしかして、午前……ですか」

 ギルバートは爽やかな笑みを浮かべて首を縦に振った。まるで楽しんでいるようだった。


 空人は青ざめた。あと数時間もすれば学校の始業時間だからだ。ここが何処かもわからない。どれほどの時間で家に帰れるかもわからなかった。椅子から飛び上がった。そして一礼すると、扉に向かって駆け出した。


「また放課後ね」ギルバートは、空人の背中に投げかけた。


 空人は叫ぶような返事をして振り返った。空人は苦笑いを浮かべ、恥ずかしそうに言った。

「あの。ここどう出ればいいのか……」


 ギルバートは微笑んで言った。

「シャル空人君を表まで送ってあげて」

 シャーペットは微かに眉を顰めた。なんで私がと顔が語っていた。そのまま扉を開けて出ていった。空人も後に続いた。


 扉を出ると、目の前に石の階段が続いていた。等間隔で橙色のランプが壁にかかっており、それが階段を照らしている。階段は螺旋状に続き、上がっていくと天井にぶつかた。行き止まりになっていた。

 シャーペットは天井に触れた。すると扉は左右にスライドして天井が開いた。そこを上がると円柱型の部屋へ出た。広さは八畳ほどといったところだ。壁は本棚になっており、ぎっしりと洋書が詰まっている。それが天井付近まで続いている。ウルヴェルトでも届かないほど高くだ。


 空人が部屋へ上がると、床の扉は閉じた。どこに扉があったのかもわからないほどぴったりと、跡形もなくなった。

 この部屋に通路らしいところは床以外に見受けられなかった。

こっちよ。シャーペットが言う。言われるがまま、空人は本棚近くに立ち止まるシャーペットまで歩み寄る。


シャーペットは本を何冊か抜き取り、並び替えた。途端に本棚がスッと扉のように開いた。その先にもまた階段があった。階段を上がると、数メートルの廊下があり両側に二つづつ扉があった。シャーペットはそのすべてを通り過ぎ、突き当りまだ歩いた。シャーペットは再び壁に手を押し当てると、次は力を込めて押した。扉は高い音を立てゆっくりと開いた。


薄灯りが差し込んだ。扉をくぐると、厨房のようなところに出た。飲食店のようだった。そこから出ると薄暗く、雰囲気のある空間が広がっていた。長いカウンターがあり、その前に足の長い椅子が五脚置かれていた。カウンターの中には冷蔵庫と洋酒がずらりと並んでいる。


「ここが探偵事務所の窓口よ」

「ここが?」

あまりにも似つかわしくない佇まいに空人は驚いた。


「ま、ほとんど趣味とカモフラージュでやってるだけだからね。正直、ほとんどバーよ。夜しかやってないしね。多分さっき閉店したところよ」

カウンター奥に黒いカーテンが掛かっており、そこから薄い光が漏れていた。


「さっさと行きましょう。彼らに見つかると面倒だから」

「彼ら?」

 シャーペットは、横目で空人の顔を見ると何も言わず黒い扉から外へ出ていった。シャーペットの言う彼らが気になったが空人もシャーペットの後に続いた。


 空は群青色で、辺りはまだ薄暗かった。街灯が立ち並び、それがまだ点灯している。東の空は少し黄色味を帯び、太陽が昇ろうとしていた。

 探偵事務所の正面には大きなビルが建っていた。そのビルを回り込むように裏路地を抜けると、見覚えのある大通りだった。昼間は人が大勢往来し、夜もそれなりに人のいる繁華街だ。大通りを突き当りまで進むと、吸血鬼対策局本部に突き当たるこの町のメインストリートだ。空人の家からも、そう遠くない立地だった。


「ありがとう。じゃあまた学校で」

空人は会釈した。


「あなたは私が守るけど、私の足を引っ張るような真似はしないでね。あなたは見てるだけでいい。ターゲットは私が殺す。ターゲットだけ教えてくれればいいわ」

シャーペットの言葉は鋭かった。


 シャーペットの様子を伺うように頷いた。

 シャーペットは空人に手を伸ばした。その動作に空人の体は硬直する。

「これ、連絡先よ」

シャーペットの手に、メモ用紙が握られていた。

 空人は頷き、メモ用紙を受け取った。読めない人だと思った。シャーペットの表情は仮面のようにほとんど変わらず、話しかたも抑揚がなく棒読みだ。感情がない人形のようだ。

「ここまでくれば大丈夫よね。じゃあね」

「あ、ありがとう。また明日」

「今日ね」シャーペットは、すかさず訂正すると続けた。「学校で私のこと、ばらしたら殺すから気をつけて」

 シャーペットの視線。口調には淀みはなかった。空人は身震いした。やっぱりおっかないと思った。


 シャーペットが後姿を見送って、空人も帰路へ着こうと振り返った。

「そうだ」シャーペットが言った。「最近連日の事件と徘徊者の急増で、この辺りもハンターが増えたから気をつけなさい」

 空人は更に憂鬱な気分になった。シャーペットは自分を怖がらせたいのだろうか。そう思った。

 シャーペットは、それだけ言うと、踵を返した。

空人もようやく帰路へ着く。

――なんだか今日は疲れたな。

大きく吐息を吐いた。そして青く染まり始めた東の空を見て、大きく天に両手を伸ばした。


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