公爵家から婚約破棄された侯爵令嬢はお菓子作りに励んでいます
「エリー、おめでとう!」
「誕生日おめでとう、エリーさん」
「ありがとう、みなさん」
今日は侯爵令嬢エリー・クレメールの16歳の誕生日。
クレメール家の屋敷の応接間で、パーティの主役であるエリーは沢山の人とプレゼントに囲まれていた。
「エリー、今日は本当に綺麗ね」
「本当。まるでお姫様みたいだわ」
騒がしく友人知人に囲まれているエリーのもとに、一人の青年が近づく。
「やあエリー。誕生日おめでとう。これは僕からのささやかな贈り物さ」
そう言って、リボンがついた小綺麗な小さな箱をエリーに渡す。
青年の名はカール・ドロン。
王国でも数えるほどしかいない公爵家、ドロン家の令息で、エリーの婚約相手でもあった。
少し自信過剰で横柄なところもあったが、なかなかハンサムで、他の令嬢たちからの人気も高かった。
「まあ……今開けてみてもよろしいですか?」
「もちろん。そのために今渡したんだから」
エリーが箱をそっと丁寧に開けると、中からは綺麗な指輪が出てきた。
部屋の光を受けて、まばゆいほどに輝いている。
「これは……」
「ダイヤモンドの指輪だ。よかったら受け取ってほしい」
「で、でもこんな高価そうな物、私受け取れませんわ」
「構わないよ。うちにはお金なんて掃いて捨てるほどあるんだから。それに、君とはいずれ結婚する関係だしね。ああ、もちろん結婚指輪は他に用意するよ」
「きゃあああ! ダイヤモンドですって!」
「ああ、エリーさんが羨ましいわ……! 公爵家の跡取りと結婚だなんて……」
部屋がにわかに騒がしくなる。
エリーはまだためらっていたが、断って場をしらけさせるのも良くないと思い、受け取ることにしたのだった。
「ありがとうございます、カール様。大切にいたしますわ」
◆
夜になり、パーティも佳境を迎える頃。
(そういえば、お父様、まだかしら。少し心配ですわね……)
エリーの父であるフィリップ・クレメールは、昼間プレゼントを買いに行くと言ったきり、まだ帰っていなかった。
そんなことをエリーが思っていると、応接間の扉がバンと勢いよく開かれ、蒼白な顔の執事が慌てて入ってきた。
「お嬢様! エリーお嬢様!」
「ど、どうしたの、いきなり大声で」
「旦那様が……フィリップ様が……亡くなられました!!」
「えっ……」
エリーは一瞬、なんのことかわからなくなり、頭が真っ白になる。
(お父様が……死んだ? まさか、そんな)
一気に静まり返るパーティ会場。
「……冗談はよして頂戴」
「冗談ではありません! 隣町からの帰りの馬車で、馬が足を取られ、崖の下に落ちたらしく……!」
「……嘘。嘘よ!」
エリーは信じたくなかった。あんなに優しかった父が、突然いなくなるなんて。
「フィリップ様は川に流され、行方不明です……これは、現場に置いてあったものです」
執事は、ぼろぼろになったプレゼントの包みを見せた。
箱が破れ、中に入っていたクマの人形が見えていた。
「嘘だわ……」
エリーは箱を受け取り、その場に崩れ落ちた。
あれだけ賑わっていた会場が、突如葬式のように暗いものへと変わる。
と、カールがずかずかと勢いよく執事に向かってきて、その胸倉を掴む。
「おい、その話は本当なのか!?」
「は、はい。間違いございません……!」
「……!」
カールは執事を乱暴に床に放り投げ、エリーのもとに来る。
「悪いが、さっきの指輪は返してもらおう」
「えっ……カール様……?」
「もうドロン家がクレメール家と付き合うメリットはない」
そう言って片手の手のひらをエリーに向ける。
返せ、と言うように。
エリーは半分放心状態になりながら、指輪の箱を返した。
「決まっていた婚約も破棄させてもらう。では僕はこれで失礼する」
カールはそう言って、足早に部屋を出ていった。
「あっ、お待ちになって、カール様!」
続くように、他の令嬢たちもカールを追って部屋を出ていく。
広い応接間に残ったのは、エリーと執事、そしてむなしく残されたプレゼントだけになった。
「……ではお嬢様、私もこれでお暇させていただきます」
ついには執事も出ていく。
