花より君。
桜が目につく。世間が追うせいだ。今年もこの季節が来ました。その言葉がよく似合う。
桜、さくら。サクラ。ソメイヨシノ。自ら吐き出すクマリンは、根元に要らぬ雑草を蔓延らせぬ作用があるという。桜前線、次々と満開を迎えるソメイヨシノ。
皆々、同じ遺伝子を持つクローン。挿し木で増やされ人の手により植えられた、染井吉野。一気に花開き、あっという間に舞い散る花は儚い夢のよう。
青い空には小鳥舞い飛ぶ。蒼いオオイヌノフグリの花がティーカップ、西洋蒲公英が、丸いクッションみたいに花開き、麗らな陽をあびている春爛漫。
田舎に向かうと、深山に薄紅の煙のように広がる山桜が車の運転中にチラホラと目につく。深紅の葉と共に咲く五弁は、楚々とした姫のよう。平安貴族も、戦国武将も、桜といえば山桜、野生種の桜は柔な染井吉野と違い、てんぐ巣病に侵されている木は目にしない。
「お花見に行きたい」
夕食時。メディアがポツポツと朱い蕾が柔に解け、しとげなく開いた桜の映像を、画面いっぱいに映し出していた。
「江戸時代の花見は桜吹雪が主流」
「そうなの? 今とは違うのね」
僕の返事に無邪気に応じる君。
「そうでもないよ、ここ一番とばかりにめかしこみ、重箱に料理を詰め込んで、毛氈を敷き幔幕を張った中で、どんちゃん騒ぎをしていたらしい。だからその点はあまり変わらない」
「花より団子、外で食べるお弁当は美味しいから」
筍と菜の花が並ぶ食卓。結婚祝いで誰かから貰った、一輪挿しに花屋で君が買ってきた芍薬の蕾が、パチンと割れて綻び花開きそうになっている。
しどけなく開くと言葉が似合うは、芍薬牡丹、薔薇等、大輪。硬く小さな蕾に多くの花弁が折り畳まれ、仕込まれている。立てば芍薬、座れば牡丹、美人の例えだ。歩く姿は百合の花。
百合の花。タカサゴユリだろうか、それとも鉄砲百合。カサブランカだと豪華過ぎる。
「ねぇ、行きましょうよ」
徒然に考えていると君の声。うん、と慌てて意識をこちらに切り替える。脳裏に過る花嫁姿の君の手には、純白のカサブランカのブーケ。
「うーん、そう。行くなら、夜桜がいい。それもうんと遅い時間がいいな」
妄想力を研ぎ澄まし書くことが仕事の僕は、例に漏れず人混みが苦手なのでそう返す。
「昼間じゃ、駄目?」
「うん。だめ」
「お弁当を広げたいのに」
少しばかりしょげた君。
「ほら、行きたいと言ってたレストランで、食事をしてから見に行こう。夜桜フェアをやっているって」
タイミング良く、歩いて数分のところに出来た店の話題が、ニュースに取り上げられていた。今流行りの古民家カフェ。広い庭には苔むした桜があり、その下に設えたテーブル席で食事が摂れるらしい。
「予約、取れるかしら」
「平日ならなんとかなるだろ」
携帯を取り出すと検索、こういう時は即決しなくちゃいけない。料理が。値段が、どうのこうのとあたふたとしていたら取り逃がしてしまう。ましてや桜の花の寿命等、天候により簡単に至極短命になる。
「うん。明後日、取れた。編集さんとの打ち合わせ、早めに終わるよう頑張って、帰るから」
「あ、じゃぁ待ちあわせしましょう、前みたいに」
ウキウキと弾む声の君。
ウキウキと下心弾む僕。
「いいね。うんとお洒落して来てよ」
「ええ? そんな事言われたら何着ていこう。」
「白のワンピースが良い」
僕のお気に入りをさり気なくアピール。
桜、さくらサクラ、ソメイヨシノ。群れて咲き乱れる花は、狂喜を宿しているかに見える。漆黒の闇が空を覆い、黒さの中に浮かび上がる密度を増した枝の下に立てば、理性等簡単に喰われてしまう妖艶さを纏う。
綺麗ね。君はそういう。
綺麗だ。僕はそういう。
君は桜に。
僕は君に。
誰も居ない時を見計らい、花見に行こう。食事を終えたら、近くにある顔馴染みのバーに立ち寄って。それからの夜桜見物。
酒によりほんのり上気した薄紅色の君を。
僕は抱き締める。
桜の花なんか知らない、花より君。
微かに感じる桜から吐き出す冷えたミストの中、
仄かに立ち上る薫りと、血潮が放つ熱、甘やかな吐息。
白いワンピースを着た君を僕の腕の中で、布一枚下の柔らかな肢体を、しかと感じたいんだ。