我が作家になりたい理由
我は、作家になりたい。直木賞を取りたい。
と言っても、其れはかなり難しい話だ。作家ならまだしも、直木賞がほしいのだ。直木賞を受賞するためには、まず、選考委員の目に止まるような作品を書かねばならない。其処がまた難しい。選考委員は大体有名作家が務めることが多い。その人等を「あっ」と驚かせる、又は目を引くようなものを書かねばならない。出来ないかも知れないが、我はやらねばならない。
前記のように直木賞を受賞する条件を話したが、何故我は直木賞をほしいと思っているか、あと、何故作家になりたいかを話そうと思う。
我が作家を志したの大体中学校生活最後の冬だった。大体一月ぐらいだっただろうか。兎に角寒い月であった。我は、アニメや漫画の影響で文豪に興味があり、作品を読み漁り始めていた。何からを読めばわからないので、母に相談するとまずは江戸川乱歩の傑作選を読んだら如何だと言われ、早速書店に足を運び、購入した。翌日、学校に行き、空き時間に其れを読んだ、最初に出てきた作品は江戸川乱歩氏の処女作である『二銭銅貨』であった。其れは当時の我には難解であり、あまりよくわからなかった。(今は面白さがわかる)次に『D坂の殺人事件』を読んだ。あの有名な明智小五郎が初登場する作品である。内容は確か主人公が最初に喫茶店で冷まし珈琲を啜っており、向かいにある書店が三回も万引きにあっていることに不審に思い、後から来た明智と一緒に書店に行き、其処で女が死んでいた……という大体このような話だったと思う。我は此の作品がとても気に入り、その後『心理試験』『鏡地獄』『人間椅子』等、彼の作品を粗方読み終わり、次に興味を持ったのは、今では我が師匠となっている太宰治氏の作品だった。太宰治氏の作品と言えば、諸君は大体『人間失格』を想像するだろう。しかし、我は大して文豪を知らぬ者も知っている有名作品すぎて、最早一般常識にも入っている其の作品ではなく、我は『斜陽』を選んだ。何故斜陽を選んだかは今はあまり覚えておらぬが、多分、表紙のデザインが気に入ったからだろう。斜陽を一回読み、何となく面白く、読み返した。其れから二回、三回と読み返し、十回近く読み返した。とても、面白い。読んで二回目、鳥肌が立った。文章でこのような素晴らしい物語が書けるとは、天才だ。自分もこのような作品を書きたいと心から思った。其れが、我の原点だった。初めて書いたのは、確か十二月、高校受験が近いときだった。書いて、完成して、まず、クラスメイトに見せた。皆褒めてくれた。其れだけで幸せだった。涙が出そうだった。そして、執筆が初めて努力しようと思え、出来たものになった。
何故直木賞がほしいか。と聞かれるとかなり難しいし、悩む。何時からほしいか、何故ほしいか、は今になってはわからない。ただただほしいのだ。人生の目標であるのだ。其れを達成するまで我は死ねないし、死なない。
先程の話の続きだが、我は正直言うと自殺願望がある。別に、今すぐ死にたいとかではない。長生きがしたくないというだけだ。精々…四十代ぐらいで良い。七十とか八十も生きたくはない。流石に、七十ぐらいまで生きたら師匠に申し訳なくなるというか、恥ずかしいのだ。
我は、このような感じで作家を目指しており、直木賞も目指している。作家はなれるかもだが、直木賞までは流石に難しい。別に、最年少受賞等の肩書は要らない。ただ、直木賞がほしいのだ。師匠もきっと同じような気持ちで佐藤春夫氏や川端康成氏に直訴や直談判をしたのだろうと考える。
今回初めて随筆を書いたが、かなり楽しく思えた。機会があればまた書こうと思う。其れではまたの機会に。