エリーはひとり、ずっと広間でうずくまっていた。
◆
フィリップの葬儀が終わり、借金返済のためクレメール家の屋敷は売り払われ、持っていた土地も全てなくなった。
エリーは母親も幼い頃に亡くしていたので、実質的にクレメール家は破産という形になった。
一人でクレメール家を支えていた主のフィリップがいなくなったので、まさに転げ落ちるような没落の仕方だった。
エリーは残された少ない財産で、ある城下町で小さな家を借り、暮らすことになった。
そのまま暮らしていくだけでは貯金も減っていく一方なので、エリーは町のお菓子屋に修行見習いとして入り、働くことにした。
もともとお菓子作りは好きで、屋敷でも父に作ったものをよく振舞っていた。
おいしいおいしいと言いながら食べてくれる父を見て、嬉しくなったのを思い出す。
(こういう暮らしも悪くはありませんが……やっぱり寂しいですわ。お父様……)
苦労しながらも、エリーは少しずつ店や町に馴染んでいった。
お菓子屋の朝はとても早く、賃金も安い。
おまけに肝心のお菓子は作らせて貰えず、きつい雑用ばかり。
それでもエリーは、いつか自分が一人前になれるのを信じ、毎日頑張っていた。
そんな生活を始めて二年。
ようやく少しずつお菓子を作らせてもらえるようになった頃、店に一人の男性が訪れる。
「いらっしゃいませ」
男はフードを目深に被っていて、顔がよく見えなかったが、身なりは綺麗なようだった。
カウンターに立つエリーは少し不思議に思ったが、普段通りに接客する。
「……じゃあこのモンブランと、チョコレート・ケーキをひとつずつ」
「はい、かしこまりました」
エリーは作り笑顔で応対し、品を包んで渡し、頭を下げる。
「またお越しくださいませ」
「……」
男はエリーの顔をしばらく見つめた後、静かに帰っていった。
(なんだったんでしょう……?)
そのときはすぐに奥から呼ばれたので、エリーはあまり気に留めなかった。
◆
数日後。
また例のフードの男が訪ねてきた。
男はしばらく悩んだ後、またも品を注文し、去っていった。
(甘い物が好きな方なのかしら)
それからは、数日おきにフードの男が訪ねてくるようになった。
ある日、閉店間際にいつものように男が現れたかと思うと、突然エリーに話しかけてきた。
「あの……いつものマドレーヌは……」
「あっ、ごめんなさい、あれはもう売り切れですの」
「そ、そうか……」
背を向け、肩をしょんぼりと落とす。
エリーはふと、そんな彼に聞いてみたくなった。
「あの……お菓子、お好きなんですか?」
男はエリーの方に振り返ったかと思うと、勢いよく答える。
「大好きだ!」
「そ……そうですか」
と、そこで男はおもむろにフードを脱ぎ、顔を露わにする。
エリーは驚いた。
綺麗な金色の髪に、澄みわたる青い瞳。
きめ細かで透き通るような白い肌。
一言でいえば、とても綺麗な人だった。
儚げで、透明で、すぐに消えてしまいそうな雰囲気を持っているようにも見えた。
「悪いかい? 男がその……ケーキとか甘いものが好きで」
男は顔をエリーに近づけ、聞いてくる。
エリーは少し狼狽えたが、すぐに冷静になって対応する。
「いえ、そんなことありませんわ。性別なんて関係ありません。私も好きですよ。お菓子」
エリーは笑顔で答える。
「そ、そうか」
「はい。食べていると幸せな気分になれますもの」
「わかる! わかるよ」
それから少しの間、他のお客もいなかったので、エリーは男とお菓子について思い思いに話した。
不思議と話は弾み、エリーはつい時間を忘れて店を閉める準備を忘れていた。
「君とはいいお菓子友達になれそうだ。……また来るよ」
「あ……はい。ありがとうございました」
男は満足したようにまたフードを被り、帰っていった。
(なんだか不思議な人ですわね……)
エリーはそんなことを思いながら、閉店の準備を始めたのだった。
◆
今年も冬が来た。
城下町はひんやりとした寒さの中、クリスマスに向け賑わいを見せ始めていた。
エリーのいるお菓子屋は、特にこの時期、ケーキやクリスマス・プディングの準備で忙しく、皆仕事に忙殺されていた。
男はあれからも数日おきに訪ねてきては、エリーとお菓子について楽しそうに話してから、商品を買っていってくれた。
「この前の期間限定チーズケーキ、あれは最高だった……!」
「で、また買いに来たというわけですのね」
「ああ。今日のおすすめはあるかい?」
「そうですわね……このブラウニーなんていかが?」
「いいね。コーヒーと合いそうだ……。よし、今日はこれにしよう」
エリーも好きなお菓子作りのことが存分に話せるので、いつしかこの時間が待ち遠しく感じるまでになっていた。
お菓子のことを夢中で語る彼は美しく、エリーを見つめるその瞳は儚げに輝いていた。
エリーは、夢中で語る彼を静かに見ているのが好きだった。
お互いだいぶ慣れてきて、店員とお客ではなく、友達のように気軽に話せるようになってきた頃、ふとエリーは気になったことを尋ねてみた。
「そういえば、あなたお名前はなんていいますの? 不思議とお互い今まで聞いていませんでしたわね」
「え? 僕かい? ……シャルル」
シャルルと名乗った男は、なぜか少し言いよどんだ。
今まで名乗らなかったのを見ると、あまり言いたくなかったのかもしれない。
「へえ……私はエリーといいますの」
「えっ!? エリー? 今、エリーと言ったのかい?」
シャルルはそれを聞いて、飛び上がったように驚いた。
「ええ、そうですけど……そんなに珍しい名前かしら」
「……ファ、ファミリーネームは?」
「え? クレメールですけど……」
「な……なんてことだ」
シャルルはふらふらとしたかと思うと、カウンターに肘をつき、うなだれてしまう。
そして今度は急に、はははは、と一人で笑い出した。
(一体、どうしたというのでしょう……?)
笑い終わったシャルルはエリーの顔をしばらくじっと見つめたかと思うと、急に真剣な表情になる。
「……いや、ごめん。なんでもないんだ。それより、もうすぐクリスマス・イブだけど、君予定はあるのかい」
「ないですわよ、そんなの。ケーキの宅配で忙しいですから。もう一緒に過ごす家族もいませんし」
「……それなら、頼みたいことがあるんだ。エリー、君が作ったクリスマスケーキをあるところへ届けてほしいんだ。届けるのはその日の最後でいいから」
「え、私の? でも……店長に許してもらえるかどうか……」
「店長に伝えてほしいんだ。君のじゃなきゃ注文しないって。頼めるかな?」
「え、ええ……そこまで言うのなら一応頼んでみますわ。でも、一体どうして」
「いいからいいから。頼んだよ。あ、住所はここに書いておくから」
そう言ってシャルルはメモ書きをエリーに渡して、去っていった。
(つくづく、本当に変な人ですわ……)
エリーは思わず、ため息をついた。
◆
クリスマス・イブ当日。
城下町は雪が降っていて、地面は薄い白に覆われていた。
(さ、寒いですわ……)
町は明るく、どこのお店も行き交う人たちで混雑していた。
エリーはクリスマスケーキの配達に一日中追われ、疲れ果てていた。
一年でも一番忙しい時期。
(歩きっぱなしで足も痛いし……)
道行く家族連れを見て、エリーは死んだ父のことを思う。
母は物心つく前にいなくなっていたので、親としてずっと育ててくれたのは父だった。
(お父様……)
この日だけは、エリーも寂しさで胸が締め付けられるのだった。
クマのぬいぐるみのプレゼントは、今も家に置いてある。
父が最後に残してくれた、大切な宝物だった。
ようやく配達が一段落し、残すはシャルルの言っていた場所のみとなった。
店長から許可は貰ったので、エリーは今できる限りの技術をそのケーキに注ぎ込んだ。
完成したものは店長のものと比べるとお粗末なものだったが、それでも形にはなっていたし、相手が自分が作ったものを望んでいるのだから仕方ない、と納得することにした。
(そういえば、シャルルは誰にこれを届けたかったのでしょう……?)
住所を確認しながら、最後のケーキを届けるべく道を進むエリー。
と、そこで奇妙なことに気づく。
(人通りがどんどん減ってますわね)
道を進むごとに、クリスマスの喧騒から離れていき、不安を覚えるエリー。
(もしかして、なにか企みごとを……?)
(……いいえ、シャルルを信じましょう。お菓子好きに悪い人はいませんもの)
そうしてエリーは町の奥にある坂を登り、ついに目的地にたどり着く。
「こ、ここって……」
そこは、町の上にある大きなお城だった。住所の場所というのは、このお城だったのだ。
門の見張りの兵士二人が、近づいてきたエリーに気づく。
「お嬢さん、こんな夜更けになんのご用です」
「えっと……その……ケーキを届けに……」
「ケーキ? ……聞いてるか?」
「いや、聞いてないな」
「……悪いけど、少し確かめさせてもらうよ」
エリーは見張りの二人に捕まり、手にしていた箱を取られてしまう。
「あっ」
「おーい、エリー!」
と、そこで門の奥の城の方から、よく聞き慣れた声が聞こえた。
見ると、シャルルがこちらに走って来るのが見えた。
(ど、どうしてシャルルが?)
「ごめんごめん、兵士たちに言ってなかったから」
「シャルル様。こちらのお嬢さんは……?」
兵士の一人がシャルルに聞く。
(……シャルル様?)
「あの、シャルル様って……?」
「……ご存じないのですか? こちらは、我が国の第一王子、シャルル・ド・グレゴリー様です」
「えっ」
(えええ~~~~!?)
(シャルルが……王子様!?)
エリーは、驚きのあまり言葉を無くす。
彼女はお菓子作りや仕事に夢中で、国の事情に疎かったのだった。
「ごめん、隠すつもりはなかったんだけど、町で騒ぎになるわけにもいかないからね。こちらはエリー・クレメール嬢。僕のお菓子友達さ」
「クレメール……? ということは……シャルル様!」
「うん。ついに見つけたんだ」
「???」
エリーは怒涛の展開に、頭に?を浮かべて混乱するしかなかった。
◆
お城の中。
エリーは広い豪華で暖かな部屋に通される。
中央にあるテーブルを挟み、シャルルは説明してくれた。
シャルルはエリーの父であるフィリップが亡くなってから、ずっとエリーのことを探していたという。
シャルルは個人的にフィリップ侯爵に恩があり、エリーのことも話だけ聞いて知っていた。
二年前、シャルルが遠征中にフィリップが亡くなったことを知り、急いで戻ったがもうエリーはどこにもいなかった。
それからずっと恩人であるフィリップの娘を探していたが見つからず、最近はもうほとんど諦めていたという。
「そもそも、もっと早く気付くべきだった。君が町の子にしては言葉遣いが丁寧だったこととか、立ち振る舞いが綺麗だったこととか」
エリーの言葉遣いは、一朝一夕に変えられるものではなかった。
「色んな所を探したけど、まさかこんな近くにいるとは思わなかったよ」
「すごい偶然ですわね」
「君のお父上は立派な人だった。……彼はもう帰らぬ人となったが、いつも君のことを話してくれたよ。だから僕も君のことが気になっていたんだ。……ところで、どうだい、これから僕と一緒にこの城に住まないか。もちろん、お父上からの恩とかそういうのは抜きで。純粋に君が好きだから、君と暮らしたいんだ」
「えっ……城に?」
「ああ。君さえよければ、だけど」
「……」
一緒に住む。
つまりこれは、実質シャルルからのプロポーズだった。
エリーはしばし考えてから、こう言った。
「残念ですけど、今はお断りしますわ」
「今は……ということは、いずれ来てくれるんだろうね」
「……私、今はお菓子作りの職人の道を進みたいんです。一人でお店を持てるくらいになったら、その時は……」
「……わかった。君も知っての通り、僕は甘い物には目がないんだ。君が一人前になるまで、もう少し楽しみに待つことにするよ。時々また隠れて店にも行くから」
「ありがとう。……ごめんなさい、シャルル。せっかくのお誘いを」
「いいよ。僕は君を逃がさない。絶対に、僕のお嫁さんにするんだからね」
突然の告白に、エリーは照れながらも、泣きながら嬉しそうにするのだった。
その後、二人でエリーの作ったクリスマスケーキを食べる。
「おいしい。エリー、これおいしいよ!」
「ふふっ。よかったです」
おいしそうに食べるシャルルを見て、エリーは久しぶりに、心の底から幸せそうに笑っていた。
外では雪が降っている。
クリスマス・イブの夜。
◆
後でシャルルから聞いた話だが、カール公爵の家、ドロン家は新規事業が失敗し、没落の一途を辿っているらしい。近々、爵位も無くなるとの噂だった。
でも、エリーはそんなことはどうでもよかった。
シャルルとの幸せな未来を夢見て。
エリーは、今日も家でお菓子作りの練習を始めるのだった。
「……お父様。今日も頑張りますわね」
部屋の隅で、クマの人形が心地よさそうに座っていた。
終わり
読んで下さってありがとうございます。